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【完結】いつかわたしを攫ってくれると言った怪盗の正体は、冷徹嫌味な宰相閣下でした  作者: 藤原ライラ
第三部:黄金の女王

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32.奇跡

 十歳の時、エレオノーラは至って普通の地味な娘だった。


 託宣の儀式に現れた彼女は所在なげで、澄んだ青い瞳をきょろきょろとさせていた。大神官が差し出した手を恐る恐る握り、そのままその手で泉に触れた。


 けれど、今目の前にいる次期女王の美しいことと言ったら。大神官は思わず目を細めずにはいられなかった。


 聖堂で、エレオノーラは夫となる男とともに跪いた。


 天上から降り注いだ光に、エレオノーラはそっと目を伏せる。結い上げられた金色の髪は、きらきらと輝き、静謐な美を醸し出していた。


 大神官は、聖典を読み上げ彼女に祝福を祈った。その間中ずっと考えていた。


 殺すには、あまりにも惜しい。

 あの髪を解いて、舞い踊るように善がるところを見てみたい。


 ああ、いっそ死んだことにして教会の最奥に隠してしまおうか。そうしてしまえばもう、エレオノーラはこちらのものだ。


 末の王子に肩入れしてみせたのは、国が混乱すればするほど教会の力は増すからだ。世の中が乱れれば、人は神に縋りたくなる。救いを求めて人も金も集まる。これほど都合のいいことはない。


 果たして神様が本当にいるかは、別として。


 婚約を祝う晩餐会が始まり、女王はもっともよく見える位置に座っている。煌びやかな大広間で贅を尽くした料理を味わいながら、あの娘の肌を暴いてやりたいと思った。


 ただ、時折ひどく鋭い視線を感じた。

 エレオノーラの隣に立つ、王配となる男だ。確か宰相位にあるとのことだったが、それにしては若い。


 男の緑の目は、不躾なほどにこちらを真っ直ぐに見つめてきた。一瞬背筋に冷たいものが走ったが、小僧の視線ごときに動じるほど、自分は愚かではない。大神官はあくまで柔和な笑みを保っていた。


 晩餐会も終盤になると、全員に新しいグラスが配られた。


 音もなくするすると現れた女官達が、一人ずつグラスの前に立つ。その手には、水の入った瓶がある。


「今日、この良き日を皆と迎えられたことを心より嬉しく思います」


 エレオノーラが一つ頷くと、彼女達は一糸乱れぬ統率された動きでグラスに水を注いだ。


 これは、どういうことだろう。

 酒でも茶でもなく、供されるのがただの水とは。


 小さなざわめきがさざ波のように大広間に広がっていく。


 けれど、誰もグラスには手を付けなかった。この場で最も高位であるエレオノーラがそうする前に手を出すことは作法を知らぬ者の行いだからだ。


「皆もよく知っている通り、わたしは十歳の時に託宣の儀式を受け、次の王に選ばれました」


 エレオノーラはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 その声は決して大きくはないのに、染み渡るように貴族達のざわめきを鎮めていく。


「ほかならぬ神が、このわたしをお選びになったのです」

 そこでエレオノーラは含みを持たせた顔で、大神官を見た。


 彼女の意図するところは分かっている。鷹揚に大神官は頷く。エレオノーラが選ばれた王であることを保証するように。


「ですから今日、わたしはもう一度神に選ばれてみせます」


 彼女はそう言って、にこりと微笑み、全員を見渡した。

 まるで時が止まったかと思った。皆が息を呑む音まで聞こえる程の静寂。


 目を逸らすことも瞬きすることも許さない。

 その可憐さと美しさで、エレオノーラはこの場の全てを支配してみせた。


「わたしを神が選んだのならば、神はまた、わたしを証すでしょう」


 ほっそりとした白魚のような手が、グラスを掲げる。


 皆の視線がその杯に集まれば、満ちていたのは水ではなく、しゅわりと泡を生ずる淡い金色の酒だった。


 ふと目を落とせば、己の手元にあるグラスにも黄金が満ちていた。

 

 いや、大神官のものだけではない。どれもこれも、この場にいる全員のグラスに注がれていた水が酒に変わっていた。色と泡の様はスパークリングワインに似ている。


「奇跡だ……」


 誰かが小声で呟いた声が波紋のように広がっていく。同意と賞賛が重なって、その声が大きくなっていく。


 小さな一人の拍手が大きなうねりとなって、大広間全体を包み込む。


 それとは裏腹に、大神官の手は震えるようだった。高揚感ではない汗が背筋を伝う。


 奇跡? そんなこと、起きるわけがない。

 それは自分が一番よく知っている。


 今この場で何が起こっている? どんな奇術を使ったのか? 


 そうでなければこの瞬く間に水が酒に変わるわけがない。説明のつかない恐ろしさはそのまま目の前の女王への畏怖となる。


「ここにいる皆が、わたしの証人です!」


 あの時、エレオノーラは確かに選ばれた。しかしそれはただ、一番御しやすいと判断されたからだ。

 なんの後ろ盾もしがらみもない、卑しき踊り子の娘。そのはずだった。


 もしかして、エレオノーラは本当に――。


 そう思わせてしまうほどの、この風格は、なんだ。

 これが真に奇跡であるのならば、己が今まで信じてきたものとは一体、なんだったのだろう。


 今この場でそれを問うことは出来ない。なぜなら、彼は神の代理人たる大神官であるので。


「我らが女王陛下に祝杯を」

 エレオノーラの傍で彫像のように控えるばかりだった男が、朗々とした声で言う。


 集まった貴族達が一斉にグラスを上げる。

 掲げる杯の金の色で大広間全体が輝いているようにさえ見える。


 一呼吸遅れてから、大神官も杯を掲げた。


 この場にいた全ての人間を引き込み、エレオノーラは艶然と微笑んでみせた。


「わたしがこれから玉座で何を成すか、皆がその目でよく見ておいてください」

 そう宣言して、美しき次期女王は杯を飲み干した。


 皆が続いて、酒を飲み干す。

 そうして奇跡の証左は皆の腹に収まることとなった。


 ちらりと宰相の男は立ち位置を直した。

 すると、エレオノーラと大神官の間に彼が立ちはだかるようになり、彼女の姿は見えなくなる。


 緑の目は未だ射るように大神官を見つめている。

 全てお見通しだと言わんばかりのその視線に、大神官は人知れず身の内が震えるような心地がした。


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