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3.愛の逃避行

 翌日から王配選びが始まった。


 ギルベルトは宰相の通常業務の合間を縫って、各地から届けられる候補者の資料に目を通しているようだった。


「いかがでしょうか」


 その緑の目の厳しいチェックを潜り抜けた十人分の資料が、今エレオノーラの前に置かれている。

 しかしながら、全くと言っていいほど興味が持てなかった。


 ちらりと、分厚い資料をめくってみる。


「この人背が高いわね」


 見れば、百八十センチと記載がされていた。添えられている肖像画もまさしく筋肉隆々と言った感じだ。侯爵家の次男で騎士団に所属しているという。


「それほど高いとは思いませんが」

 今日も怜悧な顔を崩すことなく、ギルベルトは返す。忙しいだろうに、彼は一切疲れを見せない。


「そうかしら?」


 この国の男性の平均身長は大体百七十を少し超えたぐらいだ。エレオノーラからすればかなり大きい。


「私は百八十二センチですが」

 そういえばこの男は背が高いのだった。


 次の資料をめくれば、黒髪の男の肖像画があった。やさしそうな顔立ちで、こちらは子爵家の三男。


「黒髪って珍しいわよね。いいかも」


「大して珍しいということはないかと思います。王族方のような金髪の方が稀です」

 目の前の男がそう答えると、僅かに艶のある黒髪が揺れた。


 そう言われれば、確かにそうなのかもしれない。また次の資料をめくれば、別の男がいる。二十代半ばぐらいのそれなりの爵位のある貴族の、次男以下の男性ばかり。王配は婿入りが前提だからそれも当然か。誰も彼も同じように見えてしまう。


 次期女王に選ばれてからずっと、誕生日が疎ましくて仕方がなかった。それが、十八歳になれば結婚とは。


 伴侶を迎えるだなんて、現実のことのように思えなかった。エレオノーラの意思なんて挟まる余地はどこにもない。全てがまるで遠くの出来事のように流れていく。


「エレオノーラ殿下」

 ギルベルトがその目をすっと眇める。慌てて、エレオノーラは微笑んでみせた。


「なんでもないの」 

「お気に召さなければ、選び直しますが」


「……ヴェルデが攫ってくれたらいいのに」

 いつの間にかこっそりと着けたネックレスを握りしめてしまっていた。


「またその話ですか」


「なによ、ヴェルデはギルなんかとは比べ物にならないぐらいかっこよくて、素敵で、もう最高なんだから!!」


 呆れたように、ギルベルトが溜息を吐く。彼は額に手を当ててやれやれと頭を振った。


 実はエレオノーラは昔、本物の怪盗に会ったことがある。


 『いつか本当のレディになったら、その時は君を攫ってあげる』と言ってお守りのネックレスをくれた彼は、それからずっと憧れの人だ。嬉しくて兄にもこの仏頂面にも何回も話したので、正直ギルベルトはもう聞き飽きているのだろう。


「わたし、そろそろヴェルデと駆け落ちしちゃうかも。そうよ、愛の逃避行よ!」


「愛の逃避行」


 平坦な声がエレオノーラの言葉を繰り返した。

 言葉自体は魅力的なはずだが、こんな風に言われたらちっともときめかない。


「未だお迎えがないことから推察いたしますと、殿下は“本当のレディ”からは程遠い、ということになりますが」


 加えてちらりとこちらを見る目には冷淡な光が満ちている。ギルベルトは容赦なく現実を突き付けてくるばかりだ。


「はいはい、どうせわたしはお子様よ」


 その瞳から逃れたくて、エレオノーラはぷいっと横を向いた。


 結局のところ、自分はあの頃からちっとも進歩していないのかもしれない。誰かがわたしを迎えにきてくれると、心のどこかで信じている。


「なによ、別にいいじゃない、少しくらい夢を見たって」


「その夢が素晴らしいほど、目覚めた時に虚しさが募るだけではないかと」

 彼にしては珍しく、歯切れの悪い口調だった。


「変なの」


 やっぱり働きすぎではないかと思って見上げてみたけれど、そこにあるのはいつも変わらぬ涼やかな横顔だけだ。


 頬杖をついて、エレオノーラはその顔をしげしげと眺めた。


「ねえ、ギル」

「はい、なんでしょう」


「あなた今いくつだったかしら?」


 問いかければ、ぴくりと眉が動いた。


「二十六ですが」

 そうだ、ギルベルトは兄より一つ年下だからそうなる。エインズレイ家の爵位は伯爵。


「結婚は……してないわよね?」

「はい、しておりませんが」


 そこでまたギルベルトの顔が険しくなった。


「一体本当にどうなされたのです? 先程の会議でもずっと上の空でしたが」


 そうだった。なんだか内容がちっとも頭に入ってこなくて、縋るように横目でギルベルトを見たら見事な間合いで助けてくれた。

 彼以外の者はきっとエレオノーラの異変に気がついてはいないだろう。


 二十代半ばぐらいのそれなりの爵位のある貴族の男性、という点では彼はこの王配候補達となんら変わらない。


 けれど、ギルベルトはこの紙の上にはいない。


「殿下」


 怪訝そうな目で男はエレオノーラを見つめてくる。こんなに真っ直ぐに見つめられたら、どうしていいか分からなくなる。


「どこかお加減が悪いのではないですか?」


「へっ」

 どんなに難しい問題も一度に解決してしまえるほどの聡明さを持つのに、どうしてそうなるのだろう。誰のせいだと思っているのか。


「そ、そんなんじゃないわよ! すこぶる元気よ」


「失礼」

 すっと、しなやかな腕が顔に伸びてくる。大きな手はエレオノーラの額に触れた。

 さらりとした手のひらは少し冷たく感じるほど。


「熱はないようですね」


 続いて確かめる様に頬に手の甲が当てられる。エレオノーラの頬をそのまま包み込んでしまえるような、大きな手。


「だ、だから、何でもないって言ってるのに」

「そう言って風邪をひいて寝込んだことが何度もおありでは」


「それは」

「その辺りですぐうたた寝をするせいでよく風邪をひきますからね、殿下は」


 これは割といつものことなので、昔の話だと否定することができない。


「何か殿下のお心を煩わせるようなものがあるのではないですか? 私でよろしければお伺いしますが」


 全部あなたのせいだと言ったら、この取り澄ました顔にはどんな表情が浮かぶだろう。

 けれどこんなにも整った顔を目の前でずっと見せられれば、ない熱も上がるというものだ。


「いいから、大丈夫だから!」


「なら、よろしいのですが」

 伸ばした手を、ギルベルトはすっと引っ込める。


 その手が離れてしまうのが無性に切なくなって、縋るように目で追ってしまった。彼が気付いていなければいいけれど。


「それよりギルの方がそのうち過労でどうにかなるんじゃない? たまには休んだ方がいいんじゃないかしら」


「それについてはご心配には及びません。私は明日休暇をいただいておりますので」


「あら、珍しいわね」

 この冷徹宰相は鉄でできているのかというぐらい、めったに休みを取らないことで有名というのに。


「どこか遊びに行くの? だったらわたしも連れて」


「いえ。実家に、帰るだけです」

 遮るように応えた声が、びっくりするほど冷たかった。


 まるで罪の告白でもするかのように、緑の目が床を彷徨っている。


「実家……そう」


 思えば、こんなに長く側にいてくれるというのに、ギルベルトから実家の話を聞いたことはほとんどなかった。


 長男だとは知っているが、それすらフェリクスが「ギルは僕と同じ長男だからね」と言っていたからである。


 彼は自分自身の話をほとんどしない。

 公務のことなら別だが、そのほかは容易に話を振ることすら許さないようなところがある。こんなに近くにいるのに、まるで見えない壁でもあるみたいだ。


「いつぶりに帰るの?」

「甥が生まれた時以来ですから、二年、いや三年ぶりですかね」


 甥ということは既婚の弟妹がいるのか。


「母が体調を崩したそうなので、顔を見てくるだけです。夜には戻りますので」


 エインズレイ家の場所ぐらいは知っている。それでは文字通り顔を見るだけになるだろう。そんなに久しぶりに帰るのだから、ゆっくりしてくればいいのに。そう思うエレオノーラの前に、どかっと大きな音を立てて書類の束が置かれた。


「明日中にこちらをご確認ください。あと、来週の慈善訪問の際の『お言葉』の作成をお願いします」


 この人は本当にさっきまでわたしの体調を心配してくれていた人だろうか。


 恨みがましく見上げたらまるで見透かしたように「ご体調に問題がないのなら、王太子としての御役目に邁進されるべきでは」と彼は返してきた。まったくもって言い返せなかった。


「……一人で集中したいから出て行って」


「それでは、失礼いたします」

 きれいに一礼してギルベルトは部屋を後にした。


 置き土産のように机に鎮座する書類の一枚にサインをしようと万年筆を手に取って気づく。これはギルベルトが十五歳の誕生日にくれたものだ。


 手に持った万年筆をくるりを回してみる。黒一色のそれは鈍い光を宿して、不思議なほどにしっくりとエレオノーラの手に収まる。


 他の筆記具を持っていないわけではないが、なんとなくこれが書きやすくて選んでしまう。


 ヴェルデと違って、彼はきらきらと輝くようなものを贈るようなことはしない。ただ淡々と日常生活に役立つようなものをくれる。


 ギルベルトはずっと、そういう人だった。


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