27.同じ出来損ない
「おれは、王になるためだけに生まれてきたんだ」
ふらふらと魂が抜けたかのようにレオニダスは歩き、こちら向かって距離を詰めてくる。
「わたしがいなくなった後、もし次があなたの番になったとしても。その時、託宣が真実だと、自分は神に選ばれた本当の王だと心から信じられる?」
エレオノーラはずっと、それを考えてきた。
対するレオニダスの目は胡乱だ。
「信じるも信じないもない。母上が、そう望んでいるんです」
覆いかぶさるようにしてくる長身に、思わずエレオノーラは後ずさった。
生まれた時から、エレオノーラの前に母はいなかった。
微笑みかけてくれることも、明るい未来を望んでくれることもなかった。ただ父の記憶の中に存在して、その名残だけを感じて生きてきた。
もしも母がいてくれたら、どれだけ心強かっただろうと考えたことは何度もある。
「それが出来ないおれに意味なんて、ない」
ああ、フェリクスの言った通りだ。
家族というものは、必ずしも幸せだけを与えてくれるわけではない。
けれど、わたし達は別れられない。
レオニダスはずっと、それに囚われている。
弟の大きな手が伸びてくる。レオニダスはそのまま、ぐっとエレオノーラの胸倉を強く掴んだ。
「姉上」
低い声が問うてくる。見開かれた紫の目に澱んだ光が宿っている。あの光が何なのか、知りたい。
「おれとあなたと何が違うんですか。どうしてあなたは選ばれて、おれは選ばれないんでしょう? 血を分けた姉弟では無いんですか?」
大きな手が首筋に触れる。
斜め後ろに立つギルベルトが、ぐっと息を詰めたのが分かった。
「だめっ、ギル」
強い声でエレオノーラは命じた。まだだ、まだ、足りない。
「ですが」
必死で首を横に振れば、険しい顔してギルベルトは一歩下がった。
「おれが欲しくてたまらないものを、全部平然と手に入れている姉上が憎い」
レオニダスはぐっと手の力を強めた。足が地面から浮いて、空を蹴った。うまく息が吸えなくなる。
「ねえ、何なんですか、教えてくださいよ!!! なんでおれじゃだめなんだ!!!!」
視界まで霞んでいくようになったところで、その手は急に離れた。
「かはっ!!」
支えを失ったようになった体が床に倒れ込む。
必死で息を吸おうとするが、うまくいかない。ひゅるひゅると乾いた音だけがする。
「……っ!」
見れば、弟がその辺に転がされている。
「殿下!」
ギルベルトがそっとエレオノーラの背中を撫でた。彼がエレオノーラとレオニダスの間に押し入るようにして、弟の手を振りほどかせたのだと分かった。
「だい、じょうぶ」
何度かさすられて、やっと息を吸うことができた。
掠れた声にギルベルトは険しい顔をした。
「さぞかしいい気分だろうな、ギルベルト=エインズレイ」
蹲ったまま弟は紫の目でギルベルトを見つめた。鋭いくせにそれはまるで縋るような目だった。
「あんただっておれと同じだろう」
それは、一体どういうことだろう。怪訝に思うエレオノーラの前に、ギルベルトは立ちはだかるようにした。
「家督も継げずに、のうのうと生きのさばるだけの出来損ないだったのにな。うまいこと女を唆して見事王配の座に収まって」
「なにを、言っているの……」
レオニダスの言っていることの意味が、エレオノーラには理解できなかった。
家督。出来損ない。王配。
その全てが頭の上を通り過ぎていく。
「姉上はご存知ないでしょうね。考える必要も、ないことだから」
弟はにやりと笑った。けれど、それはあまりにも悲しい笑みだった。
「こちらにいらっしゃるエインズレイ卿は、産みの母に死なれた結果、後妻の子に家督を奪い取られたんですよ。お可哀想に弟に追い落とされて、文官になるしかなかった」
長男である彼が、エインズレイ家を継いでいない理由。ギルベルトが実家と距離を置いていたそのわけ。
「あんただって、生家では厄介者だったくせに」
ギルベルトは何も言い返さない。ただ無言で左手を強く握りしめていた。
「その取り澄ました顔をして、おれを見下してたんだろう? 王にもなれない、何者にもなれないおれを。お前もおれも、元は生まれてこない方がよかったごみくずじゃねえのかよ!!! なあ、何とか言えよ!!」
レオニダスは、血を吐くような声で言った。
ここからは、ギルベルトがどんな顔をしているのかは分からない。
「ギル……?」
ただ昔、研究棟の部屋にいたギルベルトの面影が見えた気がした。
時折ギルベルトに纏わりつく翳り。彼がずっと、あの長い前髪の向こうに隠していたかったもの。
「俺は」
広い肩が一度大きく上下する。
「レオニダス殿下が仰る通りです。家督も継げなかった出来損ないです。俺はずっと、あの家に自分がいない方がいいと思っていました」
ぼそりとギルベルトが言う。こんなか細い声を紡ぐギルベルトをエレオノーラははじめて見た。
「ほうら、見てみろ」
畳みかけるように弟が言う。
「一緒に、しないで」
考えるよりも先に、言葉が口を突いていた。はっと振り返ったギルベルトが、エレオノーラを見つめる。
立ち上がろうとしたところを、すっと腕が回された。抱き寄せられるように力強い手に支えられて、エレオノーラはなんとか立ち上がる。
「あなたはあなたで、ギルはギルよ。たとえ境遇が同じだとしても、違う人間だもの」
レオニダスは今、ギルベルトを責めるふりをして己を責めている。これでは二人して無駄に傷つくだけだ。
「あのね、わたしにだって何もないわ」
託宣の儀式の日から、ずっと、考えていた。
エレオノーラが選ばれた理由なんて、何もない。問うても、神様は何も示してはくれないだろう。
答えが欲しかった。エレオノーラだって、生まれてきた意味が欲しかった。
けれど、そんなもの、誰も与えてはくれない。
他人を望んでも満たされない。ある日突然、天から降ってくるようなものではないのだ。
「わたしが選ばれた理由も、あなたが選ばれなかった理由も、何もない」
そこにあるのは事実だけだ。
エレオノーラが王に選ばれたという、その事実だけ。
「だから、これから示すの。わたしが何を考えて、何を成すかで」
それはレオニダスが考えることとはきっと違う。それだけのことなのだ。
「レオニダスはその目で見ていて。わたしがこの先、王として在るに相応しいかを。もし、相応しくないと思ったらその時は」
「その時は?」
紫色の目が怪訝そうに揺れる。エレオノーラは少しも、その目から視線を逸らさなかった。
「あなたがわたしの代わりに王になればいい」
弟が正しく自分の意思で決めたことなら、この首を懸けていい。そう思った。
「それだけのことよ」
レオニダスしばらくの間呆けたように立ち尽くしていた。そして突然「はははっ」と声を立てて笑い出した。
「だからおれじゃなかったのか……」
短い金色の髪をかき上げて、弟は自嘲するように言った。
「姉上はお強いですね。おれとは、違う。敵わないな」
いくらか彼は吹っ切れたように穏やかな顔をしていた。敗北を口にしたというのに、その実どこか誇らしげにも見える。
「別に強くなんかないわよ。ただ、教えてくれる人がいただけ」
エレオノーラには、母はいなかった。けれど真の意味で独りではなかった。
ちゃんと導いてくれる人がいた。
もしも弟と自分を隔てた何かがあるとしたら、出会った人が違った。それだけだ。
そして、自分に“考えること”の大切さを教えてくれた彼は今も隣で、エレオノーラを支えてくれている。
「だから、あなたも力を貸して欲しいの」
レオニダスは教会側とやり取りする方法を持っている。これはエレオノーラにはできないことだ。
「おれに、ですか。まったく、姉上はどうかしていますね」
ただ弟も嫌だとは言わなかった。澄んだ瞳で、窺うようにこちらを見つめてくる。
「教会側を出し抜いてやりたいの。わたし達に喧嘩を売ったこと、後悔させてやるわ」
弄ばれた血と運命の意味をきちんと思い知らせてやりたい。それだけだ。




