25.血は水よりも
ギルベルトは淡々と訊ねてきた。
「えっと、わたしがよく知っていて、この人なら絶対にいい人だって思える人を……あっ!」
自分でそこまで口にしてから、やっと気が付いた。
そんな人なら、己と接点が見つからないわけがない。自分と無関係な人間を送り込んできた時点で、それは怪しいのだ。
「だから、あの庭園の時からわたしの後をついてきていたの? なんで教えてくれなかったの?」
ただ過保護なわけではなかったのか。
「私の妄想だと言われたら否定はできませんので。ただの考えすぎなら、その方がよかった」
結局のところ何もないことを一番望んでいたのは、ギルベルト自身だったのかもしれない。だから剣も持たずにただあの場にいた。
「さて、証拠が揃ったところでどうする、エリー。次期女王陛下の仰せとあれば、レオを葬り去ることも簡単だよ?」
両手を組んだまま、フェリクスは身を乗り出すようにしてエレオノーラに問いかけた。紫の目がきらりと輝く。その目に宿っているのはいつもの軽妙さとは程遠い何かだった。
「わたしは……」
膝の上に置いた手を、エレオノーラはぎゅっと握りしめた。
「わたしとわたしの関わる人を傷つけたレオニダスを許せない」
「そうだね」
それがたとえ弟であったとしても、厳しく断罪しなければならないと頭では分かっている。身内に温情を与えるようでは、女王として示しがつかない。
けれど、簡単にそうしてはいけない気がしたのも事実だった。
「お兄様は、レオニダスをどんな人だと思う?」
「レオ? うーん、そうだなぁ」
レオニダスとフェリクスは正真正銘の兄弟だ。父も母も同じくする彼なら、隔てられていた自分とは違って知っていることも多いだろう。
「見た通り、あのままだけれどね。僕と違って分かりやすいタイプで、素直でいい子だよ。そこにつけ込まれたら弱いだろうけど」
フェリクスの頭の中には確かな弟の像が結ばれているのだろう。エレオノーラの頭の中のそれは、ふわふわと断片的に漂っているだけだ。
「わたしには、まだレオニダスがどんな人か分からないの」
だから、ちゃんと話をしてみたかった。
何を思って、彼があんな行動に出たのか。それを見極めるまでは、何も決められない。
「それに、今回の計画はレオニダス一人ではできないことだと思う」
仮にエレオノーラを廃することに成功したとしても、彼が王になれる確率は二分の一だ。おそらくレオニダスは、自分が王となる確信があったのだ。
神様に選ばれるという、確信が。
「一度、レオニダスときちんと話をしてみたいの」
女王としての自分と、姉としての自分と、両方の落としどころをきちんと見つけたかった。
それはおそらく、エレオノーラがこれから王として立つ時に必要となるものだ。
「エリーはいい子だね」
兄はにこりとまた笑ってみせた。ただしその目は全く笑っていない。
「けど、レオが正しいと思っている理由をエリーが同じように正しいと思えるかは分からないよ。相手にとっては当然の論理でもこちらからしてみたらただの理不尽なんてことはザラにある。それを詳らかにするよりは、なあなあにしておいた方が楽かもしれない」
だからこそ、兄もギルベルトもエレオノーラから真相を遠ざけたのだろう。
「家族っていうのは所詮そういう名前の付いた他人でしかないけど、血は水よりも濃いからね。切り捨てることはできても、別れることはできない。それでも、エリーは知りたい?」
明らかにした真実が今目に見えている現実よりもつらい可能性を、フェリクスは問うている。それと向き合うだけの覚悟が、ちゃんとエレオノーラにあるのかを。
俯けば、目に入るのは己の手だけである。
この手で、一体何が掴めるのだろう。取り零すものも、多いだろう。知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。
それでも、この手の他に伸ばせるものもない。
そう思ったところで、ふとあたたかさが触れた。
膝の上の手がそっと攫われて、カウチの上でギルベルトの手と重なる。この位置なら、兄からは繋いだ手は見えない。
見上げた彼はいつもと変わらない端整な横顔をしていた。隠れて手を繋いでいるだなんて決して悟らせはしない涼やかさを、この男はいつも持っている。
ぴたりと寄り添うほどの距離に座るようなことを、ギルベルトはしない。
分かりやすく肩を抱いてくれるようなことも、ない。
「大丈夫」
エレオノーラだけでは受け止めきれないかもしれないけれど、きっとギルベルトは一緒にいてくれる。繋がれた手が、一人ではないと言ってくれている気がした。
「ちゃんと覚悟はできている、つもりです」
「そっか。なら、もう僕の言うことはないね」
兄は目を細めて嬉しそうに笑った。やっと彼が見せた心の底からの笑みだった。
「立場上僕が動くとややこしくなるから、あんまり目立ったことはできないけど。困ったことがあったら相談してね、エリー」
第一王子のフェリクスは目立つから、表立ってエレオノーラを庇うことはできない。王妃の目もあるから、堂々と弟を糾弾するようなこともできないと、自分でも分かる。
ちらりとその紫の目が、エレオノーラとギルベルトの間の空間に向けられた気がした。
「まあ、もう必要ないかもしれないけどね」
何も言わなかったけれど、フェリクスは気づいていたのかもしれない。
「さて、じゃあ僕はそろそろ失礼するよ。あとは二人で心置きなくゆっくりいちゃいちゃしてね。邪魔してごめんよ」
現れるのが突然なら、去るのも突然である。兄はひらりと立ち上がると、軽妙な足取りで扉の方へと足を進める。
「フェリクス殿下、私は誓って不埒な真似は」
横から響いてきた落ち着いた声に、エレオノーラは全力で同意とばかりに首を縦に振った。
「仲がいいなぁ、ほんとにもう」
兄が振り返ると金髪がさらりと揺れる。くしゃりと、まるで少年のように彼は微笑んだ。
「あと僕は……まあ色々あるけど、王位を望んだことはないよ。今までも、これからもね」
「へっ」
急に真面目な話をするから、落差についていけなかった。兄は憑き物の落ちたような晴れ晴れとした顔をしている。
「それだけは二人とも信じてくれると嬉しいな」
呆気に取られた自分とギルベルトに対し、兄はそう言い残して部屋を後にした。




