24.現実的な問題
そのまましばしの間見つめ合った。
一時の興奮が過ぎ去れば、二人きりなのを嫌でも実感させられる。
繋いだままの手が視界の端に入る。
別に手なんか何回だって繋いできた。もう少し幼い頃、エレオノーラは関心が向いたものにすぐ走り出してしまうようなところがあって、それを留めるためによくギルベルトには手を引かれたものだ。
けれど、これはそういうのとは違う。
絡められた長い指をどうしても意識してしまう。自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
先に目を逸らしたのは、ギルベルトの方だった。するりと、手が解かれる。
「殿下もお疲れでしょう。お部屋までお送りいたします」
つまり、この話はここまで、ということだ。本当にエレオノーラと話をするためだけにこの人は結婚を申し出たのではないか、と思えるぐらいの潔さだった。
くいっと、その服を引っ張った。煌びやかに整えられた夜会用の正装。そういえば、ギルベルトが夜会に出ているところを見るのなんていつぶりだろう。
いや、出ていることは出ている。ただ大体が彼は“職務”として出ているので、文官用の礼服を着ていることがほとんどだった。
ギルベルトはどういう気持ちで、この服を選んだのだろう。
「どうかされましたか」
緑の目は元のように自分のところに戻ってくる。エレオノーラの意図を図りかねるように、僅かにその目に驚きが浮かんでいた。
「あ、あのね」
声を掛けたはいいが、具体的に何か話せることがあるわけではない。もう少しそばにいてほしいだなんて、口が裂けても言えそうにない。
さて、どうしたことだろうと思ったところで、軽妙な声が飛んできた。
「とりあえず、仲直りは完了したってことでいいかな、お二人さん」
扉の方を向けば、見るからににやにやとしたフェリクスが立っていた。
「お、おにいさまっ!」
一体いつから兄はいたのだろう。この様子だと大方の話を聞かれていそうな気がする。だから兄は常の二割増しでにやにやしているのだろう。また顔が熱くなった。
「何のご用でしょうか、フェリクス殿下」
ギルベルトはさっとエレオノーラに背を向けて、フェリクスに向き直った。こうすれば、フェリクスからは自分の姿は見えなくなる。
「やだなぁ、ギルベルト。今日からは僕のことも“お義兄様”って呼んでくれていいんだよ」
「大変光栄なお申し出ではございますが、謹んで辞退させていただきます」
「まあまあ、そう言わずにさ。一回言ってみてごらんよ、ほら」
エレオノーラの位置からは二人の顔は窺い知れない。
ただどこまでも楽しそうな兄に対して、ギルベルトは警戒するような態度を崩さなかった。
「いやさ、僕としてはこのままいちゃいちゃしていてもらっても全然構わないんだけどね。ちょっと父上が卒倒しそうだったから様子を見に来たのと」
ひょこっと、兄がギルベルトの後ろから顔を出した。そのままエレオノーラに向けてひらひらと手を振る。
「べ、別にいちゃいちゃなんかしてないです!」
「でもさぁ、まったくいちゃいちゃしないのも問題だよ、エリー。仮にも婚約者になるわけなんだし」
それも、そうなのか。
「フェリクス殿下、揶揄いに来られたのならお帰りいただきたいのですが」
「ああ、ごめんごめん。ここからどうするのかなって聞こうと思って」
軽い足取りで兄はギルベルトの横を通り過ぎたと思うと、エレオノーラの向かいの椅子にゆったりと腰を下ろした。ギルベルトが険しい顔でフェリクスを睨みつけている。
フェリクスは全く意に介さず優雅に長い足を組んでみせた。
「ここから、どうする……」
兄が突きつけてきたのは、至極現実的な問題だった。
「エリーに刺客を寄越してきた相手は、多分あれでは諦めないよ。これから先、同じ様なことが繰り返されることは大いに予想できる。ギルベルトはそれにどう対処するつもりなの? 君が何の算段もなしに求婚することはないだろう」
「ある程度の想像はついておりますが」
切れ長の目はそれ以上は語らず、気遣わしげにエレオノーラを見た。
おそらく、彼は事の真相に辿り着いている。それもかなり早くに。そして、それを問うてきたということはフェリクスもそうだろう。
ギルベルトがこれ以上何も言わないのは、自分に聞かせたくないからだ。冷徹だなんだと言われながらも律儀で実直なこの人は、エレオノーラがそれを知って傷つくのを恐れている。
例えば、エレオノーラが一言命じれば、ギルベルトは万事上手く収めてみせるだろう。エレオノーラは何も知ることもなく、玉座に座ることができるはずだ。
「ギル、座って」
「ですが、姫様」
だってわたしはもう、目を閉じて耳を塞いで蹲っているだけの人形ではないと、決めたのだから。
「あなたとお兄様にお聞きしなければならないことがあるの」
そう言ってエレオノーラが微笑んでみせると、ギルベルトは意を決したように息を吐いた。
「分かりました」
静かにそう返して、彼はエレオノーラの隣に拳一つ分ほどの距離を空けて座った。
「ずっと考えていたの」
襲撃されたあの時から、目覚めないギルベルトのそばで考えていた。
これからのことを考えるのにあたって、一つ明らかにしておきたいことがあった。
「わたしが死んで、一番得をするのは、お兄様かレオニダスのどちらか」
ここまでは、エレオノーラでもすぐに分かった。
「ねえ、ギル。それなのに、あなたがあの時お兄様を呼んだのはどうして?」
それがずっと引っかかっていた。兄にも弟にも等しく可能性があったはずなのに、ギルベルトはフェリクスを疑うことはしなかった。
「それは……」
「いいよ、ギルベルト。思っていることを言ってごらん」
兄は促すように手をギルベルトに向けた。何を言われても構わないとばかりに、泰然と笑ってみせる。
ギルベルトは少しの逡巡の後、口を開いた。
「エレオノーラ殿下が次期王位に就かれることが決まった時、フェリクス殿下は十九歳であられたはずです」
「そうだね」
「私があなたなら、エレオノーラ殿下をこの歳まで生かしはしない。もっと早い段階で、確実な行動を起こすことがあなたには可能だったはずだ」
これをギルベルトは聞かせたくなかったのだなと思った。半分だけとはいえ血の繋がった兄に殺される可能性をエレオノーラに与えなければならないことを、彼は憂いたのだ。
「君らしい推論だなぁ。まあ、そうなるよね」
「ですから、その点においてはフェリクス殿下は信用できると考えました」
「僕はいつでもエリーの味方のつもりだけどね」
フェリクスの言葉に、ギルベルトは何も返さなかった。
手の内を明かさないという点では、実は兄もギルベルトも大して変わりはないとエレオノーラは思うのだけれど、この二人はそれが正反対に出てくる。
「加えて、レオニダス殿下の方が明らかに怪しかったのでこちらを警戒する必要があると判断したまでです」
「その根拠はなあに?」
消去法でいけばもう弟を疑うしか道はないし、彼はあれだけけしかけてきたのだから当然黒だが。
エレオノーラはギルベルトがそう判断するに至った道筋が知りたかった。
「レオニダス殿下がご推薦された王配候補は例の刺客の男ですが、資料にある経歴を調べたところ全くといいほど殿下との接点がありませんでした」
「ああ、それはそうだね。僕も色々とやったけど、あいつ何もしゃべらなかったし」
だからこそレオニダスは襲撃への関与は否定されて、今も堂々としている。
「それの何がおかしいの?」
「姫様。もし姫様が、ご自身の大切な方の伴侶になるかもしれない方を選ぶとしたら、どうされますか?」




