18.きょうだい
『遠い昔、三人のきょうだいがいました。
きょうだいは大変仲がよく、ともに助け合って敵を打ち払い国を興しました。人々は彼らを慕い、国はますます豊かになっていきました。
そこで一つ問題が起きました。国には王様が必要です。けれど、王様は一人きり。
きょうだいは自分達では決めることができませんでした。
一番上の兄は真ん中が王になるべきだと言い、真ん中は弟が王になるべきだと首を横に振ります。一番下の弟は二人を差し置いて王にはなれないと返しました。
ある時、国のはずれにある泉の神様が言いました。「そんなに決められないのなら、私が決めてあげよう」と。
三人は順番にその泉の前に立ちました。上の二人が立った時には何も変わらなかった泉が、弟が立つと真っ赤に輝きました。
「おめでとう。あなたが王だ」
そうして選ばれた一番下の弟が、この国の最初の王様になったのです』
エレオノーラはぱたりと本を閉じた。
この国の者なら誰でも知っている話だ。
この本当なのかおとぎ話なのか分からない物語になぞらえて、今も王は選ばれる。
それが託宣の儀式。
泉を管理するのは教会で神官たちが大勢いる。その頂点にいるのは神の代理人たる大神官。
王位継承権のある者は十歳になれば、泉の前に立ち、手を触れる。その水の色が変わった者が成人すれば、次代の王になる。そして、その者の子がまた儀式を受ける。
フェリクスは十歳の時にこの儀式を受けた。そして、その時泉の色は変わらなかった。
レオニダスは、この儀式を受けてすらいない。なぜなら彼よりも先に、エレオノーラが王に選ばれたから。
あの赤を、今も覚えている。
天窓から降り注ぐ光に、その水はまるで宝石でも宿したかのように輝き、神の選択を鮮やかに示した。
神様なんて、誰の目にも見えはしないのに。
もしもエレオノーラが子を成さずに死ねば、兄と弟がまた神の審判を受ける。この二人のどちらかが、玉座に座ることになる。
あの刺客が“正しい王”と言ったのは、おそらくそういう意味だ。
そのことがずっと、頭から離れない。
そんなことを考えていたら、執務室の扉が叩かれた。エレオノーラは「どうぞ」と答える。
現れたのは、渦中の弟――レオニダスその人だった。
「姉上、大変な目に遭われましたね」
労るような口調だが、目に冷ややかな光が満ちていた。エレオノーラはこの半分だけ血の繋がった弟がどういう人間かが分からない。
一度樹に登って遊んでいる時に、彼も一緒にやらないかと誘ってみたことがある。その時は王妃にこっぴどく叱られた。
彼女はレオニダスを殊更可愛がって、卑しい踊り子風情の娘であるエレオノーラとは徹底的に距離を取らせた。今や、他人よりも遠い家族だ。
あの時、王妃に手を引かれていった弟はちらりと振り返ってエレオノーラを見た。
その縋るような面影は、目の前の男にはない。
「わたしは大丈夫よ」
ギルベルトが庇ってくれたからエレオノーラには傷一つない。流れた赤は全て、彼だけの血の色だ。
「けれどエインズレイ卿には驚きました」
「ええ、そうね」
「まさか、そこまでして姉上を手に入れたいだなんて」
「えっ!」
弟の言葉に、エレオノーラは目を瞠った。
「だってそうでしょう? 今回のこと、彼の自作自演ではないですか?? あの男を信用して王配選びを任せたおれが馬鹿でした」
「ギルは刺されたのよ!!」
「エインズレイ卿が刺されたのは左肩です。死ぬような場所ではないし、なんなら自分で刺すことも可能だ」
「わたしも衛兵も見ていたわ!! 刺客の男だって捕まっている」
腹の底から怒りが込み上げてくる。エレオノーラはぐっと両の手を握りしめてレオニダスを睨んだ。
「衛兵も刺客も、彼の立場なら用意することは容易いでしょう」
けれど、レオニダスは全く動じない。むしろ、口元に笑みすら浮かべてみせる。
「姉上は騙されているんですよ。可哀想に、そう信じ込まされているんだ。なにせエインズレイ卿はあの通りの美男ですからね。ぽっとなってしまっても致し方ない」
「レオニダス、あなた一体何を言っているの……」
そんな人なら、どれだけよかっただろう。エレオノーラを誑かして王配の座を望むような人なら。
現実は全く逆だと言うのに。
「おやおや、でも愛称でお呼びになるほど親しいのでしょう? 特別な感情の一つや二つ、おありでは?」
レオニダスが意味ありげに眉を上げる。この弟もまた長身で、エレオノーラは見下ろされるばかりになる。
何も言い返せなかった。エレオノーラだって普段なら、人前でギルベルトを愛称で呼んだりしない。けれど立て続けに彼を愚弄されてつい、口から突いて出てしまった。
ギルベルトに何度頼んでもエレオノーラを愛称で呼んでくれなかった理由を、きちんと理解した。
いつかこういう事態になることを、彼は想定していたのだろう。
「ばかにするのも大概にしなさいっ!」
そう振り上げた自分の手は、武骨な手に掴まれた。叩いてやろうと思ったのに、それすら出来ない。大体力で男に適うわけがないのだ。
「随分と可愛らしい反撃だ」
レオニダスは不敵に笑う。
「あなたこのこと、誰かに話した?」
「いいえ。まずは姉上に、と思いまして」
掴まれている手首にぐっと力がかかる。冷たい指先が食い込んできて、エレオノーラは身動き一つできない。
「あの人にはもう何もしないで。何かしたら許さないから」
そう吠えることしかできなかった。この場にギルベルト本人がいたならもう少し巧い言い訳もできたのにと思って、そうやって彼にばかり頼っている自分が嫌になる。思わずエレオノーラは唇をかみしめた。
「分かりました。姉上がそう言うのならば」
そこでやっとレオニダスは、エレオノーラの手から手を離した。
「けれどエインズレイ卿の無実を証明したいのなら、彼以外の伴侶を迎えなければなりませんね」
弟はそう言い残して部屋を出ていった。
どうすればいいだろう。
もう大切な人が傷つけられるのを見ているだけなのは嫌だ。
なんとかしてこの状況を変えなければいけない。
エレオノーラ己の手を見つめた。
レオニダスの手にも、ギルベルトの手にも遠く及ばない、小さな自分の手。
けれど、この手がこそ泉に触れ、エレオノーラは王に選ばれた。
痺れるほどに強く掴まれた右の手首には、弟の手の痕がくっきり残っていた。




