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【完結】いつかわたしを攫ってくれると言った怪盗の正体は、冷徹嫌味な宰相閣下でした  作者: 藤原ライラ
第二部:生贄の姫

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17.衝突

 横たわるだけだった男が、ゆっくりと目を開ける。


「ギル!」

 思わず飛びついてしまいそうになって、エレオノーラは寸手のところで己を留めた。彼は怪我人だ。


「でんか……」


 切れ長の目はいくらかぼんやりとしていて、いつもの鋭さからは程遠い。けれど、やっとギルベルトが意識を取り戻してくれた。彼は丸二日眠ったままだったのだ。


 起き上がろうと左腕を付いたギルベルトが、僅かに顔を顰める。そっちは斬られた方の腕だ。


「まだ動いちゃだめよ。じっとしていて」


 エレオノーラがそう言うと、彼は大人しく寝台の上に横たわった。何かを確かめるように、左の手のひらを握ったり開いたりを繰り返す。


 代わりに右の手が伸びてきた。


「どうして、泣くんですか」


 長い指にそっと涙を拭われて、自分が泣いていたのだと気がついた。


「ギルが、いなくなっちゃうかと思ったから」


 あんなに必死な彼の顔を見たのは初めてだった。このまま、もう二度と目を開けてくれないかと本気で思っていた。


「心配、したんだから」


 頬に触れたその手を、エレオノーラは両の手で握った。


「死んじゃうかと、思った」

 ぎゅっと瞑った目から、また涙が零れたのが分かった。


 手を振りほどかれて、その手はエレオノーラの髪に触れた。緑の瞳が焦点を結んで、鋭さを取り戻す。その先にあるのは、ひと房だけ短い金色の髪。


「斬られたんですか」


「あ、うん、でもこれぐらいなんとも」

 彼が負った怪我に比べれば、どうってことなかった。


「なんともよくはない」


 けれど平坦な声が、叱りつけるように返事をする。 そのままギルベルトは呆れたようなため息を付いた。


「恐れながら、殿下。この程度のことで死ぬことはないと申し上げたはずですが」

 それはいつもの冷徹宰相たるギルベルトの物言いだった。


「でも、熱も出てたし」

「外傷を負えば発熱するのはよくあることです。取り立てて騒ぎ立てるようなことではない」


「でも」

「ご心配には及びません」


「私のせいでギルは」


「臣下として当然のことをしたまでです。殿下が気になさることはなにもない」


「何よ」

 言い争いのようになれば敵わないのは今に始まったことではないけれど、こうも言われるとは。


「心配するのは、そんなに、悪いことなの」


 泣きたいだなんて思っている訳では無いのに、また涙が止まらなくなってくる。


「悪いとは申しておりません。そのようなことをお願いした覚えはないと言っているだけです」


「わたしだって、」


 守ってくれだなんて頼んだ覚えは無いと思ったところで、静かな緑の目と見つめ合った。

 何の迷いもなく、エレオノーラを守り抜いてみせたこの人。


 ああ、何があっても、これだけは言ってはいけないことだ。

 望んでなくても、彼が自分の為に命を懸けたことは事実だ。


 そうして、そのギルベルトでさえもエレオノーラには何も強いなかった。彼がエレオノーラに言ったことは、ただフェリクスに事態を伝えることだけだ。


 あの時、現場を納めたフェリクスから話しかけられるまでの記憶がない。大方ただ泣き喚いているだけだったのだろう。


 か弱い、守る、支える。


 弟や父に言われたその言葉が疎ましかった。けれど、その通りだったのだと身に沁みて分かった。


 ギルベルトがいるこの部屋一つにしたって、フェリクスの管理する区画のものだ。自分の部屋に運ぼうとしたのを、兄はやんわりと止めた。狙われたのがエレオノーラなら、今そこにいるのは危険だと。


 そうして、エレオノーラ自身も兄の護衛に守られている。あんな重傷を負っていても、ギルベルトの判断は正しかったと言える。


 わたしには何もない。それなのに、守られてしまった。

 すっと、細く息を吸う。


「どうかされましたか?」


「ううん、なんでもないの」

 乱暴に手の甲で涙を拭って、エレオノーラは笑ってみせた。それが彼にどう見えたかは、分からないけれど。


「侍医を呼んで来るから。ちゃんとよく診てもらってね」

 それだけ言って部屋を出るのが精一杯だった。


 閉じた扉の前に、ずるずるとエレオノーラはへたり込んだ。


 彼にとっては、当然のことなのかもしれない。たとえ襲われたのがエレオノーラではなくとも、彼は同じことをしたのかもしれない。


 それでも。


「ギルが、生きててくれてよかった……」


 震える手で自分を抱きしめる。


 強くなりたかった。守られるだけのわたしじゃなくなるにはどうすればいいのだろう。泣いたって答えなんてでないと分かっているのに。


 エレオノーラは扉の前で一人、誰にも聞こえないようにこっそりと泣いた。



 *

 


 思い出の中の十歳のエレオノーラに怒られて目が覚めたところで、現実のエレオノーラに散々に泣かれた。


 そもそも人と関わるのが向いていないのだと思う。

 ギルベルトは人間関係が得意ではないし、元々口数が多い方ではない。仕事なら当たり障りなく出来るやり取りが、彼女とは成立しない。もうお手上げだ。


 俺のことなんて放っておけばいいのに。


 と思ったところで、隣の部屋から、軽やかな足音がした。


「あのさぁ、どうしてそうなるのさ」


 投げかけられる声も同じぐらい軽妙なものだが、どことなく棘を孕んでいる。結わえた鮮やかな金髪がひらひらと踊る。


「フェリクス殿下」


 右手を突いてゆっくりと体を起こす。頭を動かすだけで目が回った。


「普通さ、こういう時ってこれを機に愛が深まったりしない? なんで喧嘩してるの? 『わたしにはあなたしかいない』って抱きしめてキスして結婚しようになるところじゃないの?」


 さて、フェリクスの言葉の意味が全く理解できないのは怪我のせいなのか、なんなのか。体が本調子になれば、これは分かるものなのか、否か。


「仰っていることの意味が分かりませんが」


「盛大に格好つけて人に事後処理押し付けた挙句、可愛い妹泣かすのやめてくれる? エリーの命の恩人じゃなきゃ殴ってるよ、僕は」


「それは……」


「まあ、君はちっとも痛そうにしないから殴ってもずっとその顔なのかもしれないけど。冷徹宰相は噂通り鉄で出来てるのかな?」


 フェリクスの言葉にギルベルトは睨みつけるだけで返した。


 そんなことはまるでない。


 これでもまだ人間はやめていないので、何もしなくても左肩はじんじんと疼き、動かせばもっと突き刺すような痛みが走った。表情が乏しいからよく勘違いをされる。それだけだ。


 刺されたのが左で良かったと心底思った。これが利き手ならまともに仕事ができるのがいつになるか想像もつかない。


「君はさ、あのエリーを見てないからそんなことが言えるんだよ」

 顔は笑っているのに、その紫の目は糾弾するように細められている。


「僕が着いた時、エリーは君に抱き着いて泣いてて。しばらく『ギルが死んじゃう』ってずーっと言ってたんだから」


 そんなことになっていたのか。


「自分が襲われただけでもショックなのに、そのせいで誰かが怪我したら心配ぐらいするさ。それともそんなこと何も考えない鬼畜の方は宰相閣下はお好みなのかな?」


 フェリクスの主張には納得できるところもあるが、こちらにはこちらの言い分がある。


「お言葉ですが、あのご様子だと姫様は休んでおられないようにお見受けしましたが」


 あんなに擦るなと言ったのに、目が真っ赤になっていた。頬にはいくつも涙の跡が残る。痛々しくてとても直視できなかった。


 辺りを見回せば、手当の跡が見て取れた。濡らしたタオルに水の張られた桶。包帯やら薬もそこかしこに置かれている。


 大方ずっと自分に付き添ってくれていたのだろう。どう考えても、王女にさせることではない。


「可愛い妹なら、ちゃんと体を気遣うようにお声かけしてください」


「うわあ。ああ言えばこう言う。あのね、僕が言わなかったと思う? 言い出したら聞かない子なのは君も知ってるでしょ?

 『ギルが起きるまではそばにいる』って絶対譲らなかったの。文句があるならもっと早く目覚めなよ」


 回り回って己のところに返ってきてしまった。結局いつも自分の存在は誰かを不幸にする。ギルベルトは何も言い返せなくなって押し黙った。


 フェリクスは、先ほどまでエレオノーラが座っていた椅子にどかりと腰を下ろす。


「にしても、エリーが泣いてるところ、久しぶりに見たな」

 無造作に足を組んでその上で頬杖をつくと、紫の目を遠くの方へ向けた。


「そうですか?」

 それは自分の認識とは大きく異なる。


 ギルベルトの記憶の中のエレオノーラは大抵、怒るか泣くかしているからだ。


「そりゃあ、小さい頃はよく泣いてたけどね。エリーの母親はあの子を置いて出て行っちゃうし、うちの母上はエリーに当たりが強いしさ。王宮に居てもいいことなんか何もなかったんだろうね」


 フェリクスの視線の先には、エレオノーラが出て行った扉がある。


「でもある時から泣かなくなった。食卓で母上がどんな嫌味を言っても、申し訳なさそうに笑うだけになったんだ」


 それなら、知っている。エレオノーラはよく、ギルベルトの部屋の机の下に隠れて泣いていた。


 「放っておいて」と言うのでそのままにしておいたが、茶が入ったと独り言のように呟くといそいそと出てくるのだった。


「別に母上の前で泣いてやっても良かったと思うけどね、僕は」


「それだと、王妃様が悪者になるから」

 ふわりと、頭の中に彼女が言っていたことが浮かんで、それがそのまま口を突いて出た。


「え?」

 フェリクスが聞き返す。


「『王妃様が言ったことにわたしが泣いたら、王妃様が悪者ってことになるでしょう? 誰が悪いか分からないんだもの。それはよくないわ』と殿下は仰っていました」


 だからといって俺の部屋で泣くな、とは思ったけれど。


「そっか。エリーはちゃんと分かっていたんだね」

 エレオノーラが閉じた扉に、ギルベルトも目を向けた。


 拭った涙の熱さを、この指はまだ覚えている。あんなことをするつもりはなかった。ただ、青い目から澄んだ雫がひとつふたつと零れていくのを目の当たりにしていたら、考えるよりも先に手が彼女に触れていた。


 泣かなくなったとしても、泣きたかった気持ちがなくなるわけではない。だとしたら、今も彼女は一人、どこかで泣いているのかもしれない。


 立ち上がろうとしたら、また目が回った。


 思ったように体が動かないのは、なかなかに堪える。エレオノーラを追いかけてやりたかったけれど、それもできない。


 もし自分が死んでいたら、エレオノーラはどれほどの涙を流したのだろう。


 ちゃんとここにこうして生きているのにあんなにも泣いたのだから、それ以上であることは推測が付くけれど、そこまでだ。


 俺はずっとこんなもの、いらなかったのに。


 けれど本当に死んでしまっていたら、彼女の涙を見ることすら叶わないのだと、ギルベルトは他人事のように思った。


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