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【完結】いつかわたしを攫ってくれると言った怪盗の正体は、冷徹嫌味な宰相閣下でした  作者: 藤原ライラ
第二部:生贄の姫

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16.思い出

 あれは確か、エレオノーラが託宣の儀式を受ける少し前の頃で、ギルベルトが政務官になってすぐの時だ。


 補佐官に提出を頼まれた書類の間違いを訂正したら、宰相閣下の目に留まってしまった。そうしたらうっかり政務官に指名されて、ギルベルトは激務に飲み込まれていった。


「あのお、『ギルベルト=エインズレイ』という方はこちらに」


 執務室の扉がノックされたと思うと、恐る恐る侍女が覗き込んでくる。その顔に見覚えがあった。

 他の政務官たちが何事かという顔で、一斉にギルベルトを見遣る。


「ギルベルト=エインズレイは、俺ですが」


「王女殿下がお呼びです」

 そう言えば、彼女はエレオノーラの侍女だった。前にもこうして研究棟の部屋を訊ねてきたことがあった。


「分かりました。どちらに伺えばよろしいですか?」

 ギルベルトがそう言うと、侍女はとても言いにくそうな顔をした。おずおずと窓の外を指差す。


 そこには、一つ大きな木があるだけだ。


「中庭の木の上からお呼びです」

「……はあ?」


 何をどうしたらそうなるのだろう。ギルベルトは思わず顔を顰めた。


 詳しい話を聞いたところは、こうだ。


 いつものように遊んでいたエレオノーラは木に登ったはいいが、降りられなくなったらしい。誰かを迎えに行かせることになったのだが、その際に自分を王女が指名したというのだ。


 なんでもギルベルトが来るまでは絶対に降りないと駄々をこねているらしい。


「一体どう言うおつもりですか?」


 そのままにしておくわけにもいかないので、仕方なく言われるがままギルベルトは木に登った。確かに自分も幼い頃は弟とこういう遊びをしたものだが、こちとら今は政務で忙しいのだ。子供と遊んでいる暇などないというのに。


「あら、意外と早かったわね。ギルベルト=エインズレイ」


 太めの枝の上に座った彼女は機嫌が良さそうに足をぷらぷらとさせていた。ドレスの裾から時折丸い膝小僧が覗く。


 とても王女の振る舞いとは思えないとギルベルトは内心呆れた。


「俺に何の用ですか?」


「だってあの部屋にいなかったんだもの」

 あの部屋、というのは研究棟の部屋のことだろうか。


 ちょうど木の上からはギルベルトがいた部屋の窓がよく見えた。


「仕事が異動になったんです。だから今は、別の部屋にいます」


「それは分かるわ、ギルベルト=エインズレイ。なんでわたしに教えてくれなかったの?」


 エレオノーラは、不服そうにこちらを見上げてくる。木漏れ日が、金色の髪にふわりと落ちた。


 子供はすぐに飽きると思っていたのだ。どうせいつの間にか彼女の足も遠のく。

 それにエレオノーラは仮にも王女殿下だ。もしかしたら女王陛下になるかもしれない。ただの文官の一人にすぎない自分との関わりをこれ以上深くすることが、エレオノーラにとって利があることだとは思えなかった。ちょうどいい機会だと思ったのに。


「わたし探したんだから。ギルベルト……ああ、もうややこしい名前ね」


  別に好きでこの名前でいるわけではない。付けたのは、産んだ母だろうか、父だろうか。それすら知らない。


「いいわ、あなたのことはギルって呼ぶから」


 そういえば、母が弟のことはそんなふうに呼んでいたなと思い出した。人の返事も聞かずにエレオノーラはそう決めてしまった。


「とにかく、わたしギルのこと探していたの。ひどいじゃない。何も言ってくれないなんて」


 そこでエレオノーラは枝の上に立ち上がった。腰に手を当ててご立腹のポーズである。


「殿下に断るようなことは何もないと思いますが」


 何度か茶を飲みに来たから、振舞ってはみた。エレオノーラは思いの外静かに、あの部屋で教育係からの宿題をやっていた。時々、分からないところがあるというので教えてやった。それだけだ。


 彼女の目がみるみるうちに潤んでいく。

 あ、泣くな、と思った。


 けれど、エレオノーラはふるふると頭を振って、二回瞬きをした。青い目には膜が張ったようになって、湛えられた光がギルベルトを睨みつけてきた。


 なかなか器用なことをするものである。絶対に泣くだろうと思ったのに。


「なによ、まだ教えてもらいたいことが、あっ」


 一歩踏み出したところで小さな体が傾いだ。咄嗟に手が伸びていた。


「ったく!」


 そのまま落ちそうになっていたところを、ぐっと引き寄せる。 すとん、とエレオノーラはギルベルトの胸に収まって、青い目をきょろきょろとさせた。


「あんまり危ないことをしないでください」


 怪我でもさせたら誰に何を言われるかたまったものではない。一政務官の命など、王女の前では塵に等しいだろう。


「ごめん、なさい……」

 俯いた少女は小声でそう言った。怖かったのだろう。その肩が震えていた。


「急にいなくなったから、悲しかったの」


 さっきまであんなに威勢よく話していたのというのに、打って変わって囁くような声だった。


「どこにも行かないで、なんて言わないから。だから、どこかに行っちゃう時は教えて。お願い」


 エレオノーラの手は縋るように、ギルベルトの服をきゅっと掴んでいた。


 どこにも行けるところなんてないのだと、教えてやればよいのだろうか。実家と折り合いの悪い自分には、他に行けるところなんてないと。

 ただ、それが正しい答えだとは思えなかった。


「約束してくれるまで、降りないから」


 顔を上げずに、エレオノーラはそう宣言する。そろそろ本当に仕事に戻らないといけないので、それは、困る。


「分かりました」

 ギルベルトがそう答えると、エレオノーラは小指を立てて右手をこちらに向けてきた。


「やくそくね。知ってる? 破ると針千本飲まされるのよ」

 その小指に自分のそれを絡める。触れてみれば、本当に小さな手だった。


「拳骨一万回の場合もあるようですね」

 どちらにしてもそんな罰はごめんこうむりたいところである。


「ではさっさと降りますよ」


 片手で枝を掴んで、もう片方の手でエレオノーラを抱えた。このお転婆王女には少しぐらい灸を据えた方がいいだろう。


「しっかり捕まっていてください」

 エレオノーラはギルベルトの背に手を回すと、大きく頷いた。


 実を言うと、運動神経にはそれなりに自信がある。まあ政務官に求められる技能ではないけれど。


 いくつか枝を伝ったところで、ギルベルトは木の上から勢いよく飛び降りた。自分にすれば大した高さではないが、エレオノーラは怖がるだろうと思った。


 そうすれば、少しは王女も大人しくなるだろうと。


 すっと、地面に降り立ったギルベルトはエレオノーラに宣言した。

「さて、これに懲りたらもうこんな風には呼ばないでくださ」


 王女の小さな手はしっかりとギルベルトに抱き着いたままだ。


 俯いていたエレオノーラはぱっと顔を上げると言った。


「すっごい面白かったわ、ギル!」


 青い目は星でも宿したかのようにきらきらとギルベルトを見上げてくる。


「ねぇ、もう一回、やってくれる?」

「あ……え、はい?!」


 ギルベルトはこの時、自分の見通しの甘さを嫌というほど思い知った。灸を据えるどころか、完全に逆効果だったのだから。


 今なら分かる。


 エレオノーラは本当は、「どこにも行かないで」と言いたかったのだと。

 それぐらい言えばよかったのにと思うのに、変なところで聡い子だった。


 いっそどこにも行かないでと言ってくれたなら、俺はずっと彼女の傍にいることができただろうか。

 けれど、それを言えない人だからこそ、エレオノーラを守りたいと思ったのだから、この願いは叶わない。


 ギルベルトは一人、心の奥でそう思うに留めた。


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