昔結婚していた相手が忘れられない話
10歳の誕生日目前。
私は嫁に出された。
お相手は近隣国の中でも一際強く、豊かな国の王弟、ラジェドン様。
両国の友好を示すために婚姻は結ばれた……そんな話、当時の私ですら信じていなかった。
ラジェドン様の兄は、国王の地位を脅かす優秀な弟を疎んでいた。その結果、弟の婚姻相手に不釣り合いな私を選んだ。
婚姻による恩恵も、子も、彼に与えたくなかったのだ。
なにより国王には策略があった。
名ばかりの姫の私には、守ってくれる存在など皆無。だからこそ国王には、うってつけの駒だった。
私を亡き者にし、ラジェドン様にその責任を被せ、彼を葬ろうとしていたのだから。
初めてお会いした時、ラジェドン様は18歳だった。並び向かい合えば、その大きな体格と貫禄ある雰囲気に気圧され、体が震えた。
けれど、その恐怖を拭ってくれたのも彼だった。ラジェドン様が跪いて私の手をとり、微笑みかけてくれた瞬間。肩に入っていた力が抜け、緊張がほどけていった。それどころか優しく話しかけてくれる彼に、目が釘付けになっていた。
お会いしたその日から。
私の心は既にラジェドン様に奪われていたのかもしれない。
一応夫婦という関係になったとは言え、ラジェドン様からすれば、私は押し付けられた子守同然。だからお会いできる機会はそう恵まれないだろうと思っていた。だが彼はわざわざ時間を作り、毎日のように私に会いに来てくれた。
『ようこそ、よく来てくれたね』
『旦那様なんて呼ばなくていいよ。私のことは兄だとでも思って』
『これから、怖いことがあったり、それに巻き込まれたりするかもしれない。でも安心して。私が姫を守れるように頑張るから』
『今日も楽しかった?』
『もうここは安全じゃない。守りきれなくて、ごめん。……どうか生きぬいて。……これでお別れだ』
1年ほどで、楽しかった日々は終わってしまった。
別れの日。頭に乗せられた大きな手。それが頬におりてきて、じっと視線を交わした。
別れ際の私を案じる彼の顔は、とても忘れられるものではなかった。
自国に返された後、ラジェドン様が反乱を起こし、内乱が始まったと聞いた。
終結したのは、内乱が始まってから3年後のことだった。その後、ラジェドン様が正式に国王として認められ即位した。だが息つく暇もなく、今度は戦争が始まった。
近隣の国々が一斉にラジェドン様に戦を仕掛けたのだ。疲弊した若い新国王になら勝てると踏んでのことだった。
……そしてその中には自国も含まれていた。
自国に返された私は、数人の侍女と共に、城から離れた塔で、彼女たちと協力しながら質素に暮していた。嫁ぐ前も似た環境下で過ごしていたので、特に困ることはなかった。
父には正妃の他に複数の側妃、妾がいた。母はその内の1人に過ぎず、早くに亡くなった。後ろ盾も母もいない私は、こうして父に忘れ去られた、名ばかりの姫となった。
今となっては、この父との希薄な関係に感謝さえしていた。
そうでなければラジェドン様に出会えず、消したいと思うほど父を憎むこともできなかっただろうから。
毎日ラジェドン様の無事を祈りながら、年月が重ねるにつれ、自国の存在もラジェドン様に並ぶほど大きくなっていった。
ラジェドン様に無事でいてほしい。
自国も、自国の民にも傷ついてほしくはない。
板挟みによる葛藤。先の見えない不安。脳裏によぎる嫌な想像。
ーもういっそ、自ら消えてしまおうか。ー
ついそんな考えが過ってしまった時
『いやだ』
否と即答した自分に驚いた。
私はようやくこの時になって、自身の心残りを自覚した。
ラジェドン様に会いたい。
再会の場所が、たとえどちらかが立つ処刑台だったとしても……。
ラジェドン様に会える可能性は、互いが生きている限り残されている。
そう思えるようになった日から。
私は前を向けるようになった。
ーー2年経ち、ようやく戦が終わった。結果はラジェドン様側の勝利。私たちの国は敗戦国となった。
父である国王は処刑された。正妃とその息子2人とともに。
正妃の息子達は、長らく父の側近を務めていた。だから父同様、処罰が早かったのだろう。
次は自分たちの番だと、身辺整理をしていた時。
ラジェドン様の国の属国になったこと。1番年長の義兄が国王に就くことを知った。
義兄との関わりはほとんど無かったが、人伝に義兄の人柄や優秀さは聞いていたので、今より国は良くなるだろうと安堵した。
私を含め、義妹弟たちの多くは城を出されており、義兄は私達を王宮へ呼び戻してくれた。
そこから義妹弟たちと勉学やマナーを学び直しながら、国王となった義兄と共に再興に尽力する忙しない日々が過ぎていった。
18歳になった私は、他国も集まるパーティに顔を出す機会が多くなっていた。
自国もだいぶ落ち着いた。
私の年齢なども鑑て、嫁ぐ頃合いであるのは自分でもよく分かっていた。
義兄は国の為に尽力し、いつだって矢面に立ち、私たち義妹弟と国を守ってくれた。
言葉足らずで、少し不器用で、きょうだい思いの義兄。
そんな義兄だからこそ、義兄が選んだ相手ならば、私は誰でも受け入れるつもりなのだが……。
「国王……。私ならどなたのところでも構いませんよ?」
今回のパーティーでも、ずっと鋭い瞳を光らせ品定めしている義兄に、少し呆れ気味な視線を投げる。
「………お兄様と呼べ。どこにでもという訳にいくか。まぁ、早いとこ嫁に行ってもらうことにはなるだろうがな」
縁が多い内に、苦労の少ないところに私を嫁がせようと、義兄は吟味してくれているようなのだ。
あくまで私の憶測だけれど。
その時、パーティ会場の入り口がざわついた。
「来られたな」
義兄のその言葉で察し、頭を下げて、玉座までの道をあける。
大丈夫だと思っていた。思っていたのに……。
いざこの瞬間が訪れたのだと実感すれば、心臓が苦しいくらい跳ね、スカートの裾を握る手に力が入っていた。
「頭をあげよ。今日はよく集まってくれた。今夜はこのパーティーを楽しんでくれ」
記憶の中よりも、ずっと硬く、重い、威厳を感じる声だった。けれど紛れもなく、彼の声だった。
私は玉座に座るラジェドン様を遠目からだったが、食い入るように見つめた。
袖元から足元までゆったりとした衣服。シンプルだが、上等な布地であるのが離れていても分かる。後ろへ撫でつけられた、肩より少し長めの、ボリュームのある赤髪。マントと王冠を身に着け、光るような目は、本物の獅子のようだ。
あれから8年。26歳になり玉座に腰をおろす彼は、王としての風格を纏い、そこに君臨していた。
生きている彼を、もう一度この目で見ることができた。
喜びで満たされる。そう思っていた。
けれど実際は、悔しさや情けなさが入り混じり、なんとも複雑な気持ちになった。
ラジェドン様は更にたくましくなっていた。立派な国王として君臨していた。私の想像以上に。
歳を重ね、大人の仲間入りをし、彼に近づけたと思っていた自分が恥ずかしい。
私がいくら歳を重ねようが、彼は手の届かない遠い存在だと、会ってしまったことで、はっきりと気付かされてしまった。
「さて、挨拶に行くか」
義兄のその声で、私は我に返った。
「ん? どうかし……」
義兄は私の顔を見て、言葉を止めた。
その瞬間、しまったと思った。
義兄は賢く聡い人だからだ。少しでも、違和感を感じれば、答えを導き出してしまう。
取り繕う時間はなかった。
義兄の瞳が訝しげなものから、驚きに変わった。
「……いま、思い出した。お前、過去に人質にやられていなかったか? この国と何か関係があったのか!? だからそんなに急に顔色が変わったのだろう?」
「え?」
「え?」
私達は顔を見合わせた。
8年前の当時、義兄は既に城を出されていた。私の件は当時噂として耳に入った程度で、今まで忘れていたほど、朧気な記憶のようだった。
義兄が知らないということは、自国に私が嫁いだ関係資料は残されていないのだろう。
「あの、こく………、お義兄様、私」
私は義兄にラジェドン様と、名ばかりの婚姻関係だったことを告げた。
「そう……だったのか。なぜ言わなかったんだ。来る前に教えておいてくれたら……」
義兄が言葉を飲み込んだ。
私がよほど情けない顔をしていたのだろう。
義兄がどこまで私の過去を知っているのか、確認しなかったのはわざとだった。余計なことを話して、ラジェドン様に会える機会を失ってしまうのが怖かったのだ。
義兄はどうしたもんかとばかりに、1つため息を吐いた。
「挨拶………するか? 来なかったことにして、お前は下がってもいいぞ?」
その言葉に私は下げていた視線を上げた。
「いえ、1年ほどですが、ラジェドン国王様にとてもお世話になったんです!
だからお義兄様が宜しければ、お礼も兼ねて、一緒にご挨拶させてください」
今日、彼の姿が見られたらそれだけで満足な筈だった。
けれど、もし以前のように話せたら……。
一気に都合のいい妄想が駆け巡り、気分が高揚していく。
舞い上がる自分の危うさに気づきながらも、止められなかった。
緊張と、喜びによる興奮を抑え、列に並び、番が来た。
「今夜はお招きいただきありがとうございます。バジェン国、王マリユと、妹のナリューシャです」
「ナリューシャです。その節は大変お世話になりました」
下げていた頭を上げれば、ラジェドン様と瞳があった。
期待した。その口から発せられる言葉を。
ラジェドン様の瞳が自分を捉え、一瞬、開いた気がしたからだ。
しかし、瞬きした瞬間。
ラジェドン様に何ら変わった様子はなかった。
「そうか、息災のようで何より。今夜は楽しんでくれ」
それ以上の言葉はなく、終わってしまった。
落胆した。酷く。
欲張るべきではなかった。
彼と話さなければ。彼の目に映らなければ。
彼にとって自分は大した存在ではなかったと、知らずに済んだのに。
勝手に期待して、勝手に落ち込んで。
そんな自分が恥ずかしかった。
打ちのめされた気分から抜け出せず、義兄に一言い、私はバルコニーに出た。
まだラジェドン様への挨拶の列は続いている。フロアで談笑してるのは、やっと列から解放された者ばかりで、みな社交に忙しそうだ。
おかげでバルコニーは、私一人しかいなかった。
誰にも気兼ねすることない空間で、やっと私は重たい息を吐けた。
戦が終わったあとも、会いに来てはくださらなかった。
それがきっと全ての答えだったのだ。目を逸らしていただけで。
互いの国がまだ不安定で、復興の最中だから。ラジェドン様はご多忙なだけだから。
だから忘れられている訳ではない。どうでもいい存在ではない。彼も私を今でも思ってくれているはずと、言い聞かせていた自分を惨めに思った。彼に会わなかったからこそ持てていた希望が、ポッキリと折れてしまった。
夜空を見上げ、手すりに寄りかかり、感傷ににふけっていると
「ナリューシャ様」
ふいに名前を呼ばれ、思わず肩が跳ねた。
声の主はいつの間にか、私の近くに立っていた。
「ラジェドン様から言伝を預かって参りました。
ゆっくり思い出話をされたいそうで、お部屋でお待ちいただきたいとのことです。私がご案内致します」
先程ラジェドン様の側に控えていた臣下が頭を下げ、私を促した。
「え? ですが……。い、行くならお義兄様に声をかけてからでも宜しいですか?」
「はい勿論。ご一緒致します」
義兄に話すと、疑わしげに眉をひそめていた。私も同じ気持ちだった。覚えてないと言われてもおかしくない程、あっさりとした挨拶だったのだから。
「私も妹とご一緒してよろしいですか?」
「いえ、王はお忙しい身。ナリューシャ様と少しでも長く、お話しされたいそうです。ご心配には及びません。お2人は本当に仲が良く、ラジェドン様はナリューシャ様をそれはそれは、本当の妹君のように可愛がられていましたから」
妹という単語が私に突き刺さる。
義兄も何やら胸を抑えながら「ナリューシャの兄は私だけだぞ!」と、言葉が漏れていた。
「そういうことですから、ナリューシャ様。どうぞこちらへ」
私と義兄が心を痛め、軽く放心していると、臣下の彼はササッと私を別室へ通した。
「さっ、おかけになってお待ち下さい。侍女がいま、お飲み物をご用意しますから」
「はい……」
「どうぞ、ナリューシャ様」
侍女が手渡してくれた紅茶。ではなく、私は侍女の方へ勢いよく顔を向けた。
8年経っているが分かった。私の世話をしてくれていた侍女だと。
「あぁ、良かった。生きていたのね」
「ふふ、ナリューシャ様ったら、昔一人でこちらに来た時も泣かなかったのに、涙ぐまないでくださいな」
そう言って、彼女はハンカチを私の目にあててくれた。
お互い別れてから何があったかと、話し込んだ。数時間は経っていたかもしれない。ほどよい眠気を感じ始めていたから。
ノックの音が鳴った。
「すまない、遅くなった! ナリューシャ姫はまだ起きてるか?」
その声の調子が。その喋り方が。あの当時のままで。
「ラジェドン兄様!!」
思わず勢いよく立ち上がって、反応してしまった。
思ったより声が大きくて、自分でもはしたなかったと、慌てて口を抑えた。全て遅かったが。
「プッ、ふふ。あぁ、良かった。建前かと思っていたが、本当に姫は元気そうだ」
今まで話していた侍女がさがり、ラジェドン様が私の隣りに座った。
「はぁ~………。良かった。またお互い生きている内に会えて」
「私も………。ずっとお会いしたかった」
先ほどのパーティとは違い、緩んだ雰囲気とその表情が8年前の記憶と被り、私の視界が滲む。
「姫と離れたあと、なんとか王になれたと思ったら、今度は戦が始まって……。後悔してたんだ。
君を守るために返したのに、もっと危ない場所へ君を送ってしまったんじゃないかって」
当時を思い出されたのか、ラジェドン様は疲れた顔で、力なく笑った。
「そんなことありません! 私が今ここに居られるのは、ラジェドン様が正しかったからです。
……ずっと、心配しておりました。怪我をされてないか、追い詰められていないか。
あげく、父が戦争をふっかけてしまい……申し訳ありません。
あの人の娘の分際で何を、と思われるかもしれませんが、またラジェドン様にお会いしたくて……。
だから、本当にいま幸せで……ラジェドン様、生きてて良かった」
改めて、目の前に彼がいるのだと思うと、言葉が詰まるほど感情が昂ってしまった。
意外そうな表情で聞いていたラジェドン様が、クシャリと笑った。
「ナリューシャ姫、そんな風に思っていたの? 私は自分が思っていた以上に、君に好かれてたんだなぁ」
「ずっと思っていました! それに私の気持ちは毎日のように……お伝えしていた……はず……です……」
「ふふ、そうだったね。だけど、君は幼かったから……。私なんてすぐ忘れられるんだろうなって思ってたよ」
当時の私の年齢ならば、そう捉えられて仕方ないのは分かっている。
しかし思い返すのも恥ずかしいのだが、あの頃の私はある意味無敵で。毎日のようにラジェドン様に恥ずかしげもなく、ことあるごとに好きだと言っていたのだ。
「変わらず慕ってくれていたんだね。嬉しいなぁ。私にとって姫と過ごした日々は、今もかけがえのないものだから。またこうやって話せて、本当に良かった」
そう言って、ラジェドン様は私の頭を撫でた。懐かしい手つきに、やはり私は今も妹みたいなものなのだ感じた。
それでも頬が熱くなった。
自分だけ意識しすぎなのが恥ずかしく、つい視線が下がってしまう。
「ん? あー、すまない。ナリューシャ姫はもう大人なのにな」
からかい混じりの軽い口調で、パッと離された手。
やはり露骨に顔に出てしまっていたらしく、更に恥ずかしくなり、私は八つ当たりのごとく、ジトッと彼を睨んだ。
「いじわる………。いいんです、どうせラジェドン様からしたら、まだまだお子様ですから」
拗ねるような口調は、本物の子どもさながらだった。
ラジェドン様に会えたことで、つい振る舞いもあの頃に返ってしまったのかもしれない。
「……………。いや、んー。ちょっと待ってくれ。……ナリューシャ姫、それって外せるか?」
「髪飾りですか? えぇ」
不思議なこと仰ると思いながら、言われた通りそれを取る。せっかく、結い上げてもらったが、もうパーティーに戻るつもりはないので構わなかった。
髪がサラサラと落ちた。
今まで結んでいたのが嘘のように、跡が残っていない、自慢の真っ直ぐの濃紺の髪。
ラジェドン様は忙しく、部屋を訪れるのが夜になることも多かった。寝る前の結われていない私の髪を、撫でるように手ぐしで梳かしながら、よく褒めてくれたことを思い出した。
「………髪に触れてもいい?」
「? 先程、頭も撫でられたじゃないですか。今更聞かなくてもいいですよ」
ラジェドン様の指が髪に入り、撫でられるように数度、髪を耳にかけられた。
「今もすごく綺麗だね。とてもさわり心地がいい」
「ふふ。そうでしょう?」
自慢気に私が言うと、髪を触っていたラジェドン様の手が私の頬に添えられた。
「ラジェドン様?」
じっとこちらを見る瞳。明らかに先程と表情も空気も違う。
「ナリューシャ姫。昔と同じように……好きだと言ってくれないか」
「え゛っ!? ですが、あの時とは年が違いますしっ! それに!」
私は慌てて、理由を続けようとした。
けれど、眉が下がったラジェドン様に、言葉が詰まった。
ラジェドン様に、私がしてあげられることがある……。
グラグラと気持ちが葛藤する。
そして羞恥心よりも、願いを叶えられる嬉しさが勝った。
「ラ、ラジェドン様………だ、だいすき」
自分が思っていた以上に、掠れて小さくなった声。
顔が熱くなりすぎて、言ったあとすぐ、顔を背けてしまった。
意地で兄様はつけなかったが、幼い時の言葉に、今こんなに苦しめられるなんて思わなかった。
好きである気持ちは変わっていない。むしろ増している気がする。けれど、どう思われるのか、変な顔をしてないか。
余計な心配がブワッと内側から沸き起こり、私の中で渦巻いていた。
こんな醜態見なかったことにしてくれないかなと、考える余裕が持てる程には時間が経った。
そろりとラジェドン様を確認すると、まるで固まっているようだった。
「ラジェドン………様?」
心配して、顔をラジェドン様に顔を向き直すと、瞳が合った。
「あ、いや! すまない。不躾に触ってしまって。ハハッ」
ラジェドン様は、両手のひらを私に向けた格好のまま、向かいの席へと移動した。
「え? どうされたんですか?」
「え?」
「いえ、なぜそちらの席に?」
「いや、年頃の女性に対して、肩が触れ合うほどの距離は如何かと思って」
「今まで座ってらっしゃったじゃないですか」
「……誰だそんな配慮に欠けた男はっ!」
ごまかすようにワザとらしく笑うラジェドン様に、つい胡乱げな目を向けてしまう。
「………はぁ。すまない。そんな問い詰めるように見ないでくれ。その……姫を女性として意識してしまったんだ……。本当にすまない」
ラジェドン様は罪悪感たっぷりに、顔を手で覆い、下を向き、背を丸めた。
「どうして謝るんですか!?」
「そりゃ、妹のように大切に思っていたんだ。そんな君を邪な目で見てしまった。………私は兄失格だ」
「ラジェドン様は本当のお兄様じゃありません! だからいいじゃないですかっ!」
「いや、姫も私を兄として慕ってくれていたのに、それを破ってしまうなんて」
「待ってください! 私はラジェドン様を兄のように慕っていましたが、兄と思ったことありません! 10歳であなたのお嫁さんになった時から、あなたを愛しています! 初恋なんです! 私はいつだってあなたを、旦那様だと思っていました!」
「え?」
「好きだと……毎日のように、言っていたじゃないですか……」
視界がグシャリと潤んで揺れた。
ラジェドン様を兄と呼んでいた。彼にそう言われたから。妹のような扱いでも嬉しかった。でも、心の中ではずっと、お嫁さんとして、彼を慕っていた。離れていた時間で、更にはっきりした。憧れじゃない。忘れたくない、忘れられたくなかった。
もうこの時には、私の心は決まっていた。
心の中で義兄に詫びた。本当は
『結婚する相手は誰でも構わない。ラジェドン様以外の相手なら、誰でも同じだから』
そう思っていたのに、またしても私は義兄にきちんと話せていなかった。欲深い義妹で申し訳ないけれど、引き返すつもりは、さらさらなかった。
「嫁いだあの頃と変わらず、私はラジェドン様をお慕いしています。だから、どうぞ、存分に! 一人の女性としてみて下さい。私、頑張りますから!」
両手を握り、力を込めるポーズを決める私に、ラジェドン様は困惑していた。
「え? いや、ナリューシャ姫、何を頑張るって?」
「女性としてみてもらえたので、もう1度、お嫁さんにしてもらえるように、これから積極的にアピールしようかと」
そう言うと、ラジェドン様は一気に焦ってしまった。
「だ、駄目だ、駄目!」
「え………、それは好みの女性ではないからですか?」
「そ、そうではなくて! 私は既に自分の気持ちに気づいて……る。君が好き………だ。もう、小さなナリューシャ姫じゃないのは良く分かった。あの頃と同じセリフなのに、君の一言で、えらく動揺してしまうんだ。だからもう、勘弁して欲しい」
「ラジェドン様………。本当ですか? じゃあ、いっぱい好きって言って動揺させていいですか?」
期待を込め、見つめる私に、ラジェドン様は苦笑いをした。
「い、今は勘弁してもらえると助かる。そのかわり」
「かわりに?」
「姫がよかったら、もう一度私と」
息を呑み、ラジェドン様から告げられる言葉を、私は聞き逃さまいと耳をそばだてた。
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「も、もう一度結婚する!?」
義兄が私とラジェドン様の顔を交互に何度も見た。
そして、私の肩をそっと抱いて、ラジェドン様から少し離れたところで、小声で話し始めた。
「脅されたのか!? それとも、昔から恋仲だったのか? だったらやめておけ。そう言う相手は、幼い子が好きという性癖の持ち主で、苦労させられる! 困ってるなら今お兄様に言いなさいっ」
こんなにスラスラ喋ってくれる義兄は初めてだ。
いつの間にか義兄の隣に来ていたラジェドン様が、ポンと義兄の肩を叩いた。
「マリユ国王。いや、公式の場でないのだから、お義兄様と呼びますね。ナリューシャのことを守ると、幸せにすると誓います。結婚を許してくれませんか?」
「ふふ、10歳の時もそう言って、私を守ってくださいましたね。お兄様、内乱に巻き込まれないよう国へ返してくれたのも、こっちの国で守ってくれてたのも、ラジェドン様なんです。私は当時からラジェドン様をお慕いしていたけれど、妹、子供扱いしかされなかったわ。だから、私の方から想いを伝えたの。初恋が叶って、私とても幸せよ。パーティーにつれて来てくださってありがとう、お義兄様」
義兄は苦悶の表情を浮かべていた。
妹が好きな人と結ばれて嬉しい気持ちと、ラジェドン様との間に何かあったとき、私を守ることができるのかを天秤にかけて、心の中で葛藤しているのだろう。おそらく。
義兄は自国が優位に立てる、安全な場所に、私を嫁がせたかったのだから。
やはり私の義兄は優しいと、頬が緩んだ。
「私の性癖が潔白であると証言してくれて、ありがとう」
こそっと、ラジェドン様に耳打ちされた。
「悲しいほどに事実なことは、私が1番良く分かってますから」
私とラジェドン様が二人の世界に浸るように、お互いの顔を見合って、笑っていたからだろうか。
義兄が諦めたように、大きなため息をついた。
「ラジェドン国王。どうぞ、可愛い、可愛い私の妹を宜しくお願い致します」
義兄が妹の部分を強調するように言った。
きっと、ちょっとした兄としての牽制のつもりなんだろう。
私とラジェドン様は、もう1度、顔を見合わせて困ったように笑った。
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ナリューシャとマリユ国王を見送ったあと、私はその足で自室に戻った。
「国王陛下様、この後のご予定ですが」
「ああ、すまない。1時間ばかり休みたいんだ」
臣下にそう伝え、人払いし、部屋に1人。
書き物机の引き出しにある仕掛けを操作し、秘密の引き出しを開ける。そして中にあった1枚の紙を手に取った。
「もう1度、か………」
ナリューシャと自身の婚姻書を見つめ、私は呟いた。
婚姻書を見つけたのは、内乱が終わったあと。玉座についてからだ。まさか、残っているとは思わなかった。しかし、これでもう1度、彼女をこちらの国へ呼ぶことができる。そう思っていた矢先。彼女の国たちと戦が起こった。
戦はこちらの勝利で終わったが、姫と離れてから何年も経ち、彼女の父親も奪ってしまった。
恨まれていない、忘れられていない。
そんな自信がなかった。
だからナリューシャをこちらに呼ぶことは諦め、彼女の無事を聞きいたあと、生かしておくよう伝えた。そして定期的に、彼女の国に派遣している部下に、ナリューシャの近況を報告してもらっていた。
兄に疎まれ、国王を支援する一派から狙われ。誰が敵か、味方か分からない。そんな中、ナリューシャは私の揺るぎない味方だった。彼女の存在がとても心強かった。
守りたいほど大切。その気持はナリューシャがいなければ、理解できていなかったかもしれない。
だからこそ、反乱を起こし、兄と戦ったのだ。
兄がナリューシャを亡き者にしようとしたから。それが反乱を起こす決め手となった。
彼女に会う自信がないと思いながらも、婚姻書はいつまでも捨てられず、時折眺めていた。
もし、ナリューシャが望まぬ結婚を強いられたら。
嫁いだ先で、ひどい扱いを受けたら。
これがあれば、迎えに行き、助けることが出来ると思ったからだ。
兄も父も母も、もういない。元から、家族と感じたことはなかったかもしれない。
ナリューシャだけが。たった1年間にも関わらず、特別で。家族を感じさせてくれた。
「8年も経っていたのに………。会った瞬間、あんなに嬉しそうな顔………。また見れるとは思わなかったな」
戦争以降初となる、数多の他国を招いてのパーティ。
パーティに彼女も参加すると知り、一目会うくらいなら許されるだろうかと、心待ちにしていた。
そして彼女の嬉しそうな、その顔を見た瞬間。
気持ちがどんどんと溢れ出た。
可愛い。愛おしい。私の………。私の特別な………。
断じて、幼い彼女にやましい気持ちはなかった。
けれど、固執はしていたと思う。ナリューシャは私のだという独占欲や執着はあって、今なお消えていない。その証拠が、捨てられず今も残っている婚姻書だろう。
大きくなった彼女の隣に座り、昔に戻った気分になった。彼女が未だに私を慕ってくれていたと分かり、喜びで心が弾んだ。
つい、昔と同じ調子で彼女に触れてしまった。するとナリューシャは、顔を赤くした。
花を愛でるような気持ちに、影が差した。
やましい気持ちを抱いた自分を認められず、確かめるために、彼女が幼い時によく言ってくれた『好き』という言葉を請うた。
それが決定打になってしまった。
彼女を邪な目で見ている者がいたら、兄代わりの自分が許さないと思っていたのに。
花を手折ろうとしている自分がいた。
許せないと思っていた相手に、自分がなっていた。
自分に失望した気持ちをナリューシャが拭ってくれなければ、きっといまも酷い気分に苛まれていただろう。
長年私を忘れず、変わらず想ってくれていた彼女に心の中で感謝した。
罪悪感と、これからナリューシャと共に歩む時間。
天秤にかけた時、圧倒的に後者が勝ち、私は彼女の手を取った。
これから新たに婚姻書を、書くことになるかも知れない……けれど。
少し悩んだが、古い婚姻書は捨てないと決めた。
これはナリューシャと、自分を繋ぐもの。
今この瞬間も。
離れていた過去の時間も、ナリューシャと自分が夫婦であった証。
彼女と私が家族だと示すもの。
8年前のあの日から、ナリューシャと私の縁が続いていることを証明してくれるもの。
そう思うと、どうしようもなくただの紙が愛おしく思えて、ナリューシャを思い、口づけを落していた。
-完-