後宮女官の採用試験③(雪玲視点)
(雨蘭様……どんなお方なんだろう……)
雪玲は翡翠宮の掃除をしながら考える。
噂によると、皇太子妃となる雨蘭という女性は、たくさん令嬢たちが集められて試験が行われた中でただ一人、花嫁の座を射止めたらしい。
なんでも、今まで女性に興味を示さなかった皇太子殿下が、お妃様にぞっこんなのだとか。
きっと可愛らしくて素敵な人なのだろう。
(とてもお優しいらしいけど、失礼のないようにしなくちゃ)
皇太子妃の後宮入りは三日後に迫っていた。
翡翠宮の掃除も、妃つき女官としての鍛錬もいよいよ大詰めだ。
「雪玲、時間を考えなさい」
女官長に声をかけられてハッとする。掃除に夢中になっているうちに、時間を計るために焚いた線香が終わっていた。
ということは、食事を出す時間になっても配膳が行われておらず、調理場に声をかけに行かなければならない。
「すみません。行ってきます!」
雪玲はハタキを置き、手を清めてから急いで調理場へと向かう。
通常は別の女官がやることだが、今日は「貴女のところで一通りやってみなさい」と女官長に言われていたのだ。
女官長とは、なんだかんだ上手くやれていると思う。
第一印象は決して良いとは言えなかったが、接しているうちに、厳しいけれども面倒見の良い人だと分かった。
理不尽なことでは決して怒らないし、人格を責めるようなこともしない。
面接の時に厳しかったのは、雪玲の家族や将来を心配してのことだったと後から聞いた。
(そういえば、伯母さんはどこで働いているんだろう)
伯母が宮廷にいることを、忙しくてすっかり忘れていた。
もしかしたら既にすれ違っているかもしれないが、雪玲は幼い頃に一度だけ会っただけなので、伯母の顔を覚えていない。
伯母も、成長した雪玲を見ても自分の姪だと気づかないだろう。
(それよりも今は仕事に集中しないと)
雪玲は静かに調理場に入る。
夕食の準備で丁度、忙しい時間のようだ。
皆、刻んだり、炒めたり、目の前の作業に夢中で雪玲に気づいてくれない。
声かけを躊躇う雪玲だったが、ふくよかで優しそうな女性に尋ねてみる。
「あの、お妃様にお出しする料理は出来上がっていますでしょうか」
「お妃様って雨蘭のこと? 今日はまだ廟にいるんじゃない?」
彼女は炒め物をしながら、不思議そうにこちらを見る。
「えっと……お妃様はまだいらしてないのですが、今日から予行練習として準備するようお願いしておりまして……」
女官長が料理長に話を通したと言っていたが、伝わっていなかったのだろうか。
雪玲は不安になり、しどろもどろ説明する。
「うーん、私も今日こっちに移ってきたばかりだから知らないなぁ。あ、光雲さーん!」
彼女は側を通り過ぎた男性を、大きな声で呼びとめた。
「どうした?」
「この子がお妃様の食事を取りに来たって言うんですけど、何か知ってます?」
すらっと背が高く、中世的で美しいこの人は彼女の上司だろうか。
男性はしばらく黙り込んだ後、僅かに顔を引き攣らせて雪玲に尋ねる。
「……もしかして、料理長に話を通した?」
「はい。そのはずです」
「はぁ……まただ。聞いてない」
彼は深い溜め息をついて項垂れる。
どうやら、料理長から何の指示も降りていなかったらしい。
「えっと、どうしましょう」
「大丈夫。すぐどうにかするよ」
彼は困ったように笑うと、料理人たちに指示を出して回り、短時間で食事の準備をしてくれたのだった。
◇
そして、ついに迎えた皇太子妃の出迎え当日。
雪玲は朝からずっと緊張していた。
牛車の中から噂の妃が姿を現すと、女官長は雪玲に翡翠宮を案内するよう促す。
「これから雨蘭様の世話役を務めさせていただきます、雪玲です! まだ宮廷に来たばかりの若輩者ですが、よろしくお願いします」
たくさん練習したのに、緊張で声が裏返ってしまった。けれど、皇太子妃は気にする様子もなく、雪玲に言葉をかけてくれる。
「よろしくお願いします。貴女のような若い子がいてくれて良かった」
そう言って、優しく微笑む皇太子妃を見た雪玲は、一瞬で心を掴まれた。
(こんなにも素敵な方にお仕えできるなんて、私はなんて幸せなのだろう)
きっとこれから、素晴らしい日々になる。雪玲はそう確信した。
後宮女官の採用試験〈了〉