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「あれ、お弁当忘れたんですか?」
屋上で購買部の焼きそばパンをかじっていた宙樹に、美朱がもの珍しそうな表情で聞いてくる。
「……作ってる時間がなかったんですよ」
「寝坊したとか?」
「そんなところですね」
「ふーん……」
美朱は宙樹から 1メートルほど離れた場所にハンカチを敷くと、そこに腰をおろした。
「美味しそうだよね、それ」
焼きそばパンをじっと見つめながら美朱が言う。
「あげませんよ」
「えー」
「そんな物欲しげな顔をしてもダメなものはダメですよ。自分のお弁当を食べてください」
「はーい、わかりましたよー。空嶋先輩のけちー」
けちはないだろ、けちは。
後輩をジト目で睨みながら内心でツッコミを入れる。
「今日も玉子焼きが入ってる! さすが、おねーちゃん、分かってるなー!」
小ぶりな二段重ねの弁当箱を開けながら美朱。
「先輩はどうしてお弁当、忘れたの?」
「あー、それはですねぇ……」
宙樹が寝すごしたのは明け方に見た悪夢のせいだ。
過去に母親から受けた虐待と、母親に対する殺意を夢で追体験した彼は、そのまま布団の中で悶々とした時間を送った。
スマホのアラームが鳴っても、なかなか布団から抜け出す気になれなかった。
そのままダラダラとスマホゲーの虚無周回などをしていたのだが、気がつくと遅刻ギリギリの時間になっていた。
宙樹は慌てて飛び起きると急いで制服の学ランに着替え、水道水と食パンで適当に朝食を済ませ、ダッシュで学校に向かった。
途中でコンビニに寄って昼食を調達している時間はなかった。
「あっ、ごめんなさい。私また変なこと言った?」
「いや、そんなことありませんよ」
宙樹の言葉に美朱はほっとしたような表情を浮かべる。
昨日のことをまだ気にしているのだろうか。
少し自由すぎるところはあるが、悪い人間ではないのだろう。
宙樹と美朱は、そのまま、黙って食事を続ける。
時々、五月の黴臭い風が通りすぎていく。
鼻がやたらとかゆい。
宙樹は必死にくしゃみを我慢する。
「先輩、花粉症なの?」
「違いますよ」
「でも、めっちゃ面白い顔して、くしゃみを我慢してるでしょ」
「先輩に向かってめっちゃ面白い顔とか言うのやめてください」
「はーい!」
元気よく返事をすると、美朱はケラケラと笑い出した。
「……星さんは、何だかいつも楽しそうですね」
「先輩は楽しくないの?」
「おれは……普通ですね」
「何それ、つまんないの!」
「……やっぱり、つまらないと思いますか?」
「うん、めっちゃつまらない! 先輩は友達から若さが足りないとか言われない?」
「言われないですね……」
「そうなの?」
そんな軽口を叩いてくれるような友達がいないんですよ。
宙樹は心の中でそうつけ足す。
何しろ、自分は存在感ゼロの空気少年だ。
誰も、自分のことを相手にしなければ、顧みてもくれない。
「先輩、そんな暗い表情してたら幸せが逃げちゃうよ?」
幸せ。
母親から虐待を受けていた自分とは、あまり縁のない言葉だった。
「何か、辛いことでもあったの?」
沢山、あった。
そして、それは、今でも宙樹の人生に暗い影を落としている。
「先輩、どうしたの?」
気がつくと、美朱の顔が目の前にあった。
宙樹の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「先輩、泣かないでよ。私が苛めたみたいじゃない……」
そう言いながら、宙樹の眼鏡をそっと外し、目の下にハンカチを押しあてる。
そうか、おれは泣いているのか……。
後輩の言葉で、宙樹は今更ながらそのことを自覚する。
「……もう、来てくれないのかと思ってました」
「何の話?」
「昨日の昼休みの話ですよ。おれは、星さんに酷いことを言って、ここに置き去りにしたじゃないですか」
「あれは、調子に乗っておかしなこと言った私が悪かったんだよ。先輩の気にすることじゃないでしょ?」
「でも……」
「先輩だって、ただの独り言だって言ってたじゃない。私はそれで納得したんだから、この話はこれで終了です!」
「……分かりました」
「よろしい!」
美朱は花が咲くような満面の笑顔でそう言う。
宙樹はその笑顔を見ると、懐かしいような悲しいような、得も言われぬ気持ちになった。
「先輩は、もっと笑った方がいいよ」
美朱は眼鏡を宙樹に返すと、ハンカチをカーディガンのポケットにしまいながらそう言った。
「星さんはいつも笑ってばかりですよね」
「そうだよ! 絶対にそっちの方がお得だからね!」
「お得って。そんなスーパーのセールじゃないんだから」
宙樹は思わず吹き出した。
「あはは、そうそう、それでいいんだよ!」
満開の笑顔で美朱。
「あのね、おねーちゃんに言われたんだ。私たちはいっぱい笑おうって。いっぱい笑って、その分、沢山幸せになろうって。そうすれば、何も寂しくないって。だからさ、先輩も一緒に笑って幸せになってみよう」
「……いいお姉さんですね」
「うん、私の自慢のおねーちゃん! 先輩は一人っ子なの?」
「そうですよ。というか、おれには家族がいないんですよ」
宙樹の言葉に美朱な表情が凍る。
「違います! 違うんです!! 星さんは何も悪くありません! これは、おれが話したいから勝手に話してるだけなんです!」
宙樹は慌ててフォローを入れる。
「……ご家族は亡くなられたの?」
美朱がおずおずと口を開き質問する。
「はい。おれが小さい頃に母も父も」
「今は親戚と一緒に暮らしてるの?」
「いいえ。気楽な独り暮らしですよ。生活費の支援をしてくれる奇特な人がいて」
「そうなんだ……」
美朱がうつむく。
「あのー」
宙樹の言葉に美朱が顔をあげる。
「よかったら、明日からもここで、一緒に昼ごはんを食べませんか?」
「……いいの?」
「もちろん。独りで食べても、何だか味気ないので」
宙樹は少し恥ずかしそうな笑顔でそう言った。




