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空気少年は幻視(み)られたい  作者: 砂山鉄史
5.教室の石ころ
25/54

5-2

 今日の三時限目は自習だった。

 教室が何だか騒がしい。

 美朱みあかには、みんなが浮わついているように感じられた。

 誰も彼もが、つい先日すぐ傍の公園で発見された死体と殺人事件の話題で持ち切りになっていた。


 死体の発見者は都亜留とある高校の生徒らしい。

 クラスメイトの一人がそう言った。


 美朱は思わずビクりとする。その生徒は自分なのだが、警察はその情報を非開示にしている。

 この件で詮索されることはない筈だ。美朱は自分にそう言い聞かせる。


 被害者は若い女性で、胸にナイフを突き立てられた姿で発見された。

 犯人は都市伝説の殺人鬼・ブギーマンに違いない。

 ヤツは都亜留の屋上を根城にして、此乃町このちょうを血で染めるつもりだ。

 

 そんな友人達の発言を、美朱は曖昧な笑顔で受け流す。

 

 ブギーマン、不気味な男。

 都市伝説の中で語られる殺人鬼の名前――。


 鏡に向かって名前を五回呼ぶとその姿を現すとも、洋服ダンスやカーテンの陰に隠れて子供を連れて行くとも、女の子が一番美しい時にその命を刈り獲るためにやって来るとも言われる、人殺しの王様。ナイフひとつで人間を完膚なきまでに解体する、殺人の権能を神様から授かったモノ。


 まるで、悪いおとぎ話の登場キャラクターみたく荒唐無稽な存在。

 本当は、そんなヤツが実在するわけないと解っている筈なのに、みんな、そいつのことを語りたがる。


 疫病のようだな、と美朱は考える。

 世界を膜のように覆うあの流行り病と同じだ。

 どこまで行ってもついてくる。

 死の運命のように誰もそれから逃れることはできない。

 

 美朱は頭を軽く横に振って思考を切り換える。

 一学期の期末考査が近い。いつまでもブギーマンや流行り病にかかづらっている場合ではなかった。


 期末考査は6月の下旬から始まる予定だ。テスト勉強に三週間ぐらいは使えるだろうか。

 テストの点数が悪いと、姉に心配をかけてしまう。気を付けないと……。

 

 今朝の姉は、いつも通りの上機嫌で美朱に接した。

 少なくとも、昨日のような有無も言わさぬ調子ではなかった。


 ただ、朝食のときに、黙って美朱のことを見つめている時間があった。

 事件の話や、先輩の件でからかってくることもなかった。


 姉は仕事が忙しいようだ。テレワークが終わって大変だよ、と苦笑いを浮かべていた。顔には出さないが、そのことに不満を感じているのかもしれない。


 死体を発見したことは、両親に報せていない。姉が必要ないと判断したからだ。美朱もそれでいいと思った。両親に無駄な心配をかけたくなかった。


 そういえば、若い刑事がまた連絡をするかもしれないと言っていたが、今のところ何の音沙汰もない。

 昨日の今日だ。警察も忙しいのだろう。


 全く勉強に集中できない。

 美朱は小さく溜め息をつくと、スマホを取り出して操作する。

 連続殺人事件にまつわる無責任な噂の数々がSNSを駆け抜けていく。

 ネットニュースが遠い異国で始まった戦争の話を伝える。

 ノーマスクと反ワクチンを訴える人々が暴徒化しテロを起こした、という記事を見かけた。

 

 ネットワークにすら蔓延する死の臭いに、美朱はむせそうになる。

 

 この世界の歯車はどこでずれてしまったのだろうか。

 美朱は自分がまた不安定になっていることを自覚する。


 ああ、駄目だな。

 このままじゃ、また、おかしなモノをてしまう……。



 ※



 宙樹ひろきの学年も三時限目は自習だった。

 美朱のクラスと同じように、教室はノイズで溢れかえっていた。


 宙樹は教室に充満する騒音を煩わしく感じる。頭が割れるように痛い。机に突っ伏しながらグッタリすることぐらいしかできなかった。

 

 誰も彼も、勝手なことしか言わない。

 この町で起きている連続殺人事件のこと、屋上で目撃されたブギーマンのこと、流行り病のこと。


 右も左も無責任な噂。噂。噂。

 心の底からうんざりする。

 至る所から死の臭いが漂ってくる。常にカビ臭くて鼻がムズムズしている。そのせいで、宙樹はいつも必死にくしゃみを我慢している。


 そういえば、最近、学校でマスクを付けてない人達が増えたな……。

 宙樹は、ふと、そのことに思い当たる。

 もう、自分も外してしまおうか。何だか、段々、面倒になってきた。


『お前はそうやって、無自覚のまま死病の種を撒き散らすわけだな』


 声が聞こえた。

 宙樹の中の虚無から響くあの声だ。

 虫の翅が擦れる音によく似た、不快な高音。


『そうやって、お前はヒトを殺し続けるんだ』


 耳を強く塞いで胸の悪くなるような声から逃げようとするが、自分の内側かは聞こえてくる声に対しては何の意味もない。


「なぁ、大丈夫か?」


 隣の席の男子生徒が宙樹の肩を叩く。


「すみません。大丈夫です……」

「ならいいけど」


 宙樹は机に突っ伏したまま答える。


 ああ、何てことだ。空気なのに、存在を把握されてしまった。駄目だ駄目だ。もっと透明でいないと。おれは道端に転がった石ころなんだ。誰からも顧みられることのない、卑しいモノでいないと。


『おい、殺人犯。ヒトの情に触れて喜んでいるのか?』


 嘲笑うような声が聞こえる。

 頼む。もう、黙ってくれ。

 宙樹は自分の体が小刻みに震えるのを感じる。


「おい、やっぱり保健室に行った方がいいじゃ……」


 まただ! また声をかけられてしまった。おれは何をやっているんだ……!!

 もっとだ……もっと、孤立しろ!!


「……そうします」


 宙樹は相手にギリギリ聞こえる程度の小声でそう言いながら、立ち上がった。


「顔が真っ青だぞ。一緒に行ってやろうか?」


 宙樹は出来る限り男子生徒の顔を見ないようにして「大丈夫です」と断った。


「何か知らんけど、無理はするなよ?」


 宙樹は気づかいの言葉をかける男子生徒に小さく頭を下げると、教室を出て保健室に向かった。

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