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食卓を挟んでニヤニヤ笑いを浮かべる葵に美朱は辟易とした表情を作る。
「おねーちゃん、その顔やめて……」
「えー、どうしてー?」
「どうしても」
美朱がすげなく答える。
「美朱にもやっと春が来てアタシは嬉しいよ」
「来てないから、春っ!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
「えー、おねーちゃんつまらなーい」
「つまらなくないし、自分で自分のことをおねーちゃんて言うの禁止!」
葵が唇を尖らせてブーブー言ってくるが美朱は全力でスルー。
姉はおかしな誤解をしている。美朱はそう考える。
どうやら葵は妹が自分に隠れて男女交際を始めたと思っているようだ。
何故、そのような結論に至ったのか美朱には全く理解できない。
そもそも、過去に姉から恋人の有無をたずねられたときに、そんな人はいないと答えたはずなのに。
「とにかく、変な勘繰りは今後一切禁止だからね。いい?」
葵が無言でマジマジと美朱の顔を見つめてくる。
姉妹とはいえ、あまりに不躾な視線に美朱は一瞬、たじろぐ。
気がつくと、姉の顔からさっきまでのニヤニヤとした笑顔が消えていた。
「……本当に彼氏はいないの?」
「い、いないよ……」
「美朱は、アタシの傍から離れない?」
「は、離れないよ……」
「美朱はアタシを置いてどこにも行かない?」
「そ、そんなの当たり前でしょ……」
妹の言葉に葵は「そう……」と小さく呟く。
その眼差しはずっと遠くを見ているようで。
自分のことを見つめながら、まったく関係ないものを、ここではない別の世界を見つめているようで。
美朱は酷く落ち着かなくなる。
「だったら、いいんだ……」
葵はそう言うと席を立ち、自分の食器を台所の流しに持っていく。
「じゃあ、アタシはそろそろ仕事に行くから。お弁当、忘れずに持っていって。あと、マスク付けるの忘れないでね」
椅子にかけてあった薄手のジャケットを肩にかけると、葵は玄関に向かう。
「……うん。いってらっしゃい」
美朱は姉の背中に言葉をかける。
玄関が開き、閉じる音がマンションの一室に響く。
姉の気配が完全に消えると、美朱は大きく息を吐き出す。
「おねーちゃん、ときどき妙に迫力あるよなぁ……」
美朱の顔に戸惑いが浮かぶ。
姉は昔から美朱の味方だった。
幼かった美朱が、人とは違うモノを、視なくてもいいモノを幻視していた頃から、ずっと彼女の味方だった。
それは今も変わらない。
中学校で孤立し、不登校になった美朱の勉強を熱心にみてくれたのも姉だ。
何とか高校受験を乗り切った美朱に二人暮らしを提案したのも、そのために必要な準備を整えたのもすべて姉だった。
美朱は葵に対して深く感謝していた。
けれど。
姉の自分に対する気持ちがよく分からない。
最近、それを強く感じるようになった。
あるいは。
元々、自分に向けていた感情が変質している。
それが、具体的にはどんな性質のものなのか美朱には言語化することができなかったが、漠然とした不安になって自分にまとわりついているような気がした。
今、この世界を覆っているあの病魔と同じだ。
どこまでいっても振り払うことのできない影。
世界に解き放たれた予兆、あるいは蝗。
箱は、既に開かれているのではないか?
美朱はそんなことを考える。