OLよ、クリアを目指せ(三十と一夜の短篇第57回)
ふと違和感を覚えた。
赤い夕陽が差しこむ無人の教室。あたりは暗く、廊下にも人の気配はまったくない。先生も生徒も、誰もいない。まるで広い水槽にいれられた一匹の金魚のように、学校にぽつんと取り残されている気がする。
そもそも学校は何年も前に卒業したはずだ。なのにどうしてここにいるんだろう。これは夢? 夢だとしたらこの生々しい五感はなに?
その時、うすら寒い空気が私の肌をつつんだ。全身に怖気がはしり、おくれて鳥肌がぷつぷつと立つ。視線を感じたからだ。
「みいつけた」
声のしたほうを見ると、廊下への入り口に誰かいる。
私の悪夢はここからはじまった。
【 START 】
***
「かあああああ! なるほど、こういう導入ではじまるのねこのゲーム!」
わたしは興奮しておもわず叫んだ。新しく買ったゲームをやろうと職場からダッシュで帰り、すばやくお風呂やご飯をすませたのが五分前。今はうっきうきで画面を見つめているのだけど、もう序盤から雰囲気がすごくいい。やっているのは個人的に話題沸騰中の鬼畜恋愛系ホラーゲーム、「溺れるのは愛か死か」だ。
どんなゲームか見当がつかないって?
ではお答えしましょう。
学校に閉じ込められた主人公が、怪異の親玉であるイケメン狐と恋に落ちるまで、ひたすら死に続けるホラーアドベンチャーゲームなのです! 主人公の魂をくらうべく幾重にも張りめぐらされたデストラップ。それらを潜り抜けて対峙するのは齢千四百の妖狐だった。彼が欲するのは愛か死か……というのが公式から発表されているゲームのあらすじだ。わたしはなぜかこのゲームに惹かれてやまなかった。
とまあ説明はこれくらいにして、ゲームを続けよう。
「はあドキドキしてきた。よし、本編レッツゴ!」
緊張と期待を胸にSTRATを押した。押したと思った。
なぜかわたしの視界はいっきに暗くなる。
電気が消えた? ちがう、そんな暗さじゃない。本当になにも見えない。自分の体さえ見えない闇。手先にはなんの感触もなくて、体が浮遊しているような感覚さえ覚える。キーンという甲高い不快な音が耳に入ってきた。目を閉じているのか、それとも開けているのか。のまれそうなほどの闇の中を、ただひたすらに漂っている気がした。
***
気が付くとわたしは床に足をつけて立っていた。
赤い夕陽が差しこむ無人の教室。あたりは暗く、廊下にも人の気配はまったくない。先生も生徒も、誰もいない。まるで広い水槽にいれられた一匹の金魚のように、学校にぽつんと取り残されている気がする。
そもそも学校は何年も前に卒業したはずだ。なのにどうしてここにいるんだろう。これは夢? 夢だとしたらこの生々しい五感はなに?
その時、うすら寒い空気が私の肌をつつんだ。全身に怖気がはしり、おくれて鳥肌がぷつぷつと立つ。視線を感じたからだ。
「みいつけ――」
「はああああああっ!?」
ちょっとちょっとなんなのここ!
はあ!? なんでわたし制服きてんの!?
聞こえてきた声はガン無視して現状確認につとめる。
ここ学校、わたし制服。なんでどうしてこうなった。お気に入りのだるだるルームウェアは? うさちゃんのくつ下は? 新しく買ったゲームは? この状況 is なに!?
廊下側にある入り口にはもたれかかるように誰かいるのだけど、黒くて誰だかわからない。某名探偵くんにでてくる犯人みたいだ。ひとりでパニックに陥っていると、ふいに上から声が聞こえてきた。
「あっははははは! ちょっとアンタってば意味不明すぎ!」
みると空中に女が浮いている。教室のまんなか、そこにある机の五十センチくらい上をふよふよと。きわどい黒の衣装を着て、お腹をかかえてケラケラと笑っている。わたしは唖然として彼女を見た。なんなのこの人。角はえてるししっぽついてるんですけど。
「ふふ、あたしは悪魔リリス。リリって呼んで♡」
リリスと名乗った女はウインクをした。長いまつげからぱさりと音がしそうだ。というかなんて卑猥なかっこうをしてるんだこいつ。ハレンチだ。いや、このさいこいつが悪魔か色情魔かはどうでもいい。この状況が知りたい。わたしがそう言うとリリスは不敵に笑った。
「ここはアンタが買ったゲームの世界よ」
「……ゲームって」
改めて辺りを見渡す。誰もいない赤い教室。暗くて気味のわるい廊下。制服姿の自分。ゲーム画面で見ていたのと確かによく似ていた。でも、だからって、信じられる?
「うふ。信じられないなら、試しに一度死んでみればいいわ」
そういうとリリスはぱちりと指をならした。次の瞬間には彼女の姿が消え、教室にわたしひとりが残される。……ちがう、扉のところに誰かいる。あの黒いやつだ。あいつはなんだろう。おそるおそる視線を向けると、なぜかそいつは走ってこちらへ向かってきた!
「ひっ!」
とっさのことに体が硬直する。その間にもそいつはぐいぐと近づいてくる。不気味に腕をのばして、わたしを捕まえようとしているのか。
『ほらほら、逃げないと殺されちゃうわよ』
頭のなかで声が聞こえた。そのことで硬直がとれ、わたしは机をかき分けて走り出す。黒板側にあるもうひとつの扉をめがけ、体を動かす。すぐ背後にはやつの息遣いが聞こえた。まずい、捕まる。もう少しで教室から出られるのに!
あ、と思ったときには遅かった。にちゃりとした不快な感触が腕にかかる。そして心臓が大きくはねた。ついで内臓ぜんぶが破裂したのかと思うほどの痛み。息ができなくなって、わたしの意識は暗く落ちていった。
***
ふたたび目覚める。わたしは制服を着ていて、教室の真ん中でぽつんと立っていた。痛みはもうない。自分の手を握ったり開いたりしても、なんの異常もなかった。背中にたらりと冷や汗がつたった。視界をなにかが横切る。見ればあの女悪魔のしっぽだった。
「どう? ちょっとは理解した?」
赤い唇のはしをあげて、リリスがわたしをのぞき込む。
まだよくわかっていない。でも目の前にある光景も、さっきの痛みも本物だった。
「……ここはゲームの世界。これは夢じゃない」
「そうよ。そしてアンタはこのゲームをクリアするの。じゃなきゃもとの世界に帰れない」
まじか。あのゲーム、恋愛が味つけされているけど、基本ホラーやぞ。ホラーはゲームだからいいのであって、実際に体験するものではなくないか。固まっているわたしを見かねたのか、リリスは空中でふわりとポーズを変えた。こぼれそうな胸がちらりと見える。それに気を取られていると、お互いの鼻先がつきそうなくらいに顔を近づけてきた。
「あたしがクリアできるように手伝ってあげる」
なぜ。そう思いつつも、彼女のはく息の甘さにくらりとした。まるで花のようだ。甘い蜜で虫を誘う、食虫花。
「もちろん、見返りをいただくけどね」
さすが自称悪魔ね。見返りとはお金か、それとも魂か。それを聞いてもリリスはにこり笑うだけで答えようとしない。妖艶な笑みだけど、冷たい瞳がわたしを値踏みするように見つめていた。なんてやつだ。対象を明示しない取引なんて、現実だったら誰も相手にしないぞ。……そう。現実、だったら。相手がどんなやつでも、今はすがるしかない。
「さあ、アンタの名前を教えて」
「……タマ子」
本名ではない。バカ正直に言うもんですか。
そう、いい名前ね。そう言うとリリスはわたしの顔を両手で包み、さらに顔を近づけた。視界が彼女の顔でいっぱいになり、あっと思った時には唇がふさがれていた。キスだ。キスされている。え、なんで? しかもすぐ離れるのかと思いきや、ちゅるるるると思いっきり唇を吸われている。ええい、いい加減はなさんかい! くっそ、ビッチな悪魔め!!
「――契約完了。これからよろしくね、タマ子♡」
ぺろりと舌なめずりをしたリリス。おのれ悪魔め。わたしが成人女性だからよかったものの、うぶな男子だったら卒倒するところだぞ。わずかに熱くなった頬を手でこすり、わたしはリリスをにらみつけた。
「……あの扉のとこにいた黒いやつ、なんなの」
「鬼ごっこの鬼だと思えばいいわ。捕まったら死んでやり直し。だから気を付けて」
むむ。ということは、さっきわたしは死んだのか。意識が暗転するまえ、確かにものすごい痛みが走った。生き返るとはいえ、捕まるたびにあの痛みを受けるのはご免こうむりたい。どうにか逃げ切らなきゃ。わたしは一度大きく息をすった。そしてゲームの概要を思い出す。ここは「溺れるのは愛か死か」の世界。幾重にも張りめぐらされたデストラップ、それを潜り抜けて対峙するのは齢千四百の妖狐。つまりケモ耳イケメン。このゲームはホラーが基本だけどタイトルにもある通り恋愛の要素もあるわけで……そのうちケモ耳イケメンと恋に落ちたりする?
あれ、なんかやれそうな気がしてきた。なんでだろう。この未知な状況にアドレナリンがドバドバ放出されてるのかな。どうにでもなれっていう火事場のくそ力的なやつかな。
「さあ、時間を動かすわ。アンタはここから逃げて逃げて逃げまくるの。せいぜい死なないようにがんばって」
やるしかない。意味不明な状況だけど、やることが分かっているのは救いだ。
リリスは消え、ゆらりと空気が流れるの感じた。視線をむけると、あの影のやつが「みつけた」と口走っている。みつけたじゃねえよバカ野郎。わたしに駆け巡ったのは怖気よりも怒気だった。理不尽な状況に対するやつ当たりが八割を占める。
「くらえ不審者っ! 乙女の敵っ! 死ねっ!!」
わたしは近くにあった机を持ち上げて、影男にむかって思いっきり放り投げた。どかりと鈍い音と共にやつは床に倒れる。ざまあみろ!
『やだタマ子ったら大胆♡』
頭に響くリリスの声を無視し、わたしは廊下へ向かって走りだした。ここはゲームの世界。だからゲームをベースに考えるんだ。鬼ごっこが始まったのなら、なにか終わる条件があるはず。どこかに逃げ込む、相手を閉じ込める、それから、それから……
考えながら薄暗い廊下をひたすら走った。不気味なほどに赤い夕陽が校舎を照らしている。
この時のわたしは想像もしていなかっただろう。のちにテケテケを背負い投げしたり、トイレの花子さんにチョークスリーパーをかけることになろうとは。そして、ビッチな女悪魔と奇妙な友情を結ぶことになろうとは。
突如、行く手をはばむように人影が現れたので、ひとまずわたしは勢いのまま飛び蹴りをくらわせたのであった。
謎のイケメン男子「いたたたた、いきなり何するんだよ」
主人公「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
↓↓↓
謎のイケメン男子「…………(悶絶)」
タマ子「ちょっとリリス、これ誰よ」