表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

煙草

作者: 凡 徹也

子供の頃、田舎の家は葉たばこの生産農家でした。その頃のタバコに対する憧憬や、考えることをまとめてみました。

 子供の頃、僕は海辺にある小さな町で暮らしていた。最寄り駅はローカル鉄道の終点でもあり、家から海までは道を渡るだけ。横には土手へと降りられる小さな川が流れていて丁度その河口にあたるので、その海岸の道りには橋が架かっていた。

 川沿いに面して大きな化学工場が有ったが、そこで何が作られているのかは子供の頃の僕には全く判らなかったが、いつも変な臭いが漂っていたのが強烈な記憶に残る。(どうやらゼラチンといったものだったらしい) 

 その工場の並びの道沿いに海に向かって寿司屋と食料品屋、更に釣具店と床屋、パーマ屋が並んでいた。本当に長閑な町だった。

 河口まで来て左側の橋を渡ると、大きな病院や肥料工場が有って、その先には少年院、造船所へと続いた。

 橋を渡らず反対側(右側)へと曲がると、先ずは氷屋、その先にドライブインが有り、その目前には小さいながらも白くて綺麗な砂浜と静かな入り江が拡がっていた。砂浜の端には岩場と防波堤が有って、海に潜ると水は透き通り、ワタリガニや、サザエが良く獲れた。砂浜の反対側の先にはソーセージ工場や小さな漁港、カーフェリーの発着場が見え、更に先には大きな火力発電所があるのでそこから空へと伸びる数本の煙突からは煙が立ち上がるのが見えていた。

 海岸通りを更に進むと、やがて大きな公園に辿り着くが、その手前に、ちょこんと建つ一軒の小さな煙草屋が有った。

 その煙草屋には、おばあさんが居て、狭い番台に一人すっぽりとはまる様に、窓際に向かって座って毎日ひたすらに来客を待っていた。この界隈には煙草屋はここの一軒だけだったので、来客は結構有った。なので、1日中黙って過ごすわけでは無いのだが、子供の僕には「座ってばかりで毎日良く飽きないなあ」とは思っていた。

 ある日のこと、僕はその事を尋ねてみた。するとそのおばあさんは、来客の時以外は、その一段高い場所の小窓から真っ直ぐ正面に拡がる砂浜と海がよく見えていて、そこにはカーフェリーや、沖では大きなタンカーも行き交い、その遙か遠くに有る対岸の半島の山々を観ていることが大好きで毎日が愉しいのだと、僕に言った。

 僕は、その煙草屋へとしょっちゅう買い物に行かされていた。それは勿論、タバコを買う為であったのだが。僕の両親は2人ともタバコを良く吸った。特に母親の実家は茨城県の山奥にあり、タバコの葉の生産農家であったので、子供の頃からその匂いに包まれていた事も有ってタバコを好きになることは仕方の無いことだと思っていた。

 しかし、母はそれ程本数を吸わなかったのでたまにしかお使いを頼まれることは無かったのだが、父親の方は相当なヘビースモーカーで有った。それはどうやら早死にしてしまい顔も知らない僕の祖父が相当タバコを吸ったらしく、その遺伝子を受け継いでしまったためなのだろう。毎日のように「タバコ買ってこい」と僕は呼ばれたのである。

 煙草屋までは僅か200メートル程の距離なのだが、子供の僕にとっては歩くにはとても遠くに感じられた。僕は、

「自分で買いに行けば良いのに」と、いつも思っていて膨れっ面になった。それでも、

「母さんには内緒だぞ」

と言って父は僕の手に10円玉を握らせるので僕は仕方ないなと思いながら従っていた。その当時の僕は、僅かな小遣い欲しさに「飼い慣らされて」いた訳である。

 その当時、僕の小遣いは1日10円の生活だったので、親父が寄越すその10円は僕にとっては大きな価値があり、僕は直ぐに機嫌を良くして喜び勇んで買い物に行った。本当に、げんきんな子供だったのだ。

 その煙草屋に買い物に行くと、大抵は空いて居るのだが、たまに列が出来ていて、後ろに並ぶと、顔は見覚えがあるけど名前を知らない近所のおじさんが、「小僧!お使いか?」等と話し掛けてくる。シャイな僕はそんな言葉にたじろぐが、たまに、ぼくの名前を知っている親父も居たりして、当時は何故知っているのか凄く不思議に思っていた。

 今の時代、こんな話は有り得ないだろう。何故なら子供には、コンビニも、スーパーでもタバコは売ってはくれない。勿論、自動販売機でも買えないのだから。でも、数十年前の当時は子供でも煙草の買い物が出来たのだ。そして、親の使いでタバコを買いに来る子供は結構多くて、しかもそのおばあさんは子供の名前を全部知っていた。この子は誰々さんの次男で、お父さんは○○丸の漁師をやってるとか、大工の息子だとか、或いは何とかちゃんと名前で呼ばれる子供も結構居た。それだけじゃなくて、僕が買い物に行くと、僕は何も言わないのにいつも決まったタバコを渡してくれる。

 最も、当時の煙草という物は種類はとても少なかった。「洋モク」と呼ばれた舶来の煙草などは、百貨店に行かないと売っていなかったので、店頭脇の僅かなスペースのガラスケースには、何種類かの煙草が並べられているだけだった。「hi-lite」「MF」、他には「いこい」「しんせい」「わかば」「ピース」「ゴールデンバッド」といった程度の銘柄が有っただけだ。

「ハイライト」は、当時としては最高級品で、そのパッケージカラーは、初代の東海道新幹線の車両をイメージして採用されたデザインだったらしい。

「ピース」は、金属缶の中に50本の煙草が入っていて、その缶を開封するときには何とも言えない良い匂いが漂った。

「ゴールデンバッド」は、最も値段が安い煙草だったが、親父に言わせるとただ苦いだけのタバコだったらしい。

 僕の父親は「hi-lite」、母親は「MF」という煙草が好きだったので、今日は、お父さんのやつというとちゃんと渡してくれた。

 そして僕が差し出す100円札をおばちゃんは受け取ると、お返しに「いつも御使い偉いわね」と言って、タバコとお釣りと飴玉1個をくれた。

 当時の飴玉というのは今のように個別包装になどなっていなかった。なので、おばちゃんは素手で裸のままの飴玉を渡すので、僕は少し不潔に思いながらも、直ぐに口に入れるしか無かった。くれるのは大抵「カンロ飴」か、「佐久間ドロップ」だった。渡されるのはいつも違う(フレーバー)の飴玉で、僕の中では大当たりは「チョコレート味」、外れは「フルーツ味」、大外れが「ハッカ味」であり、僕は「チョコレート味」が渡されるとその日はもうゴキゲン上々で、鼻歌を歌いながら、スキップで家に帰ると言う、まあ、お調子者であったに違いなかった。

 話は変わるが、僕の母親の実家は茨城県の山奥奥久慈郡の葉煙草の生産農家だった。当時は山間にある小さな数軒の集落には、煙草と蒟蒻畑が広がっていて、その谷間にはせせらぎが流れて自然豊かな場所だった。

 最寄りとなる常陸太田駅からバスに揺られ一時間で到着。バスは日中は二時間に1本しかなく、しかもバス停すらなく自由に乗降出来た。乗るときは、道端に立って手をあげるとその場所でバスは停まってくれ、乗ることが出来たし、降りるときは、ここで降ろしてと言うと降ろしてくれた。想像できる中で最も「田舎」と言う言葉が似合う土地だった。

 実家には湧き水が豊富に出ていたので、庭の一角にある小さな洞穴のような池には、夏はスイカやビールを沈め、良く冷えたトマトやキュウリがぷかぷかと浮いていつでも食べられたし、冬の季節は温かくて凍る事が無かったので、逆に食材の保管にも使われていた。

 また、その集落は全部の家が「小林」と言う苗字だったので、僕1人ではその家に辿り着くことが出来なかった。迷って「小林さん」を探しても全く駄目で、「屋号」で言わないと相手には伝わらなかった。

 家にある電話は「呼び出し電話」で有り、先ずは電話機の横のレバーを廻して交換局を呼び出して、番号を伝え、交換手にかけて貰ってから繋がると言う変わった電話だった。

 庭には鬼胡桃の大木があり、おばあちゃんが、沢山のクルミを作っておいてはお土産にくれた。裏の小高い場所には畑が拡がり僕が走って遊ぶとたまにイノシシが居て襲われそうになったり、ヘビも沢山居たので余り好きな場所では無かったが、それでも夕方になるとせせらぎ脇の田んぼでは蛍が舞い、夜になると畑の端の小屋におじさんが電球と白い敷布を仕掛けてくれ、夜明け前に早起きをしてその場所に行くと、カブト虫やクワガタが数十匹も捕れたりした。おじさんはそれを持って帰れと僕に寄こすが、僕は「カブト虫さんが可哀想だから」と、言って、ケースに入れて1日遊んだ後、帰るときに裏山に行って、「又、来年逢おうね。さようなら」と言ってからその虫たちをみんな放してから帰った。おじさんは僕のことを「お前は優しい子だ」と良く言ってくれたものだった。

 その家の奥の一室が、タバコの葉の乾燥室になっていて、その部屋には、甘い本当に良い香りがいつも漂っていた。田舎に帰省すると、僕はその部屋に行ってはその臭いを懐かしんだ。そして何故だかそのままその場所で昼寝をしてしまうのだった。あれは、きっとタバコの葉の成分がそうさせていたのだと今でも思っている。

 母親は、そんな環境で育ったのだから、喫煙家であったのは仕方の無いことだった。しかし、僕はタバコの葉の臭いは大好きだったが、大人がそれに火を付けて吸って吐き出す煙が大嫌いだったので、僕はとうとう生涯、たばこを吸う人生とはならなかった。

 そのタバコの葉の香りに一番近かったのが「缶ピース」であり、その50本入りの缶を開封したばかりの香りは正にその香りがしていた。なので僕は子供の頃、その煙草を買ってくれるよう親父に話したが、親父は「本数が多すぎるから」と言って、買うことは無かったが、金持ちの親戚の家に遊びに行くと、その応接間には、来客用にその缶がいつもおいてあって僕はその缶の蓋をこっそり開けては鼻を近づけて香りを嗅いだものだった。

 そういった理由で僕は生涯喫煙家にはならなかったのでタバコの「味」というものを知らないわけである。タバコは、昔から数多くの銘柄が存在し、強いだの軽いだの口に合うだの合わないと人は勝手に言うけれども、タバコの葉に火を点灯して燻したその煙を吸うことに変わりは無く、僕にはその「味の差」など全く判らないし知らない世界の話にしか過ぎない。

 但し、その後習得した化学の知識によると、タバコの葉に含まれるニコチンは猛毒で有り、その致死量は約40㎎と言われていて、それはトリカブト等に含まれる青酸カリの数倍もの毒性で有ることは知っている。

 さらにタバコの葉を生産する労力はとても重労働であり、その栽培は国にとても厳しく管理されていて、ちょっとした葉の枚数違いでも犯罪に問われた。しかも外国産の葉タバコの価格はとても安いので専売公社からの買い付け価格は、とても低く抑えられていて、葉タバコの生産農家はちっとも金持ちでは無く、皆貧しい生活だった。その所為か、近年では殆どの農家は栽培を辞めてしまい、かっては手入れの行き届いた葉が整然と並んで生い茂っていた畑の綺麗な景色はすっかり姿を消してしまった。国が自らの利益や税金収入を追い、営利に走った悲しい行政の結末である。

ところで、話しは銘柄に戻るが、以前「マイルドセブン」と言うブランドのタバコが人気があった。僕はその名前の持つ意味が全く理解できなかった。正義のヒーロー「ウルトラセブン」或いは、「ワイルドセブン」をもじったのか?と思っていた。後年になって、名前のルーツは「セブンスターマイルド」で有ることを知った。でも、それだったらマイルドスターにすれば良かったのにと、個人的には思う。その「マイルドセブン」は、近年になって銘柄の名前を変えたので、今となっては懐かしい単語になりつつあるのだ。

 そんな煙草を全く吸わない自分だが、昔の「たばこ屋さん」の存在は好きで有った。限りなく効率的な省スペースに、お婆さんがちょこんと座り、じっとしたその姿勢でその人から見える窓の外の大きく拡がる世界観は、正にパラダイス!。その外の世界からやって来る僅かなお客さんをひたすら待っている。お客が来れば、馴染みの顔との取り留めの無い束の間の会話と交流。きっとそれを生き甲斐としてお婆さんは生きてきた。でも、そんな小さな幸せのある場所は、街中から消えつつある。

 タバコの販売は規制緩和という名において自由を得た。先ずはたくさんの自動販売機が登場してかっては百貨店でしか売ってなかった外国のタバコもたくさん並んだ。その後は、大手資本に基づく街中に溢れかえって存在するコンビニや、スーパーのレジ脇で売られるのが主流となった。その買い方は、銘柄の名前を指定するのでは無く番号で言うようにもなった。その銘柄の種類も100をとうに超える迄に膨らんだ。すると、街中から自動販売機が急速に減り、1対1の対面で売る個人商店には寂しくシャッターが降りたままになっていった。

 こうやって時代と伴にタバコは何処でも自由に買えるようにはなった。しかし、それとは相反するようにタバコを吸う自由は無くなっていったのだ。

 諸外国では、タバコは「特別な物」で有り、不自由極まりない物。高額の税金が課せられ、販売場所も限られている。その上、街中では殆ど吸える場所など無くなり、自宅でさえ成長期の幼児期の子供が居る家庭では、法律で吸うことは出来ない国も多い。それはそれで良いバランスが取れている。

 しかし日本ではどうだろうか?

売ってる場所は町に溢れていても、吸う場所は肩身が狭く物凄く不自由だ。公共の施設では全く吸えなくなった。それこそ昔は電車内でも区間によっては吸えたのに。その内ホームの上だけ、更に、線路への投げ捨てが後を絶たなかったからだろうか?ホームの一角に、大きな灰皿が置かれその場所に限定されたが、近年それも無くなり、全ての場所で吸えなくなっている。

 公衆トイレの便器の前の灰皿も撤去され無くなり、今は片隅に造られた塀の中で吸うことになっている。それは、受動喫煙の問題や清掃の簡素化等の目的もあったのかもしれないが、販売の自由や、銘柄の多様化が進むと共に、喫煙の規制は厳しくなるという逆行する矛盾行政が行われたことは事実である。

タバコが身体に害があり、健康に支障をきたし、医療費を増大させるとして「百害あって一利無し」と、厚生労働省は、バッサリと断罪しているにも関わらず、なぜ、こんな広範囲の場所で販売を続けるのかさっぱり判らない。理由は「税収」を目的とした財務省の戦略による印象操作なのだろう。

 国は安い原価で製造した物を演出イメージにより、なるべく税金を上乗せした高額で沢山買って貰い、そしてそれをなるべく吸って欲しくないと言う政策を取っている。その為、海外の葉タバコが安いと言って生産農家の生活を護る事もせず買いたたき、既存の販売店をないがしろにしてまで販売網を拡げ、税収を増やすことだけを優先してきた。それが目的なら何処でも吸えるようにすれば良い。或いは喫煙のサンクチュアリとして、全席喫煙の店と、全席禁煙の店を分ければ良い。せめて、タバコを販売するスーパーやコンビニでは、店内喫煙を許可するなど、それが出来ないなら販売させないなど、矛盾のない政策をちゃんと取って農家が積極的に葉たばこを生産したくなるような、豊かな生活を保てる買い取り価格を設定するなど、全てが連携する政策を政府が行って、かって日本の里山に拡がったあの綺麗な風景が蘇ってくれることをひたすら待ち侘びる自分ではあるのです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 数十年ぶりに生まれ育った海を見に来た。小さな川は太くて立派な護岸が造られ、土手はすっかり無くなっていた。豊潤だった海は汚れて濁ってしまい、海を覗いても海底を覗く事は出来なくなった。

 小さな砂浜はそのまま残っているが、すっかりバーベキュー場と化し海水浴場では無くなっている。

 ソーセージ工場も無くなり、その跡は高層のマンションが建てられ周囲は沖まで埋め立てられ、巨大なホームセンターや、スーパー銭湯が並んでいる。

 そして勿論のこと、たばこ屋など何処にあったのかも既に判らない程の変容だ。そこにはかっての人々も居ない。郷愁も感じられない別の街が拡がっていて、僕はただ虚しくその場所に佇んでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 共感しました。私も子供のころ、家の手伝い(たばこの生産、管理)をさせられていました。 情景が浮かんでくる作ですね。 私も、連載の駄文を書いていますが、凡さんに触発されたので、タバコの題で短…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ