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1話目 逃げる令嬢

短いですが少しだけ、続き物です。

待っている。ただひたすらに、君に会うために君が呼んでくれるを待っている。



走っている。ただひたすらに、その男から逃げるために走っている。

「待ってよ。どこに逃げようとも、僕から逃げるなんて無駄なんだから」

「誰が待つか。誰が待つか!誰が待つかああぁぁっ!!!!」


ここはとある王国のとある地域のとある街。

街は皇太子の誕生記念を祝う祝日で、街は多くの人でにぎわっている。


エディリーンは令嬢である。令嬢というものは走らない。

間違ってもこんな街中で、薄い外出用の薄青色のドレスを両手で(ひざ)まで

たくし上げて全速力で走るなんてことはしない。

そんな姿を彼女の乳母が見れば、とたんに怒号が響くだろう。


しかし幸か不幸か、エディリーンの乳母は今日、彼女の母親に付き添って朝早くに屋敷を(たっ)った。

それを見計らってエディリーンは今日、一人で街に出た。

つまり、エディリーンを叱り飛ばす者も、ましてや彼女を守る者など今ここには誰もいない、ということである。


エディリーンは走った。

エディリーンの背後から、追いつくか、追いつかないかの微妙な速度で

息も切らせず涼しい顔で笑いながら走る、あの嫌味な男から逃げるために。


走り続けるエディリーンを横切っていくのは、沢山の人、人、人。

「おっと」と言って体を翻すようにエディリーンをよける男性や、

「危ない」と言ってエディリーンの前方にいた自分の子供を引き寄せるご婦人。

そんな人であふれるお祭り気分の街を、地獄の悪魔に追いかけられているかのような形相でエディリーンは走る。


「なんでっ、どうして、この私がこんなことにっ」

「あはははっ、いいじゃないかぁ。減るもんじゃなしにぃ」

「いやよ!減るのよ!このド変態!!」


 ことの始まりは数十分前にさかのぼる。

その時エディリーンはお気に入りのパン屋でお目当てのパンが買えたことにより上機嫌で、鼻歌なんか歌いながらパン屋から出てきた。


この店はエディリーンのお気に入りの店で、庶民の店だと何度乳母に叱られても、

街でドレスを作りに来るたびに乳母を説得してここに来たものだった。

今日は、その買ったパンを常のエディリーンの姿には似合わない大きめの古びた布の肩掛けバッグに、大切そうにそっと入れた。


その時であった。

(みょう)に静かで落ち着いた男の声に、呼び止められたのは。


「こんにちわ。いいお天気ですね」


声をかけられたエディリーンは、いぶかしげに立ち止まる。

声をかけてきた男の服装が見るからに(あやし)げだったからである。


黒いたっぷりとしたフードがついたローブを暑苦しそうに着込んで、

長く(いびつ)なこん棒を杖のように地面に立てて持つ。

それはまるで、数百年前にこの国にいた魔法使いたちが着ていたような服だった。


しかし最近の魔法使いは、そんないかにも魔法使いでございというような恰好(かっこう)はしない。

きちんとした身分のある魔法使いであれば、

しゃきっとした流行の黒いスーツを着て社交の場にに出てくるし、

下流階級の魔法使いですら、そのあたりの一般人と変わりない姿で暮らしている。


つまりこの男の服装は数百年時代遅れなのだ。

しかもその服ときたら、よれよれで使い古されていて、仮装というよりは

大昔の服を引っ張り出してきているかのようなみすぼらしい姿だった。


その男がエディリーンの深い緑色の瞳を見て、こう言い(はな)ったのである。


「迎えに来たよ。僕の愛しい人」

「どなたかとお間違えではないかしら?」


ひきつりそうになる口の端を無理くりに三日月形に引っ張り上げて、エディリーンは自分の顔に笑顔を作った。


「わたくし、あなたのことを存じ上げませんの。どなたかと勘違(かんちが)いなさっているのではなくて?」


そのエディリーンの言葉に、男はぽかんと口を開けて、しばらく彼女の顔を見つめ考えているそぶりを見せた。

エディリーン自身も変な男に捕まってしまったと、どうこの場を潜り抜けようかと

もぞもぞと思案(しあん)しているうちに、男は正気を取り戻したようで、


「いいや、違う。間違いなくあなたは僕の愛しい人です」


と、エディリーンの理解できない言葉を再びのたまわった。


「でも、残念ながらわたくし、あなたのことを存じ上げませんの」

「知らない方からそのようなことを言われたら、誰だって驚きますわ」


恐怖でね、とエディリーンは胸の内で呟く。


「でも間違いない。あなただ。僕は知っている」


そういうとその男は、灰色を帯びた目で、エディリーンの瞳をひたっととらえた。


「僕はあなたのことを(むか)えに来たんだ」

「何を言っているのか分かりませんし、それにわたくしこの後、用がございますの」

「大変申し訳ないですが、あなたのお相手をしている暇がないのです」

「それでは、さようなら」


そう言ってさっさと男の目の前から姿を消してやろうと、

足早にすり抜けようとしたエディリーンだったが、

腕を伸ばした男によって手を取られて、引き留められてしまった。


「なんですか? 忙しいと、たった今お話しましたわよね?」

「でも君が願ったんだろう? だから僕はここに来た」

「何を言ってるの?私が願った?」

「そうだ。君は願った。昨日の夜。もういいっ……て」

「そう願ったはずだ。だから僕はここに来た」


その言葉を聞いてエディリーンの表情がかっと変わる。


「手を離しなさいっ」


エディリーンは声を張り上げながら、ぶんっと自分の手首を捕まえている男の手を振りほどく。

そして肩から掛けていたカバンをぎゅっと両腕に抱いて、男から距離をとった。


「君はそのカバンをもってどこに行こうというの?」

「あなたには関係のない話よ。ついてこないでちょうだい」

「君は、こんなところに僕を置き去りにしようってのかい?」


置き去りにしようかいっても何も、私はあんたの事なんか知らないのよっと

エディリーンはくるりと男から視線をそらして歩みを進めようとする。

すると、男が杖をひとつ地面にコツンと打ち鳴らし、エディリーンに向かって


(くちびる)よ、準備せよ」


と叫んだ。

すると先ほど向きを変えたはずのエディリーンの身体はクルリと男の方へと向い合い、

足は勝手に動き、男に一歩、二歩と近づいていく。


「な、なに!? いったいどうなってるの!?」


男に近づくまいと、腕をバタバタさせるエディリーンだったが自分の意思とは反対に

男との距離(きょり)は縮まるばかり。

とうとう男とあと一歩でぶつかるというところまでくると、エディリーンの足はぴたりと止まる。


「やぁ。ようやく僕の所に来てくれたね」

「私が望んでというわけじゃないわよ」

「さては、あなた、私に魔法をかけたわね?」

「そうさ。僕は君に魔法をかけた」


男はそういうと嬉しそうにエディリーンの唇に人差し指を近づける。


「ちょっと。汚い指を近づけないでくださる?」

「失礼だな。君は。本当に伯爵令嬢なのかい?」

「失礼なのはあなたの方でしょ。見ず知らずの男にそんなことペラペラしゃべると思って?」

「見ず知らずの男じゃない。これから僕らは恋人同士になるんだ」

「はぁ?」


頭は大丈夫かと尋ねようとしたエディリーンだったが、

さすがに何をされるか分かったものではないので、言葉にするのはやめた。

代わりに半分に見開いた目で男の顔をにらむ。


「君の言う通り、僕は先ほど君に魔法をかけた。

どんな魔法かというとそれは、僕と口づけをしたくなる魔法なんだ」

「口づけをしたくなる魔法」


なんだそれはもう犯罪ではないかとエディリーンは心の中で呟いた。

この男、いよいよ危ない男だったようだ。


「そう。この口づけを交わすことによって僕たちは恋人になれる。これはそういう魔法」

「そう。じゃあ、口づけを交わさなかったら恋人にならないわけね」

「そうともいうね」


男は、それがなんだ、もう逃げられないぞ、と言わんばかりに距離(きょり)を縮めてくる。

しかしエディリーンは気が付いていた。

足は確かに男の前に張り付けられたようにぴたりと止まっているが、手は自由に動くことに。

男がゆっくりと顔を近づけてくる。

エディリーンはゆっくりとカバンの中に手を伸ばす。

そして、男の口に先ほど買ったばかりの固いパンを、口いっぱいに押し込める。


「んぐぅっ」


口いっぱいにパンを押し込められた男は、その勢いで後ろにひっくり返った。

いまだとばかりに、エディリーンは駆け出した。

あんな乙女の唇を許可もなしに奪ってくる男などに負けてたまるか。


エディリーンはドレスの裾を捲し上げて、街を駆け抜けるのだった。



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