ディオネラ・マスシプラ
僕は週末にやることが無くなって、でも天気が良いときは、行く先を決めずに原付バイクに乗って出かける。風が気持ち良い。
海岸線から山側に入った通り沿いに多肉植物をメインに取り扱っている花屋がある。前から気になっていた店だ。入ってみると、愛らしい多肉達が20m四方に並べられていて圧巻である。そんな表舞台の多肉群から離れたカウンターの隅にそれは置かれてあった。
ディオネラ・マスシプラ。一般にはハエトリソウと言われる食虫植物。口をぱっくりと広げたような形。なんだかしゃべりそうだなという気がして、つい面白半分で買ってみたが、自宅に戻って驚いたのは、これが本当に話すってこと。以前飼っていた犬が3年前に他界してしまい、家の中がずっと静かだったので僕はすっかり気に入ってしまった。
話すと言っても片言だけで、「おはよう」「おやすみ」といった挨拶やいくつかの単語を僕の真似をして話す程度。たどたどしくも、彼は彼なりに頑張っている姿勢が微笑ましく、僕はめいっぱい可愛がって、マイケルという名前をつけた。なんでマイケルかと言うと、以前飼っていた犬の名前がマイケルだから。
マイケルの成長は速かった。あっと言う間に流暢にしゃべるようになる。
「暑いからカーテン閉めてよ」
と言っているうちはまだ可愛かったが、
「普通、これだけ太陽差し込んできたら、気を利かせて、日陰に移すよね」
などとカチンと来るような言い方をし始めてから、僕らの間には段々と距離ができるようになった。仕事も忙しくなって僕の帰宅が深夜になり、「おかえり」の挨拶もないまま、僕も静かに水やりだけをしてそのままベッドに入ってしまうような日が続き、話せるはずのマイケルとの会話もなくなってしまった。
そして、先日、流行り病のせいで外出自粛が出された。少しお腹周りが気になってきたので、部屋でトレーニングの動画を見ながら運動をすることにした。トレーニングは思ったよりタフなもので、途中で息が切れてへたり込んでしまう。
「ほら、もうちょっと」
後ろからマイケルがつぶやく。
「えっ?・・・・・・ああ」
僕はもう一度立ち上がって、なんとかプログラムを終わらせる。
「なんだか最近家に居るじゃない」
僕はまだ息が上がっている。
「・・・・・・だね」
換気のために開けていた窓から虫が入ってきて、マイケルのところに吸い寄せられるように飛んでいく。うまく捕えられるかと静かに見守っていたが、マイケルの口が閉じる前に虫はすり抜けて飛んでいってしまった。
マイケルは少し残念そうだ。
「まあ、そういうこともあるよ」
僕は慰めたつもりだったが、マイケルは返事をせず顔をそむけている。
何故だか夜が来るのが早い。僕はパソコンを開ける。今日が発表の日のはずだ。
「・・・・・・はぁ」
僕は大きな溜息をついて頭を抱える。
「・・・・・・またコンクール、ダメだったの?」
「・・・・・・うん」
「まあ、そういうこともあるよ」
どう見てもマイケルは笑っている。僕はマイケルを睨みつけながら、昨日開けた赤ワインをグラスに注いで、パルメジャーノを頬張る。再び溜息。
「でも、そのうち良いことあると思うよ」
慰めてくれているわけね。
「はい、チーズ」
僕はマイケルの口に小さく切ったチーズを乗せてあげる。