1-4 あれっ? 女の子?
鱗猪との戦闘のせいで、今まで進んできた方角が分からなくなってしまったので、また適当な方向を選んで歩き始めることにした。
最悪、逆戻りしていたとしてもその時はその時だ。
骨折していた右拳は、戦闘が終わった時にはもう完治していた。治癒力もとんでもないな、この身体は。
そしてよくよく考えてみれば、もう敵を全滅させなきゃ先に進めないってわけじゃないんだから、無理に戦う必要はなかった。あんな強敵がいるのなら尚更だ。今度からは気をつけよう。
◇
その後は生き物の気配を感じても無闇に突っ込んで行ったりはせず、できるだけ接触を避けてひたすら歩き続けた。
それでも何度かは向こうから襲いかかってきて戦闘になったけど、あの光る赤眼のバケモノに出くわすことはなかったので、進む方向は見失っていないはずだ。たぶん。
歩いているうちに陽が暮れ、夜になる。
どこかで野宿するべきかとも思ったけど、俺は夜目も効くようだし、特に休憩する必要も感じないので夜通し歩き続けることにした。
暗くなると夜行性の獣の気配がぐんと増えたけど、その手の生き物は逆に俺の気配を感じると逃げて行ってくれるようなので、楽でいい。
そうして昼も夜も歩き続けて2日目の昼ごろ、木々の密度が目に見えて疎らになってきた。地面も平らなところが多くなって歩きやすい。
どうやらようやく森を抜けたようだ。密生した木の枝で頭上を塞がれているような圧迫感から解放されて、自然と足取りも軽くなる。
そんなふうにちょっと浮かれた気分だったせいか、その気配の接近に気付くのが遅れた。
耳をすませばベキベキと生木をへし折る音と、重い足音が近付いてくるのが聞こえる。かなり大型のバケモノが、恐らく2匹だ。猛スピードで一直線に俺のいる所へ向かってくる。今から隠れてやり過ごせるだろうか?
迎え撃つか隠れるかと行動を決めかねていると、何かが丈の高い叢の上を飛び越えてきた。
うわ、思ったより速いぞ!? そして小さい…… あれっ? 女の子?
叢から現れたのは、剣を構えて軽鎧を着た少女だった。おお凄い、本当に西洋ファンタジーの世界だ!
俺も驚いたが向こうはもっと驚いたようで、目をまん丸に見開いてこちらを凝視している。
……が、それも一瞬のこと。
「地亜龍が来ます! 早く逃げてくださいっ!」
「へっ?」
少女はそう叫ぶと、2、3歩大きくバックステップして今自分が出てきた叢に向き合う。
その直後、低木や薮をなぎ倒すようにして巨大なバケモノが姿を現した。少女が「ランドドラゴン」と呼んだそれは、俺も石室で何度か戦った相手だ。
全長約8メートル。スマートな肉食恐竜のような姿で、しかし前肢は恐竜のように小さくはなく、太くて長い。
全身が硬い鱗に覆われていて、打撃の効きにくい厄介な強敵だ。俺はティラノもどきと呼んでいたけど、ドラゴンの一種だったのか。なるほど、道理で強いわけだよ。
向こうの攻撃手段は鋭い牙と前肢の爪、それに鞭のような尻尾だ。どれも食らうとかなり痛いし、死角も少ない。
その地亜龍が、2匹。
やや距離を置いてそのバケモノと対峙する少女は、落ち着いているように見える。一人で2匹を同時に相手取って、倒す自信があるのだろうか。
いや、彼女が倒せるかどうかは関係ないな。俺は倒せるんだから、少なくとも片方は俺がやるべきだ。
「こっちは俺に任せて!」
「……えっ? なっ、なに、なんで!?」
声を掛けると少女は動揺しまくっていたけれど、構わず俺は近くにいる方の地亜龍に突っ込んでいく。
死角のないコイツに攻撃を加えるためには、どうしたって一撃もらう覚悟で懐に入るしかない。下手に側面から接近するとリーチの長い尻尾で迎撃されてしまうので、仕方なく正面からだ。
すると俺の胴ほどもある太さの前肢が襲ってくる。先端には見るからによく切れそうな鉤爪付きだ。
俺はそれを躱すために地面を強く蹴って……
「うわわっ、……とぉっ!?」
足元の草で盛大に足を滑らせ、攻撃をまともに食らってしまった。痛てて、失敗失敗。
咄嗟に腕でガードし、何とかバランスを立て直して地面に転がることは避けたものの、一気に5メートルくらい吹っ飛ばされてしまった。
着地してたたらを踏む俺に、追撃の鉤爪が迫ってくる。
が、今度は俺も慎重にそれを捌く。大きな動きは避けて身を沈め、下から地亜龍の太い腕を払って躱した。
すると続いて大きく口を開いた地亜龍の牙が襲いかかる。人間くらいひと呑みにしそうな顎門の下を、俺はさらに姿勢を低くしてすり抜け、喉元に思いっきり拳を突き上げた。
ガキィン!、と生き物を殴ったとは思えない金属質な音がして、地亜龍の長い首が跳ね上がった。俺が殴ったあたりの鱗は何枚か砕けて剥がれ落ちている。これは効いたはずだ。
大きくのけ反った地亜龍は、低い唸り声を上げながら2、3歩後退り、今度はだらりと首を下げた。よし、チャンス!
俺はすかさず間を詰めて、その長い首をしっかりと脇に抱えた。そして俺の胴回りより遥かに太いその首をギリギリと締めあげる。
俺の経験上、この硬い鱗で覆われた地亜龍は、打撃で倒し切るのは骨が折れるけど、絞め技には意外と弱い。
まあ、何であれ脳への血流を止められて平気な生き物はいないと思うので、当たり前と言えば当たり前なんだろうけど。
最初は俺を振りほどこうと抵抗していた地亜龍も、ほんの十数秒でくたりと脱力する。俺はその首を抱えたまま勢いよく身体を捻り、頸椎を折って止めを刺した。
「……す、素手……で……?」
ちょうどそのタイミングで声が聞こえたのでそちらを見ると、軽鎧姿の少女が俺の方を見て顎を落としている。
彼女の後ろには、首を断ち切られたもう1匹の地亜龍の死体があった。よく見ると首だけじゃなく、胴や腕にも何ヵ所もの切創がある。
かなり激しい戦いだった様子だけど、少女の方にはこれといった怪我はないようだ。
あれっ? こんな馬鹿でかいバケモノをあんな小柄な女の子が無傷で倒しちゃうって事は、もしかして俺って、この世界ではそんなに強い方じゃないのかな?
えぇー。それはちょっとガッカリだなぁ……