1-2 全部必要ない。
少し落ち着いてから部屋を見回してみると、また部屋の一角に上へと続く階段を見つけた。この部屋には、それ以外は何もないようだ。
……いやいやちょっと待てよ、何もないなんてはずはないだろ。
さっき俺が上がってきた階段はどこだよ?
一旦意識が途切れているから方向は分からなくなってるけど、確かに俺は階段を上がってこの部屋に入ってきたはずだ。
それなら、どこかにさっきの部屋に降りる階段がなきゃおかしいじゃないか。
それからしばらく部屋中を探し回ったけれど、結局下に降りる階段は見つからなかった。
何がどうなっているのかサッパリ分からないけれど、もう戻れないなら先に進むしかない。そう結論を出し、また階段を上ることに決めた。
ただし、今度はさっきのように迂闊に部屋に踏み込んだりはしない。
まずは顔だけを出して、慎重にそーっと中の様子を窺う。
ガウガウバオゥギャンバウグゥオングルルガウルルギャン!
「うっギャああああぁぁっ!?」
慎重になってみても無駄だった。デカい犬っぽい獣が何匹も一斉に襲いかかってきて、噛みつかれて引きずり出されてしまう。ドーベルマンを5割増しくらいに大きくして、体のあちこちに棘を生やしたような生き物だ。
だけど蠍のときと同じで、痛いのは痛いけど身体のどこにも牙は刺さっていない。さっきは着ている服の防御力のお陰かと思っていたけど、剥き出しの頭を噛まれていても大丈夫みたいなので、どうやら俺の身体そのものがかなり頑丈になっているようだ。
うっわヨダレ、顔中ヨダレがベトベトで気持ち悪い。臭いし。
「くっそ、この、離せ!」
手足をデタラメに振り回すと、そこに噛みついている棘犬が吹っ飛んで壁や天井に叩きつけられ悲鳴をあげる。
俺の手足の直撃を受けた棘犬からは、ゴキリ、べキッ、と不快な音と手応えが返ってきて動かなくなる。噛みつきの拘束が解けて自由になった俺は、次々に飛びかかってくる獣たちを、もうとにかく殴って殴って殴り倒した。
「……で、やっぱり上への階段だけなんだ」
全部で15匹ほどいた棘犬を倒し切ると、案の定、下への階段は消えて上への階段が出現していた。
仕事の帰り道で刺され、目が覚めたら姿が変わっていて妙な場所に閉じ込められ、おまけにバケモノの群れと戦わなきゃならないとか、酷い悪夢だよな。いや、いっそ本当に夢ならいいんだけど……
そんなこと考えてても仕方がない。行くか。
◇◆◇
それから俺は、もう数え切れないくらいの階数を上ってきた。
ひとつ上の階に上がると、そこには必ずバケモノがいる。それは獣だったり虫だったりそのハイブリッドだったり、本当に色々だ。時にはガーゴイルやドラゴンのようなファンタジー系のモンスターもいた。
ただ一つ共通点と言えば、そいつらは例外なく全滅するまで俺に襲いかかってくるってことだけだ。
下からの階段は、俺が階段を上りきってその場を離れると消えるようだ。そして部屋の中のバケモノを全滅させると、その同じ場所に上への階段が現れる。
これまでに上がってきた階数を考えると、例えば仮にここが地下だったとして、一階ごとに徐々に地上に近づいていると言うような望みは、もうとっくに消えた。もしそうだったら、スタート地点の部屋はどんだけ深い所にあるんだよって話だ。
たぶんこれは無限ループだ。同じ場所をただぐるぐると回っているだけだ。だからと言って他にできることもない以上、上に進み続けるしかないんだけど。
それともう一つ、重要な事実が判明した。俺の身体に関することだ。
まず、どれだけ動き続けていても疲れないし、眠気も訪れない。そして腹が減ることも、喉が渇くこともない。
ついでに、魚系のバケモノと戦った時には部屋が完全に水で満たされていたんだけど、その間ずっと息を止めていても全く苦しくならなかった。
つまり休息や睡眠、栄養、水分、酸素、これらが全部必要ない。
これだけでも十分に異常なんだけど、その上、頑丈さやパワーが半端じゃない。ここまでどれほど噛まれ、突かれ、斬られても、ただの一度も出血するところまで傷付いたことはない。せいぜいがかすり傷程度だ。
逆に俺の攻撃は、一撃で相手の肉を深く抉り、骨を砕いて致命傷を与える。重さ何百キロもありそうな巨体を持ち上げ、放り投げることさえも簡単にできる。
ついでながら俺の服。これは時々破れたり焦げたりすることがあるんだけど、時間が経つといつの間にか元通りになっている。仕組みは全然分からないけど、便利なもんだ。
さて、そんなわけで環境に変化がなく、眠る必要もないもんだから、日数の経過がまったく分からない。
それが何日か、何週間か、あるいはそれ以上か。ただ淡々と階段を上ってバケモノと戦い続ける生活にすっかり慣れてしまった。
お陰でもう初めて目にするバケモノなんてのはおらず、相手の弱点や対処法みたいなものも分かってきているので、我ながら恐ろしく手際が良くなっている。
まず、階段を上がる途中で、足音やら呼吸音やらで相手の種類とだいたいの数が分かる。……こいつは最初に出会った敵、バケモノ蠍だ。それが4匹。
バケモノ蠍は鋏にさえ捕まらなければどうと言うことのない相手だ。それも正面から近付かない限り、その危険は少ない。毒針についても最初に刺された時に耐性ができているらしく、その後は一切効かない。
相手がこちらに気付くよりも早く、手近にいる一匹の側面から接近し、その背中に飛び乗った。ここにいる限り、この個体からの攻撃はない。
あとは素早く頭の方へ移動して、先端にある眼と眼の間に拳を突き入れる。ここに脳だか神経中枢だかがあるので、それを握り潰せば終了だ。バケモノ蠍は暴れることもなく、スイッチが切れたようにくたりと脱力して動かなくなる。
同じ方法で残りの3匹も片付け、右腕についた粘液を振り払う。
するとさっき上がってきた部屋の隅に階段が出現しているので、またそれを上る、という流れだ。もう一々考えることなんかない、単純作業の繰り返しだな。
……と思っていたら、階段の途中で異変を感じた。
上に敵の気配がないぞ。それに、これは…… 光だ!
上りきった階段の先には、真っ直ぐで短い洞窟。
そして、外への出口があった。
……やった!