第5話 リターナー
死んでる、皆死んでる、鼻につく血の匂い、足元を濡らす血だまりの感触。
「ふっざっけんなーーーーーーー!」
皆でつつましく暮らしていただけなのだ、貧しいながらも分かち合い助け合い、質素に謙虚に助け合い、それでも笑顔の絶えない暮らしをしていただけなのだ。
それが!
その最後が!
「こんなもんであってたまるかーーーーーーー!」
俺の登場に気が付いた小型の化け物たちが突進して来る。
「邪魔なんだよ! てめぇら!」
鎧袖一触。
デカさも重さも俺を遥かに凌駕する化け物たちを、槍の一振りで弾き飛ばす。
ここにきてようやくと俺が授かったスキルを理解した。
それはレベルアップだ。
戦えば闘うほど、敵を倒せば倒すほど強くなる。
ゲームなどでは極々当たり前のシステム。だが、現実世界ではそうはいかない。
いくら戦いを繰り返しても、それは目に見えない経験として蓄積されるだけで、数値として筋力があがるなんて都合のいいことありはしない。
「食うのを止めろおおおおおおお!」
口の端から誰かの手をぶら下げた化け物の顎を粉砕する。
手に誰かの内臓を引っ掛けた化け物の手を切断する。
潰す、潰す、潰す――殺す。
地面に広がった赤い血だまりが、化け物の紫の血によって奇妙なマーブル模様へと変わっていく。
ズズと小山が動く音がした。
口の周囲に生えた触手で、ホイホイと仲間たちを口の中に放り込んでいたでかぶつがようやくと俺の存在に気づいて、無数にある瞳孔縦に裂けた目を俺に向ける。
「てめぇがああああああ!」
生き残る。
現世に帰る。
そんな誓いはすっぽりと頭の中から抜け落ちていた。
今の俺を支配するのは――怒り、ただそれだけだった。
数十、あるいは数百入る小型の化け物を蹴散らしながら、俺はでかぶつへと一直線に駆け抜ける。
仇を討つ。
無念を晴らす。
それだけが行動理念だった。
だが……。
だが……。
でかぶつが、無数にある触手を俺の方へと打ち出した。
それはまるでレーザー光線の様に、目にも留まらぬ速さで俺の体を抉っていく。
「がああああああ!」
急所は何とかカバーできたものの。数えきれないほどの裂傷や貫通痕により、俺の体は瞬時に血塗れとなる。
殺して、殺してやる。
砕けんばかりに歯を食いしばり、痛みを思考の外に置く。
だが……。
だが……。
触手の弾幕を掻い潜り、あるいはその身に食らいつつ。決死の覚悟で奴に近づく。
そのうちに奴が動き出す。
狙いは勿論俺、そのクジラのような巨体で俺を押しつぶすか、丸のみしようというのだろう。
だが、それは好都合。
今の俺では何時までも奴の攻撃を捌き切れない。
立っているのが不安定になる程の巨大な地響きを立てながら奴が突進して来る。
俺は棒高跳びの要領で、大空へと舞い上がり――
「死んで詫びろやーーーーー!」
血塗られた一発の弾丸と化して、奴の頭部に槍を――
ガキンという金属音。
全力で槍を突き立てようとした分、その反動で大きくのけぞる。
槍の先端はガムの様に押しつぶされ、その反面、奴の表皮には傷痕一つ付いてはいなかった。
「ふざけんな! ふざけんなーーーーー!」
何度も何度も槍を振るう。
だが……。
だが……。
いくらやっても奴の表皮すら抉る事は出来なかった。
ああそうだ、分かっていた。
心の底では十分に分かっていた。
奴はデカイ。
デカイのだ。
体高は見上げる程に遥か彼方。おそらくは10m以上あるだろう。体長についてはその2倍か3倍だ。
体がデカければ、その分表皮も分厚くなる。
戦車の装甲の様に硬く分厚いそれを、こんな鉄パイプで貫くのが始めから無理なのは分かっていた。
「がっはっ」
俺が何時までも無駄な努力を続けている内、奴の触手が背後から俺の背中を貫いた。
口から泡まみれの鮮血があふれ出す。
しかも、その触手は俺を貫いただけでは飽き足らず。
「――――ッ!」
体が引き裂かれる様な傷みと共に、足元の感覚がなくなった。
奴は俺を貫いたまま宙に放り上げたのだ。
自身の体重で、触手がずぶずぶと体の中にめり込んでいく。
あまりの傷みに、違和感に、悲鳴すら出てこず、ただただ口をパクパクとさせる。
宙づりになった俺に、再度衝撃が走る。
ブチリ・ブチリと奴は続けざまに俺の体へ触手の槍を打ち込んだのだ。
最早限界をとうに超え、痛みなどありはしない。
血を流し過ぎた反動で、意識は白く染まっていく。
「―――――」
「―――――」
誰かが何かを言っている様な気がする。
あるいはただの幻聴だろうか。
失敗した。
失敗した。
失敗した。
俺はここで死ぬ。
化け物の血肉を食らってまでも、生き抜き、現世に帰ることを目標に頑張って来た。
だが、それもこれで終わりだ。
先の無い異世界へと転移させられ、ただがむしゃらに頑張って来た。
大事な家族も出来た。
皆と笑い合い、助け合って暮らして来た。
だが、全ては無駄だった。
やはり、この世界は手遅れだ、俺には何一つ成し遂げる事は出来なかっ――
少女の顔が目に浮かんだ。
いつも夢で見ていた少女の顔だ。
こんな顔だったのか。
いつもは目が覚めたら忘れてしまうので、はっきりと確認するのは初めての事かもしれない。
その少女は十代前半の年頃で、ちょうどミレイやコカと同年代位だろう。
真っ白なワンピースを着た、透き通るような透明な顔をした少女だった。
まるで、あの地底湖みたいに澄んだ目をした少女だ。
彼女は無機質な表情を浮かべじっと俺の事を眺めていた。
「あ……」
少女に向けて手を伸ばそうと試みた。
だが俺の右手は既に触手によって切断されており、肩口がピクリと動いただけだった。
少女の姿が薄れていく。
それと共に、俺の意識も薄れて行き――。
俺はおそらく二度目の死を迎えた。
★
「ここ……は?」
キョロキョロと周囲を見渡す。
薄汚れたコンクリートに囲まれた路地裏と思わしき場所だった。
遠くからは車の走る音や、人々の他愛のない話し声が聞こえて来る。
「あれ?」
次に体を確かめる。
ついさっきまで、射撃の的よろしく穴だらけにされていた筈の体は、しかして傷一つない五体満足なものだ。どこかに飛んでいった右手もしっかりと肩から生えている。
「……ん?」
頭の中は疑問符で一杯。
俺はついさっきまで、マッド○ックスかスターシップトゥ○ーパーズな世界にいて。化け物どもとヒャッハーを繰り返し、挙句返り討ちにあって死んだはずでは?
「……生きてる」
さては今までの事は夢だったのではないか?
それにしても、なぜこんな所にいるのか分からないが……。
「……取りあえず、帰る……か?」
ここが何処だか分からないが、漏れ聞こえる会話を聞く限り、日本であることは間違いなさそうだ。
「そう言えば、異世界なのに日本語通じてたよなー」
まぁ、ただの白昼夢だったという落ちかも知れないが。
ポリポリと頭を掻きつつ、路地裏から大通りへ。
そこには想像通りの光景が広がっていた。
「やっぱり、日本だ」
看板や標識には日本語が溢れているし、道行く人が話しているのも日本語だ。
「ってか市内じゃん」
慣れ親しんだ生活圏内の繁華街。ブツブツと訳の分からない事を言っている俺を通行人が怪訝な目で見ているが、今更どうでもいい。
「……帰ろ」
ポケットを漁ってみても、無残に壊れたスマホしかなかったので――地味にかなりショックだった、今が何月何日か分からないが。
取りあえず、無事に現世に帰って来れた? ようなので、何はともあれ家に帰る事にしたのであった。




