第3話 愉快な穴倉生活
このコロニーに来て一週間の時が過ぎた。
突然の来訪者である俺を、ここの住人はまるで久しぶりに帰って来た家族の様に暖かく迎えてくれた。
善意には善意で返したいと思うのが人情だ。俺も彼らの恩に迎えるべき、精一杯を持ってお返した。
とは言え、これといって特殊技能の無い俺だ、出来る事と言えば筋力チートを生かした力仕事位のものだったけど。
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ガラガラと岩盤が崩れ落ちる。ぽっかり空いた穴の向うには、澄み渡った地底湖が広がっていた。
「やった! やりましたよハムドさん!」
「おう! でかしたリューイチ! 目当てのモノとは違ったがこれはこれで大発見だ!」
俺はハムドさんと抱き合いながら喜びを分かち合う。
地下遺跡――高度な文明を想像させる金属製の壁がある、の発掘作業を続けている際に強固な岩盤で埋まった通路の先にそれはあった。
この世界では水は貴重品だ。今まではちょろちょろと滲み出してくる岩清水で賄っていたが、これで水事情についてははるかに楽になる事だろう。
「うっひゃー! 冷てーーー!」
俺は溢れんばかりに溜まった水で顔を洗う。
澄んだ水がほこりまみれの顔にしみ込んでいく様だった。
「なになにー! やったっのー!」
「あっ、エミさん見てくださいよ! 地底湖ですよ地底湖!」
ちょうど進捗状況を見に来たエミさんに、俺は満面の笑みでそう報告する。
「地底湖! まだ残ってたのね! 昔話に聞いたことはあるわ!」
彼女は目を輝かせながらそう言った。
コロニーのリーダーである彼女にとって水事情は悩みの種だった。それが解決できたとなれば、これ以上に嬉しい事はないだろう。
「あっはっは! 最高じゃないリューイチ!」
彼女はそう言って俺に抱き付いて来る。
「うびゃっ! えっエミさん!?」
柔らかな感触が俺の胸に押し付けられて、俺は思わず変な声を出してしまう。だが、彼女はそんな事にはお構いなしに、まるで猫みたいに俺の頬に頬ずりして来る。
「うーん! さいっこー!」
「わぶっ!?」
美人なお姉さんの抱擁にドギマギしていると、彼女の柔らかな唇が俺の唇を塞いで来た。
ここの住人は日々を全力で生きている。感情表現にも力を抜くことはないのだ。
キスの嵐に、頭を白黒させていると、ようやく俺を解放した彼女はとんでもない事を言い出した。
「折角だから、みんなを呼んで水浴びしましょうよ!」
「おう! それは良いな!」
エミさんの提案に、ハムドさんは屈託のない笑みを浮かべ上層へと駆け出していく。
「ちょっ! それって!?」
彼女はそう言うが速いか、身に纏っていた粗末な服を脱ぎだした。
「やっぱり!?」
まだまだ清い体の俺には刺激が強すぎる。俺は理性を総動員させ日焼けとは無縁な生活を送っている彼女の真っ白な裸体から目を背けた。
「なーに? なんで急によそ向いてんのよ、おっかしなリューイチ?」
「ふにゃッ!?」
彼女は屈託のない笑い声とともに背後から俺に抱き付いて来る。
彼女の豊な双丘が、俺のボロボロのシャツ越しに背中に押し当てられ、柔らかな感触が背中に広がっていく。
嬉しい、正直な所非常にうれしいのだがッ!
この世界のある意味刹那的な倫理観に染まっていない俺にはまだ早すぎる!
零戦錬無のチェリーボーイが、ヌーディストビーチに行って一体どんな大冒険を出来るというのかッ!?
「おっ、俺はまた後でーーー!」
色々と限界に達した俺は、やや前傾姿勢になりつつも脱兎の如くその場から逃げ出したのであった。
★
このコロニー、いや、この世界の人間領域に余裕などありはしない。
みな限界ギリギリの状況で生きている。
だから蝋燭が燃え尽きる前の最後の輝きの如く、大いに泣いて、大いに笑って、大いに愛を振りまいている。
人はここまで寛容になれるのかと思うほど。
ここまで人に優しくできるのかと思うほど。
皆が皆、異邦人である俺を優しく包み込んでくれる。
俺が元居た世界は満ち足りた世界だった。だけれども、人間同士の争いには事欠かない世界だった。
だが、この世界は逆だ。
何もかも不足しているが、人間同士の争いからは遠い世界だ。みな助け合い、支え合って生きている。
それは何故か?
彼らは――滅びを受け入れているのだ。
死を間近に迎えた人間が、それまでの我欲を捨て去り優しくなることがあるように、この世界の人間は、みな優しさに満ちている。
少なくともこのコロニーではそうだった。皆、直ぐ先にある滅びを受け入れた上で、日々を精一杯に生きていた。
その事が良い事なのか、悪い事なのか、俺には判断が難しい。
皆が皆、死の恐怖に怯え、少しでもその順番を先延ばしにしようとする殺伐とした世界もごめんだが、この真綿に首を包まれている花畑のような世界にも違和感がある。
かといえ、されとも、だがしかし。
元の世界に帰る方法については、ヒントのヒの字も出てこない。
正直な所、このコロニーでの生活もそう悪くないと思い始めている自分がいる。
皆は優しいし、食事も上手い――まぁ元の世界の食事と比べれば料理というのも、はばかられる様なものなのだが。
なにより皆から頼られ信頼されるというのは、非常に心地の良い空間だとは思う。
例えそれが、いつの間にやら授かった、チート能力によるものだったとしても、皆はそれに嫉妬や妬みの視線を送ること無く、素直に俺の力として認めてくれる。
皆、とても大らかでいい人たちばかりだ。
……ちょっとばかし性に対しても開けっ広げ過ぎる所があるのが気になるが、まぁ、そこは文化の違いという事で。
「それでも、俺は……」
脳裏に浮かぶのはかつての世界。
瞼の裏に刻まれているのは親兄弟や友達の顔。
読みかけの本もあったし、終わってないゲームもある。
まだ十分に固まっていないけど、将来についての夢もあった。
この薄闇の暖かい世界、ここで一生を終えてしまう事を考えると、どうしても悲観的な考えが頭を占めて来る。
今は良い。
今のところは平穏無事だ。
だが、あの化け物たちが万が一このコロニーに侵入してきたら?
このコロニーの出入口は、遺跡より発掘された分厚い金属扉で塞がれている。
だが、それも何時まで持つかは分からない。
おそらくは、奴らが本気になればあんなものは積木ていどの守りでしかないだろう。
もし、奴らがここへ侵入してきたら……。
それでも皆は最後まで優しい人達でいられるだろうか?
少しでも死から逃れようと、醜い争いを始めてしないだろうか?
そして、俺はその時……。
不安から逃れるようにブルブルと首を振る。
生きる。
生きて――元の世界に帰ってやる。
コロニーの皆の優しげな笑顔に後ろ髪を引かれながらも、俺はそう繰り返すのであった。