第35話 少女の見る白昼夢
「お呼びでしょうかドクター」
「ああ、忙しい所悪いね綾辻医師」
人気のなく薄暗い研究室で、ひとりパソコンの画面に向かっていた乾の元へ、やってきたのは綾辻だった。
乾は、彼女へ適当な所へ腰掛けるよう勧めると。湯気の立ち上るコーヒーを差し出した。
「インスタントで悪いね」
「いえ、別に構いません」
彼女がそれに口を付けた頃合いを見計らって、彼は話を始める。
「隆一の様子はどうだ? 今じゃアイツはウチで唯一獣に対抗できる人材――いや、言い方を変えよう。奴は今うちにいる唯一の現役の帰還者だ」
帰還者解放戦線は一年前のあの日よりガラリと様変わりした。
人目を避けるように、地下に逃げ隠れていたのが表に出た事もそうだが、あの日の協議会及び終焉の獣の襲撃により、構成人員の多くが死傷したという事もそれに含まれる。
多少のずれはあるが、終焉の獣はひと月ごとに現れると、一週間前後暴れ回った後何処かへ夢のように消えていく。多くのものをその道連れにしながらだ。
「別に、協議会の奴らと張り合う必要はないんだがね。奴らは多くの帰還者を抱える事で、効率よく彼らをマネージメント出来る。
それに比べて、うちでは隆一ただひとり。奴に掛かる負担は並大抵のものじゃ無い」
乾はコーヒーを一口すするとそう言った。
綾辻はインスタントコーヒーの薄い香りを確かめるように目をつぶった後、こう話し始める。
「彼のコンディションは万全です。それどころか、今が最善とも言えるでしょう」
戦えば戦うほどに強くなる。レベルアップのスキルは隆一独自のものではない、それどころか帰還者ならば誰もが持っている基本スキルのひとつと言えた。
だが、現実世界でもその法則が適応されるのは、ふたりが知る限り隆一だけだった。
「ですが、その事についての仮説は、既に協議し終えた筈です。本題は何でしょうか」
綾辻はそう言って、鋭い瞳を乾へと向ける。
すると、乾は深いため息を吐きながら、研究室の奥からふたつのシャーレを持って帰って来た。
「そう、その事は奴の持つ未知の臓器が原因であると仮説を立てた。
だが、僕たちは、もうひとり、その臓器を持つ人間を知っている」
乾はやるせない表情で、ふたつのシャーレを机に置いた。
「ドクター、まさかあなたは」
「こっちは、隆一の細胞を培地として、奴の臓器を培養したもの」
綾辻の言葉を無視して彼が指さしたシャーレには、ずぶずぶに腐り果てた何かの肉塊が乗っていた。
「そして、こっちは、霞の細胞を培地として、彼女の臓器を培養したものだ」
次に彼が指さしたシャーレには、怪しい紫の光沢を放ちながら脈動する、何かの肉塊が乗っていた。
そのみずみずしくも毒々しい紫色は、正しく終焉の獣の血肉と何ら変わりの無いモノだった。
「ドクター、貴方は私に何の断りも無くこの様な実験をなさっていたのですね」
綾辻は憎悪のこもった瞳で、彼を睨みつけた。だが、彼は淀んだ瞳で、それを真っ向から見つめ返すとこう言った。
「『あの臓器に下手な刺激を与えると、どんなことが起きるのか分からない』最初に霞を検査した時にアンタが言ったセリフだ。
だが、そん時は既に遅かった。僕の行った世界じゃアンタでも見分けのつかないぐらい精巧に傷痕を修復することが出来る技術が確立されている。
そう、彼女の臓器の一部分を検体として抜き取った手術痕を隠す程度にはね」
乾は解放戦線設立当初からのメンバーだ、それに対し綾辻は遅れてそこに参加した、それだけの話だった。
まるで、娘の仇を見るように、乾を睨みつける彼女に対して、彼は疲れた口調でこう言った。
「残念ながら、ボスにチクったって無駄だ、そもそもこの実験はボスに言われてしたことだ」
「なんですって!」
「アンタは彼女に亡くした娘の面影を重ねていたからな、それを慮っての事だそうよ」
「そんなお為ごかしを!」
そう言って彼女は、乾の胸倉をつかむ。だが、痩せこけているとは言え彼も帰還者だ、女の細腕でそうされた位ではビクともしない。
そして、彼女と密着状態になった乾は、彼女にぼそりと耳打ちした。
「恐らくボスは裏で協議会と繋がっている」
「!?」
「そんな、まさか」と彼女の体が硬直する。
源十郎は娘を協議会に奪われている、いわば自分と同じ境遇の持ち主だ、それなのに、そんな訳が、そう言った言葉が、彼女の脳内を駆け巡る。
「冷静になって考えてみろよ、今の俺たちじゃ奴らの余力で十分に叩き潰せる小さな組織だ」
追撃が来ない、その事が事実だと彼は言う。
「何時から繋がっているのかは分からない。だが、この事は十分な証拠になるんじゃないか?」
「そんな事はただの貴方の妄想です!」
彼女は暗い考えを振り切るようにそう言った。
「残念ながらただの事実なんだよ」
乾は彼女の手を振りほどくと、彼の机に向かった。
彼が軽いタッチでパソコンを操作する、そこには通信略歴が映し出された。
「ボスから、協議会への秘匿通信の略歴だ。その頻度はあの日を境に激増している」
たたきつけられた証拠に足元がおぼつかなくなり、彼女は思わず机に手を突いた。
「霞のサンプルを採取したのは、極々初期の頃だった。
ほったらかしにしておいたそれの培養を命じられたのは、半年ほど前の話だった」
言葉も出せない彼女をよそに、彼はとつとつと話を続ける。
「半年前……、そう、終焉の獣の出現法則が確立されてきた頃だ」
その言葉に、彼女はびくりと体を硬直させた。
「ひと月ごとにおよそ一週間。この周期はとある周期とよく似ている、そうは思わないかい?」
責めるでもなく、なじるでもなく、彼は独り言を言うように淡々と話を続ける。
「そう、生理周期だ。僕たちにはばれないように上手くやっているみたいだったけどね、流石に半年もあれば、幾ら間抜けでも気づくってものだ。
そう、終焉の獣の出現周期と、霞の生理周期は一致している」
★
少女は世界と繋がっている。
彼女の卓越した感応能力は人の身では過ぎたものだ。故に彼女自身、その能力を制御できてはいない。
彼女はまるで白昼夢を見るかのように、突如としてヴィジョンを授かる。
かつてとある宗教団体で座敷牢に入れられていた彼女が見たヴィジョン、その中ではひとりの少年が見たことのない化け物と戦っているものだった。
粗末な槍を武器に、身の丈を超すモンスターと戦う少年。
その姿は、囚われの身を解放してくれる王子様の様に彼女の目には映った。
だが、その様な存在は現れない事は分かっていた。
なにより、彼女は自分自身、座敷牢という庇護なしでは生きていけないことを知っていたのだ。
雪の妖精のようだと、彼女を見て誰かが言った。
正しくその通り。
自分は厳重に封をされた保冷庫の中でしか生きていけない、か弱い存在であることを理解していた。
そんな彼女にある日、今まで感じたことのない腹痛が襲ってきた。
そして、それと同時にとあるヴィジョンが脳内に浮かんでくる。
かつて、とある少年――今では直ぐ傍にいる少年、が戦っていた化け物が家の中へ入り込んでくるヴィジョンだ。
それは、現実のものとなり、彼女の世界はまた崩壊した。




