第24話 神
「なんなんだよ、なんなんだよあれは」
見る見るうちにビルが解体されて行く様子を信二は式神の背の上で眺めていた。
「う……う……」
式神の下からうめき声が聞こえて来た。だが、信二には、その主にかける言葉が見つからなかった。
「こっ……ここ……は?」
「めっ、目が覚めたのかい! けど暴れないでくれ! バランスとるの難しいんだ!」
信二はそう言って、当然聞かれるであろう問いに耳を閉ざす。
★
妙に足元が心もとない状況だった、体中何かに縛られて宙に浮かんでいる様な――
「ここ……あれは? あれは……なんだ?」
土砂降りの雨の中でも、はっきりと視認できるものがあった。
眩く点滅する光、そして崩壊していくビル。
「あれ……は……あれは!」
ぞわりと体温が下がると同時に全て思い出した。
燃え盛る部屋、崩れ落ちる天井、そして……そして!
「おろせ! おろしてくれ! 早く助けないと!」
「だっ、だめだよ! 動くなって!」
上から信二の声が聞こえて来る。どうやら俺は彼に連れられてあのホテルから脱出している途中のようだ。
あのホテル――今まさに解体されようとしているあのホテルから。
「下ろしてくれ! あそこにはまだ俺の家族が!」
「駄目だって! それに見りゃわかるだろ! もう間に合わない!」
「そんなの! そんなの!
そんな言葉で諦められるかよ!」
俺は戒めを引き千切り、空中へと身を躍らせた。
「っとっと!」
幸運な事に落下の衝撃はそれほどでもなかった。俺は近場のビルの屋上に着地した俺は、燃え盛るビルを見上げる。
「待ってろ! 待っててくれ!」
あのホテルからはおよそ1km程だろうか、今の俺の足ならば、そう掛からずにたどり着けるはずだ。
走る、走る、矢のように弾丸のように。
そして、その距離が半分ほどになった時だ。
「なん……だ? あれは?」
崩壊しかけたホテルが、淡い緑光に包まれたのだ。
★
「あれ? なんだこれ?」
市兵衛と輝義、協議会のエース二人を手玉に取っていた安岡は、ホテルを覆う異変に気が付きその手を止めた。
「そのふたりは、ウチの大事な社員でね、あまり手荒な真似は止めて頂こうか」
「誰だッ!」
安岡が振り返った先にその男は居た。
かっちりとしたスーツを身に纏い。肩に届くほどの金髪をオールバックで纏めた二十代後半の西洋人だった。
降りしきる豪雨の真っただ中にいるというのに、仕立ての良さそうな紺のスーツに一粒たりとも雨のシミが無いのが不思議であった。
「けっ、すまねぇなボス」
「なに、薬は使わなかったのだろう。君にしては良い判断だ」
ボスと呼ばれたその男は、瓦礫の山に半ば埋まった輝義に視線を掛ける事無くそう言った。
「しかし、少々散らかし過ぎだな」
男はそう言って指を鳴らす。するとその場にいた4人は瞬時に遥か上空へと転移した。
「なっ!?」
だが、その事に驚きの声を上げたのは安岡ただひとり。
そして、異変はそれだけにとどまらなかった。
まるでフィルムを逆回しする様に、崩壊したビルが見る見る元の姿を取り戻していくではないか。
「後はこれだな」
男はそう言って天を見上げる。
それだけで、今まで空を覆っていた分厚い雲が左右に分かれて行き。まばゆく輝く星空がその顔を伺わせた。
「アンタ一体……」
安岡は警戒心あわらにその男を睨みつける。
「私か? そう言えば自己紹介がまだだったな」
男はそう言うと、柔らかな微笑みを浮かべてこう言った。
「私の名はヴィクター・D・オルドリッチ、帰還者対策協議会の長を務める者だよ」
強者の余裕に満ち溢れたその物言いは、柔らかな力強さに満ち溢れ、まるで包み込まれるような温かみを持っていた。
「その会長様とやらが部下の仕返しにやって来たって事か」
安岡は油断なく剣を構えながらそう尋ねる。
(転移系スキル、修復系スキル、おまけに気候操作だと? しかもあれほど軽々に)
彼も異世界では魔王と呼び恐れられた存在だ。どれもやってやれない事はない、だがそれにはそれ相応の準備がいる。気軽に無詠唱でという訳にはいかない。
(中でも注意すべきは、転移系スキルだ、カウンタースキルはデフォルトで張ってあったのに奴は易々とすり抜けやがった。
僕もあっちでは魔王と呼ばれ恐れられてたけど、これじゃあまるで……
神様みたいじゃないか)
警戒する安岡に、ヴィクターは落ち着いた口調でこう言った。
「なーに、それ程警戒することはない。私は君をスカウトするために来たんだ」
「スカウト?」
「ああ、そのふたりからも聞いているだろう? 君のような優秀な人材はぜひウチでその腕を振るってほしい」
断られる事など微塵も考えていない、自信に満ち溢れた口調だった。
だが、そのゆったりとした物言いの奥には、莫大な力に裏付けられたものであり、気分次第で、さざ波が津波へと変貌してもおかしくない様な恐ろしさを秘めていた。
「わかったよ、取りあえずは従っとこう。アンタにゃどう考えても勝てっこない」
安岡はそう言って剣を鞘にしまう。
自分は魔王として天の高みにいた。だが、この男は何処までも底の見えない深淵のような男だ。
安岡は、ヴィクターの碧眼に底知れない恐怖を抱いてしまっていた。
(勝てない、今は勝機が薄い。少なくとも奴の底を見るまでは、大人しく従っておくのが上策だろう)
安岡は努めて冷静に分析する。彼が異世界に行った時に授かった真のチートスキルは、『天井知らずの急成長』だ。
その性質上、冒険の初期段階では自分より上の敵だって全くいなかった訳じゃない。
(いつか寝首をかいてやるよ、その時までの辛抱だ)
彼は少年らしいあどけない笑顔の裏で、刃を研ぎ澄ます事を誓った。
「ははは、そうかそうか、それは何より。では早速お願いがあるのだが」
「今からかい? まあいいけど、随分とせかすんだね」
「すまないね。本来ならこのふたりに頼むところなのだが、君との戦いで少々消耗していてね」
「ボス! 俺たちは!」といいかけた輝義を彼は、無言で制させる。
「君にお願いしたいことは、あの少年の確保だ」
ヴィクターはそう言って、とあるビルの屋上を指さした。
「……アイツ? アイツがどうしたって?」
安岡は目を細めながら、その姿を確かめる。
「私の力は多少大雑把でね、優しくエスコートするには不向きなんだ。
いいね、手足の一・二本は構わないが、必ず生かして捕えるように。それが君の初仕事だ」
「はっ、その程度楽勝だよ」
そう言うのが早いか否か、彼の姿はヴィクターの目の前から掻き消えた。
「おっと……まだ注意事項があったのだけどね。まぁそれは直ぐに分かるだろう」
ヴィクターはそう呟くと軽く口角を曲げこう言った。
「さて、ここは彼に任せて我々は一足先に帰るとしよう」
「ボス……良いんで?」
輝義は、瓦礫の破片を払い落しながらそう言った。
「ああ勿論。君たち二人を相手に十二分に立ち回れた彼ならば、めったなことはないだろう。それに失敗したとしても些細な事さ」
「まったく、アンタが何を考えてるのかよく分からねぇよ」
そう言い肩をすくめる輝義に、彼は笑ってこう答えた。
「ふふっ、そうかい。私が考えているのはごく単純な事だ、
人類を、いやこの星をもう一段階先へ進める」
そう言った彼の瞳は深い碧色に輝いていた。
 




