第21話 外の世界
せっかく殺風景な地下暮らしから出て来たというのに、およそ2週間ぶりの外の世界は、生憎の土砂降りだった。
俺は、窓に叩き付けられる雨を眺めながら、恵美さんの運転する車に乗ってホテルへの道を進んでいた。
「あははー。ついて無かったわね隆一君、予報じゃ晴って言ってたのにねー」
「まぁ、こればっかりは仕方ありませんよ」
俺はそう言って苦笑いを浮かべる。泣く子と天気にはかなわないのである。
「信二君の力でえいやって何とかできないのー?」
「はは、無理を言わないでくださいよ恵美さん。気候操作はジャンル違いです。僕はただの陰陽師ですよ」
恵美さんの問いに、助手席の信二はそう答える。
彼のスキルは護符を使ったエンチャント能力と、式神召喚、それに天候などから吉凶を占う事だそうだ。
「まぁ、僕の占いではそれほど悪い星は出ていません。きっと何事も無く上手く行きますよ」
「ホントにー? 頼りにしてるんだからねー?」
「まぁ当たるも八卦当たらぬも八卦ですがね?」
前方から軽快な笑い声が聞こえて来る。
聞いた話だと、信二も俺と同じく、恵美さんに助けられてこの組織に加わったという事だ。
恩人と同じミッションに参加するとなれば、信二の力の入りようもひとしおだろう。テンション高めの奴の声からその様子がうかがわれた。
★
ホテル最上階、スイートルームの扉を開けたと同時に俺の胸に飛び込んでくる影があった。
「お兄ちゃんのバカ! なんで何も言わずにいなくなっちゃうのよ!」
俺は、そう言い抱き付いて来た楓を優しく、優しく抱き留める。
「ごめんな、楓。それに父さんも母さんも」
ふたりは何も言わず、ただ優しく微笑んでくれた。
三人とも俺の記憶よりほんの少しやつれている。俺が解放戦線で安寧とした暮らしをしている時も、眠れぬ夜を過ごしたに違いが無かった。
「ごめんなさい」
そう思うと涙が視界をぼやけさせる。
俺は楓を抱きしめながら、その言葉を繰り返した。
「……ところで、お兄ちゃん。あの綺麗な人はだあれ?」
しばらくそうしていると、楓が眉根を寄せながらそんな事をたずねて来る。
「ああ、あの人は恵美さんと言って、とてもお世話になってる人だよ」
「ふーん、へーえ。恵美さんって言うんだー。とてもお世話になってるんだー」
楓の口調がドンドン険しくなっていくのを俺は困惑しながら聞いていた。
★
隆一たちが面会をしている隣の部屋に、恵美たちの姿はあった。
「ふぅ、ここまでは何とか無事にこれたようね」
「そうですね、恵美さん」
恵美の何気ない呟きに、信二はにこやかな笑みを浮かべてそう返した。
(無事か、確かにその通りだな、不思議なほどに)
だが、笑顔の裏で信二はその様に考えを巡らせていた。
(おかしいな、細工は流々の筈だが……やはり奴のスキルに拒まれているのか?)
信二はふらりと立ち上がり、雨に濡れた窓ガラスから、雲に覆われた夜空を見上げた。
(凶兆……この夜空は奴に凶兆をもたらすはずなのに)
呪いは2種類に大別される。
一つ目は直接的な呪い。例えば、切りつけた傷が治らない呪いの剣の様なもの。
二つ目は間接的な呪い。例えば、悪評を振りまき村八分に追い込む様なもの。
(今回僕が仕込んだものは、二つ目の呪い)
信二は、曇天の向うにある夜空の星々を測りながら心の中でそう呟いた。
彼は、解放戦線の皆にも報告していないチートスキルを保有している。
その名も運命変転。
彼は、天候や星の流れを思うが儘に操作して対象の運命を捻じ曲げる、というスキルを奥の手として隠し持っているのだ。
(ここに来る前の接触で、奴には悪運を引き寄せる避雷針を設置してある。今の奴は周囲の悪運を吸い込むエアポケットのようになっている筈なのだが?)
だが、信二の目論見とは裏腹に、事態は何の異常も無く推移していた。
(準備に三日も掛かる、とっておきのスキルを使ったっていうのに、外れちゃったのか?)
彼が口惜しさに、眉根を寄せ始めたその時だった。
恵美の持つスマホから呼び出し音が鳴り響いた。
「もしもし、司令? こちらは順調……ってなに? うそ! いや……。そう……。不味いわね」
恵美は難しい顔をしながら通話を終えると。窓辺に立つ信二の方へと顔を向ける。
「信二君。不味い事になったわ霞の予言よ」
「霞の? 場所は何処です?」
異世界よりの帰還者が現れる時と場所はランダムだ。
解放戦線では、その予測に霞の予言という超常現象を利用していた。
「場所は……ここよ」
恵美は険しい顔をして、指先で床を指し示した。
「ここって! まさかこのホテル――」
信二がそう声を張り上げた時だ。
轟音と共に、ホテルの床がぐらりと揺れた。
「嘘っ! こんなに早く!」
「恵美さん! そんな事を言ってる場合じゃありません!」
辿って来た経歴はどうであれ、現実世界へ帰還して来た彼らの精神状態は非常に不安定だ。
そんな彼らが、重篤な事件――あるいは取り返しのつかない悲劇、を起こす前にその身柄を保護することは、解放戦線の重要な任務のひとつであった。
「そうね、これは怪我の功名かも」
「今のは何なんですか!?」
恵美がそう切り替えたのと、慌てた様子の隆一が部屋から出て来たのは同時だった。
★
突然の轟音と震動に、俺はドアを蹴破るような勢いで恵美さんの元へと駆け出した。
だが、俺はその選択を一生後悔する羽目になる。
彼女に何が起こったのか問いただしたその時だ。
更なる音と揺れ、そして叩きつけられるような突風が部屋を襲ったかと思うと、目を開けていられないほどの光と共に、俺がさっきまでいた筈の客間が一瞬で爆炎の中に消えていった。
「え……?」
何が起こったのか理解できない俺は、肌を焼き焦がす様な炎の中へと近づこうとする。
「だめよ隆一君! 一度現象として成り立ってしまった炎は、最早あなたのスキルでは消せないわ!」
そう言って恵美さんは俺の手を握ってくる。
……彼女が何を言っているのか分からない。
だって、あの火の向うには俺の大事な家族が居るんだ。
「……離せよ」
俺は、彼女の手を振りほどこうとする。
「離せッ!」
力任せに、彼女の戒めから解放された時だ。
俺の首元に何か冷たいものが押し当てられたかと思うと。
「落ち着きなよ新入り」
バチリと激しい衝撃が走ったと共に、俺の意識はそこで途絶えた。