第16話 解放戦線での日常1
「どうも綾辻さん、検診に来ました」
「よろしい、時間通りですね工藤さん。それではそこに座って下さい」
この、やや茶色がかった髪を後ろで結い上げた目つきのきつい女性は綾辻律子さん。ここの医療面を支えるスタッフで源十郎さんと同じく一般人でありながら、彼の理念に賛同して働いている女医さんだ。
彼女には、ひとり息子がいた。だが、その子は帰還者となり、協議会に処理されてしまったという過去を持つ。
一通りの検査を受けたが、健康面では異常なし。ただ……。
「理解不能ですね。かと言って下手に触ると何が起きるのか分からない」
問題は俺の腹の中にある謎の臓器の事だった。
「俺、あっちの世界で謎の化けもんの肉を食っていたからそれが原因でしょうか……」
「あり得ません。他生物を摂取したから、その生物由来の臓器が発生するなんてことがあれば、人間に鰓が生え、翼が生える事になります」
「そうですよねー」
そんなお手軽キメラ製造体質なんて御免である。
「ですが、そこは現実世界の常識が通用しない異世界です。その事も覚悟しておかなくてはならないかもしれません」
それは御免こうむる。奴らみたいな化け物になるくらいなら死んだ方がましである。
★
「力が……消えるですか?」
綾辻さんは、ここに所属する帰還者たちの体調管理を行っている。その彼女の話だと、異世界で獲得したチート能力は時間と共に減弱あるいは消失してしまうのだという。
サンプル数が少ないので確定事項という訳ではないが、実際に力を失って一般社会に戻ったり、そのままここで働き続けているスタッフも居るそうだ。
彼女の感想としては、『エネルギーの補給なしに力を使い続ける事によるガス欠に似た事ではないか』という事だが。検証実験も行えない以上あくまでも机上の空論という事になる。
納得できる説だが、心情的にはどうだろう。
俺の様に望まない世界に飛ばされてしまった人間ならばそれでもかまわないが、是川の様に、望んで異世界に生き、望まぬままこの世界に帰って来た人間にとっては、それは正に自分の半身をもぎ取られるような痛みを伴うのではないのだろうか。
「力が……消えるか……」
それは俺にとって望むべきものなのか、それとも……。
★
様々な事を考えながら、ひとり通路を歩む。
来たばかりだというのに、何故だか安心できる場所だ。
(地下での集団生活なんて、あのコロニーを思い出すからかな?)
まぁ、色々な意味であそことここでは大違いだ、あそこでは何もかも不足していたが、ここではあらゆるものが充実している。
「ん?」
ちらりと、視界の端を何かが横ぎった。
「あれ……は……」
俺は妙な胸騒ぎを覚えて、その影を追う。
「あれは……」
感じるのは強烈なデジャヴ。
ピリピリと頭に走る稲妻のような感覚。
「ちょっと、ちょっと待って!」
白兎に導かれるアリスの様に、通路を進んだ先にその少女はいた。
「君……は……」
それは、まるで雪の妖精のような少女だった。
真っ白な髪を腰まで伸ばし、くりくりとした目でじっと俺の方を見上げていた。
「あの時の……」
初めて見る少女、だが、俺は確かに幾度となくこの少女に会っていた。
夢の中の少女。
俺はついにその少女と出会えたのだ。
「霞―、どこ行ったのーって、なんだ、隆一君じゃない」
霞と呼ばれた少女は、トコトコと歩いていき、恵美さんの足にしがみ付いた。
「恵美さん、その子は……」
「ん? ああ、紹介がまだだったわね。この子は立花霞。ウチの秘密兵器よ」
「立花って……。恵美さんの……娘さんですか?」
「しっつれいな! 私はそんな年じゃないわよ!」
恵美さんはそう言って頬を膨らませる。まぁ冷静に考えればそうだ。その子の年齢は十代前半と言った所。どう考えても釣り合いが取れない。
「こほん、この子は立花家の養子でね、色々と特別なのよ」
恵美さんはそう言って彼女の頭を優しく撫でる。
「特別って……」
「そう、特別。私たちが隆一君を見つけられたのだってこの子の予知能力によるんだから」
「予知能力?」
「そうよ、この子は生まれついての超能力者なの」
恵美さんは自信満々にそう言った。
★
立花霞12歳。彼女は、今は亡き某宗教団体で神の子として幽閉されていた少女らしい。
その団体は、国家転覆をもくろむテロ組織として、源十郎さんたちの手によって潰された。なにやら、帰還者による帰還者の為の世界を作ろうとしていたとかなんとか。
ともかく、その団体が潰された事で、彼女は鳥かごから解き放たれた。
とは言え、まだ翼も生えそろっていない少女だ。一時預かりという事で源十郎さんが引き取って、そのままここまで付いて来てしまったという事。
「まぁ今では、歳の離れた妹って感じよねー。もう霞のいない生活なんて考えられないわ」
恵美さんはそう言って彼女に頬ずりをする。ちなみに彼女は無表情でされるがままだった。
「そうか……色々あったんですね」
「まーね、色々あったのよ」
恵美さんは腕組みをしながらうんうんと頷いた。
「あー、なんだ。ありがとうね霞ちゃん」
俺はそう言って手を伸ばす。
すると、彼女は小さな手で俺の手を握り返してくれた。
「あらっ、霞が初対面で懐くなんて珍しいわね」
恵美さんはキョトンとした顔でそう言った。
「そうなんですか? まぁ初対面……という訳でもあるような無いような?」
何しろ夢の中では何度も面会? してるんだ、初対面という気は全然しない。
「まぁいいわ。けどいくら隆一君でも、霞に手を出したら承知しないからねー」
恵美さんはそう言うと、俺の額を軽く小突いた。