05 耳責め。
「あ、はい。じゃあいただきます」
私は会釈をして、メロンパンを食べることにする。
リレロ先輩も隣に腰かけると、人工血液パックを飲み始めた。
「この小説面白い?」
持ってきたライトノベルに興味を示す。
「アニメ化するそうで、人気みたいですよ」
「へー、アニメも観るんだ。キララちゃん」
「まぁ人並みに」
「そっか。オススメとかある? 俺も観てみるよ」
ニコニコと人懐っこそうな笑みで会話をしてくるリレロ先輩。
それならと一般的にも人気な少年マンガのアニメなどを紹介した。
「あ、それなら俺も観たことある」と頷き、飲み干した血液パックをゴミ箱に投げ捨てる。ナイスシュート。
私はまだちまちまとメロンパンにかじりついている。
「キララちゃん、喉乾かない? 俺、飲み物買ってきてあげる。何がいい?」
「ああいいですよ」
「いいよ。俺も自分の分買うついで、おごる」
「そうですか……じゃあお茶で」
「オッケー」
机から立ち上がると、リレロ先輩は買いに向かった。
きっと一階にある渡り廊下の自動販売機のところだろう。
今のうちにメロンパンを食べ終えよう。
メロンパンを包んでいた紙袋を折りたたんで、黒板下のゴミ箱まで歩いて行き捨てた。机の上に戻って、私は深呼吸をする。
落ち着け私。キスをするだけ。
守ってもらう代償にキスを捧げるだけ。
そう言い聞かせていれば、リレロ先輩はお茶のペットボトルを二つ持って戻ってきた。
「ありがとうございます、リレロ先輩。早かったですね」
「んー、近道した」
にんまり笑って見せたから、牙がちらつく。
きっと飛び降りたりしたんだろう。
私は緊張を誤魔化すために、受け取ったお茶を一口飲み込んだ。
「……さてと」
同じくお茶を飲んだリレロ先輩が、机に置くと私と向き合った。
ついに覚悟を決めて差し出さなきゃいないのか。
「ありゃ……まだ覚悟決まってないみたいだね」
リレロ先輩は私の顔を覗き込むようにして言った。
「まぁ、俺達会って三日しか経ってないような仲だもんね。まだまだ気を許せないよね」
「……いや、もういっそのこと、唇を奪ってください」
「あはは! いいの?」
じらしてないで、一回してしまってほしい。
一回すればもう大丈夫だと思う。
リレロ先輩は投げやりな私の発言を、お腹を抱えて笑った。
「キララちゃんさぁ……食事としてのキスがどんなものか、わかってる?」
また私を閉じ込めるように両腕をついたリレロ先輩が、意味ありげな笑みを浮かべて問う。
唇を重ねるのではないのか。
「吸血鬼は人間の体液ならなんだって食事になるんだよ。俺が君の額にキスしたり首筋にキスしたのは、汗とかを吸ったんだ。だからね、キララちゃん」
そっと顔を近付けたリレロ先輩は、私の耳に囁いた。
「唇にキスをする時は、唇をこじ開けて、ねっとりと」
ねっとり絡みつくような甘い囁き声。
「舌を入れて、唾液を飲み干すように味わうんだよ」
「ひっ」と僅かに悲鳴を零してしまった。
右耳にリレロ先輩の形のいい唇が触れたからだ。
「あれ? もしかして耳、弱い?」
「っ」
「気付かなくてごめんね。ここ……」
人差し指が耳の外側をなぞった。
「優しくしてあげる」
「なっ」
私は当惑する。
とりあえず逃げるように仰け反ったが、リレロ先輩は追ってきた。
「大丈夫だよ」
また優しい声をかけてくる。
力が抜けてしまいそう。
強張って留まりたかったが、リレロ先輩の唇が迫るので、そのまま集まった机の上に倒れた。お世辞でも寝心地いいとは言えない。
私はリレロ先輩に押し倒されるような形になってしまい、余計赤面した。
「俺が怖い?」
「んっ」
「気持ちいいって認めるのが怖いのかな?」
「ち、ちが」
「ん? 可愛い、可愛い、俺の黒兎ちゃん?」
口を開く度に、クチャッと微かに水音が聞こえる。
いやらしい。
でも今私達の態勢もやっていることも十分いやらしい。
「ひゃっ!」
れろっ。
舌先が触れて、とうとう悲鳴を上げた。
「あはっ、可愛い声」
「せ、先輩っ」
からかっている。
いや食事をしているのか。両方なのかもしれない。
両手はしっかり握り締められている。
抵抗が出来ない。
ううん、本気を出せばまだ拒める。
吸血鬼の力には敵わないけれど、リレロ先輩はそれを発揮していない。
リレロ先輩は優しい人。本気で嫌がれば、やめてくれる。
本気で嫌がれば……。
「ふー」
「んぅっ!」
息が吹きかけられただけで、ビクッとしてしまう。
もうこれ以上無理なくらい、頬は火照ってしまっている。
それなのに、リレロ先輩は舌を這わせてきた。
濡れた温かな舌が、耳をなぞる。くすぐったい。
舐められている。
そのことに身体はビクビクと反応してしまう。
悲鳴を上げないように、唇をきつく締める。
それでも呻きを漏らしてしまう。
「んっ!」
「声出してもいいのに」
「っん」
「聞こえたりしないよ……そんなには」
そう言って、羞恥心を煽る。
絶対に声を出しちゃだめだと唇を強く閉じた。
くちゃり。くちゅ。
舌を動かす度に水音が立つ。
くちゅ。ちゅう。
「……ふぇっ」
堪えきれず漏れた声に、リレロ先輩はクスクスと笑った。
「その調子」
ちゅ。
「かぁわい」
リレロ先輩の笑い声も、吹きかかる。
私の耳に触れた。舌で濡らされた耳に。
「ふふふ。ねぇ、キララちゃん」
リレロ先輩はとびっきり甘く囁いた。
「学校でイケナイことしてる気分になるよね?」
ドキン、と心臓が跳ねる。
「俺はキララちゃんを味わっていて、キララちゃんもーーーー味わってる」
「〜っ! もうやめてください!」
手を引っこ抜いて押せば、リレロ先輩は両手を上げた。
「ごめん、意地悪しすぎた?」
ニヤッとしていて、反省の色なし。
タチの悪いイケメンだ。
「美味しかったよ。ありがとう、キララちゃん」
満足げに笑った顔に、私はクラクラしそうだった。
耳責めを受けたからだろうか。
恥ずかしさのあまり頬を押さえて俯いた。
そんな私の頭をぽんぽんとあやすように撫でるのは、リレロ先輩。
優しい。優しいけれども、確信した。
「先輩……Sですよね」
「ええ? 初めて言われたよ。そんなに意地悪だったかい?」
困ったように首を傾げて笑うリレロ先輩を、じとりと見上げる。
本当に初めて言われたみたいだ。
しゃがみ込み、リレロ先輩は私を下から見上げる。
「嫌だった?」
「……」
嫌だった、ら、もっと早くに拒んでいた。
そんなことを白状することなんて出来るわけもなく、私は。
「失礼しますっ!!」
教室から逃亡する。
自分の教室に戻ってから、気が付く。
ライトノベルもお茶も置いてきてしまった。
「キーラーラーちゃん」
リレロ先輩の声に呼ばれて、びくりと震え上がる。
「本とお茶、忘れてたよ」
追いかけて、届けにきてくれたようだ。
おずっと、手を伸ばして受け取る。
「……」
笑みを深めたリレロ先輩が、じっと見つめてきた。
教室でランチを済ませているクラスメイトの視線を受ける。
「また明日、昼休みに来てね」
そうウインクして、去っていく。
どこまでイケメンなんだ。
私は自分の席に戻る。注目はなくなった。
耳を拭って、イヤホンを嵌める。
囁き声を思い出さないようにして、音楽をかけてライトノベルを読んだ。
全然、集中出来なかった。
20181030