得点操作、手伝います
この小説は完全なフィクションです。
全く頭にくる。どいつもこいつも……
俺は怒りに任せながらネットカフェのパソコンで、自分の小説を開いていた。読むのも無料、書くのも無料のサイトに小説を発表している。俺は作家志望なのだ。
無料のサイトはいい点と悪い点がある。無料なのはもちろんいい点だ。俺のように安月給のサラリーマンをしながら執筆活動をしているような輩にしてみれば、無料はとても助かる。食費を削り、取材をしたり資料を買いあさったりしている現状だ。たとえ数百円だとしても、できる限りの経費は抑えたい。
悪い点は、誰でも利用できることだろう。元はといえば作家志望者が集まるはずのサイトに『趣味で』やら『書いてみたくて』やら『面白そうだから』で参入してくるやつらがいるのだ。そうなると作品の質は落ちる一方だ。しかも読むほうも読むほうで、たいしたことのない作品に『面白かった』とか『大好きです』とか本当に読んだのかというようなコメントとともに満点の評価を残していくのだ。その上、数がやたらとふえ、未完の連載小説がごろごろし始め、その中に俺が身を削って書いた傑作が埋まっていくのだ。
そんなことが許せるか? だがそこは無料だし、文句をつけるなら有料のところへいけといわれてしまえばおしまいだ。そこで俺は考えた。小説が埋まらなければいい。いつも評価がトップで、アクセス数がトップであれば小説は埋まることはない。俺は評価の操作を始めた。
満点でない評価は即削除する。自分のパソコンから携帯から、会社のパソコンからも、暇さえあればクリックを繰り返す。おかげで評価もアクセス数もトップだった。
しばらくすると苦情が寄せられた。
『あなたの点数操作は明らかです。健全に利用しましょうよ』
俺はそんな意見は無視を決め込んで、作業を続けた。同じ一利用者にとやかく言われることではない。第一健全とはなんだ。健全な作品が一体いくつある。たいしたテーマもないくせに文学を気取り、おちがみえみえのホラーを恥ずかしげもなく発表し、推理小説をうたうものに至っては、犯人が最後まででてこないものまであるではないか。俺に文句をいう前に、そいつらに物申してやれ。
無視に腹をたてたのか、あるとき管理者から直接メールが来てしまった。反論しようかとも思ったが、やはり無料で利用できるところがなくなるのは痛い。一応、理解したふりをした。
それでも正直納得がいかなかった俺は、ちょっと余裕があるときに、こうしてネットカフェに来ては、自分の投稿小説にいい評価を書き連ねていた。
そもそも一体何が悪いというのだ。大体文句を言ってくるやつに限って、
『私は評価は後からついてくるものだと思うので気にしていません』みたいなことを言いやがる。じゃあ、別に俺が評価を操作したってそいつには関係ないじゃないか。目立ちたくて何が悪い。俺は真剣に小説家を目指しているんだ。それに俺には才能がある。
それなら手っ取り早く何かの賞に応募すればいいといわれる。だがそれでは不十分だ。無料のいくらでも小説を投稿できるサイトで上位を飾っていたあの作者が、編集者に見出されたという肩書きが欲しい。まだ誰ももっていない売りが欲しいのだ。
一時間きっちり、みっちり評価上げを敢行し、家に帰ってみると、メールが届いていた。
「うんざりだ……」
どうせまた『いい加減操作はやめてください』とかいう手のものだろう。そのまま消そうとしたときにタイトルが目に付いた。
『あなたの得点操作、お手伝いします』
俺はメールを開き、読み続けた。
『僭越ながら、貴方様が点数やアクセス数の操作をしているとの記載を読みました。皆さんがそれを罪悪のように攻撃している文章も……でも、何がいけないんでしょうか。私には貴方様はそのために時間や労力をつかい、努力されているとしか思えません。使えるものを使って何が悪いのでしょうか。同じ発表するならば、たくさんの人に読んで欲しい、感動して欲しい、その心のどこがいけないのでしょうか。私は貴方様に賛成です。よろしければ、私にそのお手伝いをさせていただけませんか。もちろん、作品も読ませていただきました。貴方様には決して他の人にはない光るものがあると確信いたしました。そこでぜひ、お手伝いをさせていただきたいと思いました。そして、貴方様が有名になられた暁には、ほんの少しだけ、私にも自慢させてください。ご承諾いただけるなら、直接メールをいただけないでしょうか』
メールの最後にはアドレスと『サクラ』という名前が添えられていた。
これまで叩かれてばかりだった俺は、嬉々としてメールした。
『本当に温かいお言葉をありがとうございます。心に春が来たようです。淡い桜色の花びらが、私の心の中を埋め尽くしています。こんなに安らかな気持ちになったのはいつ以来でしょう。あなたのような、お優しい方と、お知り合いになれて僕は幸せです。もちろん作家としてデビューできた暁には、あなたへの感謝の念をしるしましょう』
送信してすぐに返事が来た。
『お優しいなんて、私はただ貴方様に才能を見ているだけです。こちらのことは私にお任せになって、貴方様は執筆活動に励んでください』
そしてそのメールの最後には、
『匿名でもなんですので、写真を添付しておきます。あなたのファン一〇〇〇号より』
とあり、美しい髪を持った、美しい人の写真が添えられていた。はにかんだその笑顔はまさに春の女神のようだった。
だが、俺も馬鹿ではない。半信半疑だった。俺に文句をつけていた輩の新手の悪さかもしれない。だから返信の内容にも、直接それを依頼するようなことは書かなかった。退会処分になることだけは避けたい。俺には必要なものがまだここにあるのだ。
次の日は外回りばかりで会社のパソコンを開くことができなかった。仕事が早めに終わった俺は、直帰の連絡をして家に向かった。
ネクタイをはずすこともなくパソコンに向かう。まずメールをチェックする。
『サクラです』
その文字が桜色に輝いて見えた。
『今日は下記の十人で書き込みをして見ました。怪しまれると何ですので、評価を少し減らしてあるものもあります。お気に召さなかったらごめんなさい』
その文章の下に、つらつらと名前が上げてある。いかにもハンドルネームのそれは男性的なものも女性的なものもあった。
自分の小説を開き、確認する。先ほどの名前の一つで書き込みがある。
『冒頭の描写がよかった。物語に引き込まれ、ついつい最後まで読んでしまいました。投稿作品とは思えない出来で、このサイトにきてよかったと思いました。また、次回作を必ず読みに来ます』
まるで偶然サイトに紛れ込んだように、書いてある。その小説には他にも
『主人公の動作の書き方が可愛かったです。なんだか自分に似てるかな……なんて、いいすぎ(汗)また可愛い主人公さんの出てくる物語、お願いします!』というのと、
『破綻がなく、機転の利いた文章で安心して読んでいられた。私の世代から言わせていただければ、縦書きのほうが読みやすいのだが、横書きであることがマイナスになることがないほどの出来だと思われた。さすが高評価の作品である』という、世代も観点もたぶん性別も超えた評価が並んでいた。
そのほかの作品にも、十人の名前が微妙なバランスで散りあい重なりあいながら高評価を残していってくれていた。
俺はうれしくなって、彼女に感謝のメールを送った。サクラからの返信は、
『感謝は新しい秀作を投稿することであらわしてください』というものだった。
次の日も、その次の日も、サクラの工作は続いた。報告のメールも届く。十人だった名前はいつの間にか二十人になっていた。
一週間ほどたったある日、また中傷のメールが入っていた。
『いつになったら操作をやめるんですか。あなたが操作しているのはわかってるんです。管理人さんに報告します』
俺は戸惑った。写真を送ってきたことや、評価の内容ですっかりサクラのことを信用していたが、ばれないだろうか。もしもサクラが一台のパソコンで書いていたとしたら、すぐにばれてしまう。俺はその旨を書いてサクラに送信してみた。
返事はすぐに来た。
『ご心配にならなくても大丈夫です。私IT関係に勤務しております。その点はぬかりありません。それより早く次回作が読みたいです。まるで恋をしたばかりのように、貴方の作品に会えることが待ち遠しくて仕方ありません』
その言葉は創作意欲とともに、俺の男心をくすぐった。以前から温めていた恋愛小説が頭をよぎる。だが、主人公相手役の女性像にいまいち魅力が欠けている。
当たり前のことだった。こればっかりはそうそう取材できない。文学を一番に生きてきた俺には恋愛らしい恋愛経験もない。ストーリーはいいと思うが、本格的な恋愛物にリアリティに欠けた女性を登場させるわけにはいかない。俺はだめもとで聞いてみることにした。
『今温めている作品があるんですが、そのヒロインをサクラさんをモデルに書いてもいいでしょうか』
返事は送信とともにやってきた。
『もちろんです! ああ、私、なんて幸せなのかしら。私にできることならなんでもします。何をすればいいのかしら』
そうして俺は彼女とプライベートな会話のあるメール交換を始めた。
管理人からの退会命令はくだらなかった。サクラは本当に上手くやってくれているらしい。毎日少ないときでも十人の書き込みはあった。それが功を奏してか、本物の書き込みもちらほら現れた。アクセス数も徐々に上がっている。
俺は新作を書くべく、サクラに取材をした。最初は『初めてのデートで結婚してくださいといわれたらどんな気持ちがするか』とか『初めて手を握られたときの感情は』とか軽いものだった。
生の女性の声は、本で読んだのとは違うものだった。
『初めてのデートで結婚してくださいって言われたら……きっと軽い人だと思う反面、ぐっときてしまうと思うわ。もちろん、彼が好みのタイプで、その後も誠実な対応を見せてくれることが重要だけど』
『好きになっていたら、手だけじゃ足りないってしぐさをしてしまうわ。ああ、この先はどうなるのかしらとか、ここで帰りたくないなんていったら軽いと思われるかしらとか、考えてしまうと思うわ』
サクラの意見は俺のプロットの中になく、書き直しを余儀なくされた。いつの間にか主人公は俺になり、ヒロインはサクラそのものになっていて、俺はサクラに恋をし始めていた。
要求はエスカレートしていく。
『何枚か、写真をくれないかな』
なんとなく話の筋を話してから、サクラにそういった。サクラは写真を送ってくれた。日差しの中で笑って手を振っているもの、立てた人差し指を唇にもってきて『シー』というポーズをしているもの。そして風呂上りの写真……
風呂上りのシーンについて話しておいた俺の意図をちゃんと汲んでくれた。ぬれた髪、水滴の滴る肩、胸元を隠す真っ白なバスタオル。その日俺は続きを書くことはできなかった。
今度の要求は、パソコンの前でなく、携帯を握り締め、返答を待っていた。
『ぜひ君の声が聞きたい』
もちろん、創作のためにだ。メールを送って数分後、手の中で激しくバイブレーションが起こった。驚いて取り落としそうになりながら、携帯に出た。
「もしもし、サクラです」
可憐な声は、妖艶にも少しかすれていた。
「本当に電話してくれたんだね、ありがとう」
「ごめんなさい、遅くなって。シャワーを使っていたものだから」
「こちらから折り返していいかな」
「気になさらないで。たぶん私たち無料通話だから」
くすくすと笑う声の間に漏れる息の音が俺の耳をくすぐる。俺はパソコンの画面に、風呂上りの彼女の画像を大きく映し出し、耳を受話口に押し付けた。
「どうかしら? ご期待にそえるような声だったかしら?」
甘えたように不安そうにいう声がまた可愛い。
「うん、想像以上だったよ。ありがとう」
「執筆は進んでらっしゃるの?」
「うん、ぼちぼちね」
「ぼちぼちなんていやだわ……完成はいつごろのご予定かしら」
「そうだな……あと一ヶ月くらいはかかるかも……」
本当は大体完成していたのだが、完成してしまえば、サクラとの接点がなくなってしまいそうな気がして、俺は嘘をついた。
「そんな……サクラ、もう待てない……」
ため息交じりの声に俺はぐらぐらして腰から崩れ落ちそうだった。目の前の画面では、湯上りの彼女がこちらを向いて微笑んでいる。サクラは続けてもう逆らえないことを口にした。
「よろしかったら、途中まででかまわないので……私に見せていただけないかしら?」
日時の約束はできなかった。俺よりもサクラのほうの都合があわなかったのだ。サクラは心のそこから残念がっていた。
「時間ができたときに連絡をしてよ。できたところまでいつも持っていることにするから」
いつ会えるのだろうと待つ時間もいいかもしれない。創作の糧になる。そう思っていたが、意外にも翌日、退社直前に時間があいたと電話がかかってきた。
駅で待ち合わせをした。噴水の近くで待っていた彼女は胸元の開いた、春らしい淡いピンクのスーツを着ていた。すらりと伸びた脚が美しい。俺は
「サクラさん、待たせてごめんね」と近づいていった。
「あの……リュウイチさん?」
サクラは戸惑った笑顔を見せ、本名を呼んだ。そうだ。俺は彼女の顔を知っているが、彼女は俺の顔を見るのは初めてだった。毎日毎日彼女と対面している俺はそんなことをすっかり忘れていた。
「あ、はじめまして、だね。こんな俺です。ちょっとがっかりさせちゃったかな?」
サクラは長い髪をぶんぶんとふり、バラの香りを漂わせながらはにかんだ。
「想像していたとおり、素敵です……」
バラの香りにくらくらしながら、彼女を近くのネットカフェにエスコートした。カップルシートに座る。彼女は目を輝かせて、本当に待ち遠しそうに、小説が画面に映し出されるのを待っていた。画面に文字が浮かぶと回りの迷惑にならないように小さく感嘆の声を上げた。
「ああ、やっと会えた……」
サクラは食い入るように画面を見つめ、むさぼるようなまなざしで、文章をおっている。膝が俺の膝に当たる。画面に光が反射するのか、見えやすいように身体の向きを変えたとき、胸元のネックレストップが動いたので、思わず視線を送ってしまった。彼女はそんなことには気づかず画面を見ている。俺はその後もなんどかその胸元をちらりとみた。キャミソールよりも硬い素材でできていそうなレースがちらついていた。
突然、彼女はページを進めるのをやめた。そして少し難しい顔をして、こちらを向いた。
「どうかした?」
「もしかして、これは誤字なのかしら?」
「え? どこ?」
「ここなんですけど」
サクラは細く長い指で文字を指し示す。
「春の陽気を示しているんだから『温かい』じゃなくて『暖かい』かなと」
「あ、本当だ。ありがとう。誤字は自分じゃなかなか気がつけないからね、助かるよ。他にも見つけたところはなかったかな?」
俺は精一杯にしゃべった。それは誤字を指摘されたせいではない。彼女の胸が俺の腕に押し付けられるようにあたっていることを彼女に意識させないためだった。
彼女はそんなことはかまわずに、さらに身を乗り出していった。
「誤字じゃないんですけど、ここ。『彼女の髪が、桜をまとって、きらめいていた』……この読点はどうしても必要ですか?」
上目遣いでこちらを見つめる。
「サクラはここ、一息で読みたい。もっと引き込まれたい……」
「……そうだね、なくてもいいかもな」
答えまでの間が、そんな考えを浮かべたのか、彼女ははっとして言った。
「ご、ごめんなさい。私ごときが意見しちゃうなんて……」
「いや、いい意見だよ。ありがとう。君はヒロインなんだから、なんでも言ってみてよ。もちろん、言うとおりにならない箇所もあるよ、でも……うん、聞かせて欲しいな」
うれしそうにして、彼女は次々と注文をしてきた。バラの匂いと柔らかい彼女の身体に思考能力を奪われていた。元の作品は他にもコピーしてあるし、別に今変えてみるのも悪くない。それよりもこの時間を台無しにしてしまうことのほうが罪に思えた。
約二時間、俺は前かがみで彼女と改稿にいそしみ、ネットカフェを出た。彼女はこれから会社に戻らなくてはいけないといった。
「できればお礼にお食事でもって思ってたんですけど、ごめんなさい……」
「そんな、お礼だなんて、俺のほうが勉強させてもらったよ」
「ううん、生意気ばっかり言っちゃって。でもやっぱり、リュウイチさんてすごい。私、今日も感じました」
彼女の言葉の端々にいやらしい意味を重ねてしまう。
「いやぁ……」
「あの、仕事が終わってよかったら、電話してもいいですか? ちゃんとメールしてからにしますから」
「うん、もちろん。俺、帰って読み返してみるつもりだから」
「……やっぱり、邪魔かなぁ。先に進めてもらわないとサクラ、また待ちきれなくなりそう」
「大丈夫、書き進めておくから、ぜひ電話して、ね。それが俺のパワーにもなるし」
彼女は心底うれしそうな顔をして、駅へ向かった。俺は彼女が見えなくなるまで見送った。
早速家に帰り、彼女の残り香と感触をひとしきり堪能してから、改稿した文章を読んでいた。何度読み返してみてもこちらのほうがよく感じる。サクラが手直ししたからという個人的な理由だけでなく、さすがたくさんの本を読んでいるのだろう、的確な直しなのだ。俺は彼女の感性になって、続きも書き直してみた。
サクラからメールが来たのはもう真夜中過ぎだった。
『ごめんなさい、こんな時間になってしまったので、お電話は明日にでも』
俺はかまわず電話した。
「……まだ起きていらしたの?」
少し眠たそうな声が聞こえる。
「お仕事お疲れ様。君のおかげで筆がすすんでね。また見てもらえるだろうか」
「ええ、喜んで。でも……」
疲れた声がまた妖艶さを増している。
「今度は最後までいきたいわ」
「もちろんだとも」
俺はあらぬ想像をしながらそう答えてしまった。
それから徹夜の日々が続いた。大体の話はできていたものの、彼女と手を入れた前半にあわせると、後半はほとんど書き直しの状態になった。眠い目をこすりながら執筆活動にいそしむ。
仕事も暇な時期ではなかった。昼は昼で忙しい。俺は外回りの間をぬって仮眠をとったり、ネットカフェに立ち寄り推敲を重ねていた。
俺は家に帰ってから交わす、サクラとのメールと電話を支えに執筆活動を進めていた。
「……っていうフレーズはどうかしら」
サクラはすでにモデルの域を超え、上手い表現を提案してくれる。俺は慢性的な睡眠不足も手伝ってぼんやりした頭で、彼女の意見を聞いた。それは本当に音楽のように心に溶け込んでくる言葉の流れで、まるで最初からそう決まっていたかのようにしっくりとなじむ。俺はサクラがつむぎだす言葉のハーモニーをそこここにちりばめていった。
作品が出来上がっていくとともに彼女に会いたい気持ちがあふれそうになる。むせ返るようなバラの香りはあの日から俺を包んだままだった。彼女の笑顔、彼女の感触……空想の中では彼女はすでに俺のものでさえあった。
最後の『了』という文字を打ち終わったとき、睡魔よりも作品を仕上げた満足感よりも彼女に会えるという喜びが押し寄せてきた。サクラに連絡をして、この間のネットカフェにいくことにした。
久しぶりに会った彼女は、やはり淡い色の開襟のスーツを着ていた。少し疲れた様子だ。それもそうだろう。毎晩毎晩俺に付き合ってくれた。それでも笑顔を作り、俺の隣に座っていた。
彼女の匂い、髪の質感。画面をみつめながらいつの間にか彼女の手は俺の太ももに置かれていた。前のめりになりながら、全神経をその手が置かれているズボンの下の皮膚に集中する。疲れているながらも彼女は身を乗り出し、俺に身体を押し付けるように読み進めている。
「すばらしいわ……」
最後まで読み終わると、まるで情事の後のように、俺の肩に頭を乗せた。
「すぐに投稿しましょうよ」
「そうだね」
耳元でささやかれる彼女の声に逆らえるはずもなく、俺はそのままサイトを開き、投稿した。
薄い、サクラの花びらのような背景に、くっきりと文字が浮かび上がっている。俺たちはしばらくその文字を見つめていた。
「お祝いしたいわ」
「そうだね……よければ、俺の部屋に来る? アパートだけど」
こんなこともあろうかと部屋の中はきっちり掃除してあるし、こっそりとワインも買ってある。彼女は名残惜しそうに、少し涙を浮かべていった。
「ごめんなさい。実は私、仕事でミスしてしまって。領収書をなくしてしまったの。個人名のものなんだけど、それを明日までにどうにかしなくてはいけなくて……」
「どうするの?」
「本当はこんなことしちゃいけないんだけど、叔父に頼んで書いてもらうことになってるの。だから行かなくちゃ。ごめんなさい。私がこんな失敗しなければ、朝までお祝いできたのに」
彼女の長い指が、太ももの上でゆっくりとこぶしを作る。指先の通った後の皮膚から全身火がついたように熱い。うわごとのようにつぶやいていた。
「それは俺にもできることかな」
それからは夢のような時間だった。サクラは何度も
「そんなことはお願いできないわ」と拒んだが、俺は俺のほうからぜひやらせてくれとまで言った。彼女をこのまま帰すことのほうが犯罪に思えた。恐縮しながらも彼女は承諾し、アパートまでついてきた。社に携帯電話を忘れてきたと、俺の部屋の電話から叔父さんに連絡を入れた。俺は先に領収書を書いてやり、彼女を安心させた。
あせってはいけない。ワインを注ぎ、乾杯する。彼女の唇がふれるのが、グラスであることがねたましい。
酒に弱いのか、彼女はすぐに頬を上気させ、俺にしなだれかかってきた。さっきとは反対側の太ももに置かれた手がすでに熱い。
「あの、お願いついでに、シャワーをお借りしてもいいかしら」
もちろん俺は断るわけはない。小さなユニットバスに案内し、部屋で待った。シャワーが彼女の身体や床を叩く音が聞こえる。まるで子守唄のように。
目がさめたとき、俺は裸でベッドに横になっていた。サクラの姿はない。テーブルに残っていたはずのワインは台所で空になり、グラスはきれいに洗われていた。テーブルには変わりにメモが二枚残されていた。一枚には
『書類、受け取りました』とそっけなく書いてあり、もう一枚には、
『とてもすばらしい夜でした。リュウイチさんは私の想像をはるかに超えた……あんな私を見せてしまって恥ずかしいので、眠っている間に失礼します。今度は二万アクセスを越えたらお祝いしましょう』と記されていた。俺はサクラがいう『あんな私』を思い出せなかった。彼女を満足させられたのはわかったが、記憶がないことをひどく残念に思った。
小説のアクセスはすごかった。評価も高い。サクラは昨夜一緒にいたのだから、彼女が操作できるわけもない。それでもたぶんサイト始まって以来のアクセス数をたたき出しているのではないかというほど、集中していた。
『泣きました』とか『ファンになりました』とかいう感想がほとんどを占めていた。中には『出版するべきです』というものまであった。二万アクセスなんて二、三日で達成しそうな勢いだった。
俺は久しぶりに上機嫌で仕事をし、うきうきしながら家に帰った。刻々と増えていくアクセス数を眺め、感想に返事を書き、この状況をサクラに伝えるために電話してみたが、圏外である。メールの返事も来なかった。
(領収書、うまくいかなかったのかな)
俺は少し心配になって三十分おきに電話とメールを繰り返してみた。
結局その日は連絡がとれなかった。だが、俺は感想への返事に追われ、うれしい悲鳴を上げていた。
『こんな作品が書けるなら、最初から評価操作などしないで書けばよかったじゃないですか』
今まで俺のことを批判してきていた輩からもメールが入っていた。サイトトップには『アクセス集中のためご迷惑をおかけします』との文字が光り、アクセスランキングの俺の作品の横には『最高アクセス更新中』とのきらびやかな文字が舞っていた。俺はまたうれしい寝不足で仕事に行った。仕事中までなんだか誰かに見られている気がして、気が引き締まった。
「先生と呼ばれる日も近いな」一人ほくそ笑んだ。
家に帰って、すぐにパソコンを開いた。サクラからのメールを待っていた。メールはない。携帯もつながらないままだった。肩を落としながらサイトにいく。今日は一体何通のファンレターが来ているのだろう。一人ニヤニヤする。自分のページにログインするとやはりすごいことになっていた。
だが、どうも昨日とは様子が違う。『最低』とか『あなたは追放です』などという言葉が並んでいるのだ。
一体どういうことだ。混乱した。片っ端からメッセージを読むと『この盗作やろう』という文字が目についた。評価が一気に下がっている。
「盗作……」
考えを整理できないままでいると家の電話がなった。
「はい……」
「支払いどうなってるんですかね」
いきなり聞きなれない男の声がする。頭が混乱する。
「は?」
「今日返す、一日だけの約束で二百万貸しただろう」
「お宅は誰?」
「ITコーポレーションのものだけど?」
「金なんか借りてません」
「こちらには書類がそろってるんだけどね、あなた書いたでしょ。そちらにも契約書を送ってあるはずだけど?」
ITコーポレーション? 書類? 一体何の話だ。一日だけの約束で書類を書いた? その日はサクラとずっと一緒だった。俺は書類なんて書いていない。
「あ……」
「思い出しただろう」
「あの、いえ……か、確認します」
サクラに領収書を書いてやった。確かに領収書だった。俺はアパートの郵便うけに取って返し、ダイレクトメールやピザ屋の広告に挟まれた封筒を見つけた。開いてみる。二百万円借りた借用書だ。返済日は今日。そして署名されているのはまぎれもなく、俺の字。はんこも俺のもの。
「まさかサクラに……」
そう思った直後から、携帯がなり、家の電話が鳴り始めた。
「あ、もしもし? 盗作やろうさんですか?」
「……」
俺は黙って切る。携帯にもでないでいると留守電にメッセージが入るのが聞こえる。
「盗作だけですか? 盗撮はやってないのぉ? あはは。いい写真あるよぉ」
パソコンは絶えず新着のメールが来たことを知らせる音がする。どこかのサイトに個人情報がさらされたのだろう。
俺はとにかくサクラと連絡を取ろうと思った。だが、こうずっとなっていては携帯は使えない。家の電話はコネクターを抜き、携帯は電源を切って、パソコンに向かった。次々とやってくるメールを無視して、サクラにメールを作成しようとした。アドレスを見て動作がとまる。確かに@マークの後にITコーポレーションを指す文字がある。完全にはめられたことを悟った俺は、これでもかというほど口汚いメールを書いて送った。もちろん返事はなかった。
アパートのドアを叩く音で目が覚めた。あまりの急転直下に酒をかっくらって眠ってしまった。頭ががんがんする。不用意にもドアを開けてしまった。目がつぶれるかというほどの光を向けられた。
「盗作疑惑についてお話お願いできませんか?」
腹の底から怒りがこみ上げる。殴りかかってやろうかと思ったが、ふと考えが浮かび、冷静に言った。
「お話しますからちょっと待ってください」
俺は家の中に戻り、会社にいく用意を済ませてから玄関にでた。
そしてサクラと出会い、彼女に作品を見てもらい、一緒に手直ししたことを話した。そして騙されて二百万の借金まで背負っていることを話した。その手口も洗いざらいしゃべった。リポーターは怪訝な顔をする。
「……その方はどこにいらっしゃるんですかね?」
「それが、連絡がとれないんです」
「はぁ。じゃあその人の存在は証明できないということですよね? あなたの想像上の人物かもしれない」
「いますよ! います!」
「証明できないとなると……ねぇ。相手の作家さんは裁判もお考えだということですよ?」
まずい、と思った。俺は頭にきている。これ以上感情でなにか言って、裁判のときにとりあげられても困る。俺はリポーターを振り切って、その場を離れた。
いつもよりぐるりと遠回りして電車を乗り継ぎ、会社に着いた。着くなり係長に取り押さえられた。
「携帯に連絡しただろう。お前の戯言のせいで会社にまで迷惑がかかってるんだ」
「戯言……俺はなにもしてないんです」
「お前がしてようがしていなかろうが、大変なことになってる事実はかわらないんだよ。しばらく来るな」
「しばらくって……」
「騒ぎが収まるまでだ。こっちから連絡するから」
「でも取引先が……」
「かまわん。仕事なんかお前の変わりはたくさんいる。だがこの件の当事者はお前だけだろう」息が詰まる。
「そうだ。ITコーポレーションのタカハシって人から返済についてと連絡あったぞ。金を借りるのは個人の自由だが、会社に迷惑かけるな」
係長はそれだけ言って、俺を部屋から追い出した。
会社まで連絡が来ているということは、ここも危ない。俺は煮えくり返る腹を抱えたまま隣の駅まで行き、ネットカフェを探した。
異様に静かな空間に身をおき、小説のサイトを開いた。アクセスが集中しているのかページの切り替えがかなり遅い。俺の小説はやはり群を抜いて最高アクセスを更新続けている。サイト内のメッセージボックスにもメールがあふれている。
後ろの席に座った男がテレビをつけてワイドショーをみている。さっきのリポーターの声がする。
「それが連絡取れないんですよ」
俺がしゃべった台詞を聞いたことのない声がしゃべる。顔は写っていないが明らかに今俺がしているネクタイが画面に映し出され、俺はそっとネクタイをはずす。
画面はスタジオに切り替わり、コメンテーターが何か言っている。作家だ。
「作家を目指している人間が一番やってはいけない行為ですよね。腹が立ちます。正直この作家の『ユアサ クララ』さんは存じ上げていなかったんですけれど、三年ほど前に出版されている作品なんですよね……」
「ご本人のインタビューもこちらにあります」
俺はそのユアサとかいうやつの顔を見てやろうと、乗り出した。後ろの男の影でよくみえない。その上チャンネルを変えやがった。
俺は店を出た。書店にいけば何かわかるだろう。書店の店先にははやくも堆く『ユアサ クララ』の本が積まれ『盗作された秀作』と宣伝文が着いている。今売れるものは今売っておけ。資本主義社会の産物というのか。こういう反応はすばやい。三年も前の出版物だろう。昨日までこの薄いピンクで装丁された本が積まれていた場所は倉庫の片隅だったのではないのか。
ぱらりとめくり、ため息か出た。
『それはまるで春の訪れを告げる女神が目の前に舞い降りたようだった』
冒頭から全く同じ文章で、それはサクラが指摘した一文なのだ。一ページの間に一体いくつの同じセンテンスを見つけ出すことができるのだろう。
「あ、これこれ。私これ読んだよ」
頭の悪そうなカップルの女がいう。
「お前本なんか読むの?」
言っている男のほうも雑誌しか読まないような顔をしている。
「ちがう、ちがう、ネット小説のほう。アクセスが多いっていうので見てみたんだけど」
「内容読んだの?」
「ううん。面倒くさくて読まなかった。でもこの作者ね、悪い人なんだって。自分で点数操作とかアクセス操作とかしてたんだって」
「自分で『ファンです』とか書いちゃう売れない芸人かよって感じだな」
「芸人だったらまぁそれでも売れちゃえば笑い話だけどね」
「それでもギャグぱくったら、やっぱ罪でしょ?」
「罪、罪。自分でやるだけだったら可愛いけど、評価あげるのにお金までつかって人雇ったんだって」
「ひぇ〜そこまでやるかね。それっていくらかかるの?」
「二百万くらいって書いてあったよ。そこまでしたいのかなぁ」
二百万……聞いたことのある金額だ。男はまた「ひぇ〜」なのか「うひょ〜」なのか判別できない声を上げながら本を手にとって、ぱらぱらやっている。俺は下を向いて、本に集中するふりをしている。二の腕に思い切り力を入れて。そうしていないと手の震えが止まらない。
「その上借金までさせられたっていうインタビューがあったらしんだけど、それも『ユアサ クララ』の作品とおんなじシチュエーションなんだって」
「げっ。ようするにストーカー?」
「さあね」
男は本を乱雑に戻した。
「ま、なんにせよ、俺にはネット小説なんかオタクっぽいことやるやつの気持ちなんかわかんねぇけどな」
「なにいってんのぉ? この前見た映画、原作ネット小説だよ」
「え? マジで?」
「映画にまでなれば、二百万円なんて安いかぁ……」
二人は笑いながら離れていった。
目次に戻ってみると、本は短編集のようで、いくつかのタイトルが並んでいる。一際目立っていたタイトルが『はめられた男』。力が抜けた手が開いたのは表紙裏の作者の顔写真。長い髪、はにかんだ笑顔、見覚えのある写真。
「売れちゃえば笑い話」
さっきのカップルの女は、高く澄んだ声でそういった。女神のように見えた写真が全く無機質な幻のように見える。紹介の文章には『ブログで小説を書き綴り、修行する。趣味は女装』と書かれている。記憶の中で蘇るバラの匂いがおろかな自分への吐き気を誘う。
目立ちたくて何が悪い。使えるものを使って何が悪い。これから俺はどうなるんだろう。会社にはいつ復帰できるんだろう。ネット上にはどこまで俺の情報がさらされているんだろう。俺は眩暈に襲われながら、レジへ向かった。とにかくこの本を熟読しよう。とくに『はめられた男』を。この状況から抜け出せるヒントがあるかもしれない。俺だったらそんなところまで書かないけどな。
レジが映し出す数字をぼんやりとみながら、サクラからきた最初のメールを思い出していた。彼女……いや彼が俺に見出した『決して他の人にはない光るもの』は一体なんだったのだろうかと考えていた。
このサイトにもあるらしい、いわゆる「荒らし」についてのご意見などと春エロスの作品に影響を受け、書いてみました。設定がちょっと強引かなとも思いましたが、そこは創作の産物ということでご容赦ください。




