8話「騎士としての英断に、人としての想いを。」
「あの……それってどういう……?」
「いいこと?」
執務室。セレネが作ってきてくれた昼食のドーナツを頬張りながら、私は再度セレネへの説明に入る。
「さっきも言った通り、騎士団は今、局所的な人材不足なの。具体的には、医療担当の部隊の教官ね」
ドーナツと一口に言っても、チョコレートソースがかかっていたり、中に生クリームやカスタードが入っていたりと、バリエーションは様々だった。毎日継続的に作れるのであれば、店を出せるくらいには凝っている。
丸く、一口サイズの愛らしいそれを一つ、口に入れる。
「……んっ……セレネなら十分にその役割がこなせると踏んでいるわ。どうかしら? 試しに様子を見るだけでもしてみて欲しいのだけれど、嫌?」
「嫌というわけではありませんが……」
視線を所在なさげに彷徨わせ、私を見て、珍しく神妙な顔で黙っているミスティを見て、床を這わせてから、再び私と目が合う。
「国家騎士のお仕事、それも人にモノを教えるだなんて……わたしに務まるとは、とても……」
「セレネ。私はあなたを買ってる。あなたならなんだって出来るわ」
「そうでしょうか……」
眉尻を下げ、曖昧な笑みを浮かべる。多くの技能を高いレベルで持っていながら、どうしてここまで自信がないのだろう。ともすれば、これだけ褒めている私に対して失礼に当たるというのに。
彼女の目は、助けを求めるようにミスティの方へ。一口目に「すごくおいしいね!」と言ったきり口を開かない彼はひどく不気味だ。なんでも美味しそうに食べるのが彼の美点の一つだけれど、今はそれもない。
怪訝に思いつつも、意見を問う。
「ミスティもそう思うでしょう?」
「んー……」
ミスティはチョコソースのかかったドーナツを手に取り、その輪っかを欠けさせる。考え事でもしているかのように、たった一口をじっくり噛みしめ、最終的には紅茶と共に喉の奥へ落とした。
「性格的にちょっと卑屈っぽいから、変な反感は買うかもしれないけど、セレネなら十分務まると思う」
「でしょう? だから」
「でもさ」
一際大きな逆接の声が、私の言葉を遮った。
驚きながら副団長を見れば、彼は睨むように私を見ていた。そこに宿っているのが怒りだなんて、言われなくてもわかる。
静かな怒気を孕んだ声音が、私を糾弾する。
「エリカが提案するのはおかしいんじゃないの」
「な……なんでよ。別に誰が言っても同じじゃない」
「同じじゃないよ」
汚らしいものを吐き捨てるかのような態度。その言い方にはさすがにカチンとくる。こっちだって、人道にもとるような発言をしたつもりはないのだけれど。
剣呑な空気におろおろするセレネが目端に映った。しかし、感情の波はそれを些事だと判断し、視線はすぐにミスティを真っ向から捉えた。
「何が違うって言うのよ。大体、元を正せばあなたが大変だって言うからこんな話になったんじゃない。なんなのよ、その態度」
「そんなことさせるくらいなら、ボクが一人でやる」
「だからなんなの? そんなことって。何が気に入らないってのよ」
彼は静かに、諭すかのように言った。
「騎士団の医療部隊っていうのはね、戦争に出るかもしれない部隊なんだよ。いざって時、避難するんじゃなくて、戦わなきゃいけない。自分達の命も散りかねない恐怖の中で、たくさんの血を見て、苦痛を見て。でもそれらと真っ向から戦って、目を逸らしちゃいけない。安全な場所で治療をする民間医療とはわけが違う」
「はぁ? わかってるわよそんなこと。今さらあなたに言われなくたって」
「全然わかってないっ!」
絶叫。胸の内全部をまとめて叩きつける叫びに、思わず怯む。ミスティは思い切り私の胸ぐらを掴み、額をぶつける勢いで引き寄せた。
彼は勢いのまま、まくし立てる。
「野戦病院に担ぎ込まれる患者はね、みんな例外なくひどい傷を負ってるんだよ。身体にも、心にもね。なのに彼らは痛みに耐えて、飢えに苦しんで、人を殺す為に回復しなきゃいけない! そんなの、並の神経じゃやってけないよ! 過酷すぎる戦場に狂って、死にたいと喚く人もいる。助からない傷を負って、死にたくないって苦しみながら死にゆく人もいる。そういうのを何度も見なくちゃいけない! 助かりそうな、まだ戦えそうな人を優先して、死の間際にある命を見捨てなきゃいけない! でも、そんな生き地獄をまざまざと見せつけられて、それでも目を背けちゃいけない、挫けちゃいけない、常に救う側の立場でなきゃいけない! それが騎士団で人を癒すってことなんだよ!」
手は離されない。私に、逃げ場はない。
「……エリカ、もう一度言うよ。セレネを騎士団に入れようって、エリカが提案するのはおかしいんじゃないの」
「……」
その人を本当に大事に思っているのなら、たとえ人手不足に喘いでいたとしても、戦地になんか連れ出すべきじゃない。ミスティはそう言っているのだ。
誰かを護る為の、最初の努力。死地とわかっている場所から、その人を遠ざける。そんな場所に行かなくて済むようにする。それが人道というなら、なるほど私の行いは非人道的で、浅慮な間違った行為だ。
小さく、息を吸う。
「……あなたの言い分はよくわかったわ」
ミスティの言っていることは正しい。どこまでも正論だ。そこに反論を差し込む余地などない。
だからこそ、私は彼とはわかりあえない。この言い争いは平行線で、交わることなんてないのだ。それをわかった上で、私は私の正論を主張する。
「私はね、エリカ・フランベルである前に、ローリス王国騎士団長なのよ。有能な人材であれば、身内だろうと関係なく勧誘する。確かに私情を挟んで危険から遠ざければ、家族を守れるかもしれない。けれどね、それで国が守れないのなら、騎士団長である必要も資格もないのよ」
揺らぐ瞳を射抜きながら、誰も座っていない、執務室の机を指す。
「あそこに座るってことは、王国騎士団長であるということはそういうことなのよ。ミスティ・ライライラ」
「……っ」
ミスティは唇を噛みしめ、表情を葛藤に歪める。
彼の手からふらりと力が抜け、私はようやく解放された。くしゃくしゃになってしまった襟元を正しながら、短く息を吐く。
「それに、強制するわけじゃないわ。そんなことしたら違法徴兵だもの。喉から手が出るほど欲しくても、あくまで本人の意思を問う。それがウチのやり方でしょ?」
民間人に頼んで、報酬と引き換えに協力してもらうことはあるけれど。それも交渉の後に拒否されたなら強制力はない。
礼を以て尊ばれ、忠を以て応えよ。賛を求むるなかれ、己が騎士であるならば。
それが、ローリスが誇る王国騎士の訓示。尊敬される騎士団であれば、自ずと人は協力的になる。逆に、力を持ったとて高慢になってしまえば、騎士団は腐敗し、人々の心も離れていく。だから、護られる立場の人間に対して何かを強要するなんてご法度で、言語道断。誰が為の騎士団か、何が為の騎士団か。私だってそれを忘れたわけじゃない。
ミスティの、きつく引き結ばれた唇。それは、私の言葉に憤慨したわけでなく、落胆したわけでもなく、未だ想いが燻っていることを示していた。
瞳に火が灯る。
「でも……でもボクは反対だ! それに、今は危ない時期だって、エリカだって知ってるでしょ!?」
「リンディス公国が軍備を整え始めたって話でしょう? わかってるわよ」
リンディス公国はローリスの隣国で、面積的にも人口的にも国力的にも、あまり大きな国ではない。正面から戦争になったら、近隣でも屈指の大国であるローリスの敵でないのは明白。他の近隣国相手に仕掛けるのであっても、公国側は厳しい戦いを強いられるだろう。
しかし、それでも各国がその動向に注目し、警戒しているのには二つの理由がある。
一つは、軍備を整える動きがあること。現在、国家間で争いの火種はこれといってなく、防備や抑止力としての軍事力はさほど必要にならない。これを拡大する動きというのはつまり、どこかの国へ仕掛ける予定があり、また、なんらかの勝算があるという証左に他ならない。
もう一つは、リンディス公国を治めるリンディス家当主がくせ者ということ。元はローリス王国で無名の下級貴族だったはずのリンディス家は突如として力を持ち始め、いくつかの貴族を取り込んだ公国として独立を宣言。力を得てから建国までの速度もさることながら、どのように資産を得たのか、どことどのような繋がりがあるのか、その目的はなんなのか、全てが謎に包まれており、その異様さと不気味さは日に日に増すばかりである。
リンディス公国は、規模の大きなテロリスト。そんな見方もあるほどだ。
「わかってて……わかっててぇっ!」
「決めるのは私達じゃない。セレネよ」
握りこぶしを震わせているミスティとは対照的に、私の内には冷静さと余裕が戻ってきていた。
そんな私の様子を見てかは知らないけれど、セレネも控えめながら話に参加する。
「あ、あの……お二人とも、少し落ち着いてください」
「あら、『わたしの為に争わないで』くらいは言ってもいいのよ?」
「冗談を言っている場合では……」
私は茶化したようでいて、事実茶化していた。
「セレネ、話は今聞いていた通りよ。私があなたを勧誘していて、受けるかどうかはあなた次第。危険性については、ミスティがこれだけ心配しているのだから、それで伝わったはずよ」
ミスティは悔しげに唸り声を上げている。何か言ってやりたいが、そうもいかない。そんな顔だ。身体もそわそわと落ち着きなく揺らしている。
それをよそに、私は続ける。
「今この場で決めなくていいわ。来週までに聞かせてくれれば」
「えっ、と……」
彼女はその言葉と期間をゆっくり飲み込む。その内側にある悩みや葛藤を、私は何も知らないけれど。
少しでも自分に自信がつけば、もっと笑ってくれるかもしれない。行き帰りだって一緒にいられる。医療部隊の問題が解決するだけで、懸案事項の多くが、絡まった紐がほどけるみたいに解決するだろう。いいことはたくさんある。
でも、断って欲しいと願う自分もいる。やっぱり危険だから。戦いの最中に後方を気にする余裕なんてない。側で護ってあげたいけれど、私はそういうわけにはいかない。だから、危なくなったらいち早く避難して欲しい。
……騎士団長としては受けて欲しいの一点だけれど、エリカ・フランベルとしては、複雑な思いだった。
「……はい。考えておきます」
「ええ。お願いね」
本人は、この場で拒否することはしなかった。
それが気に入らない人物が、一人。それが誰かなど、言うまでもなく。
「うぅー……っ! いいよもうっ! エリカの馬鹿っ!」
ミスティは涙目になりながら吐き捨て、止める間もなく走り去った。
「あっ、ミスティ様!」
「いいのよ、放っておきなさい」
「ですが……!」
追いかけようとしたセレネを引き止め、諭すように言う。
「あの子がそれ以上何も言わない時はね、概ね納得した時なのよ」
「えっ?」
彼が出ていった扉に視線を遣る。勢いのまま飛び出していったせいで半開きだ。
「私は団長。あの子は副団長。いつも私達の意見が同じだったり、イエスマンの副団長だったら、私に団長は務まってない。こんな未熟者が道を踏み外さずに済んでるのは、私とは違う感性を持っていて、気に入らないことを気に入らないとハッキリ言ってくれる、あの子のおかげなのよ」
月並みなことを言うようだけれど、同期にミスティがいてくれて、彼が副団長をしてくれて本当によかったと思っている。
「それにね」
出て行く前にした彼の行動を思い出すと、くすりと笑みがこぼれる。あれはもう、私に対して怒ってなんかいない。そういう証明。
「ちゃっかりドーナツを持っていく余裕はあったみたいだから。今頃、誰かに憎まれ口を聞いてもらいながら食べてるわよ」
「はあ……」
言いながら、いかにもミスティが好きそうな、雪のように砂糖をまぶしたドーナツを一口。
砂糖の直接的な甘さが舌の上に広がりながら優しく溶ける。ふわふわの生地を食み裂くと、中からとろけるカスタード。甘さと優しさの暴力みたいな、一点の曇りもない、理想の世界みたいな甘ったるい幸福が、口いっぱいに広がっていく。
それを散々堪能してから、改めて認識する。
やっぱり、あの子とは好みが合わないわね。