7話「有能な侍女に、見出だした希望を。」
「エリカのヘタレ!」
服装を整えてくれたことへの感謝を添え、昨日の出来事を包み隠さず話した結果がそれだった。
ここは団長執務室。ミスティは悪びれもせずサボりに来ていて、勝手にコーヒーを淹れて飲んでいる。牛乳も砂糖も大量すぎるほど入れていて、それはもうコーヒーではなくカフェオレか何かじゃないかしら。
私の返答は、相変わらずうんざりさせられる量の紙束にサインをしながら。
「執務中よ。エリカじゃなくて団長」
「団長のヘタレ!」
律儀に言い直すところは感心する。残念ながら、問題はそういうことではまったくないけれど。
嘆息。お菓子を置いている引き出しから一粒のチョコレートを取り出し、ぎゃあぎゃあとうるさい彼の口に押し込む。
「ぅむっ……おいしい」
にへら、という締まらない笑み。満足してくれたらしい。甘いものはいい。ささくれ立った気持ちをかき消して、小さな幸せをくれる。そして何より、誰も不幸にしない。虫歯にさえ気をつければ。
こうして、無事にミスティも納得してくれた。
「よかったわね。もう一個あげるわ」
「いいの!? やったー!」
「さ、自分の仕事に戻ってちょうだい」
「はーいっ!」
一気に上機嫌になった副団長殿は、鼻唄など歌いながら執務室を出て行った。訪れる静謐。これでようやく私も自分の仕事に集中出来る。
……というのは、少し甘かった。
「じゃ、なーいっ!」
数十秒を経て、彼は戻ってきた。さっきまでカフェオレを飲んでいたコーヒーカップを手にして。
「あら。カップを返し忘れるなんてうっかりしてるわね」
「あ、うん、ごめん……って違うよ!」
再度、呆れと諦めを孕んだ息を吐く。この様子ではごまかしきれない。彼の相手をしてやるしかなさそうだ。
「どうして告白しなかったのさ! いい雰囲気になったんでしょ!?」
「別に私の勝手でしょう。それに色々事情もあるのよ、それくらいわかるでしょう?」
「わかるけどさぁ……」
ミスティは不満げに口を尖らせ、さっきあげたばかりのチョコを放り込む。もすもすとチョコを噛み砕くその動きは、まるで私に対する不平不満の八つ当たりのよう。
「大体ね、ミスティ」
そもそもわからないのだけれど、
「どうしてあなたがそんなに気にするのよ。私の恋愛事情なんて、あなたには関係ないでしょう」
「関係あるよ!」
即答にして、断言。噛みつかんばかりの勢いの裏に、尋常ならざる思いが見え隠れする。
私は、軽はずみな問いをした自分を大いに恥じた。彼は彼なりに親身になって考えてくれて、手助けしてくれようとしていたのだ。それをあなたには関係ない、と言ってしまうのは、些か薄情がすぎた。
私が反省の心を芽吹かせている間にも、彼は大きな熱量のまま主張を続ける。
「ヘタレがいつまでもうだうだして、おんなじような悩みを何回も何回も繰り返して全然進展しない恋物語なんか見て何が面白いのさ! マンネリだよマンネリ! 自分と相手が結ばれていいのかなんて悩みはね、一回きりで十分だよ! どうせ好き合うようになってもまたいろんな問題が出てきて二人の仲を邪魔するんだから、あの手この手でアプローチかけたり、さっさと告白しちゃえばいいんだよ! どんどん話を進めて新しい展開を見せてくれないとこっちはつまんないし、あんまりくどいとイライラするんだからねっ!」
「……へえ」
肩で息をしてまで一気にまくし立てたミスティを、感情の死んだ目で見つめる。なるほど彼の言い分はよくわかった。私の深い自省を利子付きで返して欲しい。
「あ、あと団長には早く幸せになって欲しい」
「もう遅いわよ」
取って付けたような心配には、額への手刀で応じる。非常に無意味な時間だった。ミスティさえ来なければ少しでも書類が片付いたろうに、どうしてくれるのだろう。
ミスティは赤くなった額を押さえ、涙目でこちらを睨む。
「うぅー……エリカは臆病すぎるよ」
「慎重と言って欲しいわね。あなたが軽率すぎるのよ」
私は既に、意識も手も仕事に戻っている。とはいえ、
「あ、お昼だ」
時計は昼食時を示していた。外で訓練をしていた騎士達もとっくに撤収しており、今頃、かいた汗を流しているのだろう。
ミスティが机の周りをちょろちょろしだす。言葉を口にはしないけれど、目障りで鬱陶しい。彼の言いたいことが察せるだけに、鬱陶しさもひとしおだ。
「今日は私、食堂には行かないわよ」
「ふえ? なんで?」
「セレネがお弁当を届けてくれることになってるから」
それを聞いた彼は、悪戯を成功させた猫のような笑み。
「愛妻弁当だ」
「馬鹿言わないの」
「ちぇー。エリカはいっつも冷静だからつまんなーい」
いいじゃない。切迫した状況でも冷静さを失わないのは大事なことよ。
と、ノックの音。このタイミングで扉の向こうにいるのは誰か。誰に想像させても、答えは同じに違いない。
「はーい、入っていいよー」
「なに勝手に応えてるのよ」
「し、失礼しま、す……?」
ほら見なさい。ミスティが返事するから、部屋を間違えたんじゃないかって、セレネが戸惑ってるじゃないの。
彼女はおずおずと入室し、にこにこと手を振るミスティに会釈してから、書類の山に埋もれる私を認めて胸を撫で下ろす。桜が花を咲かせたような笑顔。
「よかった。ミスティ様のお部屋と間違えたかと思ってしまいました」
「あは、ごめんね。遊びに来てたんだー」
「遊びにって……ごまかすそぶりくらい見せなさいよ」
舌を出してウィンクをするミスティが、到底反省しているとは思えなかった。彼は時折私を「堅い」と評するけれど、どう考えても甘すぎる。今度からもう少し厳しくしようと、密かに決意を固める。
しかし、今はセレネだ。私の胃は食事を欲して鳴こうといる。
「セレネ。お昼ご飯は持ってきてくれたかしら?」
「もちろんです」
両手で掲げるのは、大きめのバスケット。朝持たせるのでなく、わざわざ届けてくれるようなもの。サンドイッチかしら。
穏やかに笑むセレネは、答えを教えてくれる。
「実は、ドーナツを持ってきたんです」
「ドーナツって家で作れるものなの?」
興味ありげに問うたのはミスティ。二人の会話を聞きつつ、私は紅茶を用意すべく立ち上がる。行儀がいいとは決して言えないけれど、どうせならここで食べてしまえばいい。あの厳格なお父様に知れたら雷が落ちそうだけれど。
「はい。普段から料理をされるのであれば、そんなに難しくありません」
「へぇ。今度ボクも作ってみようかな」
コーヒーはここでもいいけれど、紅茶を淹れるには隣の部屋に移動しなければならない。部屋を去る間際、振り向く。
「待っててちょうだい。紅茶を淹れてくるわ」
すると、セレネが慌ててバスケットを机の上に置き、私の後を追ってくる。
「あっ! エリカ様、わたしがやります!」
「そう? なら一緒に行きましょうか」
「はいっ!」
たまに見せる、至上の笑み。私の胸を鷲掴みにする笑顔だけれど、それを見せるタイミングが、最近なんとなくわかってきた気がする。
おそらく、彼女は必要とされることが嬉しいのだ。新しい仕事を任された時、私に必要とされていると実感している時によく笑う。逆に、私が自分のことを自分でやろうとして彼女の申し出を断ると、遊んでもらえなかった小型犬みたいにしょんぼりする。その落ち込み方たるや、耳と尻尾が幻覚として見えるほど。
今その感情の耳は屹立していて、尻尾は左右に振り回されている。……可愛い。
執務室を出て行こうとする私達を、愉快そうに見守る人物が一人。
「じゃあボク留守番してるねー」
それだけで黙っていればいいのに、あの馬鹿は余計な一言を付け足した。
「エリカ、二人きりだからって変なことしちゃダメだからねー」
「しないわよ」
いつものことだから私は冷静に返せたけれど、セレネは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。昨日と同じ。なにか、あまり体裁的によろしくないことを想像しているに違いない。
扉を後ろ手に閉める。
「あなた、お菓子作りも出来るのね」
短い廊下を行きながら、私は新たな事実に驚いていた。セレネは少し緊張気味で態度が固い。何もしないというのに。
「は、はい。大したことは出来ませんが、これくらいは……」
「いえ、大したことよ」
本人はこうやって謙遜しているけれど、これでいてセレネはかなり出来る側の人間だ。
掃除洗濯に始まる家事をスムーズにこなすことはもちろんだけれど、彼女の場合、それらに一切手抜きがない。紅茶やコーヒーを淹れさせても、こうして毎日自分でやっている私よりずっと美味しく淹れるし、料理もその辺の料理店よりずっと美味しくて栄養価の高いものを作ってくれる。
少し聞いたところによれば、設備さえあればパンも焼けるという。というか、本当は買ってくるのではなくてそうしたいらしい。
メイドとはこういうものだっただろうか? と、昔を思い出して首を傾げるくらいには優秀な人材。騎士団長の地位を加味しても、私なんかの専属でいいのかと気後れしてしまうほどだ。
「では、さっそく」
「ええ」
執務室の隣、空き部屋には紅茶葉やコーヒー豆が多く保管してある。
前団長の趣味というか、ここにこういう部屋があると何かと便利だからと、空き部屋をこうして休息所のようにした。誰でも利用してよく、もちろん私も利用させてもらっている。
コーヒーは飲むから執務室でも淹れられるようにしたけれど、私は普段紅茶を飲まないから、保管してあるこっちに来るしかなかった、というわけ。せっかくセレネのドーナツなのだから、コーヒーはちょっとね。
彼女は手際よく湯を沸かし、匂いを嗅いで茶葉を選んでいる。匂いで質もわかるのだろうか。
「あなた、本当に何でも出来るのね」
「え? そ、そんなことありません。わたしなんて、全然……」
ぱたぱたと手を振って否定する。ここまではお約束、予定調和みたいなものだ。
「いえ、すごいことよ。普通のメイドのスペックじゃないわ」
「おそれいります」
微笑み、再び作業に戻った彼女の背中を見ながら、私は考えていた。
実際、どれだけのことが出来るのだろう?
家事全般を高い質でこなせるのはこの一週間でわかった。同時に、本人は自己評価が低いのか、はたまたメイドとしての遠慮なのか、それを誇らしくは思っていないことも。
で、あるならば。もっと他にも黙っている技能があるのではないか。未だ振るう機会のなかった辣腕が。そう、例えば――。
「ねえ、セレネ」
「はい?」
私は問うた。いえ、ほとんど確信をもっていたから、これは確認だ。その確認に対し、はたしてセレネは私の思っていた通りの答えを寄越す。
「……? はい。それくらいでしたら、一応」
私は、思わず口角が上がるのを自覚していた。
――見つけた。