5話「平穏な休日に、太陽の煌きを。」
セレネがやってきてちょうど一週間。晴れた日の午後のことだった。
賑やかしい王都を、私は飾り気のないワイシャツに、下はデニムにスニーカーという出で立ち――つまるところ、完全な私服で歩いていた。今日はオフだ。
出かけているのは一人でというわけではなく、とはいえ従者のセレネと一緒でもなく。
「ふうん? じゃあ、これからはエリカの家に遊びに行ってもいいんだ?」
「団長……じゃなくていいんだったわね、今日は」
ローリス王国騎士副団長、ミスティ・ライライラと一緒だった。基本的に団長と副団長が揃って休みになることなどほとんどないのだけれど、特に目の前に危険が差し迫っているでもないし、もうすぐ国を挙げての祭典もあるから、徐々に休みも増えていく。その予兆だろう。毎年恒例の、そういう時期。
ミスティは柔らかな髪で長い三つ編みを作ってきていた。膝下丈の黄色いフレアスカートに、上はシャツとデニムジャケットを合わせている。全体的に明るめの色、パステルにまとまっていると言えた。
「今日もセレネは家でお掃除?」
「そうよ。今日で終わりそうって言ってたわ」
言いながら、ひらひらとメモを弄ぶ。
「なにそれ?」
「持たされたのよ。買って来てって」
「へー。どれどれ……」
私の手から掠め取り、歩きながら小さな紙片に目を落とす。
「夕飯の食材だね。この感じだと……シチューでも作るつもりなのかな。バゲットもって書いてあるし」
こういうところは本当に感心する。メモを見ただけでよくそこまでわかるものね。
そのまま目線を落としていき、家を出る直前に追記された文言を認めたミスティは――非常に失礼なことに、なんの躊躇いも我慢も見せることなく――吹き出して笑った。
「あははっ! エリカ様に似合うおしゃれな私服って書いてある!」
そう。元は久々にオフが重なったミスティと少し出かけてお茶するだけの予定だった。けれどセレネはついでにと買い物メモを渡し、さらに「ミスティと一緒に出かける」という事実を知り、玄関先で急いでその一文を足したのだった。
一体何がそんなに面白かったのか、肩を震わせ、涙を滲ませて笑っているミスティ。
私は、純粋な疑問として訊いてみることにした。
「お使いはもちろんいいのだけれど、どうして私服なんて書き足したのかしらね」
「そんなの、エリカの私服がダサいからに決まってるじゃん!」
「ダサ……!」
満面の笑みで放たれたそれは、胸にぐさりと突き刺さった。
そ、そりゃ確かに、普段は制服なわけだし、おしゃれなんて不要だと思って無視して、安くて無難なものばかり買ってきたわよ? しかし面と向かって、屈託なくダサいと言われると、さすがに心にクるものがある。さらに言えば、それがミスティだけの感想ではなく、セレネにもそう思われていて、こうしてやんわりと、しかし直接的に主張されているということが、余計にショックだ。
自分の服装に目を落とす。
そんなにひどいのかしら……こんな服装の人、たくさんいると思うのだけれど。
それにもう一つ、引っかかることが。
「でもそれ、あなたと出かけると伝えてから書き足したのよ。別にあなたと一緒じゃなくて、私一人で買ってきても一緒じゃない」
「そりゃ、さ」
ミスティはてててっ、と先を行き、長い髪とスカートを翻してくるりと振り返る。八重歯を覗かせる、まるで影のない、無邪気な笑顔。
「ボクが可愛いからでしょ?」
「……」
認めたくはない。断じて認めたくはないけれど、確かにその通りだ。
服装に気を遣って、印象にも気を遣って、けれども自分に素直に、正直に生きている。それが魅力的でなくて何だと言うのだろう。
駆け、先を行くそのミスティの隣に追いつく。
「セレネはボクに、遠回しにお願いしたってことだよね。エリカの洋服選び」
「……自分で言うのもなんだけれど、私、あなたにそこまで負けてないと思うわ」
「勝ち負けとは何か違うかな。コーディネートの大会とかじゃないんだから。ボクは似合う服とか、好きな服を着てお出かけしたいだけ」
ただの正論。なのにそれが私には勝者の余裕に見えて、途方もない高さの壁を感じた。
私とミスティは立場とか、戦いのセンスだとか、物覚えだとか、基本的な人間スペックにほとんど差はない。けれどこういう話になると、立っているステージがあまりに違いすぎた。触れてきた期間が違いすぎる。
しかし、私は食い下がる。負けず嫌いな性格には自覚的なつもり。
「でも見なさいよ。シンプルだけれど意外と悪くないでしょう?」
「それはエリカが相当美人なだけ。頭身も高いし、スタイルもいいからそういう格好が似合うのは確かだけどさ。それは持ってる武器の性能に甘えてるって言うのかな。スタイルとかを生かそうとはしてない。実力じゃないよね」
「ぅぐ……っ」
痛いところを平然と突いてくる。おそらく、傷つけてやろうなんて欠片も思っておらず、ただ事実を述べているだけ。
ただ、なんでもないことのように言われると、それだけダメージは大きい。ええ、そうよ。何も考えてないわよ。似合うと言われてもただの偶然よ。
そして、手傷を負って怯んだ者には、さらなる追撃が降りかかるのが戦場の常。
「ていうかそれ、普通に作業着じゃん」
「作業着!?」
まさか、まさかそこまで言われるなんて……。ショックのあまり立っていられず、街中にもかかわらず膝をつく。作業着……作業着は言いすぎよ……。
「で、でも、こんな格好の人、普通にいるじゃない」
自分で落ち込ませておきながら、ミスティは私に手を差し伸べる。その厚意を一応は受け入れ、力を借りることでどうにか立ち上がった。
「んー、じゃあさ、そういう、ファッションで着てる人と何が違うと思う?」
「……適当でなく、自分で考えて選んだかどうか?」
不意に問いかけられたにしてはそれっぽいことを言えたように思ったが、ミスティはその答えを全肯定はしなかった。
「それもあるけど、一番はその服を汚したくないかどうかだよ」
「ん……」
確かに私は、この服が汚れてもなんとも思わない。ショックなど受けようはずもない。さすがに家を出る前に汚れに気づけば躊躇うけれど、出先で汚してしまう分には仕方ないと思うし、さして気も遣わない。
そういう意味では、私が今着ている服は紛れもなく作業着。なるほど、納得の理屈だ。
ミスティはえへ、と小さく笑う。
「でも嬉しいな」
「嬉しい? 何がよ?」
「だってさ、エリカ最近楽しそうだもん。ずーっと仏頂面ばっか見てると気が滅入っちゃうからね」
「悪かったわね愛想がなくて」
軽口を叩きはしたものの、セレネが来てからの生活を楽しんでいる自分も自覚している。家に帰れば、あの人が出迎えてくれる。待っていてくれる。
……。
知らぬ内、胸に詰まった想いが、呟きとなってこぼれた。
「セレネ……」
セレネとも、こうして二人で出かけてみたい。冗談でも言いながら、手でも繋ぎながら人の中を歩いて、服でも選びながら、しゃれっ気に無頓着すぎる部分をちょっと叱られたりもして。
少しでも長く、彼女と一緒にいたい。彼女は知らないだろうけれど、十二年分の想いを埋めて欲しい。……そんな風に考える私はいつまでも子供のままで、それがひどく恥ずかしい。
夕方には帰る。また会えるというのに、なんだか寂しくなってしまった。
と、頬が潰される感覚。ミスティの指が私の頬を突いていた。
「んむ……ぁによ」
「ボクといるのに、他の女の人のこと考えてるーっ」
「面倒くさい恋人みたいなこと言わないでちょうだい。……大体、他の女って言うけどね」
指を押しのけ、逆にミスティの両頬を抓まんで引っ張る。まるでそういう食べ物みたいに、面白いほど伸びていく。
私と違って毎日のケアを念入りに、それも絶対に欠かしていないのだろう、みずみずしい肌。天真かつ爛漫な愛らしいキャラクター。可愛い服を好み、料理も人並みに出来、些細なことにも気づける女子力。
けれど、ミスティは。
「あなた、男じゃない」
ミスティ・ライライラは、男性だ。
実際に私が確かめたわけじゃないから、自称男性で、本当は女性なのかもしれない。というか、そうであって欲しい。そうでないと、私は女子力的な項目の全てにおいて、男性に敗北していることになってしまう。だから認めたくないのよ。ミスティが可愛いなんてことは。
私が手を離すと、彼は赤くなった頬をさすりながら唸った。
「うぅー……痛いよエリカぁ」
その仕草は、声音から指先といった、細部に至るまで可愛らしい。彼が男であるという認識に自信が持てなくなるのは、今に始まったことではない。
「……本当に男なの?」
「本当だってば!」
「確かめたいのだけれど、スカート捲ってもいい?」
「だ、ダメだよそんなの!?」
彼は自らの身体を抱くようにして、目尻にうっすら涙を浮かべながら後ずさる。言っておくけれど、そんな格好で守らなくても、確かめる為に胸は見ないわよ。
しかし、これではどちらが男でどちらが女かわかったものではない。ホールドアップを見せて、悪ふざけはおしまいのポーズ。それでもまだ微妙に警戒の目を向けられているのは、いくらなんでも心外だ。
「私が悪かったわ」
口ばかりの謝罪を言いながら、歩みを再開する。
「……意地悪ばっかしてると、セレネにも嫌われちゃうんだからね」
「相手はちゃんと選んでるわよ」
「ふうん……」
うっすら浮かべていた涙を引っ込めたミスティは、なにやら猫みたいな顔でニヤリと笑った。あまり、いい予感はしない。
「セレネにはしないんだ?」
「当然でしょう。まだ付き合いが長いわけじゃないし、それに」
続くはずだったセリフは、ミスティによって遮られた。
「好きな人だから?」
「は……はぁ!?」
突かれた図星に心臓が跳ねる。先の意趣返しなのかと思ったが、彼の表情は珍しく真剣そのもの。冗句でも偶然でもなく、確信をもって発言しているようだった。
意表を突かれ、核心を突かれ。動揺を隠しきれない。
「ちが、なんでそんな……私はそんなのじゃ……」
声が小さく、尻すぼみになるのは、否定しようのない事実だから。
喧騒に紛れ込ませるようにして、彼は言う。
「そうなんでしょ? これでも観察力には自信があるんだよね」
「……敵わないわね」
やれやれとばかりに肩をすくめ、嘆息。ミスティの優れた観察眼から逃れられると思うのが間違いだった。
それから彼は、私を追及することも、理由を問うことも、ましてや軽蔑することもせず、元の快活なミスティに戻った。
「じゃあ、とびっきり可愛い服を着て帰らないとね!」
「ぇ……え? どうしてよ?」
「そんなの決まってるじゃん!」
戸惑う私の手が握られ、引かれる。
「好きな人に、好きになってもらう為だよっ!」
自分のことでもないのに、何故か心の底から嬉しそうなミスティの笑顔は、太陽よりも眩しく映った。




