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18話「秘めていた真実に、悪意ある運命を。」

 


 その日の晩。

 私はいつもより遅い時間に、帰路に就いた。報告も各方面にしなければならなかったし、騎士としての仕事だって放棄するわけにはいかない。戦争自体は終わっても、戦後処理に追われる身としてはここからが本番のような忙しさだった。当然、祭なんてものをしているせいもあるのだけれど。

 私が遅くても待っていてくれて、一緒に帰宅するセレネが、今日は顔を見せなかった。当然のことだし、それでいい。

「ただい……」

 セレネの言いつけで習慣づいてしまった挨拶を口にしかけ、やめる。彼女の靴が玄関になかったから。待っている人も、一緒に帰ってくる人もいないのだから、挨拶なんて無意味よ。

 先に「愛想が尽きた」なんて口にしたのは私の方だけれど、あれでセレネも私に愛想を尽かしたに違いない。先に還ったはずの彼女が家にいないことこそ、思惑通りに事が運んでいる証拠。

 ……上手くいっているはずなのに、心が弾むようなことはなかった。

「……」

 淡く汗の染みた服を脱ぎ捨てる。最初の頃に「脱いだ服はきちんとここに入れてください!」なんて怒られて、今ではすっかり身についていたけれど。物音一つしない部屋に身を置くと、そんなのどうだっていいことのように思えてくる。事実どうでもいい。多分もう、セレネは帰って来ないから。

 溜め息が漏れそうになり、慌てて押し殺す。自分の選択に未練や後悔が残っているのは明白だったけれど、これ以上悩むのを自分に許しちゃいけない。

 いつだったかミスティが冗談めかして言っていたように、同じようなことで何度も悩むのは見ていて面白くない。どうせ何か行動を起こせば、それに付随した悩みが出てくるんだもの。さっさと行動に移す方が、何倍も建設的だ。

「……終わってしまえば、悩みもなくなるものね」

 今はまだ、セレネが手の届く場所にいるから未練があるだけ。絶対に手が届かなければ、自然と諦めもつくわよ。

 と、ノックの音が届く。

「セレネ……!」

 感情が大きく振れる。

 しかしそれもすぐ、空気の抜けた風船みたいにしぼんでいった。

 セレネだったら、ノックをするはずがない。普通に鍵を開けて入ってくればいいのだから。

 消沈した意気のまま、警戒もせずに玄関を開ける。

 そこにいたのはセレネ……であるはずはもちろんなく、ミスティだった。彼はいつもの自然な笑顔。

「やほ、急だけど遊びに来ちゃっ」

 それが、私を見て固まる。そして慌てたように私を部屋に押し込み、自身も勝手に部屋に入ってきた。

「ちょっと!? なんて格好で出てくるのさ!?」

「……あぁ、これ? 下着よ」

 そういえば、着替えの途中だった。上は適当なシャツを着ているけれど、下は下着一枚しか身に付けていない。うっかりしていたけれど、今の私の上半身には、見られてはならない部分がいくつかある。

 彼は顔を真っ赤にして、わざわざ身体ごとそっぽを向いていた。

「そういう意味じゃないよっ! ここで待ってるから早く服を着てきてっ!」

「……はぁ」

 今さら、肌を見られることなんか些事も些事。しかし、着ないとミスティは納得しなさそうだった。

 仕方なく適当な部屋着を身に付け、彼の下へ取って返す。

「もういいわよ」

「まったくもう……おじゃまします」

「それで? なんの用かしら。言っておくけれど、騎士団を辞める意志を曲げるつもりはないわよ」

 副団長のミスティには、当然のごとく最優先に伝えてある。食い下がる彼を適当にあしらったものだから、そのことで来たのかと思ったけれど、

「いや、まぁ……それも出来れば考え直して欲しいけどさ。そのことじゃないんだ」

「じゃあ何よ?」

「セレネのこと」

 どうやら彼は、今私が最も考えたくない話題を持って、ここへ来たらしかった。

 リビング兼ダイニングに通すと、ミスティは持ってきていたトートからビンを取り出し、食卓に乗せた。その目が「飲もう」と語っていたけれど、私は首を横に振り、コップも一つだけ用意する。

 触れたくない話題で、しかも相手が悪い。正直、さっさと帰って欲しいというのが本音だ。

「お酒にしようと思ったんだけどさ、酔うと嫌だからジュースにしたんだー」

「賢明ね」

 小気味いい音と共に、栓が抜かれる。

「何かあったでしょ」

 そして、一太刀目から核心に切り込んでくる。

「そうね。騎士団を辞めるなんて言い出せば、何かあると思うのが普通よね」

「んー……」

 一杯目を一気に飲み干し、空のグラスが置かれる。嫌な視線が、私の目を捉える。

「あんまりこういう事言いたくはないんだけどね。ボクの目をごまかすのはエリカじゃ無理だよ」

「……」

 やはり、そういう話だった。

 予想は出来ていた。彼の観察力は、どんな些細な違和感も見逃さない。それが付き合いの長い私相手なら、絶対と言っていい。彼が今日ここを訪ねた時点で、私が隠し事をしていることは露呈しているも同然。だから嫌だったのよ。

 どうせごまかしきれないだろう。せめて、最後の一線だけは守らなければ。そう思いつつ、表面上は観念したように肩をすくめてみせる。

「どこまでわかってるの?」

「ここ最近、エリカは食事をほとんど摂ってないこと、一方的にセレネを避けていること、今日ついに泣かしたこと」

「セレネに聞いたの?」

「ううん。セレネはそういうの言わないよ。エリカと一緒」

「……」

 憮然とする私をわざと無視するように、二杯目を注ぐ。

「本当に大事なことは相談しようとしないのは二人とも同じだけど、セレネとエリカは理由が違うかな」

「理由?」

「エリカが相談しないのは、自分のことは自分で解決するべきだって思ってるからかな。それに、他人のことでも、自分が関わったら責任感じたりしてさ。なんでも自分が背負い込もうとするんだよ。相談することも、誰かの力を借りることも、基本的にはおっけーだけど、それが個人の問題になると別。事情を知っちゃうと見捨てられないタイプっていうのかな。悪いことした人でも、やむを得ない事情があるって言われたら匿っちゃう、それで自分も共犯になって、最後は庇った人を助ける為に自分だけ罪を被る、みたいな」

 ぞっとする。

 彼の指摘は的確で、今の状況そのものと言えた。セレネの罪を背負おうとして、どうにかしようとして、結果として人ならざる者の力を借りて、代償を背負って。

「……なら、セレネはどう違うというの?」

 ミスティは軽い調子で笑った。

「セレネはエリカと違って面倒くさくないよ。基本的な行動原理が、エリカに見捨てられたくないってことだからね」

「は……?」

「役に立たないと、自分のことくらい自分で出来ないと、エリカに嫌われるかもしれない。そう思ってる節があるんだよね。だから、一人の力じゃどうにもならないような重大なことほど自力で何とかしようとして、誰にも言えなくなる。セレネは結構顔とか態度に出るからわかりやすいし、エリカから言われたら白状するだろうけどね」

 彼は色のついた水面を見つめながら、コップの縁をなぞる。

 そして独り言みたいに、

「……よっぽど好きなんだね、エリカのこと」

 そう、言った。

「そんなの……」

 そんなの、知ってるわよ。

 私に拒絶された時のセレネの目が忘れられない。ずっとずっと私の胸を突き刺してやまない。売り払われて、酷い目に遭わされて、昔の記憶を失くして。私しか縋るものがなかった。なのに、そのたった一つの拠り所にさえ拒絶された。

 こんなことになるくらいなら、最初から彼女に嫌われるようにしておけばよかったとさえ思う。愛してくれていたはずの人に拒絶されるより、その方がずっとずっとマシだ。

 彼女にとって私は、人生で最悪の存在になっているに違いなかった。……でも今は、それでいい。

「……ミスティ。あなたに頼みたいことがあるのだけれど」

「やだ」

「な……!」

 即座に切り返されたのは、有無を言わせぬ拒否。思わず絶句した私に、ミスティは畳みかけるように言った。

「大体わかるよ。セレネをお願いとか、そういうことでしょ?」

「……どうして」

 彼は問いには答えない。

「ボクは言ったはずだよ。セレネには、エリカが全てなんだって。他の人じゃダメなんだよ」

「そんなことないわ。セレネはあれでかなり強いのよ? 一人でだって生きていけるわ」

「……考え直さない? 今エリカが選ぼうとしてるのって、最悪の決断だとボクは思う。どうしてセレネを遠ざけなきゃいけないのか、どうしてエリカがいなくならなきゃいけないのか知らないけど、ボクだって協力するから」

「……無理よ。あなたにはわかるわけない」

「そりゃわからないよ。エリカは何も言ってくれないんだもん。言ってくれれば力になれるし、それに」

「無責任なこと言わないでよっ!」

 激しい衝突音と、ガラスの砕け散る音がした。中身を残したままだったビンは、叩きつけられた壁に傷痕を残していた。私の左手は赤く腫れ、流血し、鋭い痛みと鈍い熱を帯びている。

 突然激昂した私に面食らったのか、ミスティも固まってしまっていた。

 全部、無視。

「言えば力になれる? そんなわけないじゃない! これしか方法がないのよ! 誰も傷つけない為には!」

「そ……んなの! やってみないとわかんないでしょ!?」

「わかるわよ!」

 私はシャツを脱ぎ捨てた。ミスティが見開いた青空色の瞳の中に、醜くなった肌と、錆びついた鍵が映り込む。

「もう手遅れなのよ……! 見た目だけじゃない。人の食べる物は身体が受け付けないし、衝動的に生き血が欲しくなる! 私はもう、人間じゃないのよ……いつ衝動に負けて人を襲うかわからない! 今だってそう! 必死に抑えていないと、ふとした拍子にあなたを殺してしまいそうになる! こんなの死ぬしかないじゃない!」

「でも! でもそれじゃエリカは!」

「なら他にどんな手があるって言うのよ! 私、の……っ!?」

「エリカ!?」

 突如、心臓が収縮するような感覚に襲われた。肺も、胃も、その他全ての臓器が縮こまって潰れるような、そんな感覚。胸を押さえうずくまる私に、ミスティは駆け寄ろうとする。

「来……ない、で!」

 黒いモヤがかかったように、視界が狭くなっていく。目の前しか見ることの出来ない肉食獣のように、たった一点、獲物の姿だけを捉えている。

 そう、獲物。欠片ほどの理性以外の全ての感覚は、既にミスティのことを食料程度にしか認識していなかった。

 あの時と……戦車を破壊した時と同じ。自分の意思じゃなく、ただ衝動に任せて壊した。別の人格に意識が乗っ取られたみたいに、私はその様子を俯瞰していて。

「ウゥ、ァ……!」

 逃げて。そう口にしようとしても、気味の悪い呻き声にしかならなかった。

 渇く。血が渇く。

「……エリカ」

 バカ! 来たらダメ! 私は……私は!

 ミスティが、そっと私を包み込んだ。肌が触れていても、飢餓に苦しむ身体はただただ彼の血だけを求める。意識など保てていないとわかるはずなのに。バカな副団長は離れようとはしなかった。

 何考えてるのよ……!? 早く、早く逃げて! でないと!

「っ!」

 ミスティのくぐもった呻きが聞こえた。

 肉を食む感触と、快楽を伴う甘さが広がり、染みついていく。しかし、一度覚えた味に飢えが満たされることはなく、彼の首筋に二度、三度と歯を立てる。

 甘い。嫌。もっと欲しい。こんなことしたくない。逃がさない。早く逃げて。

 真逆の感情は、延々廻り続ける。

「エリカ……少しは楽になった? これくらいなら、ボクにも……」

 嫌……! なんでこんな! 違う、甘くなんてない、ミスティを傷つけて飢えが満たされるわけなんてこと! こんなの、こんなの――!

 頬が返り血で濡れていく。痛みの中にいるはずの彼は静かに、穏やかに告げる。

「あは……こんな時に言うのは卑怯かもしれないけど……実はさ、エリカのこと、ずっと好きだった」

 は……? なんで、あなたそんなそぶり全然なかったじゃない!

 私の思いは言葉にならなかったのに、彼はそれに答えた。

「しょっちゅうサボって会いに行ったり、騎士団に入りたての頃も、セレネのこと察してたのに構いに行ったりさ……ごめんね? でも邪魔するつもりはないよ。ただ、聞いて欲しかっただけ」

 嫌よ……早く、早く離れて……私だって、あなたを失いたくはない……!

「……もし、また衝動が抑えられなくなったら、こんな風にボクを使っていいからさ。だから……」

 そこまで言って、ミスティの身体から力が抜けた。全ての体重が預けられ、しかし私にはどうすることも出来なかった。彼の気持ちを聞いても、身体は未だ制御出来ない。

 ただ、残酷なほどの甘さが身体を抜け、昂揚と飢餓が徐々に鎮まっていくことだけは知覚出来ていた。

 だから、玄関の方から聞こえてきたそれに、私は抱えきれないほどの恐怖を覚える。

「遅くなってしまって申し訳ありません! ただいま戻り……もしかして、ミスティさんがいらしてるんですか?」

 聞こえてきたのは、大好きで、愛していて……だからこそ遠ざけたはずの、一番会いたくない人の声だった。




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