1話「再会の感動に、癒えない傷痕を。」
ローリス王国騎士団長執務室。それが今の私の主な仕事場で、今日も朝から、ひたすら書類にサインをしていた。窓の外からは春の陽気が射し込み、新人騎士達が訓練に励む声が聞こえる。
ちらと時計を一瞥。長針と短針は頂点で重なりそうになっていて、時間を確認したせいかお腹が空いてきた。
「んーっ」
大きく伸び。すっかり冷めたコーヒーを手に取り、窓辺に寄る。
「私も参加しようかしら」
凝ってしまいそうな首を捻り、素振りを続ける新人の子らを見ながら独り言。実のところ、この春に入団した騎士達との顔合わせはしていない。そろそろ各部隊に顔を出しておかないと、存在を忘れられてしまう。団長が空気というのはいただけない。
それに、サインをするだけの仕事にも飽きてきていた。毎日毎日サインをしているというのに、どうして減らないのかしら。大体、私じゃなきゃダメなのかしら。
コーヒーをすすり、書類の山を恨めしく睨む。
「……決めた。参加しましょう」
午後は身体を動かす。目の前の仕事は夜片付ければいい。訓練中である昼間でなければ、新人達と戯れることは出来ないのだから。外に出ると言ったら出る。絶対に絶対。
固い決意を胸に抱き、腰を回して凝りをほぐし始めた時だった。
軽快なノックの音。
「どうぞ」
「やほー」
友人の家に遊びに来たかのようなテンションで入室してきたのは、一人の若い騎士。可愛らしい見た目と、どこまでも抜ける空のような青い瞳が特徴的。訓練中だったからか、長い髪はちゃんと編まれている。身動きの取りやすい訓練用の軽装備に、規定よりもほんのり短いスカート。
「……ミスティ。遊びに来たのなら帰ってちょうだい」
「えー。エリカだって休憩中だったじゃん」
「仕事中よ。副団長がそんな呼び方してどうするの」
視線を飛ばし、訂正させる。
ミスティは私の同期で、同い年でありながら副団長をしている。私が言うのはおかしいけれど、若くても実力は確かだった。
ただ、規則諸々にはルーズで、少し緊張感が足りない。今は仮にも上司と部下。休憩時間ならともかく、普段から部下に呼び捨てにされる団長では示しがつかない。誰かに聞かれたらどうするつもりなのかしら。
「団長だって休憩してたでしょ」
悪びれる様子もなく口にしながら、勝手に書類の山をどかして机に腰かける。団長の私に背を向けていること、短いスカートというのも込みで、お世辞にも行儀がいいとは言えなかった。そのまま器用な体勢で引き出しを漁り始める。執務中に軽く食べられるお菓子が入っていることを知っているのだ。
嘆息。
「……それで、何の用かしら」
いくらなんでも、本当にサボりに来ただけとは思えなかった。
「んとね、団長にお客さん」
「客?」
私は首を傾げた。そんな予定は入っていないし、何も聞いていない。
ミスティは引き出しの奥に手を突っ込んで、指先に触れた何かを取り出そうとしているようだった。平然としているけれど、やっていることは居直り強盗となんら変わらない。
「そだよ。ボク達と同じくらいの女の子。迷子になってたみたいだから案内したんだ。あ、チョコ見っけ。食べていい?」
「ダメよ。……それでその人は?」
「そこで待っててもらってるー」
カップの中身を飲み干し、チョコの包みを開けようとしているミスティの額を軽く小突く。
「いたっ」
「案内お疲れ様。訓練に戻っていいわ」
「ぶー」
机からぴょんと飛び降り、表面上は不満げに口を尖らせた。チョコの包みはポケットにしまい込む辺り、ちゃっかりしている。
どうにもミスティは、気持ちが怠けてしまいそうになるとここへ来て、私に叱咤させているように思う。その辺りも自己管理が出来ていれば完璧なのだけれど、人間そう無欠には出来ていない。
「じゃあさ、午後はちょっと医療部隊を見に来てくれない? 人手が足りないっていうかさー」
「人数は十分だったでしょう」
騎士団に志願する女性は男性に比べたら当然少ない。医療部隊は看護も兼ねている為、女性しか入れないことになっているけれど、今回はきちんと人員を確保出来ていたはず。
しかし、ミスティは結われた髪を左右に揺らした。
「そうじゃなくてね。えーっと……上手く説明出来ないから、見に来て欲しいんだよね」
「説明出来ないのは状況が複雑だからじゃなくて、あなたの頭が弱いからでしょう?」
「失礼な! ボクは頭悪くないよ! インテリアだよ!」
「インテリアは装飾品よ」
「うっ……」
確かにインテリアなら間違いではない。実用家具ではなくて装飾品な辺りが特に。
間違えたことが悔しかったのか、私が冷静に返したことが気に入らなかったのか、ミスティはさっさと部屋を出て行った。去り際に執務室の扉から顔を覗かせ、
「とにかく! 頼んだからね! べーっ!」
思いっきり舌を出して消えた。
「……何がしたかったのよ」
自爆しただけのような気がするのだけれど。
なんにせよ、午後の予定は変更ね。最初に医療部隊の訓練に顔を出して、案件が早く片付いたら外で前線部隊の新人騎士とちょっと遊ん……いえ、これはあくまで稽古よ。本質がどうであれ、団長が体裁を無視した発言をするわけにはいかない。ミスティに毒されてるわ。
ミスティに対する呆れと、侵食してくる悪い影響を大きなため息に乗せて吐き出し、私は開けっ放しの扉に向けて声をかけた。
「いるんでしょう? 入りなさい」
「し、失礼します……」
先ほどまでの緊張感のなさは、一瞬にして消え失せた。おずおずと姿を見せたその人を見て、私は驚きに固まる。もしカップを手に持っていたら、間違いなく取り落としていたに違いない。
その動きは、やけにスローに見えた。時間が止まったのかとさえ思える。けれどだからこそ、見間違えるなんてことは絶対にない。金色の長い髪と、同じく金色の、月のような瞳。それは、片時だって記憶から消えたことはない。
当然身体は成長していたし、服だって黒いスーツのようなものだったけれど、面影は残っている。何より、あんなに綺麗な目の持ち主なんて、この世界に一人しかいない。
あの人だ。
「……っ!」
吐息が漏れた。あまりに、あまりに不意討ちがすぎる。心の準備など、何一つ出来ていない。
あの時はありがとう。ずっと憧れていたのよ。名前も聞いてなかったわね……言いたいことが多すぎてまとまらない。心拍数が跳ね上がる。頬が熱い。平静を装うことでいっぱいいっぱいだ。
でも、あぁ、あぁ。ずっと逢いたかった――!
彼女は、憧れの人は、深々と丁寧なお辞儀を見せた。
そして、私の気持ちなんて微塵も理解していないみたいに、仰々しく、よそよそしく口にした。
「お初にお目にかかります。エリカ・フランベル様のメイドとして雇われました。セレネ・ローランドと申します」
「は……?」
意味が、わからなかった。……いいえ、本当はわかっている。ただ、認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。
手の震えを隠し、声の震えを抑え、思わず立ち上がって問い返す。
「あ、あなた、本気で言っているの……?」
彼女はきょとんとしている。
「え? はい。こちらにお父様からのお手紙も……」
「そうじゃないわ」
歩み寄る。というより、迫る。黒くてどろどろした何かが胸にわだかまっていて、そんなことをしてはダメと叫ぶ理性も、儚く消えた。
「え、あ、あの……」
戸惑うセレネは後退る。けれどここは屋内。やがて彼女は壁に背をつけ、逃げ場を失った。
私は手のひらを力任せに壁に叩きつけ、完全に逃亡を封じる。彼女は大きな音にびくりと肩を震わせた。
息遣いさえ感じられる距離。私よりほんの少し背の低い彼女は目を伏せ、小さくなっている。
目の前に突きつけられた認めたくない事実に、苛立ちが加速する。
「私達が初対面だと、本気でそう言っているのかと訊いているの」
セレネは明らかな怯えの色で私を見ながらも、真摯に考え、思い出そうとしてくれていた。それが嘘やごまかしでないことは間違いない。
そして、俯きながら、呟くように答えた。
「……申し訳ございません」
瞬間、目の前が真っ赤に染まった。忘れられてしまった苛立ちとか、憧れの人が小さく縮こまって震えるような存在になってしまっていた失望とか。そういったものが、私の中で一気に破裂した。
振り切れた感情は、私をあまりに愚劣な行動へと駆り立てる。
「っ!」
乾いた音が響く。一瞬乱れた金髪がセレネの顔を隠す。彼女の頬がじわじわと赤くなる。
私は、彼女を思い切りひっぱたいていた。
わずかな沈黙。それからセレネは腫れた頬を押さえることも、私を睨み返すこともせず、ただ、もう一度呟いた。
「……申し訳、ございません」
その声にようやく私の理性は戻ってきて、自分がどれほどのことをしでかしたかを認識させる。けれど、動揺は収まってはおらず、むしろ内側で膨れ上がっていた。
違う。こんなはずじゃなかった。あの日のお礼を言って、約束の話をして、もっと……もっといい空気になるはずだった。少なくとも、こんな険悪で張り詰めた状態にだけはしたくなかった。その、はずなのに。
異様に、喉が渇いた。
「……謝るのは私の方よ。ごめんなさい」
「わたしは既にエリカ様の所有物ですから……いかようにも」
あの日、私を助け、人生を変えてくれた人は今、こんなにも弱々しい。手を引いて私を先導してくれていたのに、自らを所有物とまで言って抵抗も見せない。
言いようのないほど深い悲しみが津波のように押し寄せ、心を削り取っていった。
これ以上不安がらせないよう、そっと距離を取る。それから振り返らずに机まで戻り、腰を下ろす。
落ち着くまで私から離れてくれていていいのに、セレネは健気にも近寄ってきていた。普通に会話の出来る距離。仕事として必要な話はしてくれるらしかった。
深く息を吐いて落ち着いてみれば、どれだけ最低な行為をはたらいたかを否が応でも自覚させられる。
私があの日を境に変わったように、彼女もこの十二年で大きく変わった。それは教えられるようなことでもなんでもない、ごく当たり前のこと。なのに私は彼女を神格化していたばっかりに、いつまでも強くて優しい人でいてくれているのだと勝手に思い込んでいた。
勝手に信じ込み、勝手に盛り上がり、妄想を壊されたことに苛立って、暴力を振るった。私がしたことを客観的に見れば、そういうことになる。
言うなれば、一方的でストーカーじみた片想い。単純に、純粋に最低だ。
「本当にごめんなさい。痛かったでしょう?」
「いえ……わたしは大丈夫です」
痛くないはずはない。私は女とはいえ曲がりなりにも王国騎士の団長で、一般的な女性よりは遥かに力が強く、力の伝わりやすい腕の振り方も身体に染みついているのだから。
言い訳じみていると自身で思いながら、私は問う。
「その……十二年前、あなたは私を助けてくれたのよ。覚えてないかしら?」
交わした約束のことは、とても口には出せなかった。
セレネは深く頭を下げる。
「申し訳ございません」
「そう……そうよね。十二年も前のことだもの」
これだけ確認しても覚えていないなら仕方ない。きっと彼女は優しいから、あのようなことは日常茶飯事だったのだ。
そう思うことで、私は無理に納得した。
この時の私は、自分の心を揺らすショックをどうにかしてごまかそうとばかりしていて、それ以上深く彼女について考えようとはしなかった。
「……」
「……」
重たく気まずい沈黙が、場を支配していた。乾いた愛想笑いすら出てこない。
彼女にとっては初対面、私にとっては待ち望んでいた再会という違いはあるけれど。
この出会いは、最悪に近い。