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17話「過ぎた優しさに、精一杯の偽りを。」

 


 リンディス公国という小さな国が起こした戦争は、後の歴史において反乱として扱われることとなった。

 独立したばかりの小国が、他国との同盟すら結ばずに屈指の大国に対し挑んだ、一見無謀な戦い。首謀者であるリュネール・リンディスは処刑されたものの、かの国は植民地化するのではなく再びローリス王国の領土として吸収され、人々は再び安寧の日々を取り戻した。

 当時の騎士団長によって動向を完全に読まれ、たった数日で制圧されたこの反乱が、何故歴史に記録を残すこととなったのか。それは、この反乱を境にして、戦場の在り方が大きく変化したからに他ならない。

 それまで騎兵と剣が主流だった戦場兵器は、この時初めてリンディスによって実戦投入された戦車、機銃に取って代わられた。

 リュネール・リンディスは他者との関わりを嫌い、他国との同盟すら組まない独りよがりな戦を仕掛けた故に敗北したとされるが、産業の進歩、潮流の変化に目を向け、それを恐れずに取り入れていくスタイルだった。それを評価する者は、当時にすら一定数存在したとされる。事実、大国の騎士団との絶望的な戦力差を前にして、陽動作戦を半ば成功させている。この事実の前には各国も、否が応でも兵器の進歩に目を向けざるを得なかった。

 対するローリス王国は優秀な騎士団、並びに一つの奇跡によって、死者をほとんど出さなかった。戦車による砲撃に対抗する術が当時なかった為、王都付近ではいくらか死者が出ているものの、反乱として見ても明らかに少ない被害で抑えていた。

 当時、騎士団長の近辺にリンディスからスパイが送り込まれ、情報が多分に漏れた。しかしながらそのスパイがどういうわけかローリスに寝返り、結果、リンディスの戦略が大きく崩れた……という噂がまことしやかに囁かれるが、真相は一切不明である。

 そしてもう一つ。奇跡の話。

 当時のローリス王国が戦車に対する有効な対抗手段を持たなかった(もっともローリスに限ったことでなく、近隣の国も同様であったろうが)ことは先述の通りであるが、それでもほとんど被害が出なかったのには理由がある。

 リンディスの戦車が王都に侵攻した際、主戦力である騎士団のほとんどは遠く、山中にいた。リンディスの陽動にかかり、王都から引き離されていたのである。さらに、豪雨によってすぐに戻ることも叶わなくなっていた。(なおこれは、リンディスの戦力の少なさを正しく見積もった判断であり、戦術的失敗ではないとされる。乗組員数人を用意するだけで数百人規模の戦果を挙げられる兵器など、当時はあまりに画期的だったのである)

 妨害を受けることなく、王都に真っ直ぐ侵攻した戦車は二度の砲撃を行い、数人の死者、多くの負傷者を出した。しかし三度目の砲撃を行う直前、その分厚い金属の皮膚を引き裂かれ、捻じ曲げられ、既に砲撃体勢に入っていた砲塔は自らの足元に砲撃を行い、弾頭の爆発によって自爆した。

 戦車を素手で引き裂いた存在は黒いモヤを纏った人間のような姿をしており、その目は禍々しい光を放っていたという。

 この存在はローリスに古くから伝わる平和の守護者だとされる。王国の独立戦争の際にも同じように覆し難い危機があり、同じような禍々しい姿の存在が害する者を破壊し、危機を救ったとされている。あまりに古い文献なので伝承上の存在、架空のものだと思われていたが、それがこの反乱で再び姿を現した……と、複数の目撃者が語っているが、真偽のほどは定かではない。

 ともあれ伝説の平和の守護者によってローリス王国は守られ、以降一ヵ月という長きに渡り、守護者を敬い、感謝する祭が行われた。

 祭の中で人々は平和を噛みしめ、喜び、これからを楽しく生きようと決意した。(小規模とはいえ)戦争があったにもかかわらず、全国民がすぐに笑顔を取り戻したというのも、この反乱の大きな特徴の一つである。

 ……と、忘れてはならないのが、作戦の指揮を執った優秀な騎士団長だ。エリカ・フランベルという名の騎士団長は可憐な少女であったとされるが、的確な指示を出し、また実力も確かな騎士であったとされている。

 その騎士団長だが――。



 騎士団庁舎、団長執務室。私は独り、ロクに焦点も合わさずに窓の外を眺めていた。

「……」

 外は人々の歓声が埋め尽くしていた。戦争が終わって多くの資産が国から出て行っただろうに、伝説の平和の守護者を称える為にもこれは行わなければならないとか。今回は敵国から何も奪っていないし、植民地が増えたわけでもないから、収入もなかろうに。

「……」

 あれから私は、独りでいる時間が多くなっていた。

 当然疲れもあるし、騎士団長ともなれば今回の戦争に関する仕事だって山積み。けれど、本当の理由はそこにはない。

「……」

 誰にも会いたくなかった。いえ、極力会ってはいけなかった。

 何度目を疑ったかわからない。何回現実を見せつけられたかわからない。けれど私は、未だそれを信じることが出来なかった。受け入れることが出来なかった。

 机の上に置いた鏡。そこに自らを映し、制服の前を開けて胸元を出す。

「……」

 そこにあったのは、まさしく爬虫類の鱗。皮膚が変質しているらしく、触れるとざらついた感触がある。指先で触れると人間の皮膚は裂かれ、血が滲む。

 こうした身体の異変は、ここだけじゃない。右腕と背中にも同じように鱗と化している部分があるし、瞳も近くで見ると血のような赤になっているのがわかる。……私の身体は既に、人間のそれではなくなっていた。

 幸いなことに、非人間の部分が侵食するようなことはなかった。……この、人間とも魔物ともつかない中途半端な状態が本当に幸いかどうかは、甚だ疑問だけれど。

「……」

 机の上。鏡を俯かせた私の視線の先にあるのは、毎日使っていたコーヒーカップ。毎日飲んでいたコーヒーは冷めていても味は変わらぬと言うように黒く、良質な苦味を感じさせる香りも立ち上っている。

「……」

 手を伸ばし、躊躇い……結局手に取る。

 やめておけと、私の心の全てが止めに入った。そんなことをしても傷つくだけ。苦しむだけ。わかっているのに。

 いつもそうしていたみたいに、口に含む。

「っ! げほっ、げほっ!」

 ……とても、飲めたものではなかった。傷んでいるわけじゃない。コーヒーは何も変わっていない。

 変わったのは、私の方だ。コーヒーに限ったことじゃない。甘いも、苦いも、辛いも、()いも、全て味覚に不快な信号を伝える。むせ返り、吐き出そうとする。

 食べ物にしても、それは同じことだった。何を食べても気持ちが悪くなる。強烈な吐き気を呼び覚ます。無味乾燥でつまらないことを、砂を噛むよう、なんて喩えることがあるけれど、今の私にとってあらゆる食べ物は、まさに砂そのものを食べているようだった。

 これは私の食べる物ではない。味がしないのではなく、食べてはいけないと身体が勝手に判断する。

 たとえそれが、セレネの作ったものであっても。

「……」

 戦争が終わって、最初にセレネと食事をした時のことは、あまり思い出したくない。

 身体は一口目から拒絶した。混乱のまま無理に食そうとして、さらに吐いた。ひどく悲しそうな顔をしたセレネは、それでも私の体調を気遣った。水を入れてくれたのに、動揺のあまり手を払った。どうしていいかわからなくて、休むと言って自室に逃げた。後で覗いたら、彼女は二人分の食事を前にして、声を殺して泣いていた。

「……」

 それから、セレネとはほとんど顔も合わせていない。私が避けているからだ。なのに、毎朝毎晩、彼女は私の分の食事を食卓に用意してくれている。必ず「愛してます」と、最高の一文だけを添えて。色々考え、勉強してくれているのだろう。毎回、今までに作ってくれたことのない新しいものを作ってくれていた。

「……」

 ……それを私は、自分自身の手で捨てている。毎朝、毎晩。毎朝、毎晩。毎朝、毎晩。

「ぅっ、うあぁ……!」

 孤独の中、崩れ落ちる。

 痛い。辛い。悲しい。苦しい。嫌なものが胸の奥から絞り出されて、涙に変わってぽたぽたと床を濡らす。

「うあぁぁぁぁっ! ああああぁぁっ!」

 一度堰を切ってしまえば、あとはどこまでも溢れる一方。うずくまって、どうしようもない思いを吐き出し続けることしか、弱いままの私には出来なかった。

 こんなにも痛いのに。こんなにも苦しいのに。

 これくらいの痛みでは、許してもらえないみたいだった。

「エリカ様、いらっしゃいますか……?」

 最悪のタイミングで、セレネが私を訪ねてきた。感情の波に流されるままの私では、彼女の入室を止めることは出来ない。

「っ、エリカ様!? どうされたのですか!?」

 優しすぎる彼女は、泣き叫ぶ私に駆け寄ってくる。

 あぁ、どうしてそんな心配そうな顔をするの? おかしいじゃない。あんなひどいことをして、あなたと向き合わずに避けて、それでも向けてくれる愛情さえ、毎日この手で捨てているというのに。それも全部、あなたは知っているはずなのに。

 慟哭を上げながら、心臓が大きく脈打つのを私は感じた。

 まただ。あれ以来、時折起こるようになってしまった異様な衝動。飲まず食わずでも問題なくなったこの身体が、唯一求めるもの。

 血が。人の血が欲しい。

 人間を見ると、流れる血はどんな味がするのかと、無意識の内に想像していることがあった。自然に湧き上がる衝動は空腹を満たす当たり前の欲求で、ダメだという意識を持っていないと、自分でも知らぬ間に誰かを襲いそうなほど。

 だから私は、極力誰とも会わないよう努めていた。

「エリカ様! しっかりしてください! 息苦しいのですか? それとも、どこか痛むのですか?」

 なのに、彼女は。セレネはいつまでも私に構おうとする。このままいけば、どこかで彼女を殺すようなことになりかねない。汚れきった、この手で。

 思う。

 いい加減、彼女の優しさに甘えてちゃいけないのだ。向き合わなければならない。私が人でなくなったこととも、セレネを傷つけないようにすることとも。彼女はこれ以上私に付き合うべきじゃない。私のことを忘れ、新しい幸せを見つけるべきよ。

 その為にも、私からハッキリ口にしないといけない。

 ……私だって、大好きな人をこの手で殺すなんてことに、耐えられるわけない。

 私は強引に涙を引っ込め、セレネを力いっぱい引き剥がした。

「触らないで!」

「え……? エリカ、様……?」

 明らかな拒絶に呆然とするセレネ。当然よ。向こうからすれば、理由もないのに突然拒絶されているんだもの。

 突き刺すような痛みを訴える胸を無視し、言い放つ。

「愛想が尽きたの! これ以上あなたに構ってやる暇なんかないのよ! わかったら出てって!」

「で、ですが!」

「うるさい!」

 大切な人の大好きな目を見て、そこに光る雫を見て、それでも私は口を開く。

 言わないと、優しい彼女は退いてくれないだろうから。ほんの少しだけ、セレネの優しすぎる性格が恨めしかった。

 言う。泣き叫ぶ心を刺し殺して。

「もう二度と私の前に現れないで! ……大っ嫌い!」

 時間が止まったみたいだった。荒くなった私の息遣いだけが、その場に漂う。

 私が言った言葉で、セレネがどんな顔をしているのか。それを見ることなんか到底出来なかった。

 やがて、セレネがふらふらと立ち上がる気配があり、

「今までお世話になりました。……ありがとうございました」

 抑揚のない声で言い残して。静かに出て行った。

 今度こそ、独り。遠くに聞こえる楽しげな喧騒が、一層孤独を浮き彫りにする。

「……やるべきことをやらないといけないわね」

 ぼんやりしている暇なんてない。

 私でなければ出来ない仕事を済ませないといけない。辞表を書かないといけない。引継ぎもしないといけない。家も綺麗にして引き払わないといけない。知り合いには、しばらく旅に出るとでも言ってごまかしておかないといけない。

 寂しがっている場合じゃない。怖いなんて思っている時じゃないのよ。

「っ、く……あぁ……うああああああぁぁぁぁ……っ!」

 外は快晴なのに、どうしてか、ひどく寒かった。




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