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15話「愛し合う二人に、不吉の旗を。」

 


 緊張が姿形をもっていたなら、今この部屋は緊張という名の物質で満たされ、私達は永遠に停止した刻の中で身動き一つ取れずにいただろう――。

 明かりを消した、セレネの部屋。私と彼女、同じ石鹸の香りを同じように漂わせている。しっとりと濡れた月色が、普段の穏やかな彼女をどこかへ隠し、視線を外せない魔性の月へと変貌させていた。

 なんとなしに、隣り合ってベッドに腰かける。

「……その、実は私こういうのは初めてで」

「わたしは……初めてではありませんが、同性でというのは初めてで……申し訳ありません」

 白く、触れたら壊れてしまいそうな手は、小刻みに震えていた。

 私の視線に気づいた彼女は震えを抑えようと試み、しかし叶わずに微笑んだ。

「あは……ダメ、みたいです。わたしからお願いしたのに」

「……怖い?」

 ……こくん。静かに。

「やめてもいいのよ。無理しないで、何か別のことでも」

 ふるふる。私の言葉に被せるように。

「怖いです。ですからエリカ様、もう一つお願いを聞いてもらえませんか?」

「ええ。もちろんよ」

 私が手を重ねると、セレネは少しだけ安心したようだった。

 潤んだ瞳が、湖面の満月が、私を映し出す。

 彼女は一つ、深呼吸。

「上書きしてください。痛くて、怖くて、大嫌いなこの行為を、幸せなものにしてください」

 そうして耐えきれなくなったように、私の首に腕を回した。

「エリカ様でいっぱいにして……?」

 息を呑んだ私を、セレネは逃がさなかった。

 唇が重なる。寂しげに口内を探る彼女の舌も、時折漏れる吐息も、触れ合いそうになる睫毛さえ、熱くて仕方がない。その熱に奪われる思考回路。彼女の唾液は甘く、指先が痺れ、感覚が徐々に消えていく。ぞわりとした快感が肌を撫でる。

 あぁ、あぁ。愛する人で埋まっていく。溺れていく。白く染まっていく。

「んぁっ……ふ……」

 それがどちらの喘ぎなのかさえわからない。

「んっ……えりか、さま……ぁんっ!」

「セレネ……っ」

 思いの向くまま、あるいは流されるまま、彼女をそっと押し倒す。

 乱れた髪がわずかに汗ばんで頬に貼り付いている。焦点の合わない目はぼんやりと私を捉えている。荒く熱い息が私の頬を撫でる。彼女は目を背けたくなるほど妖艶で、その表情はひどく切なそうで、傷つけたならどこまでも傷ついてしまいそうだった。

 胸の膨らみに手をかけ、首元からリボンを引き抜く。彼女の服がはだけ、谷間がちらと顔を覗かせた。

「脱がせるわよ……?」

 初めてで、どうなるかと思ってさえいたけれど。今となってはそんな心配、どこにもない。

 ただ、目の前にいる人の顔がもっと見たかった。触れていたかった。

「えりかさま……はやくぅ」

 眩暈を無理矢理押さえつけ、ボタンを上から一つずつ外していく。

「ん……ぁんっ……」

 その度、セレネは高い声を上げた。まるで、私から思考を完全に奪い去るかのように。

 全ての枷が外され、白に近い肌が露わになる。

「着痩せする方だったのね」

「ぁ、あんまり見ないでください……恥ずかしいです……っ」

 思っていたよりもずっと大きな胸は呼吸の度に上下し、下着越しでさえ小刻みに震える。正面にホックがあるのは、それなり以上のサイズであることの一つの基準でもあった。

 そこにはまだ手をかけず、指先で肌をなぞる。

「ぅん……っ! ……ひあぁっ! ぅあ……っ!?」

 お腹を撫でると、彼女の声はより一層高く、大きくなった。細身の身体をびくりと跳ねさせながら、目尻にうっすら涙を滲ませながら、頬をみるみる朱に染める。

 しかし、私の目の前にあったのは、痛々しい傷痕。珠のような肌に走る、無数の裂傷。

「気持ち……悪いですよね……?」

「……」

 答えず、傷痕の一つに舌を這わせた。

「ひぅぅっ!? エリカ様、やめ、ぁっ!」

 私は彼女の傷を一つずつ下でなぞる。彼女の記憶を、彼女が望んだように上書きする為に。

「セレネ……あなたは綺麗よ。全部、全部」

「ゃ、んっ、んぅ……や、やだぁっ!」

「……こうされるの、イヤ?」

 こういうものだと思ってやったことだけれど、セレネが不快になるのなら続けようとは思わない。世間的に見て異様な関係になろうと、甘やかしていると言われようと、騎士としての矜持を捨て去ってでも、私はこの手で彼女を傷つけたくなかった。

 もう、十分過ぎるほど傷ついてきたはずだから。

 世界中が敵になったとしても、彼女さえ……なんて、陳腐な恋愛小説のようだ。けれど、それが今の私の本心なのだから、仕方がなかった。

 セレネは私の下で首を横に振る。涙が一筋流れ、シーツの上に溶けた。

「さみしいから……ふあんだから……きす、してくらさぃ……」

「……ええ」

 呂律が回ってないわよ、なんて野暮、口にはしなかった。

 私も余計な服は脱ぎ去り、肌と肌を重ねる。

 愛する人と強く手を握り、舌を絡めているこの瞬間が、人生の絶頂期。今以上の幸福が、はたしてあるだろうか。今の私達以上に幸せな人類なんて、どこにもいないだろう。そう、確信をもって言えた。

 荒く交差する息遣いと、私と彼女の匂いが強く充満する中で、ぼんやりとする脳はセレネの声をどうにか聞き届ける。

「エリカ様……わたしは幸せです」

「私もよ」

「こんなに素敵な人が、ここまでしてくれるんです。もしこれが夢だったとしても、嘘や演技だったとしても、悔いなんてないくらいで……」

「そうかしら。私はこれが夢オチだったりしたら未練が残って、死んでも死にきれないわ」

「……そうですね」

 うっかりこぼれたような笑み。

「……エリカ様」

「なに?」

「騎士団に入団するお話、受けてもいいでしょうか?」

「……どうして?」

「そんなのもちろん、エリカ様のお役に立ちたいからです」

「……そう」

 複雑だ。きっと、私が頑張ると言い張れば言い張るほど、彼女の意志も頑なになっていく。安全なところで私の帰りを待っていて欲しいなんて願いは、到底叶いそうになかった。

「……エリカ様」

「なに?」

「戦争は、起きるんですよね?」

「ええ。残念だけど、あなたを傷つけた罪は重いわ。私が必ず潰してみせる」

「ふふ。それじゃあエリカ様の方が悪者じゃないですか」

「状況的には正当防衛よ」

「……そう言ってもらえるなんて、本当に嬉しいです」

 夜は更けていく。私達を乗せて。

 このままいつまでも、彼女に触れていられればいいのに。比喩でなく、永遠に。昂り、次第に声が抑えられなくなってきている彼女の口を舌で塞ぎながら、そう思う。

 キスを交わしている間は、その間だけは安心出来た。それはどうやら、セレネも同じようだった。

「セレネ。戦争が終わったら、少し長い休暇を取ろうと思うの」

「休暇を? どこか旅行に?」

「そのつもりよ。……あの、だから」

「一緒に行きましょう、ですか?」

「せっかく誘おうと思ったのに。先に言わないでちょうだい」

「申し訳ありません……ではきっと、お誕生日旅行になりますね」

「……そう。そんな時期ね」

 もうすぐ、十八になる。だからといって特別な何かがあるわけでは決してないけれど、強いて言えば、セレネと再会出来たきっかけは、私が十八になるからだった。

 これ以上なく幸せだった。未来の明るい話が出来ることが。おそらく、私達を軽蔑する人も出るだろう。気持ち悪いと思う人も少なくないだろう。

 けれど、それを知っていてなお、セレネと素直に笑うことが出来た。団長の座を追われようと気にしない。思えば今まで、ずっと彼女の背中ばかり見ていた。変わった気になったけれど、結局のところ、根本的なところで私は何も変わっていないのかもしれない。

「じゃあ、戦争が終わったら――」

 熱を、愛情を、身体中で確かめ合いながら。

「……はい。約束です」

 私達は、大事な約束を交わした。

 ――戦争が終わったら、なんて言い方をして、叶うはずがないのに。

 けれど私は、それが叶うような気がしていた。確固たる理由や根拠はないけれど、希望的観測ではない。そんな、妙な確信が。

 ――戦争が終わったら、たくさん幸せになりましょう。遠くに出かけたり、ここで二人でご飯を食べたり、またこうしてぬくもりを感じたり。嫌じゃなければ、ミスティなんかも一緒に遊びに出れるといいわ。とにかく、なんでもするの。

 心配ないわ。万全の態勢で臨めば、負けるはずなんてないから。



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