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13話「惑いの騎士に、黒い光明を。」

 


「ふぅ……」

 執務室でため息を漏らすのも、もう何度目だろう。セレネが来てから、格段に増えているようにも思う。

 ただ、今日のこれは質が違っていた。気分はずっと重く、目先の問題は複雑でありながら、単純で大きな壁までも立ちはだかっていて、解決そのものが不可能であるよう。

「どうしたものかしらね……」

 相変わらずの書類仕事。手を止めず、しかし脳内では全く別のことを考えていた。

 一度、状況を整理しましょう。

 現時点で、既にリンディス公国に対して我が国の情報は流出している。向こうの国が手にしている情報はどうやら、ローリスの軍事的要素が主。軍備を整えているという動きから見ても、セレネの諜報をアテにして戦争を仕掛けてくるのは間違いなかった。

 だからまず、リンディスとの戦に備えなくてはならない。こちらの戦力が知れている以上、戦い方を変えることで応戦しなければ、完全に向こうの思うつぼになるだろう。今から実戦訓練の内容を変えても皆戸惑うだろうし、せめて医療部隊だけでもと考えてはいるけれど……。

 そして二つ目。これも厄介な問題で、しかも一つ目の問題と絡んでくるのだけれど。

 セレネのこと。単純に考えて、彼女は犯罪者、重罪人だ。それを匿っている私も。ほとんど勢い一本で任せろなんて言ってしまったものの、実際のところ、どう解決するかという具体策に確実性はない。

 案としては、正直に言うことがまず一つ。元は向こうの間者だったのがこちらに寝返ったことにすれば、私の口添えも込みで、どうにか無罪にしてもらえるかもしれない。

 ただし、正直に罪を告白するということは、許されなかった場合には死が待ち受けているということに他ならない。それが私の決心を鈍らせていた。

 ならば、隠し通すが吉か……そう言われると、そうでもない。

「敵に回すと厄介ね……」

 私の懸念材料は、軽快な足音を伴ってやってきた。

「やほー!」

「……ミスティ」

 髪が少し伸びてきて、今までとはまた違う髪型をした副団長が、またサボりに来た。ちょうど彼のことを考えていただけに、緊張も高まらざるを得ない。このタイミングの悪さはあまりに笑えない。

 ミスティは私の許可も得ず勝手にコーヒーを淹れ、普段通り砂糖とミルクを大量に入れて飲んでいた。

 この副団長は、厄介だ。観察眼に優れていて、こと心の機微を感じ取る能力はずば抜けて高い。隠し事の内容まではわからずとも、その重大性くらいはあっさり見抜いてきそうだ。

 彼の目を欺いて隠し通すなんて芸当、この世の誰に出来るのか。

「ほよ? エリカ、なんか元気ない?」

 心臓が大きく脈打った。

「そんなことないわ。おかしなこと言うのね?」

 大丈夫バレてない。平常心、平常心。ええ、私には何もやましいことなんてない。そういう自分を演じるのよ。

 けれど、そう思い込もうとすればするほど、鼓動は強く主張する。身体は強張って動かなくなっていく。

「ふうん?」

 広い青空のような、ともすれば底なしの青い闇のような瞳が、じっと私を覗き込む。

 私がその瞳と相対出来たのは、目を逸らしたら怪しまれるとか、そんな格好のいい理由じゃない。ただただ、金縛りにあったかのように動けなかった。それだけだった。

 私が窒息するまで終わらないかに思えた緊迫も、彼の笑みで終わりを迎える。

「ま、いっか」

「……」

 危うく、大きなため息を吐いてしまうところだった。すんでのところで飲み込みながら、安堵する。

 ……それが、いけなかった。強い緊張から解き放たれ、私は既に安全圏にいるものだと早とちりしていたのだ。しかしまだ、彼は私を手の内から逃がしてなどいなかった。

「ね、エリカ。今、何を安心したのかな?」

「ぅ、あっ……!?」

 勢い、肩が跳ね上がり、悲鳴じみた声が漏れた。慌てて取り繕おうとしても、もう遅い。

 ミスティは確信の目。

「エリカはね、緊張するとまばたきが極端に少なくなるんだよ。まぶたまで緊張してるんだろうね」

「……」

「それに、今日はエリカって何度も呼んでるのに怒らない。余裕がなくなってる証拠」

 完全に包囲されていた。逃げ場はなく、まさしく袋のネズミ。

 どうする……このまま白状してしまう? あるいは、

『殺しちまえよ』

「っ!?」

 心の奥底に語りかけるように、明確な殺意が声をかけてきた。

 けれど違う、今のは私じゃない。私ではない誰かが、ミスティを殺せと、厄介者の口を封じろと言ってきたのだ。

 ミスティには聞こえていないらしく、なんの違和も示さない。

「別に怒ってるわけじゃないよ。でもなんか……直感だけど、今のエリカからは不穏な気配がする」

『あぁ、やはりコイツは危険だ。殺そうぜ。殺そう、殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう――!』

 無理に意思をねじ曲げてくるようなその声に、私は思わず耳を塞ぎ、絶叫していた。

「黙りなさいっ!」

「え、エリカ……?」

 戸惑いが耳に届き、ハッとする。いつもの楽天的なミスティはそこにはおらず、恐怖を感じ、怯えてさえいるかのような副団長の姿が、そこにはあった。

 異様な声に対しての答えだったのだけれど、当然彼はそれを自分に言われたのだと思ったようだった。

「ちが、違うのよ……疲れてるのかしらね。おかしな幻聴が聞こえて……」

 害意がないことを示すホールドアップ。

「幻聴? 少し休んだ方がいいんじゃない?」

「いえ、大丈夫よ。今夜は早く寝ることにするから……それより、あなたも仕事に戻りなさい」

「う、うん……」

 納得いかなそうな顔をしつつも、ミスティは比較的素直に従う。心配と怯えが入り混じる表情。

 再び一人になった私は、眉間を揉みながら大きく息を吐いた。視界をシャットアウトしたまま、思考の海に沈む。

 ハッキリした幻聴など、初めてだった。正直、症状の実在すら疑っていたのだけれど。よほど疲れているのか、精神的余裕がなくなっているのか。

 確かに、ミスティを敵に回すのは危険な綱渡りだ。こちら側に引き込むか、あるいは声の言う通り黙らせるか。ただ、引き込むのは国に背くよう促すことに他ならず、殺してしまうなんてことは短絡的で、より修羅の道を選ぶことだ。どちらも、簡単に選んでいい選択肢ではなかった。後者は選ぶ気にもならない。

 ……あれもダメ、これもダメ。しかし戦争は確実に迫り、私が声を上げなければ誰も戦争の用意をしない。確実に、後手の後手を踏むことになる。雁字搦めだ。

 孤独を拗らせた者はこうやって負のスパイラルに陥り、極端な選択肢を取らざるを得ない状況にまで悪化させてしまうのだろう。相談もせず、助けも借りずに一人で物事を進めようとしては、ろくな結果を生まない。それを痛いほど実感していた。

 思考を切り替える為、目を開く。

 と、そこにはあり得ない光景が広がっていた。

『困ってるみてぇだな? お嬢さん』

「な……」

 応じるより先に、驚きを口にするより先に、私は絶句した。

 私は間違いなく、執務室にいたはず。しかし、目を開けて最初に飛び込んできたのはひび割れた十字架。立ち並ぶ長椅子とステンドグラス。まるで教会のような場所だった。

 そして、神父がいるべき場所に、一人の男。装い、髪の色、瞳の色までもが黒一色。不自然な点などほとんどないはずなのに、彼は明らかにこの場から浮いている。おそらく、どんな景色の中にいても違和感を放つ、そんな存在。

 その声が先の幻聴と同じだと気づき、睨めつける。

「……あなたは?」

『名乗るほどのもんじゃねぇよ。通りすがりの悪魔だ』

「悪魔? ハッ、大の男が馬鹿げたことを言うのね」

『この状況でそれを言うのか? 現実に対処しているようで、実際には現実を直視しねぇのはお嬢さんの悪い癖だぜ』

 自称悪魔はけらけらと不愉快な笑い声を上げる。態度でなく、声そのものを拒否したくなるような、そんな不気味な声だった。

「……悪魔だとして、私に何の用?」

『困ってる人間がいたら声をかける。それが悪魔ってもんだろう?』

「そうね。悪に傾倒するよう唆して、状況をかき乱して高みの見物を決め込む。悪趣味な存在だと認識してるわ」

 さっきみたいにね。

 皮肉も悪意も込めたつもりだったけれど、彼が気分を害した様子はなかった。うっすらと笑みすら浮かべている。

『悪魔にとっちゃ褒め言葉だがな、そいつは誤解だぜ』

「へえ?」

『オレ達悪魔はな、選択肢を与えてやってるだけだ。選ぶも選ばないもお前ら次第。自分が選んだくせに、責任だけ悪魔に押しつけようってのはひでえ話だ。涙が出るぜ』

「こっちは反吐が出るわ」

 別に敬虔な神の信奉者というわけではないけれど、与えてくる選択肢というのがさっきみたいなろくでもないものだとするなら、嫌悪感を示さない理由はない。

 しかし彼は嫌悪に対して鈍いのか、あるいは私の心を乱そうとしているのか、不気味なほど冷静さを欠かなかった。

『神なんてのは人間を助けねぇ。苦しむお前らに手も貸さず見てるだけだ。あれこそ高みの見物だろう? それと比べたら、よほど良心的だと思うがな?』

「あなたの価値観なんかに興味はないわ」

『あぁ、その通りだな? オレだってこんなクソの役にも立たない話したかねぇよ。じゃ、本題と行こうか』

 彼は懐から一本の鍵を取り出す。焼け焦げたみたいに真っ黒で、何も開錠出来なさそうな形状の鍵。それを放って弄ぶ。それから、ニヤリと上がる口角。異様に鋭い犬歯が覗く。

『コイツはな、願いを叶える鍵だ』

「またベタで胡散臭いわね」

『ハハ、違いねぇ。けどな、効果は本物だ。コイツに願えば、どんな願いも叶う。巨万の富だろうと、揺るぎない地位だろうと』

 そんなものに興味はない。そう口にしようとしたけれど、それは叶わなかった。

 それは、続く彼の言葉に、心を揺さぶられたからに他ならない。認めたくないけれど、間違いなく、紛うことなく。私の心は、文字通り悪魔の囁きに耳を傾けてしまったのだ。

『愛する人の命だろうと、な』

「……なんですって?」

 彼は態度を変えた私を嘲笑うでもなく、淡々と続ける。

『だからお嬢さんに声をかけたのさ。コイツに願えば、それだけでアンタの大事なあの娘を助けられる。副団長様を殺す必要もなくなる』

「……」

 身動きの取れない状況を打開する、反則気味のアイテム。「セレネを幸せにして欲しい」と願えば、彼女が抱える問題の全てを丸く納めてくれるのだろう。

 こんなものに頼っていいのか。彼女の為なら手段を選んでいる場合ではないのではないか。その狭間で、私は揺れていた。

 惑いは、問いを生む。安心材料を欲するがために。

「……願いの代償は?」

『大事なものを一つ失う』

「大事なもの?」

『あぁそうさ。願いと同じだけの価値を持った何か。直接的であれ、間接的であれ、それを失うことになる』

 大事な、もの。

 セレネと同等に大事なものなんて、何一つないように思えた。言いかえれば、失って怖いものなど、セレネ以外には存在しない。……そう、無理に信じ込もうとしていただけかもしれないけれど。

 だから……いえ、たとえそうでなかったとしても。

『どうする? まぁ、別にコイツを受け取ったからって使わなきゃならねぇわけじゃねぇ』

「……」

 答えは、とうに決まっていた。

 全てを賭して、私はセレネを守る。たったそれだけが私の願い。たったそれだけが私の人生。それだけで……十分過ぎるほど十分だ。

 ――みすぼらしく煤けた鍵は、私の手の中に落ちた。




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