10.5話「やむなき裏切りに、もう一つの裏切りを。」
たくさんの人達が、楽しそうにしていました。それもそのはず、今日はローリス王国の国王陛下のお誕生日を祝うお祭りなんですから。三日目ともなれば疲れも出てきそうですけど、誰も彼も、楽しい気持ちの方がずっと上回ってるようでした。
右を見ても、左を見ても、笑顔ばかり。
ですが。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
その笑顔が、わたしの緊張を高めます。足を速めさせます。たくさんの笑顔が見えるということは、わたしもまた、たくさんの人の目に映っているという証拠なのですから。
ここにいる誰もがわたしを見張っている。そんな気がしてなりません。街はこんなにも楽しそうなのに、その真ん中にいるわたしは息が詰まって死んでしまいそうでした。
こっそり、後ろを振り返ります。建物の陰から、一人の男性が見張っているのがわかります。あれは騎士です。他の人に見張られているというのがわたしの疑心暗鬼だというのはわかりますが、あの騎士がわたしを怪しんでいるのもまた、間違いのないことです。
なんとか撒かないと……。
先ほど、もう一人一緒にいた騎士がどこかへ走り去りました。応援を呼びに行ったのでしょう。複数人で確実に捕まえるつもりなのです。早く逃げないと、わたしは……。
最悪の想像が胸を掻き立て、恐怖が一気にせりあがってきます。
そしてそれは、すぐ行動に変わります。
「っ!」
走り出します。脇目も振らず、目的地も決めず。とにかく、とにかくあの騎士の目から逃れないと。
「あっ!」
唐突に駆け出したわたしを見て、彼も走り出す気配を感じます。でも、振り返りません。一心不乱に、人の波を掻き分けて、ひたすらに走りました。
……胸が痛くて、痛くて痛くて痛くて。泣きたくなりました。
――そうして、どれほど走ったでしょう。全力疾走を、三十分は続けたかもしれません。いつの間にかわたしは、今住んでいる家の前にたどり着いていました。
「はぁ……はぁ……」
特別露店もパフォーマーもいないこの辺りは、人の気配もほとんどありません。誰の視線も感じません。きょろきょろと視線を巡らせても、先ほどの騎士の姿は見えませんでした。
ようやくゆっくり呼吸出来る環境に身を置くことが出来、わたしは上がりきった息を整えます。
顔と、それから目立つ髪を覆い隠す為に被っていたフードを外し、ふらふらとした足取りながらも鍵を開け、家に入りました。どうやら、わたしの主はまだ帰っていないようです。
「すぐ、お帰りになりますよね……?」
約束したんです。だから、鍵を閉める必要はありません。
そうです。わたしはこれから、お出かけの準備を急いでしなくてはなりません。言ってみれば、これはデート。おしゃれをして、笑顔でお迎えして……。
「ぅ……っ、痛いです……寂しいです……」
それは、わたし一人ではとても抱えきれない秘密でした。突き刺すような痛みを放つ胸を押さえても、苦しいのは大きくなるばかり。
それを少しでも忘れさせてくれそうなのは、たった一人だけ。あの人の顔が浮かびます。
「早く……早く帰ってきてください……!」
お願いです。早く帰ってきてください。不安で、怖くて、死んでしまいそうです。
楽しい想いで、上書きしてください。もう一度だけ、日の当たる場所に連れ出してください。もう一度だけ。もう一度だけで、いいですから。
「ぐすっ、泣き、やまないと……」
涙なんか見せたら、きっと心配させてしまいます。純粋に楽しめなくさせてしまいます。そんなの嫌です。今日は思いきり楽しむと、最高の一日にすると、そう決めているのですから。
わたしは姿見の前に立ち、無理にでも笑顔を作るのでした。




