10話「祭事の喧騒に、やむなき裏切りを。」
「待ちなさいっ!」
私は、人でごった返す街中を疾走していた。騎士団の制服は部分鎧も軽金属であり、駆けるにも跳ねるにも適している。視線の先に捉えるのは、人混みを巧みに利用しながら逃げていく、マントで素性を隠した人物。体格から言って男に見える。
紛れるように遠ざかる影を、何度も何度も見失いそうになる。もう少し私の背が高ければ見失う心配はなかったのに。そんな意味のない恨み言が脳裏をよぎった。
どうしてこんなことになったのか。話は少し巻き戻る。
国王陛下のお誕生日を、国全体で盛大に祝う。それ自体は珍しいことでもなんでもなく、ローリス王国でも当たり前に行われていた。露店、パレード、祝日。いかにもお祭、という要素は全て集約されている。
普段庶民の前にお姿を見せることの少ない陛下が民草と触れ合いの場を設ける。パレードにはそういう意味もあり、当然のことだけれど、陛下本人が民の前に姿を晒すことになる。
人でごった返す街でのパレードというのは、様々な勢力にとって絶好の機会だ。陛下を快く思わない勢力、裏取引をしようとする勢力。何をするにもいい日になる。
故に今日は王国騎士団の腕の見せどころでもあり、最も気を引き締めて取り掛からなければならない日でもあった。……とはいえ、基本的に当代の国王陛下は信頼に厚く、内乱など起きる気配はないのだけれど。
三日間に渡る祭の内、初日と二日目はつつがなく終了した。私は団長としてほとんど働き詰めだったわけだけれど、それも最終日――つまり今日だ――の午前中のパレードを持って落ち着く……はずだった。
それが起きたのは、パレードが終了し、陛下が王城に戻られた直後のことだった。私は報告を受ける為、王城入口で待機していた。
「ドネル部隊長、ミスティ副団長、報告を」
「はっ。北区、東区、共に異常ありませんな」
「南区と西区も異常ないよー」
「……そう。今年も何もなくてよかったわ」
本来なら気を緩めるには早いのだけれど、今日の午後はセレネとの約束がある。気がそぞろなのは否めなかった。それに、私はここで引継ぎをすれば仕事もおしまいだ。
一息を吐くと、にこにこと妙に楽しそうな副団長の顔が目に映った。あまりいい予感はしなかったけれど、一応問う。
「……なによ」
「西区の外れに、葡萄酒を出してる露店があったんだよね。お祭だからって安く出してたけど、あれ時間も手間もすっごくかかってるよ」
「おお、あそこの露店ですな! 団長、あれは今日買わねば損ですぞ!」
ドネルは私とセレネの関係を深くは知らない。だから、この二人の言いたいことの本質は微妙に食い違っていると言える。どちらが裏のない純粋な推薦かと言えば、もちろんドネルの方だ。
「ありがとう。行ってみるわ」
余計なお世話、とも言えず、意図的にミスティから視線を外すことをせめてもの抵抗とした。
と、無駄話を挟んだところで、向こうから駆けてくる騎士団制服が目に入った。その若い男性騎士の顔は覚えている。今年初めて前線部隊の視察に行った時、真っ先に私に噛みついてきた、あのライオンみたいな髪型の新人だ。あの日以来ずいぶん態度が改まって、意外なほど従順になった。私に負けたからかもしれないけれど、そうだとすればいよいよライオンっぽい。
「団長!」
「……何かあったのね、ライオン君」
明らかに緊迫した様子に、私達三人の間に流れていた平穏な空気も一瞬で吹き飛んだ。
「ライオンじゃなくて俺はヴァイオンっす……いや、今それはどうでもいいっす。北区で怪しい人影を見つけたんで、報告に来たっす」
応じたのは直属の上司であるドネル。
「具体的にはどのように不審だったのだ?」
「うす。騎士の位置と視線をやたら気にしながら歩く、マント姿の奴っす。性別は不明、背丈は副団長くらいっす。今はアスロワが尾行してるっすよ」
「ふむ……団長、いかがなされますか」
新人騎士であるライオン君が、独断での判断で捕らえようとせずに報告に来たのは偉い。いずれにしても放っておくわけにはいかないけれど、話が変にこじれる可能性はぐっと減ったと言える。
新人騎士にもわかるほど挙動不審なら、危険因子の可能性は高い。いえ、仮に高くなかったとしても、少しでも危険性があるのならば然るべき処置をする必要がある。こと、今日という日においては。
故に即断。
「ドネル部隊長、ミスティ副団長は再度各担当区域の警戒に当たってちょうだい。不審人物発見時の処理判断は一任するわ。彼が言う現場には私が行く」
「了解であります!」
「任せてよっ!」
頼もしい二つ返事が二度、すぐに行動を開始する二人。残されたライオン君に向き直る。
「ライオン君、現場に案内してちょうだい」
「うす!」
かくして私達が現場へ向かう途中でマントの人物を見つけ、それが逃走を図ったことで、私は一も二もなく追跡を始めたというわけ。
そして、今に至る――。
「止まりなさいっ!」
叫ぶけれど、そんなことで向こうが止まるわけがない。だからこれは、どちらかと言えば民衆に対する呼びかけだ。
人混みを抜けることに慣れていないライオン君は、遥か後ろで波に揉まれている。あれでは使い物にならない。そう判断した私は、決して犯人を見失わないよう気をつけつつ、背後に向かって指示を飛ばす。
「ライオン君! あなたは先回りしてちょうだい!」
「先回りって……! どこに向かってるかわかるんすか!」
「知らないわ!」
「んな無責任な!」
犯人の行き先など私が知るはずもない。けれど、そうする以外に彼の使い道がないのも確か。彼の勘がいい方向に動くことを祈るだけだ。
彼は「ああもう! 意外と無茶苦茶な団長っすね!」と残し、どこか別の方へ気配を消した。
「……さて」
二馬身ほど離れた距離にいる不審人物を捉えつつ、現状を整理する。
人々は不審者と、それからそれを追う私に道を開けるばかり。捕まえようなんて勇敢な者はおらず、そもそも彼らからすれば、人間が突然飛び出してくるのだ。ぶつからないように身を引くのが精一杯だろう。
市民の安全を守るのは騎士の仕事だから、それは構わない。
ただ気になるのは、尾行していたという騎士、アスロワの姿がどこにも見えないことだ。気づかれて振り切られたか、あるいは……。
嫌な想像をしそうになり、慌ててかき消した。目の前に集中する。
「くっ……!」
逃亡犯はよほど慣れているのか、人をかき分けているにもかかわらず速かった。逃げる方向も、あえて人の多い方を選んでいる。じわじわと距離が離されていくのが自覚出来た。
と、そこで、決定的な出来事が起きる。
「っ!」
「あっ!?」
不審者が、近くにいた男の子を意識的に突き飛ばした。それだけならまだ大したことではないけれど、問題なのはその子が大きな棒キャンディをくわえていたこと。
棒状のものをくわえた状態で転べばどうなるか。そんなことわかりきっている。幸いなことに、私の身体は驚きを得ながらもきっちり反応してくれた。
邪魔な大人を無理に押し退け、その勢いのまま子供と地面との間に滑り込む。抱きかかえる形で受け止める。背中に衝撃が走り、肺が圧迫されて息が詰まる。しかし、強い衝撃は私がクッション足り得た証拠。一瞬の出来事に固まっている子供の無事を確認し、大きく息を吐いた。
「ふぅ……ケガはない?」
「あ、ありがとう……?」
「ああ、騎士様! 本当にありがとうございます!」
目をぱちくりさせている当人よりも、状況を俯瞰していた母親の方がパニックになっていた。男の子を引き渡すと強く抱き締めて、よかったよかったと繰り返している。
周囲の人々も何事かとしばらくざわめいていたけれど、私が散るようにジェスチャーを送ると、徐々に静まり、やがて霧散した。
見渡す。
「……ダメね」
不審人物は見失ってしまった。子供の命を利用する卑劣さに歯噛みしたところで、取り逃がした事実は変わらない。
すぐに調査して、対策を講じる必要があるわね――そう考えていると、正面からライオン君が一人の騎士を伴ってこちらに走って来るのが見えた。彼の問いに先回りして、黙って首を振る。
「逃げられたんすか」
「ええ。情けないことにね……そっちは?」
「ああ、そのことなんすけど……」
やにわに空気が固くなる。表情を引き締めた彼らを促し、一時撤退を決定。私達は王城の方へと歩み始めた。
ライオン君が口を開く。
「団長。コイツがアスロワっす」
紹介された彼は軽く会釈。最初に不審人物を見つけた時、見張りとして尾行していたという騎士だ。見る限りケガもなさそうで、無事だったようだ。
「無事だったのね。尾行してるって聞いてたのに姿が見えないから、てっきり犯人に殺されてるんじゃないかと思ったわ」
「や、それがそうじゃないんすよ」
「……?」
単純に振り切られただけだと思ったのだけれど、違うのだろうか。首を傾げる私に、ライオン君は言う。
「団長に言われて別の方に行った俺は、そこでコイツと合流したっす。そしたらコイツ、俺に言ったんすよ。「ごめん、たった今、不審者を見失ってしまった」って」
「……たった今?」
それはおかしな話だ。
ライオン君と私が不審者を視界に捉えて追跡を始めた時、既に尾行しているはずの彼の姿はなかった。なのに、私達が二手に分かれてから「たった今見失った」というのでは、いささか「今」という言葉の認識に差がありすぎる。
得心。
「じゃあ、私達は別の誰かを追っていたというわけね」
「そういうことっす」
つまり、こういうことだ。
まずライオン君とアスロワ君が不審者を発見、アスロワ君を見張りに残し、ライオン君が報告に来た。報告を受けた私はライオン君を連れて現場に向かったけれど、その途中で別の不審者を発見。報告にあった人物だと思い込み、追跡を開始した。けれど実際にはそれは別人であり、その間もアスロワ君は不審者の尾行を続けていた。結局、ライオン君に先回りを指示した辺りでアスロワ君も不審者を見失い、合流。私も取り逃がし、今に至る。
単純に言えば、似たような格好の不審人物が二人いた。そういう話。
「……これはすぐに情報の共有、会議をする必要があるわ」
すぐにドネルとミスティにこのことを知らせ、騎士団全体で事態に当たらなければならなかった。市民に余計な不安を与えないよう、他の騎士には適度に警戒を強めてもらおう。まだ今日という日は半分残っている。多くの市民が巻き込まれるようなことだけは避けなければ。
「二人とも、ドネル部隊長とミスティ副団長を騎士団庁舎に……」
――よぎる。
「……」
「団長? どうしたっすか?」
「……いえ、なんでもないわ。その二人を騎士団庁舎に連れてきてちょうだい」
「うす!」
「はい!」
どっちがミスティに声をかけに行くか、で若干揉めている若い騎士の背中を見送り、早足で庁舎に向かった。
「セレネ……」
午後は彼女と一緒に祭に行くと約束していた。約束を破ってしまうことになるけれど、こればかりは仕方ない。私はエリカ・フランベルである前に、騎士団長なのだから。
それに、事情が事情だもの。セレネならきっと、話せばわかってくれるに違いないわ。
それきり私はセレネのことを考えるのをやめ、不審人物に対する疑念や可能性を整理し始めた。




