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プロローグ「ある雪の日に、忘れぬ出会いを。」

 


 十七年の人生で最高の思い出は何か。そう問われたら、答えは一つしかない。それは十二年前の冬にした、ある人との約束。

 公爵令嬢として生を受けた私は、フランベル家の娘として何一つ不自由のない生活を送ってきた。フランベルはそれなりに力のある家で、さらに非常に運のいいことに、私はその末っ子だった。兄が二人と、その下に姉が一人。家督を継ぐなんてことはまずなく、精々、フランベルの名に恥じないような人間になれと言われるだけ。

 公の場でのマナーや礼節こそ厳しく教え込まれたけれど、面倒そうな英才教育や、レールの上を歩く人生なんてものは、全部兄と姉が引き受けてくれた。

 そんな風に育ったものだから、当時の私は自由奔放が過ぎた。上兄様が参加する社交界――その時のそれは実質的にただのパーティだったけれど――に連れて行かれた私は、こっそり会場を抜け出した。

 だって、パーティなんて何度も参加していて、変わり映えしないから退屈だし、面倒だったのだもの。

 そんなことより、庶民の住む街を見てみたかった。せっかくの遠出。いつもと違う景色の中を歩いてみたかったのよ。

 それは小さな冒険。身体の小さい私にとっては、とても大きな冒険。

 雪こそ降っていなかったけれど、すっかり月が顔を出していた。白い息を街並みに溶かしながら、ドレス姿のまま、はしたなく駆けた。

 最初の内は楽しかった。どこまでも続く、新しくて広い世界。ただの石畳も、窓から漏れる明かり達も、訝しげに私を見る街の人々の視線さえ、愉快で仕方ない。

「あぁ、たのしいわ! わたしはじゆうなんだもの!」

 端的な表現をするなら、最高の気分だった。付きまとう従者もいない。公爵令嬢に相応しくない態度を咎める大人もいない。どこへ行くにも、何をするにも自分の意思で決定することが出来る。これが本当の自由なんだって、身体中で実感していた。

 けれど、そんな素敵な時間も長くは続かない。

「あれ……?」

 ふと我に返って立ち止まる。夜空を見上げる。周囲を見回す。

「ここ、どこだろう……」

 感情の赴くままに振る舞い、自由を謳歌した私は、その本質にようやく気づいた。

 自由というのは、誰からも縛られない代わりに、誰からも守ってもらえないのだ。守ってくれていた人達の言いつけを破り、自らの意思で勝手にここまで来たのだから、その責任は当然自分にある。行くも勝手、帰るも勝手。

 帰れなくなることもまた、私の勝手。

 けれど、気づいたときには、もう遅かった。

「うぇ……どこ……どっちにいけばいいの……?」

 右を見ても左を見ても、同じような景色。さみしい。帰りたい。あれほどまでに楽しかった気持ちはどこへやら、夜の闇みたいに真っ黒に塗りつぶされていた。

 私を歓迎してくれていたかのような街並みも、今では孤独の中に閉じ込める迷宮みたいに思える。

 初めて感じる心細さに、私の心はあっさり耐えられなくなった。

「ぅぐ……ぅ、うわああああぁぁん!」

 泣きじゃくっても、誰も助けには来なかった。時折通りがかる大人が私を見ては見て見ぬふりを決め込み、それが私をより深い孤独の中に沈める。自分の勝手な行動が招いた結果なのだと心の隅では理解していたものだから、このまま誰にも助けてもらえないんじゃないかって思った。だって私は、悪い子なのだから。

 けれど、私を見捨てないでいてくれた人が、一人だけいた。

「だいじょうぶ?」

「ふえ……?」

 その瞳を、私は生涯忘れない。闇を強く照らす、満月のような金色。幼い心でも直感的に理解出来る、それこそ息を呑むような美しさ。

 手を差し伸べてくれたその人は私と同い年くらいの子で、金色の瞳に金色の長い髪を持っていた。おそらく女の子。薄そうなコートに身を包み、所々穴の開いた手袋をして、白い息を夜に溶かす。

「まいご?」

「ぇ、あ……はぃ……」

「そっか」

 頭を優しく撫でられる。嗚咽を抑えながら、何故か私は気恥ずかしさを感じていた。泣き疲れたせいではなく、心臓が大きく跳ねている。その時は何か言わなくちゃということで頭がいっぱいだったし、その感情の正体を知らなかったけれど、後になってわかった。

 私は彼女に、一目惚れしていたのだ。

「じゃあ、わたしもいっしょにさがしてあげる」

「え……っ?」

 戸惑う私をよそに、彼女は手を握って歩き出す。迷いのない歩みは小さな背中だというのに頼もしく、この人に着いて行けば大丈夫だと、理屈ではない安堵をくれた。相変わらず、鼓動は主張していたけれど。

 いくらか歩いたところで、私はハッとして、慌てて声をかける。

「あの、まってください。みち、わかるんですか?」

 彼女は歩みを止めずに首だけで振り向き、告げる。

「ううん。でも、おなかすいたでしょ? ごはんたべにいこ?」

「ごはん?」

「うん。わたし、ひとりでごはんをたべにいくところだったの」

 それは私にとって、大きな衝撃と言っても過言ではなかった。

 公爵家の娘である私が独りで外に出ることなど、到底許されるはずはない。今日のようにお付きの目を盗んでこっそり逃げ出さない限り、絶対に大人がついて回る。着替えにしろ、食事にしろ、あらゆる行動に手伝いが入り、ある意味では見張られている状態。

 なのに目の前の、おそらく庶民であろう少女は。同じような年齢でありながら、独りでなんでも出来てしまうのか。食事をすることも、外へ出ることも。それどころか、手慣れた様子で私に手を差し伸べ、助けてくれている。

 すごい、すごい人だ。きっとお父様が常々仰っている、「貴族として、フランベルの人間として、民を先導する存在たれ」というのは、こういう人を指すのだ。

 もう、彼女に対する認識はすっかり変わってしまっていた。助けてくれた恩人から、こういう人になりたいという憧れに。

 やがて彼女は一軒の家屋の前で止まった。大通りからはひとつ外れたところにある、夫婦が営む小さな料理店のようだ。中には少し早い夕食を楽しむ人達がちらほら。

「いこっ」

「は、はい……」

 彼女に笑いかけられると、どうしても委縮してしまう。この人はこんなにも堂々としているのに、情けなくてしょうがない。

 カランコロン。入口はそんな音を立てた。

 やはり迷うことなく、彼女はテーブルへと私を誘導する。自宅の家具とは比べ物にならないほど質が低かったが、それよりもドレス姿の自分の場違い加減に縮こまる。

 奥さんと思しき女性が、一冊の薄い本を持ってくる。表紙にはメニューと書かれていた。

「えっと」

 しかし彼女はそれを受け取ることはせず、代わりにポケットから硬貨を数枚取り出した。

「これでたべられるりょうりをください」

「はい、わかりましたよ」

 それを受け取り数えたその人は、にこやかな、あるいは微笑ましいものを見る笑みを浮かべ、店の奥へと消えて行った。

 なんと、料理をこれから作るのか。自宅では食事の時間は決まっていて、その時間に合わせて作られる。だから食卓に着けばすぐに食事は始まるものだった。

 慣れない、落ち着かない雰囲気にそわそわ。他の卓からいい香りが漂ってきて、胃が空腹を自覚し始めた。

「ね、あなたはどこからきたの?」

 彼女は当たり前のように話しかけてくる。食事中は必要な場合を除いて沈黙、というのが我が家のルールとなっていたから、それもまた新鮮だ。

 お父様もいないのだから、叱られることはないのだけれど、ちょっとだけ怖かった。視線を彷徨わせ、おずおずと口を開く。

「わかりません……」

「うーん、じゃあ、どうしてここにきたの?」

「その……おにいさまといっしょに、パーティにきて、でも、かってにでてきちゃって……」

 こっそり抜け出して、独りになったのだ。きっと今頃、お兄様も執事やメイドの皆も心配している。このまま帰れなかったら、もう誰にも会えないんじゃないか。考えなしの軽率な行動のせいで、もう……。

「ぅ……っ、うぁ……!」

 とても嫌だけれど現実味のある想像に、胸が締めつけられる。

 そんな私の頭に、手の感触。髪がさわさわと揺らされ、出掛かっていた涙が引いていく。顔を上げれば、彼女の微笑み。

「だいじょうぶ。わたしがいっしょにいてあげる」

 どうして。どうしてこの人はこんなにも優しいのだろう。頼もしいのだろう。

 何か言わなきゃと思って、少しでもこの人に近づきたいと思って、けれども経験値が足りなすぎる私はすぐに言葉を見つけられなくて。顔を上げて、俯いて、口を開いては閉じて。時間を無為に消費した後、最終的に蚊の鳴くような声で発した言葉は、

「……ありがとう、ございます……」

 ありきたりな、ただのお礼だった。

「うんっ。ぜったいみつかるからね」

 花が咲いたような笑みが眩しくて、直視出来なかった。

 ちょうどその時、先ほど店の奥に消えた女性が戻ってくる。

「はい、おまたせね」

「ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」

 すぐにお礼を言う彼女に釣られたように、私も慌ててお礼。

 運ばれてきたのは、一人前のスープと空のお皿が一枚。疑問を覚えたのは私だけだったようで、金色の少女は当たり前のようにそれを受け取る。茶色のスープはグヤーシュと呼ばれる、牛肉と野菜を煮込んだもので、貴族の間でも当たり前に食べられているもの。

「ちょっとまってね」

 そう言うと彼女は空のお皿にスープを移し始めた。

 気づく。彼女の持っていたお金では一人分のグヤーシュしか買えなかった。それを一切惜しむことなく、見も知らぬ私に分けてくれると、そういうつもりなのだ。

「できた。あったかいうちにたべよ」

「は、はい」

 スプーンで一口をすくい、ふぅふぅと息を吹きかける。ドレスを汚さないように注意しながら口に含むと、舌に刺激さえ感じるほど味が濃かった。お肉の食感も固いし、素材の質は普段口にするものより間違いなく劣っている。

 なのに。

「おいしい……おいしいです……!」

 なのに、今まで食べたどんな料理よりもおいしかった。心そのものがあたたまっているような気がした。

 十二年経った今でも、決して裕福ではない、見知らぬ少女とはんぶんこしたグヤーシュよりもおいしいものを、私は知らない。

「よかった。わらってくれた」

 泣きそうになりながらも自然と笑顔になっていた私を見て、彼女は安堵を漏らし、細い指で目元を拭ってくれる。それからふと窓の外に目を遣り、何かに気づく。

「あれ? もしかして……」

 私もそちらを見る。

「あっ!」

 少し遠くに、見覚えのある服装の見覚えのある顔。私の世話をしてくれるメイドの一人だった。目を凝らしている彼女に小さく手を振ると、可能性は確信に変わったようで、急いでこちらへと駆けてくるのが見えた。

 お別れなのは、誰にでもわかることだ。それこそ、なんにも出来ない私にさえ。

「よかったね」

「……」

 心底から喜んでくれている彼女には申し訳ないけれど、私はまだ別れたくなかった。けれど、せめぎ合うように、駄々をこねる姿を見せたくないとも思っていて。

 胸の前でぎゅっと拳を握る。深呼吸を一つして、照れそうになる気持ちを抑え込み、夜を明るく照らす満月みたいに綺麗な瞳をまっすぐに見つめる。

「あのっ!」

 予定より大きな声になってしまった。突然の大声に彼女は驚いていたけれど、私は自分の想いを言葉にするので精一杯。

「また……あえますか?」

 彼女は、初めて主張した私を見て目を見開き、背伸びをする妹を見るみたいに微笑んだ。

「じゃあ、おとなになったら、またここでごはんたべよ?」

「や、やくそくですよ!」

「うん。こんどは、ちゃんとふたりぶんたのもうね」

 小指を絡めて、約束の指切り。

 その小さなぬくもりだけで、私は頑張れる。大きくなって、強くなって、きっとまた。

 それが、私の一番の思い出。

 ……それから十二年。私は必死に努力して、承諾してくれなかった親を無視して王国騎士になり、団長にまで上り詰めた。

 女で、しかも公爵令嬢ということもあって、不要な苦労もたくさんあったけれど、心が挫けそうになることは一度もなかった。いつかあの人と再会した時に、強くなった姿を見せたかったから。もう、弱虫じゃないってところを見せたかったから。

 それに――とても馬鹿げていて恥ずかしいことだけれど――あんなに頼れる人なのだから、あの人も騎士になるかもしれない。そうしたら、背中を預け合える関係になれるかもしれない、なんて、淡い期待を抱いていたことも否定出来ないけれど。

 ローリス王国騎士団長に就任し、その仕事にも慣れてきて、もうすぐ十八歳になろうかという頃。私はずっと憧れてきたあの人と再会を果たした。

 夢は半分叶い、半分壊れることになる。




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