起3ー③
「皆飲み物持ったね。それじゃあ、乾杯!」
高橋は乾杯の音頭を取った。
「乾杯!」
他の人たちもそれに続いて、バーベキューがスタートした。
食材を準備した知美や沙希たちがまじめに仕事をしたので、食べ物はとてもバーベキューらしくなっていた。おこげ付きご飯の上に具材たっぷりのカレーが豪快にかけられ、網の上では牛肉、焼き鳥、海鮮類、野菜などが炭に焼かれてジュウジュウ音を立てていた。皆は空腹とバーベキューの雰囲気に飲まれて、夢中で食べ物に食らい付いた。
食事が落ち着いてきたころ、知美は時計を見て不意に立ち上がった。そして隅に置かれたクーラーボックスの前に移動すると、そこでこそこそと何かをし始めた。事情を知っている数名の人は何かを期待するようにその様子を見守っている。
「じゃあ、みんな集まって。」
知美は全員に聞こえるように言うと、クーラーボックスの中からホールケーキを取り出した。そこには「高橋君、誕生日おめでとう!」の文字が書かれている。
「ハーピバースデートゥーユー、ハーピバースデートゥーユー、」
知美と数人の人たちはバースデーソングを歌いながら高橋に近づいた。高橋は一瞬目を丸くし、照れくさそうに空を見上げたかと思うと、知美たちの方に向き直って気を付けをした。
「ハーピバースデー、ディア高橋君―、ハーピバースデートゥーユー!誕生日おめでとう!」
高橋は蝋燭の火を一度で吹き消そうと力いっぱい息を吹いたが、一瞬消えた後に再び火が灯ってしまった。顔を赤らめた高橋は、その後数回に分けて火を吹き消した。
「本当にありがとう。長谷川さんたちはこれを隠してたんだね。」
高橋はしてやられたという表情で言った。知美はそれを見て満足そうに尋ねる。
「そうだよ。バレてなかった?」
「全然分からなかった。」
「ならよかった。さ、食べて。」
知美はホールケーキから大きめの一ピースを切り出し、高橋の皿に乗せた。高橋はそれをフォークで突き刺し、大きな口でかぶりついた。
「うん、おいしい!」
高橋が感想を述べると、それに続いて皆もホールケーキを食べ始めた。京介も一緒になって食べていると、不意に知美がそのサプライズを自分に隠していたのを思い出し、知美に尋ねてみた。
「知美、どうして俺には教えてくれなかったの?昨日は一緒にいたのに。」
「京ちゃんは嘘が下手だからだよ。成功のためにはリスクは排除しないとね。」
知美は笑いながら言った。京介はムッとしながらも、確かにその通りだなと思った。
昼食の後は自由時間だった。午後になると気温はさらに上昇し、多くの人は川に入って遊んでいたのだが、沙希は相変わらず長袖長ズボンで、川にも入らずタープの下で休んでいた。京介はそれに気付くと、沙希の近くに行って尋ねた。
「どうかしたの?」
近くで見ると、沙希の表情は少し疲れているようだ。
「ううん、ちょっと休んでるだけ。」
「そう。多少は皆に慣れた?」
「うん、皆親切な人ばかり。私、年上の人となら話せるけど、同学年以下の人と付き合うのは苦手。でも、こ、ここの人たちはなんとか大丈夫。」
「それは良かった。知美も沙希と仲良くなれて良かったって言ってたよ。」
沙希は少し笑顔を見せた。
「私、今日このバーベキューに参加して良かった。さ、誘ってくれてありがとう。」
「いや、礼なんていいよ。俺が誘いたくて誘っただけだから。」
その後、二人の間にしばらくの沈黙が訪れた。京介はこの沈黙を埋めようとクーラーボックスに冷えたジュースを取りに行った。京介が中にあるジュースを選んでいると、ちょうどクーラーボックス越しに沙希の顔が見えた。その顔にはどこか緊張の色が浮かんでいる。少し気になった京介だったが、特に意識すること無くジュースを持って沙希の隣に戻った。するとそのとき、もじもじした沙希が京介に話し掛けた。
「京介君、あ、あの、私、対岸の森の中を少し散歩したい。い、一緒にどう?」
京介は唐突な誘いに少し身構えた。しかもあの森の中を散歩したいと言うのだ。強い日差しにやられたのかと思いつつ、京介はやや不審な目で沙希を見た。沙希はそんな京介の様子を感じ取ると、大きく息を吐いて言った。
「私、森の中を歩くのが好きなの。一番自然を感じられるから。」
沙希は京介の目をまっすぐ見たまま動かなかった。京介はその目を見ながら、沙希の中に有無を言わさぬ強い意志のようなものを感じ取り、一緒に森の中へ行くべきだと思った。
「わかった、一緒に行こう。」
沙希はそれを聞いて嬉しそうに頷いた。
対岸に渡れそうな浅瀬が上流にあったので、京介と沙希はそこを目指して歩いた。すでに多くの人がバーベキュー場にごった返し、二人が歩くのにそこそこ苦労するほどになっていた。京介は自然の風景が好きだったので、バーベキュー場が異物のような近代の文化で染まってしまったのが少し残念だった。しかしこれからあの森へ入っていくのを想像すると、いくら自然の景色が好きとはいえ心細かった。しかも先ほど感じたゾクゾク感が頭から離れず、なおさら京介を不安にさせるのだった。そんな状況をそれとなく伝えるために、京介は沙希の顔を不安な面持ちで覗いた。しかし沙希は何か思い詰めているような表情で足元を見ており、京介はとにかく森に行ってみるしかないと思った。
二人は浅瀬に到着すると、そこをバシャバシャと歩いて渡り、対岸の森に入った。森の中は人の手によって整備されていない様子だったが、人が歩けない程ではなく、自然を見ながら散歩する程度のことならできそうだと京介は思った。ただ、心なしか先ほど入ったときよりも、森の気味悪さが増しているように京介は感じた。
「少し歩こう。」
沙希はそう言って森の奥の方へ歩き出した。沙希の表情は相変わらず思い詰めた感じだったが、徐々に少年のような好奇心も見せつつあった。先ほどのゾクゾク感も無かったので、京介は少し乗り気になって沙希の後を追った。
歩き始めてすぐ、京介は奥へ進んで行くのが簡単ではないことに気付いた。クヌギやコラナなどの木々が密集して生えていて、地形の起伏こそあまりなかったが、足元には地面を覆う草や枯れ枝などが二人の行く手を阻んでいた。沙希はなぜか準備万端で、水に濡れてもいい靴をしっかり履いていた。京介は森へサンダルで来てしまったことを少し後悔した。
二人は森に入ってからほとんど話しをしなかった。森の中を歩くには程よい身体運動が必要で、それを繰り返していると思考の世界へ誘導されてしまうのだ。それに聞こえて来るものはほとんど蝉の鳴き声と地面を踏み鳴らす音だけで、その状況は二人をさらに思考の世界に押し込んだ。京介はどんどん深くに潜って行った。
そして京介は歩き続けるうちに気持ち良さすら感じ始めた。先ほどまで知覚できたものが薄れていき、それに反比例するように気持ち良さがじわじわと身体全体に広がっていった。それはまるで心地良い眠りに落ちていくようで、京介を大いに楽しませてくれるのだった。