起3ー①
京介は地下鉄の駅から大学へ向かっていた。季節はすっかり夏だ。歩道に沿って桜の木々が植えられていて、複雑に伸びた枝々には雨宿りできそうなほど新緑の葉が茂っていたし、桜の木々の間からは青々とした空と巨大な雲が顔をのぞかせていた。そういった目に映る全てのものは、とにかくぎらぎらと照り輝き、まるでペンキを塗り付けたように色が濃かったので、雲や葉などの遠近感をつかむのが難しいほどだった。夏の発するエネルギーがそうさせるのだろうと思いつつも、京介はそのエネルギーに圧倒されて少しめまいを感じた。
京介たちの大学では、前期のテストも終わり、すでに夏休みが始まっていた。文化サークルの恒例行事の一つに「夏のバーベキュー大会」があり、京介はそれに参加するため集合場所の南門前に向かっていた。その日は晴天で気温も高く、絶好のバーベキュー日和だった。
京介が集合場所に着くと、すでにほとんどの人が集まっていた。集合時間は朝の十時で、特に早いわけではなかったが、京介はまだ知美は来ていないだろうと思った。辺りを見回してもやはり来ていない。知美は前日にバーベキューをとても楽しみにしている様子だったので、準備することがたくさんあって四苦八苦しているのだろうと京介は思った。
「よう、京介。長谷川さんはまだ来ないのか?」
高橋が京介に話しかけた。高橋はすでに水着を着込んでいるようで、派手な水玉模様が腰の辺りから顔を出していた。
「ああ。準備に手間取っているかもな。もう少し待ってくれ。」
「そうか。ところでお前、渡辺さんも誘ったんだって?今はあそこにいるよ。」
京介が示された方向を向くと、そこにはおどおどした様子で立つ沙希の姿が見えた。
「ああ、誘ったよ。」
「お前ら仲良かったんだな。いつからだ?」
「つい最近だよ。大野先生の研究室見学のときに一緒になって、それ以来話すようになった。」
高橋はその言葉に相槌を打つと、やや小さめの声で話し始めた
「お前らが仲良かったのにも驚いたが、こういうイベントに渡辺さんが参加したことにも驚いたよ。渡辺さんいつも一人だから興味無いと思ってた。」
「正直おれも驚いたよ。このバーベキューに誘ったとき、かなり乗り気だったからな。」
「今日は渡辺さんのこと、根掘り葉掘り聞いてみるか。」
京介と高橋が話していると、大きなリュックを背負い、両手に荷物を抱えた知美が二人に近づいて来た。知美はショートパンツとTシャツに麦わら帽子を合わせた、いかにも夏らしい恰好をしていた。
「おはよう!集合時間に間に合ったよね?」
「ああ、二分前だ。」
京介は時計を確認して言った。
「よかったー。なんとか間に合った。」
「それにしてもすごい荷物だね。中に何が入ってるの?」
高橋は気になって知美に尋ねた。
「ふふ、それは秘密。楽しみにしててね。あ、そうだ、高橋君、今日のことで聞きたいことがあるんだけど、ちょっといいかな?」
「うん、何?」
高橋と知美がそのまま話し込んでしまったので、暇になった京介は沙希のところに行くことにした。京介が沙希に近づいていくと、沙希も京介に気付いた。
「おはよう。今日はよく来たね。」
「あ、おはよう。まだちょっと慣れなくて、緊張してる。」
沙希は紺の長ズボンにグレーの長袖Tシャツを着ていた。なんだか暑苦しい恰好だなと京介は思った。
「皆良い人達だから、すぐに慣れると思うよ。」
「うん。」
沙希はかなり緊張した様子だったので、京介は沙希が慣れるまでは一緒に行動しようと思った。
京介と沙希が話していると、遅れていた小型レンタルバスが集合場所に到着した。
「それじゃあ皆バスに乗ってくれ。席は自由ね。」
高橋の言葉を聞いて京介も早速バスに乗り込んでいった。そして運転席の横から車内を見渡したとき、ふと昔の家族旅行で乗ったバスのことを思い出した。とても楽しかった記憶だ。京介は徐々に旅行前特有のあの興奮がむくむくと湧いて来るのを感じた。皆が席に着き、バスのエンジンが動き始めると、社内の興奮も一気に高まった。
「じゃあ、しゅっぱーつ!」
高橋が大声で叫び、皆も続いて叫ぶと、それを合図にバスはゆっくりと走り出した。
目的地までは約五十分の道のりで、その間の時間を皆が思い思いの方法で過ごし始めた。沙希の隣に座っていた知美は早速お菓子をリュックから取り出した。
「渡辺さん、このお菓子知ってる?最近出たばっかりなんだけど、おいしいんだって。」
知美が沙希に話しかけると、沙希の顔がぱっと明るくなった。
「それ、食べたことある。」
「そうなの?意外とお菓子とか食べるんだね。」
知美は普通に会話をしつつ、沙希のことを注意深く観察した。なぜなら知美は沙希のことがとても気になっていたのだ。京介はこれまで女性と知り合って仲良くなり、さらにはイベントごとにまで誘って来ることは一度も無かったのだが、それにもかかわらず知り合った女性を今回のバーベキューに連れて来た。しかもその相手はほとんど恋愛経験が無いと思われるタイプの沙希だ。知美は京介にそうさせた沙希のことをもっとよく知るために、京介が沙希の隣に座ろうとするのをわざわざ遮って沙希の隣に座っていた。
「うん、結構食べる。このお菓子はチョコレートと塩のバランスが悪くて、あまりおいしくなかった。」
「そ、そうなんだ。じゃあ期待せずに食べるね。」
知美はそのお菓子を食べてみたが、確かにそこまでおいしいというわけではなかった。しかし知美には沙希の言っていることはよく分からなかった。
「私もお菓子持って来た。」
そう言って沙希は鞄からお菓子を沢山取り出した。それらの多くは知美が見たことのないものだった。
「このお菓子はチーズの風味が特徴のスナックだけど、チーズの風味にパンチが無くてイマイチ。けど、家に余ってたから持ってきた。こっちのは、私が小さいころ食べたときにコーンのクリーミーさに感動して、それ以来ずっと食べてるお菓子。それから…」
そんな調子で沙希のお菓子話しはまだまだ続きそうな気配だったので、それを察知した知美は話題をお菓子から別のものに変えようと思って話しに割り込んだ。
「へー、そうなんだ。そういえば、渡辺さんっていつも一人で授業受けたり、お昼食べたりしてるよね。こうして普通に話せるなら、もっと他の人と交流すればいいのに。」
沙希はそう言われて少し俯いた。
「わ、私、人見知りだから。」
「そうなの?そんな風には見えないけど。でも、もう私と友達なんだから、いろいろ話してくれていいからね。」
知美が沙希に笑いかけると、沙希は嬉しそうに頷いた。
その後も知美は沙希といろいろな話題で話しをした。話題の中には恋愛もあった。
「渡辺さんは彼氏いるの?」
「え、い、いない。今まで一度も付き合ったこと無い。」
「そうなんだ。」
「は、長谷川さんは、京介君と付き合ってるの?」
「まぁ、一応ね。腐れ縁ってやつかな。」
知美はそんな調子でしばらく話しをしたが、正直沙希が京介にそこまで気にかけられるほどの女性なのか疑問だった。まだ知り合ったばかりではあるが、沙希から何か特別なものが出て来るような気配は全く感じられなかったのだ。しかし知美は、女性として魅力的かどうかとは無関係に、沙希は他の人とは何かが違う、という印象を少なからず持っていたので、単純な好奇心からしばらく沙希に注意を払ってみようと思った。
「おい京介、お前最近どうなの?」
高橋はお菓子を食べながら、隣に座っている京介に尋ねた。京介はそれを聞いて、不意にテスト勉強や「妖気」の調査で忙しかったことを思い出したが、それは京介にとって適度なストレスであり、最近はかなり充実しているように感じられた。ネガティブになる頻度も少なくなっているようだ。京介はそのような気持ちを素直に伝えた。
「最近は良い感じだと思うよ。」
「そうだよな。おれから見てもお前はかなりエネルギッシュだ。」
高橋はそう言って溜め息を付いた。
「俺はお前がうらやましいよ。最近は真面目に勉強しながら、ちゃっかり研究室選びも進めてるだろ?それでいて我が道を行くっていう感じもあってさ。あと長谷川さんみたいな彼女もいるし。」
言い終わると再び溜め息を付いた。高橋は昔からそんな風にネガティブで、京介とはお互いの傷を舐め合うように飲むこともしばしばだった。
「おいおい、ちょっと待てよ。一体どうしたんだ?」
「つまり、最近は刺激が足りないんだよ。なんか、生活に張りが無いっていうか。もちろん勉強とか就職活動とかサークル活動はちゃんとやるんだけど、近頃はそういうのがなんだか義務みたいに感じられてきてさ。分かるだろ?しかも童貞で彼女もいないし。」
高橋が「童貞で彼女もいない」と言ったときの顔からは、哀愁のようなものが漂ってきた。
「お前、ただ彼女欲しいだけじゃないの?」
「まぁ、要約すると、そういうことだ。」
「それで、俺に女紹介して欲しいわけ?」
それを聞いて高橋は大きくかぶりを振った。
「いやいや、バカヤロー、そんなんじゃないって。俺はな、彼女欲しいけど人に女紹介してもらうほど落ちぶれちゃいないぜ。これでも人脈には自信があるんだよ。」
高橋が即座に、しかも強めに否定するときは、大概自分では解決できないような問題を抱えていて、相手にそれを察してもらいたいときであることを京介は経験上知っていた。しかもアルコールすら入っていない状態で言い出したということは、高橋も潜在的にかなりストレスを溜め込んでいるようだ。
「まぁ、そんなに強がるなって。良い子いたら紹介するよ。」
「そこまで言うなら断る理由はないな。ただし、こっちにも選ぶ権利はあるぞ。」
「わかったよ。まかせとけ。」
京介は女性関係に対して妙に素直じゃないところも高橋の愛嬌の一つだと思った。
京介と高橋が話していると、後ろに座っていた知美が二人に声を掛けた。
「ねぇ、二人とも。私たちこれからトランプやるんだけど、一緒にやらない?」
「お、いいね。京介はどうする?」
「そうだな。まだ到着までに時間もあるし、一緒にやるか。」
それから四人は目的地に着くまで大富豪をして盛り上がった。沙希は終始大富豪を維持していて、意外と勝負事には強かった。高橋はインテリ系のくせに大貧民が定位置だった。
しばらくして目的地に到着し、大富豪はそこで終了となった。京介が降りる準備をしながら沙希の顔をちらっと見ると、そこには集合場所にいたときのような緊張は見られず、京介はそのことに少し安堵した。