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起2ー②

 数日後、京介と知美は食堂で昼食を食べていた。早めの昼食だったということもあり、まだ食堂はがらんとしていた。


「京ちゃん、私次のテストやばいかも。」


 知美は味噌汁を箸でクルクル混ぜながら、不安げな表情で言った。


「そうやって謙遜しといて、また良い点取るんだろ。」

「謙遜じゃなくて、本当にやばいの。」


 知美はその外見からのんびりした人に見えるのだが、実際はとても頭が切れて、なんでもそつなくこなす。運動神経も良いのでいわゆる文武両道というやつだ。おまけに人望もある。唯一の弱点は朝が苦手なところだろうか。京介はそんな知美と昔から一緒だったので、自分と知美を比べては妬みを感じることがよくあった。


「へー。そういえば、知美ってどうやって勉強してるの?」

「どうやってって、普通だよ。レポートをしっかりやって、予習してから授業を受けて、授業内容を正しく理解するように復習してるだけ。特別な勉強をしてるわけじゃないよ。」

「それで授業の内容が理解できちゃうところがすごいんだよ。おれは一生懸命予習や復習しても、チンプンカンプン。」

「そうなのかな。確かに昔から物事を理解するのは得意な方だったけど。」

「でも、俺だってここぞというときの集中力はすごいぞ。一夜漬けの集中力は学年トップクラスだと思う。」

「ふふっ、そうだね。」


 二人が話していると、午後の授業も終わり食堂が徐々に混雑してきた。そこまで広い食堂ではなかったので、京介たちの周りもどんどん人で溢れていき、しばらくするとほとんど空席が無い状態になった。京介は何げなく周りの様子を覗っていると、不意に目の前の机で食べている男女数名のグループが目に留まった。京介と同学年の人たちで、交友の少ない京介は彼らとあまり面識がなかったのだが、暇だったのでしばらくそのグループに聞き耳を立ててみた。


「お前はもうテスト勉強始めてる?」

「いや、まだ全然。でもそろそろ始めないとな。前みたいな一夜漬けはもうたくさんだし。」

「そうね。しかも今回のテストはかなり難しそう。正直、まだ授業内容で理解できてないところ結構あるのよ。」

「みんなで力を合わせれば何とかなるさ。気楽にいこうぜ。」


 京介はやっぱりテストの話題だなと思いつつ話しを聞いていると、しばらくして彼らが席を立ち、入れ替わるように一人の女性がその机に座った。京介がそれとなく誰が座ったかを確認してみると、その人はあの有名な沙希だった。


 沙希は近寄り難い種類の人間で、いつも一人で行動しているようだった。やや面長で色白な顔の後ろで黒髪を一つに束ね、肉厚な両耳に黒色フレームの眼鏡を掛けていた。そんな容姿の沙希は目の前のおかずを箸でがっちり掴むと、少し吊り上がった眼でそれを睨み付け、血色の悪い唇の隙間にテンポ良く放り込んでいった。その姿はまるで、白黒の世界にいる生物がこの世界の食物を味見しているかのようで、そのまま動物や人間までも味わってしまいそうだなと京介は思った。


「知美の後ろの席に、渡辺沙希がいるよ。今日も一人でご飯食べてる。」


 京介は食後のコーヒーを飲んでいる知美に言った。


「そう。渡辺さんって実際どんな人なんだろうね。私、一回話しかけてみようかな。」

「やめとけよ。知美も食われちゃうぞ。」

「何それ、どういう意味?」

「いや、何でもない。」


 京介は次に沙希がどんな表情をしているのか気になったので、もう一度沙希の方に目をやった。すると、偶然にも沙希と目が合ってしまった。


 そのとき京介は、沙希のぎらついた黒い瞳を見ながら、恥ずかしさの中に親しさのようなものが湧き上がって来るのを感じた。それはまるで、辛い体験を共に乗り越えた親友に対して感じるような親しさだった。京介は昔沙希とどこかで会ったことがあるのではないかと思い、過去の記憶を探ろうとしたのだが、そのとき偶然目が合ってしまったことを思い出し、急いで顔を背けた。京介はその場にいるのが恥ずかしくなった。


「知美、そろそろ行こうか。」


 京介はそう言うと、慌てて食堂を後にした。


 午後の授業を受けていた京介だったが、授業の間中、沙希に対して感じたあの親しさが頭から離れなかった。今まで友人に対してさえそんな風に感じたことはなかった。それなのに突然、話したこともない人にそんな親しさを感じてしまうことがどうしても理解できなかったのだ。しかしいくら考えても無駄だったので、京介は諦めて授業に集中した。


 午後一の授業が終わると、京介はその足で三号棟にある大野研究室へ向かった。大学四年になるとどこかの研究室に所属する必要があり、京介はそれを決めるために知り合いの先輩がいる大野研究室に見学をお願いしていたのだ。ちなみに大野先生は超電導の分野で知らぬ人はいないほどの有名人だ。


 京介は屋外に出て周囲を見渡した。三号棟は授業でよく使う本館の東側に位置し、研究室の他には研究のための装置や実験設備などが置かれている棟だ。その外観はどっしりと頑丈な印象で、特に目立った特徴はなかったが、最近新しくなった本館と比べると少し薄気味悪い感じだった。実際のところ棟内の様子も外観と同様にやはり薄気味悪く、研究所というよりもむしろ古くなった病院のようだった。三号棟の五階は研究室が多く入っているフロアで、そのフロアの一番北側に位置するのが大野教授の研究室だ。


 京介は三号棟まで歩いて行き、エレベータで五階のフロアに上がると、自分が少し緊張しているのに気が付いた。約束の時間までに少し時間があったので、リラックスのために廊下の壁一面に貼られている各研究室の紹介用ポスターを眺めてみたが、思いのほか緊張を和らげてはくれなかった。


 まだ約束の時間までに五分あったのだが、京介は廊下で待つのが何だか息苦しくなってきたので、思い切って研究室のドアをノックしてみた。すると、遠くの方で誰かが返事をしているのが聞こえ、少し間をおいて四十代後半くらいの小奇麗な女性がドアを開けてくれた。大野教授の秘書の方だろう、と京介は思った。


「午後三時から研究室の見学をさせていただく、原田京介と申します。」

「お待ちしておりました。中へどうぞ。」


 ドアを入ってすぐの部屋は学生や研究員等の居室になっていて、机の並んだ列が縦に六列配置されていた。今は数名が自席で作業をしているようだが、それぞれの机の前に設置された棚が天井まで伸びていて、ドアの位置からでは彼らの顔が見えなかった。京介は人気の研究室で所属人数も多いと聞いていたので、室内の雰囲気はガヤガヤしたものを想像していたが、思ったより静かで居室の様子もこざっぱりしたものだった。居室の奥にはちょっとした実験室のようなものが設置されていた。


 京介は机の中央列が見渡せる位置に移動すると、その列に座っていた知り合いの高木が来客の存在に気付き、京介に向かって軽く手を挙げた。


「よく来たな。今日は俺が実験室を回りながらいろいろ説明するから。」

「はい、よろしくお願いします。」


 高木は二つ先輩の修士一年で、京介とは同じ高校の先輩後輩だ。当時は同じサッカー部だったこともあり、それ以来関係が続いている。高木はかなりがっしりした体格で、サッカー部ではゴールキーパーとして圧倒的な存在感を放っていた。高木と研究室で話しをしたとき、京介はフィールドを研究に移してからも高木の存在感は圧倒的なのだろうかと興味を持った。


「あと、ちょっと悪いんだけどさ、十五分ほど待っててもらえるか?実はもう一人見学者として来ることになってるんだ。」

「はい、大丈夫です。」


 確か自分一人だったが、急に飛び込みで参加したい人が現れたのだろうと京介は思った。しばらくの間、見慣れない研究室の雰囲気を味わいながら、京介は自分も大野研究室の一員になったような気分で過ごした。


 ちょうど十五分経ったころ、誰かが居室に招かれて入って来た。話声から判断するに、招かれた人はどうやら女性のようだ。


「もう一人の見学者が来たみたいだ。」


 高木がそう言って席を離れたとき、ちょうどその女性は中央列が見える位置まで歩いて来た。そして京介は目の前に現れた顔を見て驚いた。その女性は沙希だったのだ。京介はすぐさま昼の出来事を思い出すと、再びあの親しさが微かに漂ってくるのを感じた。


「こちらは、京介と一緒に見学する渡辺沙希さんだ。二人は顔見知り?」

「いえ、は、話をするのは初めてです。初めまして、渡辺沙希です。」

「原田京介です。」


 まさかこんな形で話すとは思っていなかった京介は、なんとか動揺を隠しながら挨拶をした。こうして傍に立って話をすると、沙希も女性にしては背が高く、運動も良くできそうな身体付きをしていた。がたいの良い二人に囲まれて、京介はやや萎縮ぎみだった。


「あまり時間がないので、早速だが二階の実験室に行こうか。」


 三人は急ぎ足で実験室に向かった。沙希は高木とボランティアサークルを通して知り合ったらしく、沙希が超電導に興味を持っていることを高木が知り、それがきっかけで沙希も見学に参加することになったそうだ。京介がなぜ超電導に興味があるのかと沙希に尋ねると、「永遠に電流が流れるから。」との返答だった。京介はあの沙希が普通に話しをしたり、ボランティアや超電導などに興味があることなんて全く知らなかったので、普段の沙希は一体何だったのかと疑問に思った。


 三人は実験室に到着すると、重厚な扉を開けて中に入った。実験室にはおよそ研究室の居室三つ分の空間があり、その空間には巨大な装置から複雑に組まれた計測系、細々とした部品まで、様々な物が所狭しと並んでいた。京介の目にはそんな実験室の光景があまりに突飛なものとして映ったので、最初はどこか別世界に迷い込んでしまったように感じた。しかし、実験室で黙々と作業している学生や研究員の様子を見ていると、次第に現実味が出てきて、置かれているものも当然そこに在るべくして存在しているのだと実感できるようになっていった。


「ここがメインの実験室で、もう一つは二号棟にあるけど、そっちは最近あまり使ってないかな。それじゃ、早速この装置から見て行こうか。」

「お願いします。」


 そうして研究室見学が始まった。京介は見学が始まる前、超電導の知識をあまり持っていないことを心配していたのだが、それは全く問題にならなかった。なぜなら高木の説明がとても上手かったので、京介でも十分に理解することができたからだ。しかも高木は話す才能があるようで、聞く人を全く飽きさせなかった。不意に飛び出て来る超電導ジョークに京介と沙希は二人して笑った。


 見学は順調に進んで行き、三人はある装置の前にやって来た。高木は楽しそうに説明を始める。


「じゃあ次はこれね。この装置では超電導体の温度特性を見ることができる。つまり、何度から超電導状態になるかを測定できるんだよ。」


 その説明を聞いていて、京介はふとあることに気付いた。見学の間中、京介は例の親しさを沙希に対して感じていたのだが、説明のときにその親しさがより強くなったのだ。


「この装置で測定される。すごい。」


 そう言って沙希が装置にぐっと近づいたとき、偶然にも沙希と京介の肩が軽くぶつかった。その瞬間、京介はなぜか妙な胸騒ぎを覚え、咄嗟に周囲を確認した。しかし特に怪しい様子は見られない。京介は安心して視線を装置の方へ戻したのだが、そのとき突然激しい動機と頭痛に襲われた。


「うっ。」


 京介はあまりの辛さに声を漏らし、フラフラと膝を突いた。心臓が暴れるようにドドッドドドッと脈打ち、それと同じタイミングで頭に激痛が走る。緊急事態に陥った身体はブルブルと震え出し、全身から大量に発汗した。京介は右手で頭を押さえながら、痛みと恐怖に耐える他なかった。


「どうしたんだ、京介?」


 異変に気付いた高木は京介に尋ねた。京介は辛うじて高木の声を認識すると、僅かに残った思考力を駆使して思った。もう無理だ、耐えられない。いくら我慢強い京介でも、すでに限界を超えていたのだ。そして京介は首を横に振ろうと力み始めた。するとそのとき、京介は力みながらも身体の中にあの「妖気」が湧いて来るのを感じた。蝋燭の火が燃えるように小さいものだったが、それは間違いなく「妖気」だった。京介は訳が分からなくなったが、とにかく首を横に振ろうと力み続けた。


 そのとき、突如として京介の身体から痛みと動悸が消え去ってしまった。京介はその反動で勢い良く立ち上がり、ハァハァと肩を上下に揺らした。しかし「妖気」は依然として身体の中に残ったままだった。


「お前大丈夫か?顔色が悪いぞ。」


 京介の様子を見て高木が尋ねた。京介は高木の声に反応すると、心配した二人の顔を交互に見つめた。


「あ、あの、大丈夫です。このまま説明を続けてください。」


 高木はそう話す京介をしばらく見た後、ふぅと息を吐いて言った。


「分かった。でも気分が悪くなったらすぐ言えよ。」

「はい。」


 その後も見学は続けられたが、京介は先ほどの異変が気になって説明に集中できなかった。それは突然起こったかと思えば、「妖気」だけを残して跡形も無く消えてしまったのだ。身体のどこかがおかしくなったに違いない。そう思った京介だったが、いくら考えてもただモヤモヤが増えるだけであった。

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