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結2-③

 玉山のラボを出た拓也が道場の前に到着したとき、道場の周辺は煌々と照らされ、捜査のために立ち入りが広く制限されていた。数台のパトカーと鑑識車両も停まっており、道場の内外では少なくない人たちが動き回っているようだ。そのうちの幾人かは証拠品の写真でも撮っているのか、其処此処でカメラのフラッシュがちらちらと光った。


 拓也はそんな道場の様子を見ていると、激しい怒りが込み上げてくるのを感じた。大切な縄張りを犯された動物のように、邪魔者を排除するプログラムが働いているようだ。拓也の身体はその怒りによってピクピクと痙攣し、暗がりでも映えるほどに拓也の顔は赤く染まっていった。拓也は怒りを鎮めるように深く息を吐くと、道場へ向けて一歩を踏み出した。


 建物の入口付近では一人の警官が缶コーヒーを飲んで一服していた。拓也がその警官の近くまで歩いて行くと、何か異質なものを感じ取ったのか、警官はすぐに振り返って後方を確認した。そして暗闇の中から道場に近づいて来る拓也を発見すると、咄嗟に拳銃に手を掛けた。


「止まれ!ここは立ち入り禁止だぞ!」


 しかし拓也は警官の言葉を無視し、道場にどんどん近づいていった。警官は持っていた缶コーヒーを投げ捨てると、素早く拳銃を取り出し、拓也の方へ銃口を向けた。


「止まらなければ打つ!」


 再三の警告にもかかわらず拓也が近づいて来るので、警官は威嚇のために引き金を引こうとした。しかしそのとき、突然拓也が目の前から消えたかと思うと、次の瞬間には警官の真横に姿を現し、防弾チョッキの上から警官の腹に強烈な右パンチを叩き込んだ。警官は『ドゴッ!』という鈍い音とともに後方へ数メートル吹っ飛び、悶絶してその場に倒れた。拓也は気怠そうにぶるっと身体を震わせると、静かに後方へ振り返り、建物の入口から道場の中を覗き込んだ。するとそこには大きな青いシートや鑑識道具などが散乱していて、数人の鑑識官たちが騒々しく歩き回っているようだった。拓也はその様子を見て再び激しい怒りを覚えた。何よりも大切な場所が部外者の手によって汚されているのだ。


 拓也は道場の中を鋭く睨み付けると、その直後に猛スピードで道場の中央まで移動した。しかし周りの鑑識官たちは拓也の存在に全く気付いていない。拓也はその場で素早く千気を圧縮すると、一気にその千気を放出した。すると千気の急膨張による衝撃波が轟音とともに周囲へ広がり、道場の中に置かれた機材や小物類、さらには作業中の鑑識官まで、ありとあらゆるものが道場の隅へ吹き飛ばされた。飛ばされたものは次々と道場の壁に激突し、下の床でうず高く積もっていった。そして千気が十分落ち着いたころには、拓也の周囲に綺麗な道場の床が出現していた。拓也はその様子を見て満足そうに微笑んだ。


 警官たちは突然の爆発音に気付き、道場の入口付近までやって来ると、中の様子を見て驚いた。先ほどまであったものが全て吹き飛ばされ、数人の鑑識官たちも隅の方で転がっていたのだ。


「何だ、これは?」


 一人の警官がボソッと呟いたとき、隣にいた若い警官が道場の中央に立っている拓也を発見した。


「さ、坂口さん、あいつは一体?」


 坂口と呼ばれた警官は道場の中央に目を移し、拓也の存在を認識する。しかしそのとき、突然坂口は妙な胸騒ぎを覚え、全身から血の気が引いていくのを感じた。そして無意識のうちに拳銃を抜いて構える。


「お前は何者だ?答えろ!」


 銃口を拓也に向けたまま坂口が叫んだ。他の警官たちも坂口に続いて拳銃を構える。しかし拓也はそれに気付かぬ様子で奥の壁を見つめたままだった。坂口は拳銃を構え直すと、さらに威圧的に叫んだ。


「おい、答えろ!!」


 それでも拓也は警官たちに見向きもしなかった。こいつは危険だ。早く取り押さえなければならない。そう思った坂口はすぐに道場の中へ踏み込もうとしたが、そのとき突然坂口の携帯がけたたましく鳴った。坂口は心臓が飛び出そうなほど驚いたが、拓也に警戒しつつその電話に出る。


「も、もしも…。」


 そこで竹田が電話口から叫んだ。


「坂口か。緊急事態だ。凶悪な殺人犯がそこへ猛スピードで向かっている。間もなく坂口たちの前に現れるから警戒しろ!私も現在その殺人犯を追っているところだ。それから、別の危険人物がすでに殺人現場周辺にいるかもしれないから…。」


 竹田がそこまで話したとき、急に道場の頑丈な外窓が割れた。複数の大きな破片が床に落ち、けたたましい音と衝撃が道場に広がったが、それに紛れてある男が道場の中に飛び込んで来た。男は綺麗な受け身で道場の床に着地すると、懐かしそうな様子でその床を右手で撫でた。そしてゆっくり立ち上がり、拓也の方へ振り返った。拓也は喜びに溢れた顔で男を見つめると、ろれつの回らなくなった口で小さく呟いた。


「きょ、きょうす、け。」


 京介も同じような顔で拓也に応えた。


「た、たく、や。」


 二人はお互いの名前を呼び合うと、目の前にある素晴らしい千気に圧倒された。二人の千気はあまりにも美しく、人智を超えたものに感じられたので、京介と拓也はそれにうっとり酔いしれ、しばらくは鯉のようにただポカンと口を開けたままだった。


 一方の警官たちは京介が道場に飛び込んで来てからというもの、構えていた拳銃を下ろし、黙って二人の様子を窺っていた。決してそうしたかったわけではないが、目の前の摩訶不思議な出来事にある種の恐怖を覚え、動こうにも動けない状況になっていたのだ。そんな中、先ほどの若い警官がその状況を破って口を開いた。


「こ、これからどうしましょう?」


 坂口は若い警官の方をちらりと見ると、大粒の汗を垂らして答えた。


「今は、このまま様子を見る。そろそろ竹田さんもここへやって来るはずだ。だから、それまで絶対にあの二人を刺激するなよ。他のやつらも同じだ、絶対に刺激するな。」


 坂口は京介と拓也に対してかつてないほどの恐怖を感じていた。坂口はそれまでいくつもの刑事事件を担当してきたが、その中でも二人は最凶最悪の相手だったのだ。彼らは人のようであってもはや人ではない。頭は完全にイカれていて、何をしでかすか分からないし、一旦何かをし始めたら、警官にそれを止める術は無いだろう。そう思った坂口は、重圧を感じながらも二人と警官たちに細心の注意を払った。しかしそのとき、一人の警官が不自然に身体を震わせ始めたかと思うと、突然狂ったように拳銃を二人の方へ向けた。それに気付いた坂口は急いで止めようとしたが、その努力も虚しく、警官の叫び声が道場に響き渡った。


「お、大人しくしろ、化け物!」


 その瞬間、坂口は道場の方から不気味な気配を感じた。しかし坂口がそれを確認するよりも早く、京介が突然その警官と坂口の前に姿を現し、空中に浮いた状態で静止した。よく見ると、京介の両手は天井に張り付いていて、その張り付いた天井部分だけに無数のヒビが入っている。京介は警官たちに驚かせる暇も与えずに、その状態のまま叫んだ警官の顔面に蹴りを繰り出した。その蹴りは目にも止まらぬ速さで振り抜かれたかと思うと、耳障りな破裂音と同時に突然赤いものが周囲に飛び散った。そして次の瞬間には頭部を失った警官の身体が崩れ落ち、赤い血だまりが床一面に広がった。


 京介は警官たちの前に飛び降りると、苛立たしげな様子で戻っていった。坂口は青ざめた顔で他の警官たちを見ると、静かに呟いた。


「絶対に、勝手なことをするな。」


 坂口の指示に警官たちは深く頷いた。


 拓也の元へ戻った京介は、邪魔が入ったことで激しく興奮していた。先ほどまでの幾分穏やかな千気は姿を消し、代わりに荒れ狂う大潮のような千気が京介から放出されていた。そのうねりは一瞬にして拓也を覆い尽くし、果てしない深海へ引きずり込んでいく。そしてついに二人の千気は激しく混ざり合い、共鳴し合い、お互いの中へ溶けていった。


 その直後、二人は内側から猛然と湧き出して来るものを感じ、自然と叫び声を上げた。


「うおおおお!」


 二人の千気は微小なレベルで結びつくと共鳴し、千気の密度が猛烈な勢いで増えていった。二人の意識が及ばぬところで、千気はまるで自ら意思を持ったように増殖し続けた。そして密度があるレベルを超えたとき、千気は二人の存在を超越し、二人の主人として機能し始めるのであった。


 京介と拓也は千気の急増に身体が引き裂かれる思いだった。身体がバラバラに千切れて、紙くずになってしまいそうだった。それに加え、信じられない程高密になった千気が二人の身体を徐々に侵食する。皮膚はグチュグチュとただれていき、目からは血が流れ出した。まるで人間がゾンビに変貌していくように、二人の外見は見るに堪えない姿に変わっていった。


 しかしそれと同時に、二人は自分の魂が千気とともに上空へ溶け出して、天と一つになろうとしているという確かな感覚を覚えた。そのためにこそ自分は生まれてきたのだと思える程に、その感覚は実に神々しいものだった。京介と拓也はふわふわ浮き上がっていく感覚を覚えると、直後にまばゆい光が二人を包み込んだ。そして二人の魂は夜空に溶け出し、そのまま消えて無くなった。


 次の瞬間、暴走していた二人の千気は急速にそれぞれの身体へ収斂し始めた。その勢いは嵐のように激しい風を引き起こし、道場を滅茶苦茶にかき乱した。その中では立っていることさえ難しい状態で、警官たちは飛ばされまいと必死に耐え続けた。するといくらもしないうちに嵐は静かになり、中央には直立不動で佇む二人の姿が現れた。どうやら二人の千気は元の鞘に収まったようだ。


 京介と拓也にはようやく落ち着いた身体が戻った。しかし二人の身体はすでに千気によって激しく侵され、まともな機能はほとんど残されていなかった。視力は失われ、皮膚はただれ落ち、耳もほとんど聞こえない。自分の生命を維持することすらままならない。それでも京介と拓也は、内側にくすぶる膨大なエネルギーによって生かされ、ただ目の前の相手だけを求めるのだった。


 ちょうどそのころ、知美と竹田たちが道場の前に到着した。すでに京介と拓也の恐ろしい変化を感じ取っていた知美は、かつてない程の不安を抱いていた。まるで巨大な鎌を持った死神がゆっくりと近づいて来るようで、周囲を漂う不吉な空気が知美を蝕んでいった。知美の心臓は針金で締め付けられたように痛み、まともに呼吸すらできない状態だ。それでも知美は見届けなければならないと思った。京介と沙希を追って行ったタクシーの中で誓ったことだ。道場の中で何が起ころうとも、必ず生きてそれを見届け、何かを後世に残さなければならない。それが京介や死んでいった沙希たちのために知美ができる唯一のことなのだ。


 知美は強い覚悟で車を降りると、急いで道場の方へ走っていき、警官たちがいる入口付近に到着した。そして竹田たちと一緒に恐る恐る中の様子を窺う。するとそこには、この世のものとは思えない化け物が二人、道場の中央で立っていた。これは一体どういうことなのか。


 そのときだった。知美の脳細胞は突然活性化し、否応なく知美に理解させてしまった。あの化け物のうちの一方が、まぎれもなく京介であることを悟らせてしまったのだ。そのとき知美の中にあった強い覚悟は一瞬のうちに消滅した。


 直後に知美は頭が真っ白になり、力無く床に崩れ落ちた。知美の身体はまるでアレルギーを起こしたように痙攣し、その痙攣は知美から身体の自由を奪っていった。知美は自分が身体から切り離されたような感覚を覚える。声が出せない。息もできない。何も聞こえない。涙すら流れない。身体の機能はことごとく停止してしまった。それなのに、京介の姿だけは網膜を通して知美の脳裏に深く刻まれ、ウイルスのように知美を内側から破壊した。知美の一番大切な部分をズタズタに引き裂き、すり潰し、ぐちゃぐちゃにしていく。やめて、と知美は心の中で叫んだが、もはや手遅れだった。するとどこからともなく死神が現れ、ピエロのように不気味な笑みを浮かべた。そして知美を苦しめようとするかのように、化け物になった京介を深く心に刻み付ける。しかし知美はそんな死神にさえすがるような表情を見せると、必死に心の中で叫んだ。行かないで、京ちゃん。私を、私を一人にしないで。何度も何度も繰り返し叫んだ。それがすでに叶わぬことと知りながら、知美はそう叫び続けることしかできなかった。

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