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転4-③

 京介と沙希は道場の入口の前に立った。もうここまで来たら行くしかない。中に入ってけりをつけよう。そう思った京介は左手で弱った沙希を抱えながら、右手で入口の扉を思いっきり開けた。するとそこには、千道、拓也、玉山の三人が道場の中央に立っていた。拓也と玉山は随分厳しい表情をしていたが、千道はいたって普通の、いつも通りの様子だった。じゃあ修行を始めるぞ、という千道の声が聞こえてきそうだ。しかし目の前にいる千道はすでに京介の知っている千道ではない。京介は目をぎろっと見開き、千道を睨み付けた。拓也と玉山は血走った京介の目に少し狼狽えたが、千道はそんな京介の姿を見て静かに笑い出した。


「ふっふっふ。京介。そんなに怖い顔をするなって。久しぶりに会ったってのによ。」

「久しぶりじゃないですよ。昨日道場で会いましたよ。」


 京介は千道の言葉に語気を強めて応えた。


「あれ、そうだったか。何か随分と会ってない気がするわ。お前もそう思わないか?お互いに色々あったからな。」


 京介は「お互いに」という言葉に猛烈に腹が立った。握り込んだ拳はブルブル震え、爪が肉に食い込んだせいでうっすらと血が滲んでいた。


「何が『お互いに』だ!全部お前から始まったことだろ!」


 京介は修羅のような表情で声を荒げると、沙希を床に座らせ、その顔のまま拓也と玉山を凝視した。


「拓也さん、玉山さん、聞いてください。今日のニュースで言ってたんですが、退会した松下さん、和樹さん、和子さんの三人が行方不明になったそうです。しかも行方不明になった時期がちょうど三人が退会した時期と重なっているんです。」


 京介は再び千道の方に振り返った。


「おい千道、このことについて、何か思い当たることがあるんじゃないのか?」


 すると千道は手で顔を覆い、直後に大声で笑い始めた。


「千道、笑っていないで答えろ!」


 京介はいきりたって叫んだ。しかし千道は京介の要求にもかかわらず、それを無視して笑い続けた。京介はその態度に脳の血管がはち切れんばかりに顔を赤らめると、千気を放出して臨戦態勢に入りかけた。一気に緊張が高まる。しかしそのとき、怯えて縮こまっていた拓也が唐突に叫んだ。


「京介、そのことはもう知ってるよ!あの三人は千道さんが殺したんだ。」


 その声が鼓膜まで到達したとき、京介は不意に動きを止めた。今何か聞こえたような気がしたが、聞き間違いかもしれない。そう思った京介はゆっくりと拓也の方に振り返り、目玉が飛び出そうなほど見開いた目で拓也を見た。


「何だって?」

「だ、だから、あの三人を殺したのは千道さんだ!もう知ってるんだよ。」


 拓也が伏し目がちに叫んだとき、京介は聞こえて来た言葉を頭の中で反芻した。千道が殺した、もう知っている、千道が殺した、もう知っている。やはりそうだった。あの三人は千道が殺していたのだ。もはや殺人鬼に容赦する必要は全く無い。一思いに殺してやる。そう思った京介は全身に痺れるような陶酔感を感じ、ニヤリと笑った。しかしそれと同時になぜ拓也と玉山はそれを知っていながら千道の側に付いているのか、京介には全く理解できなかった。なぜ殺人鬼の言うことを聞いて、自分たちのことを邪魔するのか。京介は不気味な笑顔から急に悲しい顔をし、拓也を見つめた。


「いつから知ってたんですか。千道が三人を殺したことを。」


 すると拓也はまるで激しい痛みに耐えているような表情を見せた。


「昨日、お前たちが玉山さんのラボに侵入して来ただろ。そのとき、俺たちは道場の裏の森に、三人の…。」


 拓也はそこで声を詰まらせた。あのときの常軌を逸した光景が目の前に浮かんで来たのだ。頭を潰され、綺麗に並べられた三人の死体。暗闇の中、その死体をまるで我が子のように愛でる千道。そしてそれらを彩る千道のイカれた千気。わずかにその光景が脳裏をよぎるだけで拓也は吐きそうになったが、辛うじて耐えながら言った。


「…三人の死体を見に行ってたんだよ。そこで実際に死体を見て、俺たちは千道さんが殺したことを知った。」


 消え入りそうな拓也の声が道場に響いた。しかし京介の耳にはその響きすら神経に触るものだった。拓也を見る京介の目は徐々に狂気を帯び、京介の内側でぼこぼこと何かが沸騰し始めた。


「それで、なぜ千道の側に今もいるんだ?こんな奴の側に!」


 京介がそう叫んだが、拓也はなぜその理由が分からないのか理解できなかった。そして京介を睨み返して叫んだ。


「馬鹿かてめーは!そんなもん見りゃ分かるだろ!俺たちに選択肢は無いんだよ!」


 しかし拓也の叫びも虚しく、もはやどんな言葉も京介には届かなかった。京介の拓也と玉山に対する怒りは際限無く高まり、もう自分自身でもよく分からなくなっていた。唯一分かることは、すでに拓也と玉山を千道と同じくらい殺したくなっていることだけだった。絶対に許せない。殺人鬼と一緒にいるやつはすでに同罪なのだ。そう感じた京介の目は真っ赤に血走り、拓也に激しい恐怖と屈辱を与えた。千道には及ばぬまでも、京介と拓也の間に存在する圧倒的な力の差を拓也は感じ取ってしまったのだ。見る見るうちに拓也の目は弱り、一歩後ろに退いた。


「拓也さん!そんな言い訳してんじゃねーよ、ああぁん!」


 京介は頭を掻きむしり、足をダンダンと床に打ち付けながら叫んだ。しかしその後すぐに落ち着いたかと思うと、一気に顔から表情が消え、まるで汚物でも見るように拓也と玉山を見始めた。


「お前らはもう許さねぇ。千道を殺したら、次はお前らの番だ。」


 冷徹な、無味閑散とした声が道場に響いた。拓也と玉山は京介の様子からその言葉が嘘ではないことを感じ取り、一瞬狼狽えて何かをやろうとしたが、すぐに何もできないことに気付き、肩をすぼめて目を逸らした。三人の間に異様な空気が流れ始めたが、それを引き裂くように千道が再び笑った。三人は千道の方へ振り返った。


「京介、お前は本当に素晴らしい。どうやら俺の目に狂いは無かったようだな。」


 京介は千道をギロリと睨み付けた。


「どういうことだ?」

「お前が千武会に入ってくれたことで、まさに千武会は絶頂期を迎えたんだぞ。桜が美しい花を咲かせるには厳しい寒さが必要なように、俺たちは京介という起爆剤で見事に開花した。実に甘美で刺激的な世界の中で、俺たちはかけがえのない時を一緒に過ごしたのだ。約一ヶ月前からずっと、俺は本当に幸せだった。そして今この瞬間に最高の幸せを感じている。皆もそうだろ?」


 京介が黙って千道の話しを聞いていると、なぜか京介の顔は勝手に笑顔を浮かべ始めた。とてもおかしな感覚だったが、千道の声が京介の耳を通過していくと、先ほどまで存在していた膨大な憤怒が一気にろ過され、まるでマイナスの符号で乗算されたように真逆方向へ反転し、京介の中でそよ風のように広がった。そしてどうやらその広がっていく先に千道がいるようだ。京介は千道の方へ引き込まれまいと踏ん張ったが、それも叶わずどんどん引き込まれ、次第に千道と共鳴していった。そして京介は弱々しい声で千道に返した。


「な、何が言いたいんだ。」


 そのとき京介を見ている千道の顔は幸福に輝いていた。千道の背後で天使が舞っている。幸運の雪を降らせながら舞い踊り、魂の全てを浄化する聖歌を口ずさんでいる。京介は千道の顔から目を逸らすことができなかった。


「何が言いたいか?俺はな、京介、お前に感謝を伝えたかったんだよ。お前にだけじゃなく、今ここにいる皆にも、ここへ来ていない千武会員にも、そして先に死んでいった三人にもな。」


 千道の肩が小刻みに揺れ、声が震え出した。


「こんな気持ちになったのは初めてだ。皆、本当に感謝している。」


 千道の胸が熱くなり、それに呼応するように涙が流れ落ちた。京介は千道の涙に驚き、そしてうっとりした。全てのものに慈愛を与える、神秘のしずくだ。そう思った京介の胸にも熱いものが込み上げ、自然と涙が流れた。そして千道を見つめながらうやうやしく尋ねる。


「それでは、なぜあの三人を殺してしまったのですか?」


 千道は溢れ出る涙を拭って答えた。


「人にはそれぞれ、神様に与えられた宿命っていうものがある。それに気付くものもいるし、気付かないものもいるが、いずれにせよ俺たちはその道から外れることはできない。だから、殺したことに理由なんて無いんだ。」


 すると京介は身を乗り出して叫んだ。


「なんと!つまり千道さんは、あの三人はただここで死ぬことが、千道さんはあの三人をここで殺すことが宿命だった、だから殺すのも殺されるのも理由なんて無い、とおっしゃるのですか?全ては予め決められたものだった、とおっしゃるのですか?」


 千道は深く頷いた。


「ああ、そうだ。俺はあいつらを先に向こうの世界へ連れてってやっただけだ。」

「ちょっと待て!」


 すると拓也が震える声で割って入った。


「話しが違うじゃねーかよ、千道さん。あの三人が弱っちいから殺したんじゃなかったのか?昨日はそう言ってただろ?」


 しかし拓也はそう言ったとき、突然何もかもがどうでもよくなってきた。千武会も、自分の命さえも。そして湧いて来る思いを吐き出さずにはいられなくなると、拓也の顔は見る見るうちに怒りと嫌悪の色に染まった。


「そ、それに、何が感謝だ。虫唾が走って悪寒がするわ。こっちはな、お前らのような狂人には一ミリだって感謝なんかしてないんだよ!千武会に入ったことが人生で一番の失敗だ。お前らこそ死んで償えやボケが!」


 千道は怒り狂っている拓也を優しい目で見つめた。


「拓也、お前はまだ分かっていないだけだ。もう少し時間があれば、お前も俺たちのようになれたのに。だがもう仕方ない。それも宿命だ。」


 千道はそう言って千気を放出した。拓也と玉山は恐れ戦き、全身の力が抜けて尻もちを付いたのだが、一方で京介は千道の千気に曝されたとき、声にならない叫び声を無意識のうちに轟かせていた。それは京介の身体の、心の、魂の叫びだった。


 千道はそんな京介を横目に、ゆっくりと拓也の方へ近づいた。拓也は必死にもがいて千道から遠ざかろうとしたが、恐怖で身体が思うように動かせない。どんなに目いっぱい力を込めても、身体が自由に動いてくれなかった。拓也は次に怯えた声で必死に近づくなと訴えたが、千道はことごとくそれを無視し、拓也に近づくのだった。


「来るな、化け物!」


 すると千道はなおも接近し、拓也のすぐ傍までやって来た。そして拓也を慈悲の目で見下ろして言った。


「お前の、そして他の千武会員の宿命もまた、ここで死ぬことだ。俺の手によってな。」


 千道は優しく微笑むと、おもむろに右拳を振り上げ、そこに千気を集中させた。拓也は一瞬で数秒先の未来を確信し、必死に泣き叫んだ。


「ふざけんな!なんで俺がお前なんかに殺されなきゃならないんだ!神様にでもなったつもりか!お前はただの殺人鬼だ!お前に殺されたって何の救いにもならないんだよ!」


 千道はそれを聞くと振り上げていた拳を静かに下ろし、クスクスと笑い出した。


「そうか、殺されるにも納得できる理由が欲しいか。まぁ、殺されるやつにとっては最もな主張だけどな。」


 そう言って千道はくるりと向きを変えると、後ろで手を組み、当て所もなく歩き始めた。


「ところで拓也君、君の将来は一体どんな風になっていると思うかな?素敵な人と巡り会って結婚し、二人の子供を授かり、大工の棟梁になって多くの弟子に恵まれる。老後は実家に帰って、農業でもやりながらゆっくり過ごす。だいだいこんな感じか?」


 そこで千道は拓也の方に振り返った。


「だがな、このような未来は絶対に起こらない。なぜだと思う?それはな、お前が俺たちと同じ種類の人間だからだ。お前の未来は俺たち、つまり俺や京介のようになっちまうってことだ。この意味が分かるか、拓也?」


 千道は再び拓也に近づいた。


「お前は、他の人はいたって普通だけど、たまたま千道が飛び抜けて狂っていて、その次くらいに京介が狂っているだけ、そう思っているだろ。」


 拓也はブルブル震えながら千道を見ている。


「残念ながらそうじゃない。全くもってそうではないんだよ。」


 千道はそう言ったとき、ゆっくりと沙希の方へ振り返った。


「お前もそう思わないか?沙希。」


 その瞬間、一同は抜け殻のように座っている沙希の方へ一斉に振り向いた。ごく一部の稼働している脳細胞を振り絞りながら、拓也はなぜ今頃になって沙希が出て来たのかを考えた。しかし何の言葉も頭には浮かんで来なかった。

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