表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/52

転4-①

 千道は随分長いこと車に乗っている。ほぼ直角な背もたれの後部座席に足を組んで座っている。しかし車内はとても狭く、足を組むといってもそんなスペースは無いに等しい。無理矢理身体を捻り、隣で委縮している中年男の足を蹴ったくってようやく足が組める程度だ。元々車の作りがデザイン性や乗り心地には配慮されていないので、むしろ狭いのは当然である。空調もあるわけがない。窓を開けたところで外は炎天下であり、ここには快適と呼べるものは何一つ無い。それに辺り一面焼け野原だ。所々から煙が上がっており、わずかに開いた窓からは独特の焦げ臭さがに漂って来る。


 そのときの千道にははっきりした意識は無い。五感も限りなく制限され、思考もあやふやになり、身体の自由は全く無い。それでもその状況が何を意味しているのか千道にはうっすらと分かっていた。どうやら千道はまるで幽霊や霊魂のようになって、異なる時代の異なる場所に来てしまったようだ。しかも見ず知らずの人の中に入り込み、その人と多少なりとも意識を共有していたのだ。ただその人は千道の存在に気付いていないようではあるが。千道はもちろんそれが夢であることは承知していた。しかし周りの世界が妙に生々しく、また千道自身が第三者の視点でその世界を見ているという意識がはっきりとあったので、夢というよりは過去にタイムスリップしたかのようだった。


 千道に流れ込んで来る思考や周りの景色からみて、おそらくそこは第二次世界大戦直後の東京で、千道が入り込んだ人は日本軍の高官だろう。その人からは敗戦やGHQなどに関連した思考が、膨大な無念さとともに千道へ流れ込んで来た。千道は虚ろな意識ではあったが、その高官がどんな思いで任務に当たっていたかの一部を理解することができた。それが敗戦直後の多くの日本人が感じた思いであったに間違いない。とりわけその高官の無念さは強かったのかもしれない。


 千道は高官と一緒に焼野原をしばらく眺めていると、突然千道の感覚にピリッとした痛みが走り、直後に視界が波打つように歪み始めた。虚ろだった意識はさらに虚ろになり、どんどん高官の元から離れていく。そして次の瞬間には千道の意識は真夏の空に蒸発した。


 千道は目を開けると再び現実に戻って来たなと感じた。電気の激しい痛みの中に、自身の千気がもたらす膨大な快感と興奮、そして一歩引いてみれば仲間の千気による繊細な心地良さと安心感が見え隠れしていた。最高の気分だった。しかしこうして再び戻って来たのだが、今回は随分と現実が懐かしい気がするなと千道は思った。徐々に夢と現実がごっちゃになっていくようだ。


 千道がそんな思いを抱いていると、突然千道の身体が意識とは無関係に暴れ出した。ガタガタと椅子が激しく揺れ、千道の手首足首は長時間そんな風に暴れ続けたせいで、留め具と接触する部分がすでに血だらけになっていた。皮膚がめくれ上がり、留め具の金属がその部分の奥深くへめり込んでいて、骨まで到達していそうだった。


「千道さん、落ち着いて!」


 千道はその声を聞いてようやく拓也の存在に気付き、気味の悪い顔を拓也の方へ向けた。千道の顔は所々が痙攣し、涎が首元まで垂れていた。目の焦点はすでに合っていない。


「よう、拓也か。また夢の中の世界へ行って来たぜ。これで五回目くらいかな。」


 もう十三回目だと思いながら、拓也は滑舌の悪くなった千道の話しを聞いていた。七回目を超えた辺りから、千道は起きるたびに五回目くらいと言っているのだ。拓也はすでにルーティンと化したセリフを繰り返した。


「三時間経過するまで残り十五分だが、まだ大丈夫か?」


 千道は引きつった笑顔を見せて答えた。


「ああ、続けろ。こっちは最高の気分なんだ。」


 拓也は何度も聞いたセリフを千道から聞き、千道の頭に流している電流をまた少し強めた。千道はそれに反応するように身体を硬直させ、さらに大量の千気を放出すると、何かを発散するように叫び始めた。


「拓也あぁぁ!」


 千道が叫び始めたのを確認すると、拓也は椅子に腰を下ろし、千道の様子を見守った。千道はその叫びを終えた後くらいから徐々にあの夢の中へ入っていくのだ。


 拓也が危篤状態の親を見るような目で千道を見つめていると、千道の叫び声が徐々に収まっていき、硬直していた全身もそれに合わせて弛緩していった。そして間もなく千道は静かな寝息を立て始め、あの夢の中へ再び入っていった。


 千道は次に目を覚ましたとき、自分が暗がりの中で立っていることに気付いた。どうやら屋外にいるようだ。前方には松明がパチパチと音を立てながら燃え、周りを仄暗く照らしていた。その松明の横では袴を着た丁髷姿の男が大きな身振り手振りで何かを話している。表情は真剣そのもので、何を話しているかよく聞こえないが、その語り方や声質には何か心の芯に訴えかけて来るものがあった。よく見ると千道の周りには十数人の男たちがいて、その男たちに向けて演説が行われているようだ。


 千道は徐々に現状を理解しつつあったのだが、その夢はいつもの夢とは少し違っている気がした。千道の中にはすでに不快な痛みが広がっていて、気分もあまり良くないようだ。意識も不安定で落ち着かない。何か妙なことが起こったのかもしれない、そう千道が思った直後のことだった。突然浮遊霊のような千道の存在がギチギチと一点に向かって収縮し始めたのだ。収縮の間、千道の思考と感情が嵐のように激しく暴れ周り、千道は何が何だか分からなくなった。徐々に息苦しさも広がってくる。そして千道の存在がほぼ一点まで圧縮したとき、千道は突然現実に戻って来たような感覚を覚えた。目を開けると拓也の存在も視界の隅に確認でき、実際に現実世界へ戻って来たと思ったのだが、また次の瞬間には再び夢の中へ戻っていく感覚を覚えた。再度目を覚ましたときには、千道は森の中でイノシシのような動物を追っているところだった。手には石を削って作ったような槍が握られている。随分昔のようだ。しかし千道がそう思った瞬間、再度自分の存在が一点に収縮していく感覚を覚え、前回と同じようなプロセスを経て現実世界へ再び戻って来たのだった。


 千道はその後何度も現実と夢を往復した。もう何度繰り返されたのか千道には分からず、自分が何を考え、何を感じているのかも分からなかった。しかしそんな千道にも一つだけ意識できることがあった。それは夢の中と現実の自分が少しずつ統合されていることだ。何度も心が圧縮され、夢の中の人物たちと何度も混ざり合うことで何かが千道の中に蓄積し、蓄積されたものは千道の中でかき回され、細胞の一つ一つに溶け込んでいった。まるでその人物たちの思考や感情が千道の確固たる一部になっていくようだった。もはや顕在意識の範疇を超え、千道の潜在意識の奥深くへ浸透している。時間と空間を超え、千道と一つになろうとしている。


 そして千道は激しい荒波に揉まれながら、ふとあることに気付いた。いや、すでに知っていたと表現する方が正しいかもしれない。どうやら千道たちの宿命はすでに決まっていたようだ。人間の与り知らぬところで、人間には遠く及ばない存在の手によって、すでに答えは準備されていたのだ。それならばもはや迷う必要は無く、それに身を委ねれば良いのだ。


 千道はそんな思いを抱いたとき、ごく自然に夢の中から戻って来て、そして再び夢の中へ入って行くことは無かった。千道はゆっくりと目を開く。すると千気が千道の身体から止めど無く溢れ出ていて、千道はもう千気の放出を止めることができなかった。


「せ、千道さん、大丈夫か?」


 拓也は千道の様子がおかしいことにすぐ気付いた。先ほどまでの狂った様子は全く見られず、千道は不気味なほど冷静で落ち着いていた。千気の質も変化しており、圧倒的なプレッシャーと迫力で相手を圧倒した千気はどこかに消え去っていた。その代わりに、どこまでも拓也の奥深くをえぐるような千気が姿を現した。まるで体内に猛毒を流し込まれ、全身の細胞が内部から死滅していくような感覚だ。拓也はそんな状況に直面しとにかくいっぱいいっぱいだった。すると千道はすぐ拓也の存在に気付いて言った。


「もう電気は止めてくれ。やるだけ無駄だ。それから留め具も取ってくれ。」

「あ、ああ、分かった。」


 電気を止めている拓也を間近で強く感じたとき、千道は拓也と自分が千気によって接続されていくような感覚を覚えた。接続といっても、拓也の千気が感じられる、などという生易しいものではない。まるで二人の千気が脳神経のように縒り合され、同じ血液、同じ神経物質を共有しているようなものだった。一方が刺激を受ければ必ず他方に波及し、一方だけで閉じることなどあり得ない。千道はそんな接続の快感を味わいながら、もはや千気の結びつきは絶望的なレベルだなと感じた。拓也はもう千道の一部だと言っても過言ではない。接続は完了した。


 拓也が千道に流していた電気を止めたとき、突然拓也の感情や思考が千道の元へ流れ込んで来た。まるであの夢の中のようだ。千道は口元を緩ませて拓也を見た。


「そんなにビビってんじゃねーよ。でかい図体に似合わないぜ。」

「べ、別にビビってねーよ。」


 拓也は千道にそう言ったが、拓也の身体は千道に対する恐怖を隠すことができなかった。顔は不自然に歪み、肩は明らかにすぼんでいる。拓也がいつもより小さく見えるほどだ。それでも拓也は何とか大丈夫なふりをし、自分自身にも恐れなど抱いていないと言い聞かせた。もしそうしなければ拓也はその場に留まっていることすらできなかったのだ。


 拓也が留め具を取り外すと、千道は椅子からすっと立ち上がった。そのとき千道は玉山の千気を近くに感じ、直後に二つの千気が遠くの方からラボへ近づいて来るのを感じた。そして拓也と同じように千道の千気が三つの千気と接続されると、千道は再び口元を緩ませて言った。


「おい拓也、玉山さんを起こして、ここに連れて来てくれ。それから沙希には道場へ来いと連絡してくれ。」


 拓也は無言で深く頷くと、千道に言われたことを迅速にこなした。拓也が玉山を連れて部屋に戻って来ると、千道は二人の方を向いて言った。


「これから道場へ行く。二人にも一緒に来て欲しい。何をするのかは道場に着けば分かる。」


 すると千道は涼しい顔で千気を放出した。どこまでも遠い場所に届き、どこまでも深くに突き刺さるような千気だった。千道は拓也と玉山が無言で頷くのを確認すると、二人を連れて道場に向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ