転2-①
京介が集合場所に着くと、すでに沙希がタクシーを呼んで待機していた。
「京介君、乗って。」
「ああ。ありがとう。」
二人はタクシーに乗って玉山のラボへ向かった。そしてしばらくするとタクシーがラボの周辺に到着したのだが、沙希はラボのかなり手前でタクシーを停車させた。京介はタクシーを降りて辺りを見回す。
「この辺に玉山さんのラボがあるの?」
「もう少し先にあるんだけど、ここからは歩いて近づく。先に千道さんたちの気配を感じ取るには、タクシーに乗っていると難しいから。」
「そういうことね。」
「うん。だからここからは京介君の感知能力が頼り。もちろん私も頑張るけど、京介君には及ばないから。」
「分かった。任せてくれ。」
すると京介はふと何かに気付いた様子で言った。
「それにしても、なんか本当に潜入作戦っぽくなってきたな。」
「実際に潜入するから、正真正銘の潜入作戦。」
「あ、それもそうか。」
その後二人は感知能力をフル稼働させ、玉山のラボへ向かって歩き出した。そのとき京介は遥か彼方にいる千道と玉山の気配を感じ取ろうと努めたのだが、何よりも先に京介の鋭敏な感覚を激しく刺激し、京介の邪魔をするものが一つあった。それは沙希の千気だ。千道たちとは比べ物にならないほど近距離にいるせいで、沙希の千気が京介の感覚をどうしようもなく掻き乱してしまうのだった。しかしそれは千気の性質上どうすることもできない問題であり、京介は沙希の千気を感じつつも千道たちの気配に集中した。ところが遠くにいる千道たちの気配を感じ取ろうとすればするほど、隣にいる沙希の千気もより激しく濃密に感じられてしまい、京介の感覚は次第に沙希の千気に支配されていかざるを得なかったのだ。
京介に絡みつく沙希の千気は、まるで生き物のように京介の無防備な身体を駆け巡った。時には優しく撫で回したかと思うと、強く締め付けてみたり、小刻みに震えてみたりして、非常に豊かな表情を見せてくるので、京介は色々な表情が出て来るたびに鋭い快感が身体中で暴れるのを感じ、身体を一瞬強張らせるのだった。
さらに沙希の千気は次第に京介の奥底へと染み渡っていった。まるで山頂付近に降った雨が山のふもとから湧き出して来るように、どこまでも奥深くにその触手を伸ばした。そして沙希の千気が最深部にある剥き出しの神経に到達し、それを巧みに愛撫し始めたとき、突然京介の内側から恐ろしい欲望が泉のごとく噴出したのだ。京介の身体はその欲望のためにぶるぶると震え、それに連動するかのように沙希の身体も激しく身震いし始めた。二人にとってその震えは制御不能であり、まるで頂上部分を通り過ぎたジェットコースターのように、一旦震え出したらもう抑えることができなかった。しかしそのとき、突如として京介は千道の気配を感じ取ったので、理性という防衛システムが強烈に働いたのだった。京介は我に返って沙希に声をかけた。
「沙希、たぶん千道さんの気配を感じた。」
それを聞いた沙希も我に返った。
「う、うん。了解。」
二人の間に一瞬の沈黙が流れた。しかし二人はすぐにやるべきことを思い出すと、沙希が待機できそうな場所を探し始めた。
「京介君、それじゃあ、あそこのベンチで待機しよう。この通りをしばらく下って右に曲がると玉山さんのラボが見えるから、ここで待機すれば動きやすいし、良いと思う。」
「了解。」
二人はベンチに腰を下ろし、少し心を落ち着けた後で、さらに注意深く千道たちの気配を探った。すると京介はあることに気付き、びっくりして沙希の方に振り返った。
「沙希、玉山さんのラボには二人しかいないはずだよね?」
「そのはずだけど、どうかした?」
「実は、玉山さんのラボからは、なぜか三人分の千気が感じられるんだよ。」
「え、三人?どうして?」
その言葉に沙希は耳を疑った。なぜなら沙希が千道の勧誘を受けたとき、千道と玉山以外に研究のことを知っている人はいないと千道が言っていたからだ。とすると、千道は沙希に嘘を付いて、内緒で他の人をすでに協力させていたのかもしれない。もしくは、沙希の勧誘の後で誰かを協力させた可能性もあるだろう。いずれにしても、千気の使い手である三人目とは一体誰なのか。千武会員の誰かなのだろうか。そんな風に沙希が混乱しながら思考していると、京介はさらに何かに気付いた様子で、ベンチから急に立ち上がった。
「沙希、三人目が分かったぞ。間違いない、三人目は拓也さんだ。」
「た、拓也さん?」
「ああ、そうだ。玉山さんの千気は感じたことないから分からないけど、拓也さんの千気は組手の時に間近で感じたからよく覚えていたんだよ。三人目の千気はまさにそのとき感じた千気そのものだから、三人目は拓也さんで間違いないと思う。」
沙希は京介の話しを聞いて驚いたのだが、そのとき同時にある推測が沙希の頭に浮かんでいた。結局、理由は良く分からないが、千気の研究をする上で沙希では何か都合の悪いことがあったのだ。そこで千武会で三番目に強い拓也に白羽の矢が立って、拓也が沙希の代わりに千気の研究に協力することになったのだろう。そう思った沙希は、それではなぜ自分が千気の研究から外されてしまったのかが非常に気になった。なぜなら沙希には外される理由に心当たりが全くなかったからだ。千道に対する不安だって京介以外には誰にもばれていないはずだ。沙希は自分の行動に自信を持とうとしたのだが、何か良くないことが起こっているような気がしてならなかった。
「沙希、どうかしたの?」
深刻そうな顔を見て京介が尋ねた。
「ごめん、何でもない。」
すると沙希は気持ちを落ち着けてさらに言った。
「拓也さんが三人目ということは、おそらく拓也さんが私の代わりとして千気の研究に協力していると思う。私はまだ一度も千気の研究に協力していないから。」
「なるほどね。それで、この後計画はどうしようか?一旦退く?」
沙希は少し悩んだ様子で俯いたが、すぐに顔を上げて言った。
「いや、計画は変更せず、このまま実行して良いと思う。三人ともラボから離れたら、潜入開始で。」
「了解。」
京介はそう言ってベンチに座ると、しばらく三人の気配に集中した。そして沙希の千気を気にしつつも、三人のわずかな変化も見逃さないように注意を払い続けた。すると突然三人の気配が一か所にまとまり始め、少し経ってそのまとまりはどこかへ向けて移動し、再びあるところで停止したのだった。京介は飛び上がって沙希の方を見た。
「沙希、三人が移動して、再びどっかで足を止めたよ。たぶん車に乗ったんだと思う。」
「分かった。」
京介はさらに注意深く観察した。すると三人は停止していた場所からゆっくりと動き出し、徐々にスピードを上げて玉山のラボから遠ざかっていった。どうやら三人は車でどこかへ出かけたようだ。
「沙希、三人が車に乗ってラボから離れていったと思う。今はこの辺りに三人の気配は感じられないよ。」
「了解。それじゃあ少しずつラボに近づいて行こう。京介君はとにかく三人の気配にすべての労力を注いで、もし三人の気配を感じたらすぐに教えて。それ以外は全部私が対応するから。」
「了解。」
沙希のサポートを受けつつ京介は玉山のラボに近づいていった。ラボが見える位置まで来て確認すると、京介の言う通りラボには誰もいないようだ。
「京介君、こっち。」
沙希は持参したライトで先を照らしながら、京介をラボの裏側へ連れて行った。するとそこには大きくて頑丈そうな窓が建物に取り付けられていたが、内側に薄いカーテンが引かれて中の様子はよく見えなかった。
「沙希、これからどうやって侵入するの?」
すると沙希は静かにその窓へ近づいていった。
「京介君、ここに窓の鍵が見えるでしょ?」
沙希の言う通り、窓の中央のサッシには鍵が取り付けられていた。
「うん、見えるよ。え、まさかこの鍵を開けて侵入するの?」
沙希は不敵な笑みを浮かべて言った。
「そう、そのまさか。」
「なるほどね。でもどうやって開けるの?」
「京介君、そこで見てて。」
沙希はそう言って鍵の前に立つと、鍵を覆うようにして手前の窓に両手を並べて置いた。そして深く深呼吸をした後、その両手から千気をゆっくり放出した。京介はゾクッとして沙希の方を見た。
「なるほど、千気で開けるのか。」
「そう。でもすごく難しいから、ちょっと時間がかかるかも。」
「分かった。三人の気配を感じたらすぐに言うから、沙希は鍵開けに集中して。」
「うん。ありがとう。」
そして沙希は両手の千気を慎重にコントロールし始めた。しかしやることはいつもと異なり、少し離れた位置にある鍵を千気で開ける必要があるため、それをするには非常に繊細で柔軟なコントロールが要求されて一気に難易度が跳ね上がる。沙希はラボへ来る前に何度も鍵開けの練習をして、何とか鍵の開閉はできるようになったが、三十分以内で作業を完了できたことは一度も無かった。三十分以上もラボで作業をしていたら千道たちが帰ってきてしまうかもしれないので、とにかく鍵の開閉を素早く行う必要がある。そのため、沙希は鍵開けに関して時間的な不安を強く抱いていたのだが、実際にラボへ来て鍵開けを開始したとき、何の問題も無くすぐにできてしまうような気がした。なぜなら、隣には愛する京介がいるからだ。沙希は京介と一緒にいると、自分は何でもできるし、何にでもなれるんだという思いが自然と沙希の心に湧いて来るのだった。
すると沙希のその思いが示すように、鍵はスッと開錠の方向に動き出した。まるで千気が沙希の手のように動いていたのだ。そして京介の熱い視線を全身で感じつつ、沙希はさらに鍵開けを進めていくと、ついに鍵がカチッと音を立てて開いたのだった。隣で見ていた京介は飛び上がって喜んだ。
「沙希、すごいよ!本当に鍵が開いちゃった。ていうか、あっという間!」
沙希は喜んでいる京介を見て、顔を真っ赤にして俯いた。沙希の身体は鍵開けの興奮と京介の影響で火照っていた。
「ほ、本当は早く開けられるか心配だったんだけど、きょ、京介君が傍にいてくれたから、こんなに早く開けることができた。」
すると京介は沙希の方を向き、沙希の肩に手を置いた。沙希は京介の手が肩に触れた瞬間、少し吐息を漏らした。
「沙希が全部やったんだよ。俺は何もしてないよ。」
沙希は肩に置かれた手を上から握り、とろんとした目で京介を見つめた。
「ううん、本当に京介君のおかげ。ありがとう。」
沙希が礼を言うと、二人はそのまま見つめ合った。そのとき京介は重ねられた手から沙希の千気を直接感じ取り、それによる快感から思わず手に力が入った。興奮で膨れ上がった血管が京介の手の甲で脈打ち、すらりと伸びた綺麗で暴力的な指が沙希の肩に深くめり込んだ。沙希は肩を強く掴まれたとき、まるで身体に電気が走ったかのように快感が全身を貫き、吐息を漏らしながら身をよじった。京介は沙希が身をよじったときに漏れ出た千気をさらに敏感に感じ取ると、身体がゾクゾクと震え出し、その震えはさらに沙希に伝わって新たな興奮を次々と生み出していった。しかしお互いの快感が徐々に高まり、もう後戻りができないと思われる境地に到達するまさに直前で、突然二人の後方にある茂みからガザガザッと大きな物音が聞こえた。二人がそれに驚いて咄嗟に後ろを振り返ると、小さな動物の動く影が視界に飛び込んで来た。二人の鼓動がさらに高鳴る。
「び、びっくりした。動物が動いただけか。」
京介は驚きと安堵の入り混じった表情を浮かべて言った。沙希は少し残念そうな顔で京介を見た。
「早く中に入って調べよう。」
「う、うん。」




