りんご飴とたこ焼き
お面の屋台から目的の赤獅子の営む屋台に向かうまで、そう時間はかからなかった。大男の前に並んで艶やかに光る真っ赤なりんご飴を見て、これこそ彼が”赤”獅子と呼ばれる所以なのだと感じる。
「……トウヤ」
猫の面が僕を見下ろした。彼は、他のテキ屋の青年達とは明らかに体格が違う。見下ろされると、あのかき氷の屋台の青年より威圧感があった。
「……あの、……」
先程まであんなに恐ろしい顔で僕を睨みつけていたウミカゲも、すっかり萎縮して僕の後ろに隠れている。僕ですらろくに声も出ず、水槽で忙しなく泳ぐ金魚のように、白眼の水槽で黒目を泳がせていた。
「俺が、不思議に映っているのだろう」
「えっ?」
「俺には、名がある。そして、名がある中でも一番に、この世界から忌み嫌われている」
僕の問いたい事を察してくれたのか、赤獅子が自ずと語りだす。僕は未だに怯えながらも、こくりと頷いて肯定した。そして意を決し、此方からも問いを投げかける。
「貴方も、”外”から来たんですか」
「……、そうだな。この祭りを内とするなら、俺は外から来たんだろうな。
……いや、もしかしたら、内から生み出されたのかも知れない。こういう話を、聞いた事はないか。
とある”ヒト”が、自分の意思で自分の人生を歩んでいた。しかしヒトは、もっと大きい”ダレカ”という存在の一部だった。ダレカという存在の中へ戻った時初めて、ヒトはダレカの一部である事を、ダレカはヒトが自分の一部である事を知る。あるいは気付く事も無く、虚しく溶けて一つとなる……」
「よく、分からない」
後ろで小さくウミカゲが呟いた。不安げに表情を曇らせる彼の頭を優しく撫でてから、僕も小さな頭で再びうんと考える。
「……貴方は、外から来たかもしれないけど、この世界から作られたかもしれないの? それって……」
「皆に言える事さ。俺は外から来たという記憶を持ってる。しかしそれは、その記憶自体作られたものかもしれない、という事」
彼の話に、急に怖くなった。僕は今、記憶を落としている。そして今その空っぽの引き出しを、埋めようとしているのだ。もし、間違えた記憶を拾ったならば。あるいは、作られた記憶を与えられたならば。今まで歩んできた僕という存在は、完全に消滅する。それは、死ぬって事と何が違うのだろうか?
「まあ、そんなに怯えて、難しく考える事は無いさ。作られた記憶を与えられたのなら、その人生を謳歌してやれ。今自分が感じているものが、自分だ」
赤獅子が、自分の胸に手を置いた。すると、ウミカゲも自分の胸に手を置いて、赤獅子を見上げる。
「そうさ、僕が僕さ! 僕はトウヤが大好きなんだ。お祭り、二人で行くって約束したんだっ」
「……そうだね。まあ、本当の記憶が戻ってくるのが一番だけれど」
「果たしてそうだろうか」
開き直ったような楽観的なウミカゲの発言に、僕が不安から少しだけ反論したくなって発した言葉に、誰かが反応した。その声はウミカゲでも無ければ、赤獅子でも無い。辺りを見渡すと、隣屋台でたこ焼きを焼いていた黒いつなぎ服の青年が、にこにこと微笑んで此方を見つめていた。
「もし記憶を貰えるなら、なるべくハッピーな方が良いじゃない。それからとびっきり面白いやつ!」
「じゃあ僕は、このままでいいや」
「へえ。君は今、人生を謳歌してる、ってコトかい。いいね、好きな人の隣は幸せだね」
「や、止めてくれよ、そんな変な言い方。勘違いされるだろう。僕ら友達だからね」
ウミカゲとたこやきの屋台の青年がにまにまと頬を緩ませて話す内容にぎょっとして、僕は慌てて訂正する。そしてウミカゲと少しだけ距離を取ってみたものの、彼は磁石のようにまたぴったりと腕にくっついてしまった。
「友達とか、恋人とか、関係性なんてどうだっていいのさ。僕は今夜、トウヤの側にいたいんだ。ずっとずっと。それだけで良いのさ。それだけを、待ってたんだもの」
夢でも詠うように語る彼の青い髪が、きらきらと光る。だから僕には、本当に彼が異国の人間のように感じたし、彼には永遠というものがあり得る気がした。しかし僕には、永遠などあるのだろうか。この祭りは、この夜はいつか終わるのだろうか。そもそもこの祭りは、いつ始まったのだろうか。
「……ところで、たこ焼きのお兄さん。お兄さんは赤獅子の事、怖いとか、嫌いじゃないの?」
途方もない事を考えていたが、ウミカゲの問いに突然現実に戻された。言えた口ではないが、随分はっきりと聞くものだ。
「嫌い? そんな訳無いさ。彼ばっかり悪いわけじゃないよ。……例えば、そうだなあ。このたこ焼き、ちょっと食べてごらんよ」
たこ焼きの屋台の青年は、焼き立てのたこ焼きを櫛に刺して、屋台の淵に並ぶソースも、鰹節も、青海苔も付けないで僕らに一つずつ差し出す。それを促されるままに冷まして食べれば、そのとろける生地もぷりぷりのたこも美味しく、つい笑みが零れた。
「うん、美味しいよ」
「それじゃあ、もう一つ食べてごらん」
青年は僕らの満足げな顔を見て、今度は焼き立てのたこ焼きにソースや鰹節、青海苔をかけて僕らに一つずつ差し出す。僕らもまた受け取って口に含めば、先程とは全く違う顔を見せるそれに驚いて、顔を見合わせた。
「とっても美味しい」
「ソースや鰹節だけで、こんなに変わるだろうか」
「ふふふ。いやいや、僕の使うソースは特別なのさ」
「……まさか貴方まで、あの星の海から掬いあげた、なんてロマンチックな事を言わないでしょうね」
「なあんだ、知ってたのかい。企業秘密だったのに」
僕の冗談に、青年は図星と言わんばかりのため息をつく。それも、全く冗談には見えない態度で。ため息を吐きたいのはこっちの方だった。
「……それで。お兄さん、何が言いたかったんです?」
「そうそう。それじゃあ最後に、これをもう一度、召し上がれ」
そう差し出したのは、最初に渡されたものと同じ、何も付いていないたこ焼きのようだ。僕らは一緒に口に含むと、その味気なさに顔をしかめる。
「あれ、味が無い」
「こんなにたこ焼き、不味かっただろうか」
「そういう事さ。人っていうのは、幸せを見つけた時、初めて不幸が見えてくる」
「……幸せ無くして、不幸は得られない、という事ですか」
「まあそんな所だろう。勿論、人を見てそう感じる事だって往々にしてあるさ。あいつにあって、僕に無い。なんて僕は不幸なんだろう。どちらにしろ、それは自分の感情から生まれ出でるものだ。
不幸を生み出すのは幸福だ。そうならば、きっと僕が彼を生んだ」
浅葱色の着物越しにその逞しい腕にそっと触れて、たこ焼きの屋台の青年は悲しげに微笑んだ。
「……お兄さんがおとうさんとは、とても思えないけれど」
「え? あっはは! そうだね。彼は、大きくなりすぎた」
ウミカゲの見当違いの言葉に、青年は笑ってそう返してくれる。先程まで黙って話を聞いていた赤獅子も、ひめりんごで作られた小さなりんご飴を二本握りしめると、僕らに手渡して漸く口を開いた。
「……彼は良い人だ。恨むなら、俺だけで良い」
「そんな、恨む事なんかしません。それより、この世界について、知ってる事があるならもっと教えて下さい」
「……多くは語れない。この世界について、最もよく知っているのは、君たちの筈だ。
……俺は部外者だが、ヒトでもある。彼もヒト。黒衣の客人たちも、テキ屋の青年達も、ヒト。なら、ダレカ、は誰だと思う?」
りんご飴を受け取って、辺りを見渡す。誰もが、ダレカの一部としたら。こんな賑わいも、一人芝居のようなものだとしたら。僕はこんなに華やかな世界を、とても寂しく感じた。
「そうだ! それが、神さまなんじゃあないかい?」
その時、答えがぱっと閃いたようでウミカゲが口を開く。
「……それじゃあ、神さまでさえ、ダレカであって、ヒトでもあったら?」
「訳が分からないよ」
「……それより、もっと、もっと大きな存在がある……?」
赤獅子は僕の見出した答えに、お面の裏で口を閉ざした。これ以上は答えられない、という事だろうか。それならば、答えは正解のはず。この世界で、神よりも大きな存在。或いは、別の名で呼ばれるだけの、神と同等の存在。どこかで僕らを見ている? あるいは、この祭りに潜んでいる?
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!
「っ!!」
「な、何っ? 赤ん坊の、泣き声っ?」
僕が思考を巡らせていたその時、突然祭りの賑わいさえ掻き消してしまう、大きな声が響き渡った。
ごう、ごう、ごう
ぎし、ぎし、がたがたがたがた!
それから、風が吹き荒れるような音、木が軋むような音も。僕はその悲痛な共鳴にりんご飴を落とし、耳を塞いだ。周りの人々も苦しみ、蹲っている。
おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ……
ぎし、ぎし、がた、がた……
やがてどちらの音も小さくなっていき、祭りに静寂が訪れると、僕は砂粒まみれになったりんご飴を残念そうに見つめた。もう食べられないだろう。赤獅子がごみ袋へそれを放り、神社の奥にある拝殿の方を見つめながら、ゆっくりと呟いた。
「あれが、神さまの声だ」
「……まさか。今の声は赤ん坊の泣き声です。あの、スピーカー越しに聞こえた声こそ、神さまの声なのでしょう?」
「……そうだな。どちらも、神さまだ。どちらがヒトで、どちらがダレカか。はたまたどちらもダレカかも知れない」
「もう、赤獅子は僕らを助けたいの? 迷わせたいの? トウヤ、この人やっぱり悪い人なんじゃあないのかい? 言ってる事がめちゃくちゃだ」
ウミカゲは赤獅子の言葉に酷く混乱している。かく言う僕だって、彼の言葉を理解できている訳では無かった。しかし、彼が悪い人には見えないのだ。絶対的な信頼が、何故か僕の中にあったのだ。
ざっざざっ
『延命措置の……管が、父の腕から伸びているのを見て、まるで、ロボットか人造人間みたいで、気味悪く思った事を、……よく、覚えている。それでも父は、……僕が、キジコを胸の辺りに、乗せてみると……「異常無し。お父さん、……今、少し元気で無いけど、……またきっと、元気になります」……と、弱弱しく、微笑んだ。……僕はそれを、信じた……』
『パパ、げんきです!』
「……お父、さん……?」
再び流れ出した、今度は聞き馴染みのある神さまの言葉。引きずり出されるように、僕の脳裏で幼い子供が強く言い放った言葉。どうしようも無い悲しみが襲い来る。涙が出そうで、出ない。出してはいけないと、瞼の裏で赤信号がちかちかと光る。顔を上げると、目の前にはこちらを見つめる赤獅子がいた。
「……お父、さん……」
伸ばした僕の手を、彼はそっと掴んで下ろす。
「……トウヤ。最後に、もう一つ。この世界から外へ出る道は、二つある。それぞれ入口でもあって、名のある者はそこからやって来た。……お前はまだ、どちらからでもこの世界から出る事が出来る。でも、だからこそ、よく自分で考えて、どちらへ帰るか見極めろ。
拝殿に行け。もう、逃げてばかりはいられなくなったろう。思い出した事もあるだろう。祭りの終わりは、近い」
「……はい」
突き放すようで優しい物言いに、僕は確信した。提灯の艶やかな光の先、暗闇に隠れる拝殿へ目を向ける。そして一歩を踏み出した時。僕の腕を掴んだままのウミカゲが立ち止まったまま動かなかったもので、僕はつんのめりそうになった。
「っと……、ウミカゲ? 行こう」
「……うん」
不思議そうに彼の顔を覗き込むと、彼は悲しそうな顔をしていて、か細い声でそれだけ呟く。それでも一向に動き出そうとしないもので、僕は苛立ってしまった。
「……、僕は行くから」
「っ待って! 一人で行かないで……。僕も行く、行くよ。もう置いていかないで……」
彼は僕の吐き捨てるような言葉に、痛切な声でそう訴え、腕に絡みつく。そして一緒にゆっくり、拝殿へと歩みを進めた。




