表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神さまの遺書  作者: ハタ
6/24

赤獅子

 その後、僕らはあの黒い波の中かき氷を食べ歩けるとは到底思えず、屋台の隅でかき氷をつつかせてもらった。いいや、つついたなどと、そんな可愛らしいものでは無い。先ほどのウミカゲの抜け駆けがあってか、僕らは競い合うようにかき氷を食べた。食べきった頃には、互いに舌や唇に赤みが増していて、それを見て僕らは笑い合った。

「次はどこへ行こう。取り敢えず、まだ見ていない屋台もあるから、あっちへ行ってみよう!」

 屋台に備え付けられたゴミ袋へ容器を捨てるとすぐに、ウミカゲが手を引いた。それに少しよろけてしまって、柔らかいものにぶつかる。

「おやおや、坊や、大丈夫かい?」

 その柔らかいものから出た優しい声に顔を上げると、そこには黒衣のまるまる太った男が、多分僕を見下ろしていた。顔が見えないから、憶測だ。

「大丈夫。おじさん、ごめんなさい」

「いやいや、良いのさ。ちゃんと謝る事が出来て、良い子だね。この役立たずとは、大違いだよ」

 がしゃん、がしゃん

 その、重い金属が揺すられる音にぎょっとして、太った男の手に目を向ける。すると男は犬の散歩に使うようなリードの扱い方で鎖を握っており、その先に付いた首輪には、今にも死にそうな、とてもやせ細った男が繋がっていた。ひい、とウミカゲの小さな悲鳴が聞こえたと思えば、その幼い手が怯えたように僕の袖を掴む。

「君たちはこんな愚かな大人にはなるんじゃあ無いよ。私のような、立派な大人になりなさい」

 太った男は出っ張った腹を更に突き出して、自慢げに笑った。すると細い男が、枝のように細い指先まで黒い腕を僕に伸ばす。

「……け、て……、た、すけ……」

 途切れ途切れに聞こえる男の悲痛な声に、僕は無意識に手を伸ばし返した。ぎゅうう、と男の手が、僕の腕を軋むほど強く掴む。

 ざっざざっ

『僕は、やっぱり……社会不適合者だったのだ…。世渡りが下手くそと……人は、言うのだろう。間違いを、間違いと言う事は……、必ずしも、正しい判断では、無い事……。この世は歪曲している……。その、一つでも、正せば……、全てに影響を、及ぼす。だから……、誰も、この歪みには……触れないのだ……』


「口答えをするな!」

 瞬きをした途端、視界がセピア色に染まった。燕のように黒く丸々太った男が、僕の視界の持ち主を責めている。

「いえ、いえそのようなつもりは、決して……」

「何故言われた事をその通りにする、それだけの事が出来ない……! 何か障害でもあるとしか思えんよ!」

 苦しくて、心臓を鷲掴みにされているような痛みを感じた。これは、きっと僕の記憶だ。

 記憶喪失とは、完全に記憶を失ったわけでは無いと聞く。頭には記憶の入った引き出しがあって、記憶喪失の人間は、その記憶の引き出しを開けられないでいるだけなのだとか。しかし僕に至っては、引き出しの中の記憶を掻き出されて、そのまま持ち出されたような感覚だった。何故今、そんな事を唐突に思ったかといえば、セピア色のこの景色が、僕の引き出しへ戻されたからだ。思い出したというよりは、取り戻した感覚だった。

 しかしこんな記憶は、例え本当に僕のものであったとしても、受け入れがたい。


「……ヤ、トウヤ……」

 その時、僕の頬へ冷たい何かが触れて、気付くと僕の意識は祭りの賑わいの中に戻っていた。冷たい何かの正体はウミカゲの指で、彼は拭うような仕草で僕の頬を何度も撫でている。

「な、何。ウミカゲ」

「トウヤ、泣いているだろう」

「泣いてなんかいないよ。なんで、そんな事」

「泣いているよ。どうして我慢するの」

 ウミカゲは、悲しそうでありながら、どこか怒っているようでもあった。いつの間にか太った男とやせ細った男はいなくなっていて、話を逸らそうにも逸らす先の無い状態だ。至極、面倒くさいと思う。僕なんか放っておいてくれ。どうしようもない、僕なんかの事は。

「君はいつもそうやって、僕を気にかける。それが鬱陶しい」

 ふと、そう言葉が漏れた。記憶の引き出しの片隅にこびり付いたような言葉が、口から転げ落ちるように、不意に。

「ご、ごめん。ウミカゲ、これは……」

「良いんだ。なんとなく……分かっていたさ。それでも僕は、君が大好きなんだよ。君とお祭りに行きたいって、強く願ったのさ」

 何故彼は、そこまで自分を愛すのだろうか。愛す事は、必ずしも喜ばれる事では無い。僕の場合は、誰の愛情にしたってそうなのだ。僕は愛されたくない。愛される事が、とても苦しい。

「ねえ、トウヤ。やっぱりもう思い出すの、止めようよ。君は、何か思いだしそうになる度に、苦しんでいるように見える」

 次いで出たそのウミカゲの言葉に、空っぽという不安が棘のような言葉となって、不安定な僕の口から溢れだした。

「思い出さなきゃ、帰れないじゃあないか! ここは、何なんだ! 僕は、何処に帰ったら良いんだよ! 君はそうやって、無責任な事を言うのだから……っ!」

 その棘はウミカゲに深く刺さったようで、彼が震えているのがわかる。唇を噛んで我慢していた、瞼の裏に住み着くわるいものが、口を開いた途端一筋頬を流れたのが、提灯の灯火に照らされ僕の目にもはっきりと見えた。

「僕だって、どこに帰ったら良いのか……わからないさ……。でも、ここにいるの、楽しくって……、トウヤといると、嬉しくって……。

 それじゃあ駄目、かなあ……」

 僕は、彼の目から零れ落ちたのが涙と理解した途端、無性に腹が立った。思わず彼に、手を上げようとする。

「トウヤ!!」

 その時、僕の名を呼ぶ声が大きくその場に響いた。ハッとなって、振り上げた手を下ろす。声の主を探そうと辺りを見渡せば、僕らの周り半径1メートル程を黒衣の群れが避けて通り、僕らの真横には暗い浅葱色の着物を着た大男が佇んでいた。その状況に、彼が声の主であり、黒衣の群れが怯えたように揃って避けているのはこの大男のせいだと分かる。男は猫のお面のようなものを被っているが、首に巻いたファーがタテガミのようで、僕にはライオンに見えた。そんなのが僕を見下ろしているのだから、子供の僕も怯えて当然だった。

「ご、ごめんなさい。こいつ、泣くものだから。とても腹が立ってしまったんです」

「泣くのは、いけない事か」

「い、いいえ。でも……」

 大男に問い質され、正当な理由の無い怒りだった事に気付き、口を噤む。しかし、僕は先程射的の屋台の前で聞いた神さまのお言葉を思い出した。

「っ泣く事は……自分を、慰める行為だ。結局、自分が可愛いんだ。神さまは、そう仰いましたよね?」

 タテガミのようなファーが、生ぬるい風に揺れる。猫の面の目に空いた小さな穴から、黒い瞳がじっと僕を見つめていた。

「神さまの言う事は、なんでも正しいのか」

「それは……。でも神さまって、すごい存在なんでしょう。だから、神さまは敬われ祀られる」

「すごい、か。神さまとは、トウヤにとって何だ」

「僕に、とって……? それは……それは、」

 対外的に捉えていた神さまという存在を内側から問われてしまえば、信仰も教養も無い僕は再び口籠る。でも、何故かその声は温かで、僕に何かを思い出させてくれそうだった。


『パパ!』


 幼い子供の声が微かに聞こえる。目を閉じると、瞼の裏には眩しいくらい、真っ白な世界。

「お父、さ……」

「おやめなさい」

 その凛とした声にハッとして目を開けると、そこには僕らを守るようにライオン男に立ちはだかる、燕尾服の青年の後ろ姿があった。

「神を侮辱する事は許しません。此処は神が創られた世界。いくら名があろうと、この世界無くしてはお前だって存在し得ないはず。最も、此処にいる誰も、お前なんか受け入れたくは無いのですけれど。

 さあ、早く屋台へ戻りなさい。与えられた然るべき場に居なければ、どうなるか分かりませんよ、赤獅子」

 強く拒絶するように青年がそう放つと、赤獅子と呼ばれた男も静かに何処かへ消えて行った。恐らく、先程青年に言われた通り自分の屋台へ戻ったのだろう。しかし僕は、確かにあの存在に怯えていたのに、もっと彼と話がしたいと感じていた。彼は僕の記憶を持っている。盗まれたようには思えないけれど、確かに記憶が戻ってくるような感覚がしたのだ。

「あれには関わらない方がよろしい。あれは、災いの根源ですよ」

「……助けてくれて、どうもありがとう」

 僕は、心にもない礼をその場しのぎで口にする。

「いいえ。助けた訳ではありません。私は誰とも関わらないのです。……ただ、あれはこの世界の誰にとっても良いものではありませんから。

 まあ、屋台においでなさい。私もテキ屋なのですから、商売はせねばなりません」

 燕尾服の青年は、派手な桃色の髪と反して静かな口調で話すと、コツコツと早足で革靴を鳴らして、黒い賑わいの中へ潜っていってしまった。俯いたウミカゲを見つめる。僕は何故だか、本当に彼が泣いた事にむしゃくしゃして、謝れずにいた。

「……ごめん」

 すると何故か、彼の口から謝罪の言葉が漏れた。

「君の気に障る事をしてしまったみたい。……でもね、これだけ、言わせて。僕、さっきのは自分の為だけに泣いたんでは無いよ。泣けない君の為に、泣いたのさ」

「え……?」

「さあ、これで仲直りしよう。僕はとっても大好きな君と喧嘩なんか、極力したくないのさ。さっきのお兄さんの屋台へ行こうよ」

 その言葉に、自分への強い執着を感じて、少しばかり恐怖した。彼は、極論僕が死ねと言えば本当に死んでしまうんじゃないだろうか。でも、そんな事は認めたく無くて、僕は深入りしない事にした。

「……ああ、そうだね。行こう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ