第006話 「蘇った悪夢、東雲契」
「冷撫。あれ、貸して」
「この場で【顕現】すればいいのでは?」
彼女は、俺の伸ばした手を拒否するように質問で返す。俺はその言葉を聞いて頭を少々悩ませた。
相手はこちらに気づいていないが、行為に及ばされても困る。それは本当に困る。
しかし、いつこちらに気づくかもわからない。今回俺がすべきは奇襲だから、さっさと襲撃にかかるべきなのだ。
「この時点で【神牙結晶】を使いたくない」
今、彼女に求めているものは顕装という装備。
正直、俺は今日……迂闊ながら武装を一つとして持ってきていない。さっき冷撫に渡された【結晶】だって、使う度に耐久値が減って最終的には砕け散る。
試作品ということもあって、実験体として協力しているとはいえそんなに量産してもらえるとは考えていないのだ。
冷撫を見つめ続けていると彼女はちらり、と目の前の獲物に夢中な在校生達を見つめ、はぁと溜息をついた。
そして、懐から銀色のサイコロのようなものを俺に渡す。
「もう、明日からはちゃんと自分のを持ってくるんですよ?」
「携帯している人のほうが少ないと思うけれども。……冷撫は仕方ないよな」
彼女が手渡してくれたのは、掌で握りしめられる程の、小さなキューブだった。
右手でそれを受け取り、【神牙結晶】の発動を無効化するため左手でペンデュラムネックレスを彼女に返す。
そして【顕装】を力強く握りしめて、発動させる。
着飾った口上は必要ないが、まあ格好つけるのなら、これが正しいだろう。
これはいいものだ。正しくは長ったらしい正式名称というのがあって、ちゃんと仕組みも分かっているのだけれど、それを思い出す余裕はないか。
俺は握った手を伸ばして、そこに現れた一振りの片刃の剣を握った。
刀身は白。正確度がゴミ同然の俺も、一定量の「醒力」を流し続ければ、きちんとした武装を可能にできる。
「行ってくる」
「はい。ゼクスくんのご無事を、お祈りしております」
「……えー?」
一大決戦になるとでも思っているんだろうか、冷撫は。
そうにはならないよ。
俺は姿勢を低くして走りだす。剣を正に構えず。
逆手に構えて柄の部分を前に、刀身の部分を後ろに向ける。
この顕装はまだ、人を殺せるほどの出力を持ち合わせていないはずだ。
真面目な冷撫のことだ。恐らくしっかりと学園の規定通り「切断不可能」な出力に抑えているだろう。
簡単にいえば、これはただ「剣の形に近い打撃武器」でしかないのだ。
まあ、これで充分だろう。当たりどころが悪ければ、意識を飛ばすことくらいはできる。
俺が彼等のすぐ横に迫るまで、男たちは俺に気づかなかった。
男たちが自らに迫る脅威に気づいた時にはもう遅く……こちらはすでに、剣を男へと叩き込む体勢に入っている。
刀身ではなく、柄の。
自身のイメージに従うように、身体は爪先から腕までの筋肉が連なって動き……。
衝突の瞬間、剣を握り込んだ俺の身体と剣が同一のものと化し、それは「凶器」となった。
「ぐえっ!?」
男の一人が、俺の攻撃を受けて、腕力によって吹き飛ばされる。
衝突の勢いそのままに、全体重を乗せ、顕装の柄を男の鳩尾へと叩き込んだのだ。
効果は抜群だろう。
実際その通りで、男は吹っ飛んだ先で二度三度と回転し、最終的には顔面を床へと叩きつけ、そのまま動かなくなる。
「なっ」
今まで、目の前の少女に劣情を曝け出していた男たちはやっとこちらに、気づいた。
先ほど吹き飛ばした男はすでに気絶している。流石【顕現者】候補だ、身体は丈夫にできているだろうから「命に別状」はないだろう。
先程まで新入生へ全ての注意を向けていた男たちが、こちらを向いた。
俺の姿を見て、新入生のことなどどうでも良くなったらしい。
「お前――!」
「…………」
冷撫がこの場所に居なくてよかった、と心底思った瞬間である。
俺はギャアギャアと口を開こうとした男たちを意に介すこともなく、膝を折り、懐に潜りこみ……
そのまま、体重移動と連動する形で、剣を握ったままの右の拳を躊躇うことなくまっすぐに振り抜く。
鈍い音。硬い感触が、掌に帰ってきていた。
俺の拳は狙い違うことなく、二人目の男の顎へと突き刺さる。
いや、拳そのものを堅い顎に当てるような愚を犯すのは、無意識の内に避けたのだろう。
顕装の柄に、何かが当たった確かな感触はあるものの……それが何であるか確かめる間もなく、俺は次の目標へと視線を移す。
確かめるまでもなく、先ほどの一撃を受けた相手からの反撃は来ないだろうというのは、直感的に分かったからだ。
……自分の力を試すいい機会だと言いながら、何故俺は腕力で戦っているんだろうな? いや、確かに腕力も俺の力ではあるが。
1分足らずで2人ノックアウトした、上級生のグループはこちらを恐れの目で見つめて対峙していた。バケモノか何かと勘違いしているらしい。
愉快だ、とも思わず。俺はそんな目に躊躇うことなく、ゆっくりと相手に向かって歩み始める。
「何が目的だっ!?」
1人がこらえきれなくなったのか、声をあげた。
が、声が震えすぎて少々最後らへんがおかしい。
「こんなことして、何もなく済むと思ってるのかぁ!?」
「小物のセリフだな」
上級生たちのセリフに対して全く恐怖を感じないのは、俺が実戦を積んでいるから、とかではないだろう。
寧ろ、相手に「こういう経験」がなかったのだろうと判断できる。
本当に在校生か……? 実技訓練は日常茶飯事と聞いたんだが、この学園。
もしかして、レベルが低いなんてことはないよな?
それなら、【八顕】がここ以外を選ぶか。ということは違うはず。
……なんだろう、この納得の行かなさは。
俺は頭を振って、未だ何か喚いている男たちの方に目をやり。
少し考えて、新入生の少女は何処に言ったかと見回して……。
自分の隣に、未だ座ったままということに気づく。
……腰を抜かしたらしい。
「聞いてるのか。つってんだろぉ?」
「聞いてない」
同時に、面倒なのだ。
俺の力はなんのためにあるんだ、という苦悩に陥ってしまいそうになる。
父さんに鍛えてもらったこの身体能力も、【神牙結晶】で欠点を補った【顕現】の力も。
ただ、こんなくだらない茶番に使うべきではない。
もっと有意義なことに使うべきなのだ。アマツを助けたり、冷撫を助けたりとか。
……あと、復讐したりとか。
決して、決して。こんな男たちに向かって、見も知らぬ少女の為に使うべき力ではない。
「なんなんだ、なんなんだ。なんなんだよ」
「これ以上はダメです。相手が死んでしまいますよ」
と、声。涼風のように耳へ舞い込むそれは、冷撫の声だ。
どうも、俺は思考の濁流へ見事に飲み込まれていたらしい。
その声に我に返ってみると……俺は、男2人の制服の襟首を掴んで彼等の後頭部を、壁に打ち付けていた。
男たちは既に白目を剥き、口からは泡を吹いていて……完全に意識を失っていた。
冷撫の言葉がなかったら、確かに相手が死んでも気づかなかっただろう。
頑丈とはいえども、人間であるかぎり限度はある。原型がわからなくなるまで、力任せに打ち続けていたかもしれない。
感情の制御が、まだ成功できていないのかな。
俺は興味をなくし、男たちを下ろすと計4人の重軽傷者を見つめた。
……死んでは居ない。なら問題はない。
「冷撫、撮影はしたな?」
「ええ」
証拠は残しておかないと、相手が万が一何かあった時にどうとも出来ないからな。
冷撫が少女の安否を確認している。
俺はそんな中、負の感情が過ぎ去った急激な空虚感に苛まされていた。
「何かされていませんか? 大丈夫です?」
「う、うん。……私、今から入学式でっ」
その少女は、何やら慌てたような顔で状況を説明していた。髪の色は紺色。気品あふれるといえばいいのか、どこかしらお嬢様っぽい感じがする。
「もう、今の時間に向かっても遅刻ですね」
「あっ、でも」
私たちは不参加組ですから、と安心させたいのか何なのか、分からない説明をしながら冷撫が少女を立ち上がらせる。
背丈は……冷撫と同じくらいか。
「私の名前は鈴音冷撫。貴女は?」
……自己紹介が始まっている。俺はとりあえず女性同士の話には極力立ち入らないように、2人から離れて男たちを1箇所に集める。
しかし、その名前を聞いてしまったのだ。
「東雲契と申しますっ!」
嗚呼、と。
俺は心の奥底から、この女を助けたことを後悔した。
5年前の、記憶を思い出してしまった。
試験に落ちた日、こちらを冷ややかな目で見つめていた幼なじみのことを。
物心のついた頃から、一緒に居た。「仲の良い」と勝手に思っていた、その少女のことを。
『ごめんなさい。【顕現者】の素質がない人と、一緒にいちゃいけないってお母様が言っているから。ごめんなさい、「一般人」さん?』
そう冷たく、俺を突き放した少女のことを。
本当に申し訳なさそうにしながらも、その目が笑っていることを。笑いをこらえきれていなかったことを。
俺は、思い出してしまったのだ。
次回更新 → 2016.1.24 9:00