第322話 「距離5メートル」
「勝てるわけないだろぉー?」
悔しさというよりは諦めの入った、少年少女の声。
地面に倒れ伏す、フレズの同級生達を見てゼクスは満足したような顔をしていた。
正直言って、彼女との共闘は楽しかったのだ。初めての共闘だというのに、颯やアガミと戦っているような安心感を得ることが出来る。
ゼクスは実際、満足出来ていた。
フレズもそうだ。
しかし、彼女は慌てて走ってきたネクサス達を認め、惜しそうにゼクスへ伝える。
「おや、お迎えが来たようだぞ」
「……ん、確かに勝手に走ってきたからな。今日はありがとう」
――良い発散になった。と、すがすがしい笑顔を浮かべる彼の表情を見たフレズは、自分の頬も上気していることに気づいた。
おそらく、自分は喜びを感じているのだ。フレズはそう解釈する。
【ATraIoEs】で【氷像】と表され恐れられ、同じ棟にいる人にしか心を許さなかった自分が、一度本気で戦っただけの少年に心を開くはずがない――。
しかし、同時にたった数分で満足感を得ている自分に違和感も、ある。
「また来るよ、フレズ・エーテル」
どうせ走って数分の距離だ、とゼクス。フレズに向けたわけでもない手をひらひらと揺らすと、彼はネクサスたちの場所へ悠々と歩き去ってしまった。
その距離が、フレズに取ってはどうしようもなく遠く感じる。
「――遠いな」
「遠くないよ。たった5メートルじゃないか」
ゼクスの声を聞き、少女は自分の心の声が漏れていたことに気づく。
同時にかなり気恥ずかしくなって目を逸らそうとするが、相手はこちらをじっと見つめていた。
「他の人がどう思うかは知らないがね?」
次こそ、ゼクスは修練場からでていく。ネクサス達も安堵の表情と共について行き、修練場に居るのは氷像の様に構ってしまったフレズと、地面に伏せったままの生徒達であった。
教官は、フレズとゼクスが戦い始めた頃にどこかへ逃げて行っている。
「たった5メートル、ね」
少女は、ゼクスの言葉を反芻する。
フレズは基本的にセイランと2人で行動しているし、修練場で同じ棟の人間と関わるのも訓練の時のみである。
セイランが唯一の友人だ。【ATraIoEs】に、その他知人と呼ばれるような人間はいたとしても、深く関わる人間はいない。
小手調べの為にネクサスと対戦して一方的な試合展開を見せてからは、対戦相手は居てもほぼ一度きりであったのである。
「俺には分からないよ」
だからこそ――嬉しく感じたのであろう。
フレズは無理矢理自分を納得させるように頭を振ると、……物憂げに息を吐いた。
「俺には、気軽に遊びに行けるような存在がない」
ゼクスにだって、颯たち以外になかったことを彼女はまだ知らない。
――
「急に飛び出していっては困るよ、ゼクス」
「んー。申し訳ない」
帰路でゼクスは、心底疲れた様子のネクサスと颯に注意を受けていた。
現在彼は注目の的だ。殴り込みは少ないとしても、数日前に買い出しに出かけただけで意図的に避けられる始末である。
血の気の多い訓練生達は品定めをするようにギラギラと目を輝かせ、血の気の少ない訓練生達はちらちらとこちらに興味を示している。
ゼクスは半分ほど、八顕学園に戻ったような感覚に陥ったが――。
それが、彼の精神にダメージを与えるかと言われると、ノーと答えるだろう。
「火の粉を払うためにと俺たちは古都音さんに頼まれたんだ。勝手なことをされると――色々と困る」
「ごめんよ、颯。でも楽しかったんだ」
颯の不満げな顔を見ながら、ゼクスは反省していた。彼にとってゼクスという存在は、颯が雪璃と真剣に付き合うと決めてからほぼ決まったようなものだ。
仕える人間にそれ相応の覚悟があるのならば、元々の関係がいとこであったとしても仕えられる人間にも自覚が必要だ。
見捨てられるような人間であってはならない。
しかし、颯もゼクスの気持ちは痛いほどに分かっていた。
「俺たちには、ゼクスへ対抗しうる力が欠如している。それは分かっているんだ」
――数年から数十年。ゼクスと共に訓練をすることによって差は狭くなるかも知れない。
しかし、彼が今求めている物に、颯は自分がなり得ないことがよく分かっているのだ。
悔しいかと問われれば悔しい。
そもそも、まだ関係が敵対していたときからゼクスと颯の格付けは終わってしまっている。
1年近く、同じような訓練を受けているはずなのに。【瘴】と【燿】という力を手に入れたはずなのに。
それでも、ゼクスの【拒絶】を破るにはかなわなかったのである。
「出来るだけ早く追いつくから、それまでは待っていて欲しい」
「……マジ?」
ゼクスの語彙力が低下した返答は、期待を込めたものであった。
身内で自分に並ぶ人間がいるのは、勿論嬉しい物である。
彼の周りに、拮抗した人は居ないのだ。
上には、こちらが本気を出しても叶わない冷躯がいる。
父がなんと言おうと、実力的な勝率は現状0%だ。
「それを目指してくれると、俺はとてもありがたいんだけど」




