第291話 「空港にて」
さめざめと冷たい雨が降る。『ロスケイディア二皇国』の片隅で、少女は傘も持たず地面に倒れていた。
目はうつろで、身体には所々の傷がある。純潔は辛うじて護られているが、先に訪れるのはその喪失か、それとも死か。
「……誰か」
助けを求めるように、少女は手を伸ばした。しかしあいにくと土砂降りの雨、声は空気に吸われて響くことは無い。
少女には記憶が無い。気がつけば路上に倒れていたのだ。
ただ、自分の名前だけは覚えている。
「――――っ」
身体に打ち付ける雨に、感覚が奪われていく。
そのとき、彼女の近くに黒塗りの高級車がとまり。誰かが傘を持って近づいてきた。
少年だ。自分と同じくらいの、しかし立場は全く違うだろう一人の少年。
服装も装飾も何もかも、自分とは一線を画す存在の少年に、少女は話しかけられるまで言葉を発することが出来なかった。
「……どうしたの?」
「――わから、ない」
助けて。
少年を見、縋るように呟き――。
意識を失った少女を見下ろして、少年は手を上げた。
慌てて車から出てきた執事に、少女を保護してくれと頼む。
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空港。
荷物――トランク1つ分を持って集合したゼクス、颯、古都音、雪璃、そしてアガミ。
【八顕】次代の内、2家が居なくなるという異例の事態に難色を示した者も多かったが。
鳳鴻が「楽しんで行ってくるといいよ」と、ごり押しに近い方法で閣議を決定させていた。
「もう少しお待ちください。……飛行機が到着しましたら、お知らせいたしますので」
ミオがみんなに伝え、一礼する。ゼクスは、ネクサスから【Neo-Val-Xione(ネオ-ファルクシオン)】の業務用機で迎えに来る旨を伝えられていたため、何故か必要以上に楽しみな様子である古都音たちを、少々離れた場所から見つめていた。
そんな彼に、近づいてきたのはミオ。
ゼクスが冷静なのを不思議に感じているようである。
「御雷氷君は、動じないのですね」
「動じるも何も。……まあ、楽しみな事は肯定するけどな」
そう答え、ゼクスはミオの方に首を向ける。
丸くなったな、と彼は少女のきょとんとした表情を見つめながらそう感じた。
出会ったばかりの頃と言えば、特に理由の無い敵意を向けられていたものだと、ゼクスは思い返す。
「ミオって、婚約者で護衛なんだっけか。何度も確認するようで悪いけど」
「ミュラクさんはそれで合っています。結構な名家出身ですし、ネクサス君と釣り合っていますね」
私は「護衛で婚約者」です、とミオは答えた。その違いが何かゼクスには分からず首をかしげてしまうが、ミオはそれに気づいたのか苦笑して説明をする。
「私は護衛が――ネクサス君を護る方が優先事項なんです。ネクサス君は私を大切にしてくれはしますが、それでも風当たりは……」
『ロスケイディア二皇国』に行けばイヤと言うほど感じますよ、と少女。
ゼクスは、少女の顔に諦めの表情が入っているのを感じて、それでも首をかしげる。
彼女のことを知らなさすぎるのである。4月から4ヶ月の間、顔を合わせていたが直接的に話をすることはほぼ無かった。
「ミオは――、ネクサスの事、好きなのか?」
ただ、疑問に思ったことがある。
ミオはネクサスと殆どの場合一緒に居るが、それらしい「恋人の仕草」をしたことが無い。
ミュラクはよく見るが、ゼクスの目の前では手をつないだことすらないように感じられる。
ゼクスの質問を受けて、ミオは寂しそうな顔をして空を仰いだ。
「感謝はしています。けれど、恋愛感情を持っているかと言われれば、首をかしげざるを得ません」
そもそも、誰かを好きになることなんてありませんでしたから。
少女の言葉を聞いて、ゼクスは少々返事に困る。
「ネクサス君からなにも聞いていないのですか?」
「うん、聞いてないよ」
「……いえ。お話はまた今度にしましょう」
ネクサスが近づいてくることにゼクスは気づき、そうだなと返事をする。
完全にウッキウキな古都音たちと同調するように適当な返事をしながらも、ゼクスの意識は完全にミオへと向けられていた。
あの目は、色々とやばい目だ――。
そう感じられずには居られないゼクスであった。




